第二十三話:侵食④

 終焉騎士団三級騎士、デル・ゴードンは牢の中で目を閉じ、周囲の状況を窺っていた。


 既に拘束されて一月近い時間が経過していた。その間、デルは嘲笑の視線をただ憔悴したような演技で受けきった。


 終焉騎士団に所属する者は全て人間である。だが、身に宿る祝福は終焉騎士に人外の力を与える。

 牢に繋がれた時は限界まで枯渇していた『祝福』は既に回復していた。激しく傷つき、少し動いただけで激痛が奔っていた身体も今では痛みを感じない。

 食事はほとんど与えられず栄養状態は最悪だったが、任務で飲まず食わずで戦った事もあるし、終焉騎士の技の中には祝福を使い無理やり身体を動かす技だってある。


 両手両足に繋がれた錠は特別製らしく、鉄を引きちぎれる終焉騎士の膂力をもってしても破壊できそうにない。だが、それが繋がれている壁は違う。

 回復した今ならば錠を無理やり引きちぎり、格子をこじ開けて逃げられる。脚に繋がれた鉄球は邪魔だが、強化された身体能力ならばさしたる障害にはならないだろう。


 ライネル軍は終焉騎士を甘く見ている。すぐに脱出せず弱った振りをして大人しくしていたのは、機を窺っていたからだ。


 魔王ライネルの軍はロンブルクの戦力を圧倒している。

 数も個体の力も上回る強大な存在に、今やロンブルクは破滅の危機に瀕していた。

 その都市がまだ生き延びているのは長年を掛けて作った外壁の力故だ。だが、それも度重なる襲撃により劣化しており、長くは持たない。街を救うには魔王ライネルを倒す必要があった。


 魔王ライネルを倒せばライネル軍はただの獣の群れになる。そうなればロンブルクに常駐している兵たちでも対応できる。


 元々一人で敵うとは思っていなかった。だが、挑まねばならなかった。


 ロンブルクはデルの故郷だ。


 あまりいい思い出はなかった。ロンブルクは要塞都市だ。その住人のおよそ大半が戦を生業にする者であり、都市内の空気も荒んでいる。

 家族は既にない。かつての知り合いも、終焉騎士団に拾い上げられ街を出ていったデルの事を覚えている者は多くないだろう。


 だが、それでもロンブルクはデルの生まれ育った土地なのだ。デルに染み付いた戦闘技法の幾つかはかつてこの地の傭兵から教わった物なのだ。

 天啓だ、とデルは思った。魔王軍の猛攻に晒され風前の灯にあるロンブルクに今のデルが立ち寄る事になったのは多分、偶然ではない。

 今のデルには力がある。闇の眷属との激戦を経験し培った力が。


 仲間には止められた。デルの面倒をずっと見てくれた師にも諌められた。

 力には責任が伴う。魔王との戦いへの不介入は終焉騎士団の掟だ。終焉騎士の力は闇の眷属と戦うためだけにある。


 だが、デルは折れなかった。そして、デルの強い意志を知ると、仲間たちも制止を諦めた。


 掟を破り魔王への介入を強行しようとした時、終焉騎士団はどうするか。


 除名はしない。力づくで引き止める事もしない。


 答えは――見て見ぬ振りをする、だ。


 これはデルの戦いだ。終焉騎士団はそれを尊重する。

 力は貸さないが止めもしない。我を通すならば力を示せ。英雄とはそういう物だった。


 酷い対応だとは思わない。これは我儘だ。

 助けはこない。仲間たちは既にロンブルクを発った。もしもデルが戻らなければ、デルは行方不明になったという扱いになるだろう。


 殺されなかったのはただの幸運だったが、囚われの身になったのは好都合だった。


 ライネルは強大な魔王だ。

 備え付けられたバリスタすら弾き返したという強靭な肉体に祝福は効かず、いつもデルが戦っている相手とはわけが違う。正面からぶつかれば終焉騎士でも勝利するのは難しい。おまけに、相手が大群となればその難易度は跳ね上がる。


 こうして陣の中に囚われる事で少しだけ成功率があがった。うまく立ち回れば奇襲を掛けることもできるだろう。

 ライネルは討てずとも、幹部クラスは倒せるかもしれない。


 状況が変わったのは、そんな時だった。

 デルの見張りをしている亜人達の反応に変化があった。そして、それが現れた。


 それは青年の形をしていた。

 気配は抑えられていたが、デルにはわかった。

 目の前のそれは――闇の眷属だ。終焉騎士団の敵、強力なアンデッド、生きとし生ける者の天敵、吸血鬼ヴァンパイアだ。


 ここまで来たところを見ると、魔王ライネルが招き入れたのだろう。


 馬鹿な事を、と思った。

 アンデッドは人に限らず生きる者の全てを、そして時に同じアンデッドに対してさえ、憎しみを抱いている。

 吸血鬼にもなるとそれなりに賢しくなり感情のままに生者を襲うような事は少なくなるが、危険度はそれまでの比ではない。


 だが、同時にそれはデルにとって決して悪い話ではない。


 アンデッドが所属したとなれば、魔王ライネルは終焉騎士団の敵になる。

 報告すれば終焉騎士団の威信にかけて魔王ライネルを滅ぼすだろう。それは、強力なアンデッドに味方を作らせないための示威行為でもあるのだ。


 アンデッドという異物を招き入れた事で軍は混乱していた。

 アンデッドが生者を襲うのと同様、生者は本能からアンデッドを忌避するものだ。死の気配に慣れるのには時間がかかる。

 不安や畏れは見張りにも伝播し、日に日に強くなっていた。脱出するのならばこれ以上の好機はないだろう。


 決行は明朝、吸血鬼が動けずそして、見張りが切り替わる瞬間だ。


 息を潜め祝福を体内で循環させて少しでもコンディションを回復させていると、不意に背筋に冷たいものが奔った。顔を僅かに上げ、いつでも拘束を突破できるように身体に力を入れる。身体の周りに温存していた祝福の鎧を纏う。

 本能が警鐘を鳴らしていた。強い闇の気配が近づいてくる。見張りをしている鬼人オーガは何も気づいている様子はない。


 音はない。匂いもない。ただ邪悪な気配だけが近づいてくる。

 魔法ではない。この感覚は、『死肉人フレッシュ・マン』から変異した吸血鬼特有の能力によるものだ。


 音はなかった。見張りをしていた三体の鬼人が小さく呻く。その目が僅かに見開かれ一瞬で光を失い、倒れ伏す。


 デルは大きく目を開き、両足で立ち上がった。吸血鬼は怪物だ、相性のいい終焉騎士でも決して油断できる相手ではない。


 身体が震える。武者震いだ。


 物陰から髪が少しだけかかった吸血鬼の特徴である血のように赤い目がこちらを見ていた。黒く染まっていた肌がまるで侵食が引くように元に戻る。

 見た目は以前見た時と変わっていなかったが、感じる威圧感と闇の気配は以前までの比ではない。


 一瞬、標的だった魔王の事すら忘れる。吸血鬼に直接的な恨みのないデルから見ても目の前のそれは絶対に殺さねばならない化け物だった。

 声を出さず殺意を込めて睨みつけるデルに怪物が言った。


「ライネルを殺す。出してあげよう、協力してくれ」



§ § §



 殺しすぎた。酷く熱っぽかった。視界が鈍く明滅している。

 頭の中が煮えたぎっていた。大きく深呼吸をして平静を保つ。


 熱の正体は恐らく吸血鬼の本能だ。吸血鬼を恐るべき怪物にしている理由である。まだ下位吸血鬼なので本能もそこまでではないはずなのだが、それは炎のように、嵐のように激しく、完全に抑えつけるのには時間がかかりそうだった。


 血を飲んだばかりなのに無性に喉が乾いていた。僕はミスを悟った。


 手順を誤った。モニカの血を吸う前に何か理由をつけてセンリを探すべきだった。センリがいれば僕はもう少し冷静だったはずだ。

 衝動に身を任すのは簡単だが、それは怪物への第一歩である。奇襲とは言え、鬼人を三人も一瞬で殺せたのが、僕の力が急激に高まっている証左である。これ以上は予断を許さない。


 鉄格子を握りしめ、力づくで外し捨てる。広々とした牢の中に入る。


 せっかく助けにきてあげたのに、終焉騎士の視線には殺意が乗っていた。

 傷だらけの細身の肉体。茶色の意志の強そうな瞳。その身体の周りには祝福の鎧を纏い、僕を遠ざけている。だが、今の僕ならばその鎧ごとこの騎士を殴ることもできるだろう。


 吸血鬼としての本能が目の前の騎士を殺せと言っている。だが、そうするわけにはいかない。例え相手が殺意を向けてきても、僕が彼に殺意を向けるわけにはいかない。センリが僕を信じてくれている限りは、僕もそれに応えねばならない。


 センリが来る前に終焉騎士を助けてライネルをやっつけてご褒美に血を貰おうとか思っていた自分をはっ倒したい。


 終焉騎士の男は何も言わなかった。だが、僕は先んじて釘を刺す。


「ああ、疑問はわかる。僕だって本当はこんな事したくないんだ。でも、敵の敵は味方だ、そうだろう? 殺し合うのはまた今度にしよう。ライネルは強いよ、正直僕一人では手に余る。多分君一人でも」


 完全に味方になって欲しいとは思わない。そんな事どうせ不可能だからだ。

 だからこそ、その矛先を逸らす。この終焉騎士はライネル軍との戦闘で捕まったのだ。その標的は魔王ライネルであるはずだ。


 その足先についた邪魔そうな鉄球。その巨大な鎖を掴み持ち上げる。両手でつかみ力を入れようとしたその時、僕は重大な事に気づいた。


「ああ、しまった……今日は満月じゃないじゃないか」


 失敗した。反撃をするにしても力が最高潮になる満月を待つべきだった。普段の僕ならば間違いなく気づいていたはずなのに、どうやら僕は自分が思っていた以上に腹が立っていたらしい。

 全力で力を込める。鎖は特別製のようで、なかなか頑丈だったが、それでも限界を超えて力を入れ続けるとピシリと小さな音がした。それ以上に大きな音が腕から上がり鈍い痛みが奔るが、気にしない。思い切りねじると、鎖が鈍い音を立てて弾け飛ぶ。

 終焉騎士が低い声で言った。


「……鍵があるはずだ」


「…………ああ、全くその通りだ。気づかなかった。クソッ……」


 本能が力を使えと言っている。思考を侵食している。

 僕は今、とても昂ぶっている。苛立っていると言い換えても良い。水の中に数年くらい沈んでいたい気分だ。

 

 殺した見張りの死体を漁り鍵束を見つけ、終焉騎士に放り投げる。


 怖い。吸血鬼の本能がとても怖い。融合しても気づかないかも知れないのがとても怖い。

 今更、全てを放り出し逃げ出したい気分だったが、そうするわけにはいかない。幾つも危険を犯した。既に賽は投げられてしまった。

 ここで逃げたらきっと逃げる癖がつく。それは、僕の求める自由ではないのだ。


 終焉騎士が立ち上がる。下位吸血鬼になり身長が伸びた僕よりも恵まれた体格に鍛え上げられた肉体。

 長らく拘束されていたはずだがその佇まいに不安はない。ライネル軍はよくもまあ終焉騎士を捕らえるなどという選択を取ったものだ。勇猛というか馬鹿と言うか……僕が彼らの立場だったら、間違いなく殺している。


 終焉騎士の男が言う。


「武器がいる」


「宝物庫にあったはずだ。後、もっとちゃんとした服も探したほうがいい」


 僕が言うのも何なんだが、そんなマッチョな男がボロボロな服で動くのは良くないよ。


 さぁ、夜が明ける前に、ライネル軍が状況に気づくその前に、さっさと終わらせるとしよう。

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