第三十二話:虚影の王⑦

 死霊魔術師が生み出すアンデッドの元は大きく分けると4つの種類に分けられるという。


 骨から生み出す骨人スケルトン

 肉から生み出す死肉人フレッシュ・マン

 魂から生み出す悪霊レイス

 腐乱した死体が動き出す腐肉人ゾンビ


 だが、そこからの変異の先は一通りではない。

 アンデッドの位階変異は死霊魔術師が組み込んだ指向性の進化なのだ。


 フードを外し露出した身体は乾いた骨と皮から成り立っていた。黒く乾いた皮膚に、眼窩の中で輝く怪しい光。


 かつてロードの屋敷で盗み見たアンデッドの図鑑にも載っていた。骨人の変異系。

 ロードが使役していた骸骨騎士スケルトンナイトとは異なり、かつて魔導に傾倒した骨が死を超越しさらなる力を手に入れた姿。


 魔骸導師リッチー


 魔術は強力だ。人間が使っても一騎当千の戦力になる。そんな力をアンデッドが手に入れたらどうなるか――。


 奴らの見た目は人間に紛れ込むには向かない。吸血鬼の危険度は人に紛れる点も考慮している。

 そう考えれば、彼らは純粋な戦闘能力ならばもしかしたら吸血鬼をも超えるかもしれない、奈落の支配者だ。


 力を感じる。同じアンデッドである僕をも圧倒する強力な死の力。

 その身にほとばしる強力な魔力はこれまで見たどの術者よりも大きい。


 こいつが死者の王か? いや――――違う。せいぜいが、手駒だろう。


 死霊魔術が使えるならば、真っ先にそれを使うはずだ。


 僕は身を震わせ、夜天に咆哮をあげた。


 本来ならば警戒に値する相手だ。逃げる事さえ考慮に入る。


 だが、僕は激痛の中、確かに捉えていた。


 目の前の恐るべき死の超越者。その輝く眼窩から放たれる殺意の中に、極僅かに異なる感情が含まれている事を。


 低位のアンデッドに意志や感情はない。だが、目の前の怪物は違う。生者への憎悪と同時に高い知性を持っている。


 立ち位置を変える。足元を確認する。


 身体の隅っこにしがみついていたセンリが離れるのを感じながら、目を細め目の前の怪物を見下ろした。




「お前、僕を――畏れたな?」




「ッ……戯言を!」



「センリ、こいつは、僕がやる」


 祝福はアンデッドに対して強力な効果を発揮するが、攻撃魔法を無効化できるわけではない。強力な魔導師は人間にはちょっと厄介な相手だ。

 返事はいらない。彼女はやるべきことを知っている。


「我が名は……アビコード。偉大なる王の臣下にして、闇の祝福を受けし者。引導渡してやろう、若造」


 アビコードを名乗ったリッチーが腕を上げる。渦巻く魔力に空間が歪んで見える。僕は構わずその中に飛び込んだ。


 全身の皮膚がざわつくような違和感。渦巻く魔力の流れが僕という異物に乱れるのがわかる。

 前足の薙ぎ払いを、アビコードは素早く後ろに下がり回避する。どうやら身体能力も怪物らしい。


 こちらの能力を見切られる前に殺す。

 ルフリー達がいつ不意打ちをしてくるかわかったものではない。変身も使いすぎない方がいい。


 ロードの声が頭の中に響く。


『貴様、よくその痛みで、動けるな』


 痛みは僕の友だった。

 二度と体験したくはなかったが、生前寝たきりの頃から、それだけが僕の生を実感させてくれた。

 

 ただ身体を前に進める。全身を使い暴れ、場を乱す。地面を踏み抜かないようにだけ注意する。

 いくら不死者でも身体がぺちゃんこにされれば死ぬだろう。あるいは、噛み砕いてやろうか。


 瓦礫が頭にぶつかるが気にしない。アビコードの動きは人を越えているが僕程じゃない。力もなさそうだ。


 僕の方が――間違いなく有利。


「アクロ・グリデード、闇、来たれり」


 後ろに下がりながらアビコードが唱える。魔法には精神集中が必要だ。アンデッドが魔術師として恐ろしい力を発揮するのも、痛みに鈍いためというのもあるのだろう。


 変化は一瞬だった。渦巻く魔力が弾けた。どこからともなく染み出してきた闇が空間を満たす。


 差し込む月明かりもそれを剥ぐことはできない。ロードが小さく呻く。


『ふん……古い魔法だ』


 だが、見えるぞ。


 ロードは警戒しろと言わなかった。


 吸血鬼の目は闇を看破する。夜を生きる種が闇も見通せぬようでは話にならない。

 広がった闇の中。はっきり見えるアビコードに向かい、爪を振り下ろす。


 だが、全力で振り下ろされたそれをアビコードはまたも後ろに下がる事で回避した。


 そのまますきを与えず、連続で前足を振り下ろす。振り下ろす。薙ぎ払う。身体を回転し叩きつける。顎を大きく開き、噛み付く。


 瓦礫は歯ごたえはあっても味がない。僕はぺっと吐き捨てた。


 アビコードは平然と瓦礫の中に立っていた。


 最低限の動きで回避されている。魔法じゃない。センリでもこうも鮮やかに回避はできないだろう。

 疲労はないが、痛みに目の前が明滅している。


「ふぅ、ふぅ、歳の割には、すばしこい」


「アグ・ガル・デル・ガルム。冥界の王よ――腐食の風」


 アビコードを中心に空気が爆発した。凄まじい腐臭が一気に広がる。空気を満たす魔力の奔流はかつてセンリに抱えられ渡った大河の流れを想起させた。


 構わず前に進む。身体がぴりぴりと痛むが、気にせず前足を横から薙ぎ払う。


 アビコードの反応が初めて遅れた。その目が驚愕に歪み、初めてその体に僕の攻撃が命中する。

 手に返ってきた反動はあの細身の体を打ち付けたとは思えない重いものだった。


 アビコードが吹き飛び、壁に叩きつけられる寸前、姿勢を変え壁に着地する。ダメージは殆どないようだ。


 だが、見えた。


 回避だ。魔力を使って、回避している。おそらく、空気の流れを察知し、魔力で身体を押しているのだろう。


 僕の動きはそれなりに速いし激しいが、物理法則に反しているわけではない。

 柳に風と言っただろうか?


 返ってきた反動が存外に重かったのも魔力により保護しているためか。

 無敵ではなさそうだが、骨が折れそうだな。僕は骨人じゃないけど。


 容易く僕の攻撃をいなしてみた熟練の魔術師はしかし、吐き捨てるように言った。


「ぐッ……馬鹿な……腐食の風を、無効化だと!? まさか、魔術耐性が、上がっているのか!?」


『当然だ。このエンドは――叡智の結晶だ。骨董品と一緒にしてもらっては、困る』


 ロード様様だな。

 新たな肉体にする予定だっただけあって、本当に全力を尽くしていたのだろう。


「偶然かもしれないよ? もう一度撃ってみろ、先輩」


「ぐ…………アグラ・ガル・イーデ・ライゼル・ロギアス・グリッシン――」


「それは駄目だ」


 魔術は呪いとは異なりルールに縛られている。

 基本的に準備が必要であればある程強力らしい。だから、呪文詠唱も長ければ長い程強い。


 僕は四本の脚に力を込め、大きく宙に飛び上がった。

 予想外の行動だったのか、アビコードの詠唱が一瞬途切れる。


 上だ。空気の流れを読み回避されるのならば、横からの攻撃は悪手。上から潰せばいい。

 腕一本ならばともかく、広範囲に攻撃すれば回避できまい。


『貴様の闘志には舌を巻くが……阿呆か』


 ロードが呆れたように言う。

 高い天井を突き破り飛び上がると、僕はアビコードの真上から全力のボディプレスをお見舞いした。





§




 なんとか地下を抜け出し、地上に戻る。


 ルフリー達の目の前で繰り広げられていたのは、二匹の怪物同士の喰らいあいだった。


 大地が揺れ、空気が震える。

 明らかに自然なものではない濃密な闇に、強力な魔法の気配。


 無数の強力な攻撃魔法を修め、終焉騎士団の討伐対象としては最も警戒を擁する魔骸導師リッチー

 特異な能力を複数修め、明確な弱点があるにも関わらず殺しきれない吸血鬼ヴァンパイア


 終焉騎士団の活動によってほとんど存在しないはずの二つの強力な魔性が争う様子は、闇の時代の到来を予感させた。


 光は闇を祓う。たとえ相手が格上だって、終焉騎士団はそう簡単に負けない。


 だが、さすがにメンバーが揃ってない上で二体をまともに相手にするのは難しい。


 祝福をコントロールし身を潜めていたルフリーが肩を竦める。


「死の力が、大きすぎる。かなり厳しい相手だな」


「くそっ、ようやく辿り着いたってのに――」


 逃したのは、失敗だった。何が何でも、あの時に滅ぼしておくべきだった。

 エンドの成長はルフリー達の遥か上をいっていた。もはやあの吸血鬼は、一対一で相手するような魔性ではない。


 センリが未だエンドを見限っていないのも、エンドが見限られるような真似をしていないのも、予想外だ。

 記憶が残っていたとしても、長く吸血衝動に耐えるとは、余程理性が強いのか。


 エンドは強い。センリも強い。二人を相手に力づくで事を進めるのは不可能だ。


「あの吸血鬼が死ねば、センリの目も覚める」


 ネビラが吐き捨てるように言う。その険しい視線は巨大な獣と化したエンドに向いていた。


 戦況は拮抗していた。不死者の生命力はあらゆる生き物を凌駕する。

 吸血鬼に魔法は効かないが、魔法で身を守るリッチーを力づくで殺すのもまた難しい。夜明けもまだ遠い。

 ルフリー達の祝福による攻撃は通じるはずだが、浄化するには蓄積した死の力が強すぎた。



 そこで、黙っていたルフリーが口を開く。


「だが、今考えるべきはそこじゃない。ネビラ」


「……チッ。わかってる。あのおかしな力だろ?」



 地下で争うルフリー達の前で膨れ上がった力。


 それは、これまで様々な魔性と相対してきたルフリー達でもいまだかつて見たことないような、巨大な闇の力だった。

 今は大地の震えも収まっているが、祝福による感覚の糸は地面のすぐ下で胎動するように震える力をはっきりと捉えている。


 力の総量だけならば、目の前の怪物二体を足してもまだ足りない。


 エンドが最後に放った言葉が真実ならば、エンドはその復活を止めようとしていたのだろう。

 怪物が正義を為すなどとは思わないが、センリが共に行動しているのならば信憑性も増す。


 エンドの方も問題だが、それにかまっていてそちらを放り出してしまえば、守護者失格だ。


「虚影の魔王、か……」


「アンデッドってのは本当にしぶてえな。ゴキブリ並だ」


 力は今にも目覚めの時を迎えようとしている。だが、完全ではない。


 その目覚めがいかなる魔術によるものなのかは知らないが、虚影の魔王はかつて終焉騎士団により完全に滅ぼされたはずだ。


 如何にしぶといアンデッドでも復活にはプロセスがある。まだ、時間はある。そして、復活を遂げたとしても、万全ではないはずだ。


 その配下であろうリッチーが魔術の効かない不利な相手を前に未だ戦っているのがその証だ。


 態勢を立て直す時間はない。今見逃せば、大きな災禍となるだろう。

 ルフリー達はエンドを追ってきただけだが、これは――千載一遇の好機だ。


 未だ動かぬ内に、リッチーがエンドに気を取られている隙に、とどめを刺す。



 終焉騎士団は隊によって得意分野がある。滅却のエペ率いるルフリー達は放出系の攻撃に秀でる。

 その最終形が全てを光で吹き飛ばす滅却フォトン・デリートだ。



 そこで、後ろから声がかかった。


 長く行動を共にし、そしてここ数ヶ月は思い出さぬ日がなかった声。

 冷たい響きを持ち、その実どこまでも優しい少女の声が。




「ルフリー、ネビラ。全て、吹き飛ばす。私に、力を集めて」


「わかった」


「チッ」



 予想していたので、驚きはない。彼女はこの状態を看過できるような者ではない。


 余計な言葉はいらない。確執も一時忘れる。

 何故ならば、終焉騎士団は世界を救うために存在しているからだ。メンバーの生い立ちや思想は様々だが、それだけは変わらない。


 そして、単騎でも強力な終焉騎士が複数人で行動を共にするのには理由がある。



 一部の闇の眷属は終焉騎士をも超える圧倒的な力を持つ。

 だが、闇を払う光は束ねれば更に強力な輝きを放つのだ。



 センリが剣を抜き、ピタリと構える。その左右に、ルフリーとネビラがそれぞれつく。


 流し込まれた祝福。三人分の力が剣先に集まる。一箇所に集まった祝福の力はまるで太陽のように輝いていた。


 エンドの巨体が押し飛ばされる。その下から、リッチーが這い出る。だが、もう遅い。

 防御魔法でも使うつもりだったのだろうか、振り上げられた杖を、エンドが前脚で叩き潰す。





 ――そして、光が放たれた。

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