第十七話:人食い②

 その炎は漆黒をしていた。

 身体が熱い。肌が、肉が燃えている。何が起こったのかは理解していた。不意打ちを受けたのだ。


 絶え間ない形容し難い痛みと熱が、肉体を、精神を蝕む。


 これは決闘だ。一対一の決闘なのだ。他のメンバーだって見ている。まさか対面すらしていない状態で不意打ちを受けるなどとても予想していなかった。僕もするつもりはなかった。

 甘かった。人食いを甘く見ていた。いや……違う。甘く見ていたなどという話ではない。


 人食いは…………想像以上の屑だ。

 敵相手ならばともかく、僕はまだ彼らに敵対していないのに不意打ちを受けるなんてとんでもない仕打ちだ。まだあのいきなり奇襲を仕掛けてきた蜥蜴人リザードマン……セルザードの気持ちの方が理解できる。

 彼には殺意があった。だが、今回の人食いは僕を戦利品を巡り決闘する相手と認識した上で、自分の利益のために不意打ちをしたのだ。


 声がした。内容は認識できなかった。だが、こちらを嘲っている事は理解できた。


 目の前に広がっていたのは暗闇だった。上下左右がわからない。感覚が引き伸ばされている。悲しみ、怖れ、怒り、様々な感情に翻弄される。

 だが、倒れ伏した僕が強く思い出していたのは、センリが教えてくれた言葉だった。


 既に死んでいる吸血鬼を殺すのは難しい。炎も氷も雷も効かない。死体であるが故に二度目の死はそう簡単に訪れない。

 強い魔力を秘めた吸血鬼に魔法は効かない。炎の魔法も回復魔法も精神汚染も、そして死霊魔術ですら、僕にほとんど影響を与える事はできない。


 そして最後に、強い呪いにより生み出された吸血鬼に呪いは効かない。

 呪いとは魔術とは似て非なるもの。大きなリスクと引き換えに大きな影響を与える物。そして、呪いは本来、複数同時に受ける事はない。より強い物で上書きされるのだ。

 この世界の法則に根本から反するアンデッドの呪いは数ある呪いの中でも最上級の強さを誇る。故に、吸血鬼に呪いは効かない。


 そうだ。僕に終焉を与えるのは――祝福と陽の光だけだ。


 この程度で、『人食い』なんぞに殺されてなるものか。既に生き延びるためにあらゆる手段を使った。ロードやアルバトスは自業自得だとしても、少なくとも僕のせいでルウは死にセンリの人生は大きく狂ったのだ。

 僕の魂はこの程度で消滅していいほど軽くはない。僕はまだセンリに全然借りを返せていないのだ。


 僕は殺されるのならば、センリに殺されると決めている。


 暗かった視界が徐々に元に戻っていく。肌を、肉を蝕んでいた痛みが少しずつ引いていく。

 僕は大きく深呼吸をして、抜けていた腕に力を入れた。嗄れた声が上から降ってくる。今度はその内容がちゃんと聞き取れた。


 人間の言葉だった。だが、発している者は人間ではなかった。

 何故だろうか、声だけではっきりと判断できる。


「ぬぅッ……よもや我が呪炎を浴び動ける者が……いる、とは……力量差も知らず噛み付くただの身の程を知らぬ者かと思えば……楽しませてくれるか、『生ける死者リビングデッド』」


 実は僕は、『いつも通り』オリヴァーやその他の魔王軍のメンバーから事前に情報収集していた。だから、『人食い』の正体も知っている。勝負が始まる前に奇襲を仕掛けてくるとは聞いていなかったが……。


 それは、人に似た顔を持つ幻獣だ。

 獅子に似た身体を持ち、無数の毒針の生えた長い尾を持つ。真紅の毛皮は並大抵の剣や矢を受け付けず、その膂力は大地を砕く。


 僕はよろよろと立ち上がり、初めて『人食い』を睨みつけた。


 『人を食らう者マンティコア』。

 その幻獣は、そう呼ばれている。


「強い死の匂いがする。くっくっく……食らう気すらせんな」


 皺だらけの醜悪な顔が深い笑みを浮かべた。冷たい何かが僕の背筋を駆け上がる。

 獣の肉体の上に人間の頭が乗っている様はどこまでも不気味だった。

 見た目が人間の僕よりも余程怪物である。終焉騎士団は僕よりもマンティコアを狩るべきだ。


 人食いの身体はアルバトスよりは小さいが僕よりも巨大だった。

 顔は人間で、その声からは知性も感じるが、交渉の余地はない。


 僕の吸血鬼の本能が目の前の動物は敵だと叫んでいる。殺せと、攻撃を仕掛けてきた人食いに死を与えろと、そう訴えかけてくる。

 僕はそれらを無視し、ゆっくりと自分の状態を確認した。


 せっかく新調したばかりのコートは呪炎とやらを受けボロボロだった。辛うじて燃え尽きてはいないが、あの格好いい見た目は欠片も残っていない。

 魔法のベルトと短剣はもっと酷い状態だ。短剣はどろどろに溶けたのか完全になくなり、ベルトも焼け落ちている。ただの炎ではこうはなるまい。

 肉体が無事だったことを喜ぶべきだろうか……せっかくセンリに見せて自慢しようと思っていたのに、さっそく駄目になってしまった。


 思わず手放したことで、辛うじて無事だった大剣を持ち上げる。観客たちが騒然とする。

 怒りの炎が頭の中で燻っている。冷静さを失うのは愚行なのはよく知っていた。

 調子に乗っていたのは認めよう。いくら想定外だったからと言って、無防備に攻撃を受けてしまったのは僕のミスだ。


 だが、後悔させてやる。この卑怯な幻獣に、僕のお気に入りだったアイテムを破壊した事を、僕を殺そうとした事を、後悔させてやる。

 人食いは炎のように赤く爛々と輝く目を細めた。鉄塊のような巨大な剣を見ても、動揺一つ見せない。


 そこには強者としての貫禄があった。

 

「驚いた……燃え尽きるまで消える事のない呪われた炎を受け、効果がないとは。何と……忌まわしい……」


 殺しはNGだったはずだ。だが、明らかに人食いは僕を殺そうとしていた。

 殺してやる。僕を殺そうとした者は全員殺し尽くしてやる。

 障害は全て排除する。人食いは嫌われ者だ、うっかり殺してしまっても問題はないだろう。


 忌まわしいのは――お前だ。


 僕は返事をしなかった。開始の合図を待つ必要はなかった。既に戦いは始まっていた。

 大剣を持ったまま強く地面を蹴る。狙いは――頭だ。うっかりその頭に、この鉄塊を叩きつけてやる。


 一歩で肉薄する。相手は四足歩行で幻獣だ。力はわからないが、小回りはこちらの方が効くはずだ。

 人食いの目が大きく見開かれる。その薄く開いた口から生え揃った鋭い牙が見える。


 そして、不意に飛来した何かを僕は大剣を盾に受けた。


 短い音が連続で響き渡る。鈍い衝撃が伝わってくる。

 針だ。尻尾に生えた毒針を飛ばしたのだ。人食いが唸り声をあげる。その声には先程まで見えなかった強い苛立ちが見える。


「これも……受けるか。ふんッ……」


 動体視力で受けたわけではない。


 人食いの能力は事前に聞いていた。

 呪いの炎に、鋭い爪と牙。鞭のように襲いかかる長い尾に、受ければ一撃で昏倒必至な強力な毒針。おまけに人語を操るという事は呪文を唱えられる――人間や魔族が生み出した体系立てられた魔法まで操れる事を意味している。


 正統派に強い幻獣だ。ここまで卑怯な真似をするなんて思うわけがない。


 尾の先から飛んでくる毒針の速度は速いが、僕ならば十分回避できる程度である。だが、鞭のようにしなる尾がその軌跡を読ませない。

 地面を砕く勢いで仕掛けてくる体当たりを、正面から剣を盾にして受ける。重い衝撃が伝わってくる。踏ん張るが、後ろに身体が押される。

 ウェイトが違いすぎる。少しでも体勢を崩せばすぐにふっ飛ばされそうだ。

 次の行動を起こす前に、すかさず追加で尾が襲いかかってきた。その軌跡は複雑で、どうやら人食いは尾を第三の手のように自在に操れるらしい。


 力だけではない。強い。隙がない。鉤爪による一撃は大地を深くえぐり、鞭を受けた剣はみしりと軋む。

 僕はまだ吸血鬼なので受けられているが、一撃一撃に篭められた速度と力はとても人間に受けられるレベルではない。まさしく、この魔王軍にやってきて戦った他のメンバーとはレベルが違う。


 翁を思わせる嗄れた声が哄笑をあげる。


「どうした、吸血鬼? 夜の王とは、こんなものかッ!!」


「ッ……」


 駄目だ。このままではジリ貧だ。攻めに転じなくては勝ち目はない。


 力や速度はアルバトス程ではない。耐久もあそこまではないだろう。

 人食いは幻獣だが、その戦い方には知性が見える。アルバトスが暴れすぎとも言える。


 僕の能力の底が知られるその前にトドメを刺すのだ。

 獣との戦い方は知っている。前足を受け止めるのは難しい。狙いは――尾だ。


 人食いの毒針を飛ばす頻度が落ちている。撃てる数は無限ではないのだろう。

 肉体が死んでいる僕には毒など効かない。毒が効かなければ飛んでくる針なんて大したダメージにはならない。

 流れるような連撃。勢いに任せるように攻撃を仕掛けてくる人食いをなんとか凌ぎ、機を窺う。


 機はすぐに来た。

 人食いの蠍に似た尾がしなやかにぶれる。その動きを僕の動体視力は明確に捉えていた。


 ――ここだ。


 いくら自由自在に操れても、全力で振り下ろした尾を戻す事はできまい。

 そのうざったいふさふさしてない尻尾を引き抜いてやる。


「ぬッ……!?」


 身体を隠していた剣から半身を出す。覚悟を決め地面を蹴ると、そのまま左腕を伸ばし、しなる尾の尖端――全方面に生えた毒針のすぐ下を掴む。手の平に衝撃が奔るが、勢いが付く前だったので、大したことはない。



 そして、思い切りそれを引っ張ろうとした瞬間――目の前が爆発した。



 ほぼ反射的だった。左腕で頭を庇う。燃え上がるような痛みが腕全体に広がり、そして一瞬で痛みが消える。

 視界が大きく回転し、地べたに勢いよく激突する。受け身を取り立ち上がろうとするが、体勢が大きく泳ぐ。


 身体が軽い。頭を庇うのに使った左腕がなくなっていた。

 肉が腐ったような悪臭が辺りに立ち込めている。


 右腕に虫食いのように穴があいている。針だ。針の刺さった所が――溶けている。

 今更、理解した。針尾の先が爆発し、無数の針が飛んだのだ。


 気持ちの悪い熱が顎近くを覆っていた。ちぎれかけている右手を持ち上げ確かめる。

 顔の下半分がなくなっていた。左手でかばいきれなかったのだ。とっさに身体を確認すると無秩序に飛んだ針が刺さったのか、身体のあちこちがどろどろに溶け、大きな穴が開いている。


 地面に転がった大剣。僕よりも巨大だったはずの剣は、奇妙に歪んでいた。元の大きさの半分もない。


 金属すら溶かす――腐食性の――毒。明らかに、初撃で受けたものではない。


 あれほど針を飛ばしたはずの尾には再び無数の針が生え揃っていた。人食い自身も針を受けたはずだが、その身体に傷はない。


 今さら脅威度を見誤っていた事を理解し戦慄する。人食い……怪物だ。常識に反している、幻獣だ。まさしく、ただの魔獣とは一線を画している。

 足に穴が空いたのか、地面が急速に近づく。クソッ……まずい。負ける。殺される。


 必死に身体を叱咤するが、如何に不死身のアンデッドでも身体がなくなれば何もできない。

 無様に崩れ落ちる僕を見て、人食いが呆れたように言った。


「まだ、意識がある、のか……生ける死者とはよくも言ったものよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る