第二十話:意地

 腹痛に耐えながらセンリの静かな声に耳を傾ける。センリが市長から聞き出した話は非常に怪しげなものだった。


「アンデッドの狙う聖域、ね……」


「…………」


 市長の話によると、どうやらあの古城の下にはアンデッドを惹きつける聖域のような存在があるらしい。

 そのため頻繁に現れるアンデッドを駆除するために、【デセンド】は外部から傭兵たちを呼び、古城の番をやってもらっているという。昨晩の襲撃の規模は【デセンド】の想定外だったそうだ。


 あまりにも不自然である。腹痛で集中力が散漫な僕にもはっきりわかる、無理やり筋道を通したような違和感がある。

 そもそも、それは終焉騎士団に連絡をしなかった理由にはならない。様子を見てから連絡をするつもりだったなど、無理やり理由をつけることも可能ではあるが――まぁ可能性は低いだろう。何しろ【デセンド】側には連絡をしたことで起こるデメリットがないのだから。


 センリが真剣な表情で言う。


「何か……隠してる」


「そもそも、僕が惹きつけられたのは……場じゃ、ないからね」


 アンデッドを惹きつける聖域というのならば、僕にも効果があるはずだ。だが、僕があそこに頻繁に行ったのは何故か夜の結晶が落ちていたからで、その夜の結晶の気配も城の外からでは到底察せない程度でしかない。

 アンデッド軍団を操っていたはずの死霊魔術師ネクロマンサーを捕らえる事ができれば、何か情報も手に入ったはずだが――あの毒の血の吸血鬼が関わっている以上、難しいだろう。


 センリが鍵を目の前にぶら下げる。手の平くらいある大きな鍵だ。錆だらけで、如何にもいわくがありそうである。

 眉を顰める。センリが小さく呼吸をする。胸元がそれに従い静かに動くのを僕は腹痛に耐えながら見ていた。


「あの地下室には……更に下がある。そこの鍵。市長から受け取った」


「……何が、ある?」


 センリが小さく首を横に振った。

 完全に罠である。旧魔王の城の地下通路の更に地下とか、何があるのかは知らないが、きっとろくでもないものだろう。

 だが、僕にはわかる。センリは完全に覚悟を決めていた。彼女は正義だ。冷静沈着と頑固さは同居し得る。あまりにも危険だが、その湖面を思わせる静かな双眸を見ていると止める気にすらなれない。


「僕も、いくよ」


「…………」


「壁くらいには、なる。この状態でも、センリよりずっと丈夫だよ」


 確かにお腹は痛いが再生能力は健在だし、精彩は欠いても全力で殴りつければ大抵の怪物はなんとかなるだろう。

 センリは強いが人間だ。耐久も再生能力もないので万が一何かあった時に取り返しがつかない。お腹を押さえながら、強く抱きしめたら折れそうなくらい華奢なセンリに宣言する。


「町中で話を聞きにいくのとはわけが違う。しがみついてでもついていくよ、僕は」


「…………しがみつかなくていい」


「もう、噛ませない。アルバトスの時の事は忘れてないよ。僕が一方的に噛むだけだ」


「…………置いていったほうが、ずっと危険。この街は貴方に危険過ぎる」


 抱きしめようと伸ばした腕をセンリが最低限の動きで回避する。

 力は僕の方が上だが、繊細で柔軟な動きは未だ彼女には敵わない。でもいいのだ。血を吸う時は捕まってくれる。


 未だ腹の中が燃えているような痛みを感じながら、僕は背筋を根性でぴんと伸ばし、精一杯強がった。


「これが、最後だ。さっさと終わらせて、こんな街出ていってやろう」



§ § §




 首の後ろに奇妙な感覚があった。

 痺れのような――あるいは寒気のような。それは、危険な場所に立ち入る前、特有のものだ。


 センリは他に生命の気配がしない静寂に包まれた古城を見上げ、眉を顰めた。


 夜にこの古城を訪れるのはもう何度目か――だが、明らかにこれまでとは様子が違う。

 大量のアンデッドを撃破したのは一昨日の事だ。だが、うず高く積まれていたそれらの残骸は今、骨の欠片すら見当たらない。市長の話が本当ならば片付けたのだろうが――。


 どこか、ホロス・カーメンの屋敷に侵入する直前に似た感覚だ。強い闇の気配は魔王の代からの残り香ではない。


「あんな目にあってまだ夜にここに来るとは、ルウは本当に物好きだな」


 後ろに詰めているのはラザル達、傭兵集団だった。表にこそほとんど出していないが、その態度は明らかに及び腰だ。 


 無理もない、とセンリは思う。ラザル達はあのアンデッドの大群とは接敵こそしなかったものの、大量の残骸を目にしているのだ。かなり上等な個体とはいえ『黒き骨ブラック・ボーン』程度に負けるようではお話にならない、そういう軍勢である。


 それでも、共に市長からの依頼を受け、ここまでやってきたのは、好奇心故か、あるいは、自分たちよりずっと年下のセンリに全て任せることに罪悪感でも覚えたのか。

 傭兵の中の一人が口を開く。その畏れの混じった眼差しが向けられた先にいたのは、お腹を押さえ青い顔をしたエンドだった。


「バロンも今日は随分と調子が悪そうだし、戻ったほうがいいんじゃないか?」


「僕も、そう思う。だけど、ルウは一人でも行ってしまうからね。僕も夫として黙っているわけには、いかないんだ。夫として」


 こんな状況でまで演技を続行するエンドの根性に少しだけ感心する。


 そもそも、文字通り死んでも死にたくなかったエンドが、体調不良のままここまでやってくるというのは並大抵の事ではないはずだ。

 今回の件は始まりこそエンドのためだったが、今ここにやってきたのはセンリの我儘である。そして、自分が動けばエンドもついてきたがるであろう事は予想できていた。その事が少しだけ――いや、凄く、申し訳ない。


「愛だ。僕はルウの事が大好きだから、こんなにお腹が痛いのについてきたんだ。大好きだからだ」


「あ、ああ、わかった。もう十分わかったよ、バロン。だが、そんな調子で戦えんのか?」


 エンドがちらちらセンリの方を見ながら恥ずかしい事を断言している。前々から薄々気づいていたが、エンドはどうやら……歯に衣着せぬタイプらしい。というか、ラザル達に何と思われても気にしていないのだろう。


 だが、発言内容はともかくとして――少し静かにして欲しい。相手が待ち構えている事は古城の雰囲気からほぼ間違いないとはいえ、緊張感が持たない。

 エンドが血の気が一切ない顔で力説している。平気を装っているが、その身体の動きが時折、引きつるように止まるのが見える。やはり痛むのだろう。


「もちろんだッ! でも、ラザル達は危なくなったらさっさと逃げるといい。死んだら、大好きなルウが悲しむから! 大好きな!」


 エンドは強いが、今回ばかりは頼るわけにはいかない。センリは大きくため息をつくと、エンドを小さな声で窘めた。


「バロン、少し静かにして。大好きだから」




§ § §




 古城の雰囲気は明らかに以前と一線を画していた。もともとあまり明るい場所ではなかったが、強いて言うのならば――僕が元気になってしまいそうな、酷く陰鬱な空気に包まれている。腹痛がなかったら鼻歌でも歌いたかったところだ。

 だが、痛みに苛まれながらも警戒は怠らない。下位吸血鬼の本能は既に戦闘モードに入っている。


 先頭に立って進むセンリ。それに続くラザル達、傭兵グループと――僕。

 今回の戦いでラザル達はおそらく役に立たない。だから、彼らは壁だ。

 僕とセンリを罠から守る壁。センリが悲しむし恨みもないのでなるべく死なないように立ち回りたいところだが、僕とセンリの命には代えられない。危険を承知でここまでやってきたのだ、いざという時の覚悟くらいできているだろう。


 城の正門の前まで来ると、センリは立ち止まった。一瞬だけ表情に逡巡を浮かべるが、すぐに腰の剣を抜き、城の壁に傷をつける。

 縦に一本、横に一本。十字形に鋭くつけられた傷はほのかに白く発光している。


 訝しげな表情をしていたのか、僕の顔を見てセンリが少しだけ申し訳無さそうに言った。


「……私がもしも、生きて帰れなかった時のための印。後から来る者に警戒を促す」


 ……なるほど、命懸けでアンデッドを討伐する終焉騎士団に相応しい壮絶な覚悟である。

 見事だといいたいところだが、読書が大好きだった僕は知っている。


「縁起でもない。そういうの、死亡フラグって言うんだよ」


「…………」


 まぁ……僕はもう死んでいるのだが。


 右手に携えた重い鉈を見下ろす。お腹は痛いが、振り回して死亡フラグを破壊する事くらいならできる。

 少しだけ迷ったが、僕は小さく肩を竦めるに留めた。


 どんな手を使っても、センリは殺させない。それだけだ。覚悟の印などいらない。それは僕の中にある。


 力はほとんど使えそうになかった。吸収しきれなかったセーブルの呪いがおそらく不調に繋がっている。


 膂力や再生能力、五感や全体的な身体能力はそのままだが、アクティブに行使できる力がうまく発動しない。

 犬化も、呪炎も、尖爪や鋭牙も、潜影も無理だ。痛みの中、命懸けで全力で力を注ぎ込めば発動するかもしれないが、とても試す気にはなれない。


 絶え間ない激痛のせいで集中力も落ちている。僕は深呼吸をして、ただセンリの事だけを考える事で痛みから目を逸らした。

 きっとうまく原因がわかったら、センリは僕にご褒美をくれるはずだ。それを考えればこの程度の苦痛、余裕なのだ。


 慣れ親しんだ城の通路を歩いていく。いつもは先頭に立って歩くのだが、今回ばかりはそんな事しても足手まといにしかならないのでセンリに任せるしかない。

 匂いはいつもと変わらない。だが、肌で感じる空気が違う。崩れた壁をくぐり、地下通路に下りる。


 少しだけ期待したのだが、夜の結晶の気配はなかった。周囲を十分警戒しながら奥に奥に進んでいく。


 辿り着いたのは行き止まりの通路だった。大きな木箱が幾つも置かれ、物置のような様相を見せている場所だ。通い始めてしばらく経つが、ここに夜の結晶が現れた事はない。


 ちなみに、最初に来た時に確認したのだが、木箱は空っぽである。【デセンド】によって持ち込まれたものがそのまま放置されていると聞いていた。センリはぐるりと一度周囲を確認すると、木箱を引きずるようにして動かした。


 ラザル達が持った松明のほのかな明かりが照らす中、露出した石造りの床を覗き込む。

 確かに、こうしてよく見ると――石板と石板の間に隙間がある。これは――少し見ただけでは気づかない。匂いもしないので、吸血鬼でも気づけない。


 白魚のような指先で石をひっくり返させるわけにはいかない。センリに代わり、前に出ると、震える指先を入れ、無理やり石板をひっくり返す。

 石がみしりと音を立てる。かなり重いが、固定はされていなかったのだろう。人間の力では難しいかも知れないが、一枚ひっくり返して大きな隙間を作れば、残りを剥がすのは難しくない。




 一枚一枚丁寧に引き剥がす。石の床の下に隠されていたのは――古びた黒色の扉だった。



「…………罠だ。間違いない」


 この床を埋めたのは【デセンド】なのだろうか? あるいは、もともと露出していたものを臭いものに蓋をするように埋めたのだろうか?

 だが、どちらにしても面倒だ。扉はしっかり閉じられていて、匂いも漏れていない。センリの表情を伺うが、センリの方も首を横に振る。


「…………対策されてる」


 祝福による探知にも弱点があったのか。

 然もありなん。ここはかつての死者の王の城の地下、そのくらいやっていなければ不思議なくらいだ。


 だが、センリの表情に緊張はあっても恐怖はない。きっと彼女はこういう戦いをずっと続けてきたのだろう。

 ならば、僕が恐れるわけにはいかない。センリに手を差し出す。センリは少しだけ躊躇ったが、すぐに錆びた鍵を渡してくれた。


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