雨が昇る

@deko_boko

第1話 雨宿り

 土の地面にこもっていた湿気が水となり地表にジワジワと染み出す。やがてそれらは徐々に集まりたまりだして水たまりが顔を出す。この状態を単に水たまりという人もいれば、雨が昇る直前だから雨だまりという人も多くいる。雨だまりが出来たらもう雨が昇るまであと少しという兆候であり、人々は雨だまりを見ると雨を避けるために走り出すのが日常となっている。通常の雨量ならば雨だまりが出来てから十分ほどすると水たちが表面張力から脱するかのように水滴を形成し、そしてスウスウと空へと雨が昇っていく。雨は上空に上ると雲となり、雲は雨を降らすことなくどこかへと霧散する。

 この世界で雨は降らない。雨だけが重力に縛られない。



「あー、雨が昇ってくる!」

少女は波立つ雨だまりに気づき、駆けていく。しかし、走ってどうにかなる時間はとうに過ぎており、地面からは徐々に雨が昇り、少女の靴底には水がまとわりつきはじめる。傘などあろうはずもなく、いやそもそも雨が降らず下から昇ってくるこの世界において日傘は存在するが、雨傘などというものは存在しない。雨を防ぐには密封された合羽を着こむくらいにしかなく、しかしそれはすこぶる快適性を損なうために好んできる輩は皆目いない。雨が昇ってきたら諦めて濡れるか、コンクリート製の床など雨が染み出ない場所に雨宿りするしかない。少女は、後者を選ぶ。

 廃屋に近しいあばら家。床には色あせた木々が敷かれ、それらのつなぎ目からは染み出る水滴が見える。しかし外の何もない場所よりはマシだろう。少女はようやくたどり着いたこのあばら家で雨が止むのを待つのを決め、一息をつく。そして反射的にぽつりとつぶやく。

「ふぅ……、最悪」

「何が最悪なんだい?」

うす暗く見えない場所から響くその声に、少女は身体の芯から肌にかけて幾本もの針が突きでるような感覚を覚え、思考が数瞬止まる。空白の思考後、頭の中にようやく登場した漠然としたフローチャートが動き出す。まず到達した考えは何も答えずにすぐさまこの場を去る。しかし、外では雨が大昇りになってきたのでこれ以上濡れたくない少女にとって、その選択肢はない。この場にいるが確定。ならば次は言葉に答えるか、否か。沈黙、無視が状況を好転させるとも思えない。答えた先にある行動も頭に入れながらも、少女はまずは自分の出すべきであろう当たり障りのない、いわゆる正常と思われる返事を出すこととする。

「あー……、私、その、雨宿りにきたんですけど……、その、すみません。少しで良いので、ここに居ていいですか」

「別にオレに断る必要はないよ。オレもあんたと同じでただここに束の間、宿ってるだけだ」

言葉と共に薄暗い場所から男が現れる。清潔感があまりなさそうなくたびれた服装、皮膚は日焼けのせいだけではない色の濃さがうかがえる。男のこの見た目と「宿ってる」という発言から、少女は男性の素性をなんとなくだが、しかし明確に察する。彼の手には武骨さが宿り、腕は少女よりも二回りほどは大きい。少女が力でこの男性に勝ること決してはないだろう。故に少女はどうしようかと再度逡巡し、一歩、足を動かす。

「何もしはしないよ」

男が機先を制する。

「何故ですか?」

「流浪者だから」

少女はその答えを頭の中で咀嚼する。が、それは咀嚼ができるにほどの答えでない。

「流浪者だから何なんですか。理由になっていませんよ」

「キミが考えるほどにキミにさしたる興味はないってことだよ」

「それはおかしいです。なら声をかけなきゃいいんですから」

「黙ったままでキミが気づくのを待つのもどうかと思っただけだ。大体、そちらの方があやしいだろ?」

 男は感情が見えない、少なくともそこに少女へのいやらしさや企みは見えない表情で少女の目を見据えて答える。彼の態度と返答は少女の中にある一般的感性に基づけば至極妥当なものだろう。男が黙ったままひっそりとたたずみ少女を見ていたのならば、少女がそれに気づいた時、少女の中で育つ疑いの種はとっくに実を結んでいる。非日常的な人物のまともな対応故に少女の頭の中の貧弱なフローチャートは答えを出しあぐね、返しが思いつかず目を右下にそらす。3秒の沈黙。

「ま、オレは所詮根無し草だ。無視しといてくれよ」

そう言い、男は少女に無防備な背中を向ける形となり、数歩歩きだす。そしてテーブルの前にたどり着くと立ち止まる。

「ああ、キミのいる場所、床の状態が良くないから昇ってくる雨が入ってくる。濡れたくないなら、そっちの方にある棚の上にでも移動した方が良い」

そういって男は部屋のわきにある壊れた棚をさし自分はテーブルの上に腰を落ちつけ、さらには寝転がり天井を見つめ始める。まるで最早少女には興味なしといわんばかりである事を態度をもって示すように。

 いまだに対応を出しあぐねていた少女の右手に床をすり抜けた雨が一滴、当たる。一滴の波紋が少女の中に伝わり、優先される思考が雨宿りへと移行していったん落ち着きを得る。男を信用できるわけではないが少なくとも今すぐに何かが起こるものではない、それはとても甘い判断かもしれないがそれでも今は疲弊した頭は楽を得るためにそう判断し、ひとまず雨宿りのために男の指さした棚の方へと移動する。天板の汚れた地層を左手で少し振り払い、腰を落ちける。ようやく少女は一息をつく。


 地面から床下に昇ってきた雨。それは床板に当たればその時点で水滴となり、あとは昇ることはなく落ちるだけの水滴となる。雨だった水滴は重力にそって落ちる。雨だけが、昇る。

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