香蕉の生き方

うたう

一章 李斯

車中の謀議

 宦官かんがんという生き物がいる。

 彼奴らは皇帝や後宮の女たちの身の回りの世話をするために生きている。「宦」とは原義によれば、神に仕える奴隷であるが、なるほど彼奴らは人ではない。宦官は、後宮の女たちとの間に関係を結ばぬよう、すなわち皇帝の血脈を護り、系譜を正しく紡ぐため、施術によって陰茎と睾丸を除かれている。彼奴らは、華奢であるか、あるいは丸く肥えているかで、隆々とした肉体は持たない。髭は生えず、声は女のように甲高い。しかし女でもない、異形のものである。


 その異形の生き物が今、李斯りしに奸計を囁いている。

 甲高い声で、また同じことを言っている。

「どなた様になさりまするのか?」

 二世皇帝は誰にするのかという意味である。

 六国りっこくを征服し、皇帝を称した中華の主は、天下平定のなった翌年にはもう精力的に版図を巡幸していた。万民に己が威光を誇示し睨みをきかすことの他に、道路整備を急がせる目的があった。地方によって違っていた轍の幅が、巡幸のおかげで素早く統一されたと言ってもよい。軌を一にしたのである。

 その始皇帝が、五度目の巡幸の途、没した。沙丘さきゅう平台へいだいでのことであった。始皇帝のみが突如、行き先を黄泉の国へと変えたのである。

 馬車の中に据えられた玉座の上に、亡骸がある。生前の赤ら顔は色を失い、もはや青白い。が、鷲鼻は誇らしげに依然大きく高く、眼球は濁り始めていてもなお冷徹に鋭くある。死した今でも、李斯には始皇帝の顔が恐ろしくてならなかった。

 その御前で、である。宦官趙高ちょうこうは憚りもなく、二世皇帝は誰にしようかなどと李斯に持ちかけている。始皇帝が息を吹き返し甦ったのなら、趙高は問答無用に死罪であろう。趙高のみならず、高祖父から玄孫にいたるまでの九族が皆殺されるに違いない。李斯もまた、耳を傾けた者として、おそらく死罪は免れまい。

 季節はまだ処暑を迎えておらず、李斯は背中に大粒の汗を掻いていた。もとより多汗な体質ではある。ではあるがしかし、額に吹いたものはどうであろう。冷や汗に紛れない。

「繰り返さずとも聞こえておる」

 始皇帝の馬車は九頭立てである。李斯と趙高を乗せてもまだ、車内にはゆとりがあった。車はむろになっており、開閉式の小窓によって内部の室温を調節できる機能を有している。その小窓は今、閉ざされている。趙高が閉めたのである。馬車馬は歩を止め、馭者は台から降りている。趙高が払ったのであろう。行列は小休止の最中にあって、衛兵は遠巻きに馬車を囲み、歩哨に当たっていた。

 車内は完全なる密室であった。

 が、自然と小声になる。

「どなた様も何も、儂なんぞが一存を挟めよう問題ではない。お世継ぎは主上が御遺詔にてお指し示しであろう」

「如何にも」

 趙高は懐から木箱を出し、さらにその中から勿体をつけて木簡を取り出した。

 巻き簾状の木簡を束ねる紐の結び目には封泥が施されており、印は紛れもなく始皇帝のものである。封されておる以上、李斯にはどの公子が後継するのかはわからない。

「おぬしは、そこに記された名がどなた様のものであるか、知っておるのか?」

 趙高は頷いた。

「されど、その御方の名を私が口にしたとて、李斯様はお信じにならぬでしょう。ゆえに直にご覧になられるのがよろしゅうござりまする」

 そう言って趙高は小刀を用い、瞬く間に紐を切り、封を解いた。

「な、何をしておる!」

 封泥は文書の機密を守るためのものである。紐の結び目に粘土を付着させ押印することで文章の改竄を防ぐ。つまり巻かれた木簡の紐の結び目に封泥があれば、封されて以降に誰の目にも触れておらぬことを示すのである。しかし逆を言えば、結び目に封泥が残されていようと、紐を切られた状態であれば、中身の文章の信用性は損なわれるのである。その場合、封泥はこびりついたただの粘土と変わらない。

 趙高の暴挙は、遺詔を永遠に失わせるものであり、もはや遺詔に誰の名が記されていようと意味をなさぬ。跡目を継ぐ意志のある公子たちは、遺詔に捏造の疑いありと唱えるであろう。そして我こそが後継であると声高に訴えるに違いない。

 趙高には自身のしたことの重大さがわからぬのか、涼しい顔をしている。丸く太っておるくせに汗粒ひとつ吹かせていない。

「ご心配なさりますな。紐は新たに付け替えればよろしゅうござりまする。封もまた同様。玉璽ぎょくじはそこにござりまする故」

 そう言って、趙高は不敬にも始皇帝の遺体の胸元を指さした。

 李斯は視線をゆっくり始皇帝の胸元から顔へと移し、亡骸であることを確認した後に、趙高の手から遺詔を奪い取った。巻き簾状の木簡の一片一片がこすれ合い、神経質な音を立てる。

 真っ先に、扶蘇ふそという二字が李斯の目に飛び込んだ。改めて全文を読み直す。

 要旨はこうであった。

 ――蒙恬もうてんに軍を預け、扶蘇は首都咸陽かんようへ帰還せよ。遺体を迎えた後は、喪主となって葬儀を取り仕切れ。

 扶蘇とは、始皇帝の長子の名である。今は辺境の上郡じょうぐんにあり、将軍蒙恬を従えて匈奴きょうどの襲来を防ぎつつ、長城の普請に当たっていた。始皇帝が二年前、有名無実の学者や方士四百数十名を捕まえ、見せしめとして生き埋めにしたとき、扶蘇はこれを厳しく諌めた。それがため、扶蘇は始皇帝の逆鱗に触れ、煙たがられて上郡へと遠ざけられている。

 と、周囲はもちろん李斯もまたそう思っていた。

 が、その公子に、始皇帝は喪主を務めよと云っている。要するに後継指名である。扶蘇の上郡赴任は、肌身を以て匈奴という外敵の脅威を感じさせるためのものであり、首都咸陽から追い出したのも中枢を離れることによって、俯瞰的に為政というものを見つめ学ばせるためであったのか、と今更ながらに李斯は悟った。

「扶蘇様がお継ぎになられるのであるな」

 李斯がそう言うと、趙高はしれっと「左様」と返した。

 左様であるのなら、先刻の「どなた様になさりまするのか?」とは如何なる目論見で問うたのか。李斯は一瞬腹立たしさを覚えたが、間髪を入れずに肝を冷やした。忠誠心を試されたのだと推察したからである。

「とにかく」と李斯は間を置いて、またちらりと始皇帝を見やった。当然、身動ぎひとつしない。死んでいる。李斯は大きくひとつ、ため息を吐き、それから「すぐに手配いたそう」と言った。

 何よりも先んじて、遺詔を扶蘇のもとへ届けなければならないのである。しかし李斯はもう次のことを考えている。どのようにして咸陽へ戻るかということである。当初の計画通りの道筋を辿るべきか、直線的に咸陽を目指すべきか、また速度はどうしよう、今まで通りの速力を保ったほうが賢明であるか、全速力をもって進行するのが合理的か、などと思案していた。誰に遺詔を託し、上郡へ遣わすか、その人選は手配すると言ったときにはもう済ませていた。

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