第九話:拠点
モニカに抱えられ、空中遊泳を楽しむ。
悪魔の飛行速度は人一人を抱えていてもそれなりに速く、揺れも少ないので快適だった。おまけに長時間その速度を保てるようだ。恐らく、その移動性能がモニカが魔王ライネル軍の中から隊商への襲撃に選ばれた理由なのだろう。
オリヴァーは狼人の姿で大地を駆けていた。土埃が舞い上がり、その速度は空を飛ぶモニカよりもずっと速い。
純粋な身体能力ならば僕よりも上か、これで太陽の光も問題ないというのだから、この世界はとても不公平だ。
「このような扱いになってしまい、申し訳ございません。私達は――その……陽光は問題ないので」
こんなに急いで戻るのは計画外だということだろう。その声には畏怖が混じっていたが、僕は鷹揚に頷いた。
「いや、言うほど悪くはないよ。抱えられて飛ぶのは新鮮だ」
僕はいつも抱える側だったし、飛ぶというよりは跳ぶに近かった。
少しひんやりした夜風が心地よい。月明かりに照らされた荒野はどこか寂寞としていて、しかしとても美しかった。エペの手の届かない所に逃げ切ったら、世界中を旅するのも楽しいかも知れない。美しい光景を見て回るのだ。
僕の身体をしっかりと抱きかかえ、飛び続けながら。おずおずとモニカが声をあげる。
「その……夜明け前に我々の陣に行くには、大きな川を越えるかロンブルクの上を飛んで越えるしかありません」
「何か問題でも?」
「ロンブルクの警戒は厚いので……オリヴァーは別ルートで戻るにしても、空を無防備に通り過ぎればまず攻撃を受けるでしょう。追尾する魔法の良い的です」
それはまずいな。ロンブルクを見てみたい気もするが、攻撃はされたくない。魔法攻撃は僕には効かないが、モニカは違うだろうし……犬の姿になれば攻撃されなかったりしないだろうか?
川を渡るという選択肢をまず出さなかったのは……僕に気を使っているせいか。
「川を渡ればいい。流れる水はたしかに怖いけど、無意味に都市一つを敵に回す事もないだろう。大丈夫、僕はここに来るまでにも川を渡ってきている。それに、陽光も………少しなら平気だ」
太陽刑だって受けきったのだ、力に満ちた今ならば、強い日差しでなければ二、三時間くらいは耐えられるだろう。
僕の言葉に、モニカが動揺したように揺れ、大きく高さが上下する。そして、慌てたように態勢を立て直すと、震える声で言った。
「!? …………恐縮です、王よ」
今の反応……一体、どうしたのだろうか。
一瞬不審に思うが、冷静に考えると、日光に耐えられる吸血鬼なんて普通はいないだろう。
僕が少しばかり耐えられるのはまだ下位で、呪いが薄いからだ。ただの吸血鬼だったならば、夜明け直後の僅かな光でも痛手だったに違いない。
「陽光に耐えられる吸血鬼を見たのは初めて?」
「…………そもそも、夜の王など、滅多におられませんから」
どうやら、滅多におられないらしい。思えば、ロードの配下にも吸血鬼はいなかった。
「まぁ、僕が言うのもなんなんだけど、吸血鬼は弱点がてんこ盛りだからねえ」
「!? …………いえ、夜の王程の力があれば、他の魔王に与する必要もありませんから」
モニカの口調はその扇情的な格好とは裏腹に真面目なものだった。
別の吸血鬼か……きっと仲良くはなれないのだろうな。
きっと他の吸血鬼と仲良くなったら、その吸血鬼はセンリに目をつけることだろう。
僕にだって独占欲くらいはある。彼女の血を他の吸血鬼に分けてやることなど考えられない。
しばらく行くと、何か黒い巨大な物が見えてきた。ちらほらと光が瞬き、モニカが急上昇して、高度を大きく上げる。
そして、僕は眼下に広がる光景に思わず目を見開いた。
それは、壁だった。まるで荒野を両断するような巨大な人工物は地平線の果てまで続き、壁の上にはそこかしこに明かりが瞬いている。
初めて見る光景だった。豆粒のような人間がせわしなく動いているのを俯瞰していると、まるで僕が超常的な存在になったかのような錯覚すらある。
心臓が高鳴った。
行きたい。近くで見たい。観光したい!
長く続くのは壁のみで、街のような物は見えなかった。僕の様子の変化に気づいたのか、モニカが説明してくれる。
「忌々しいロンブルクの長壁です。もともとは人間の縄張り争いのために作られたようですが、今では我らが軍を阻む砦と化しています」
「街が見えないね」
「都市は更に西――激流で知られるブルク川の付近です。ですがご安心ください、少し外れれば人には見つからず川を渡れるでしょう」
砦の様相は僕が今まで見たいかなる街とも異なっていた。どこか未来的だ。
凄く悔しい。恐らく街の中には僕が今まで見たことのなかった物が沢山あったに違いない。
「ねぇ、モニカ。街を見て回れないかな? 君は人に化けられるんだろ?」
あの時は今のエロティックな格好ではなく、ちゃんとした服も持っていたし、まぁ僕はどうやって入り込むかは悩みどころだが、まだ隊商は都市にたどり着いていないはずなので、犬形態でなんとか……。
わくわくしながら出した僕の問いにモニカが困ったような声で言う。
「それは…………申し訳ございません。あの都市は吸血鬼対策は万全ですし、夜に訪れる者への警戒は更に厚くなっています」
「……残念だな。街を見て回りたかったのに」
モニカとオリヴァーがいなければセンリと一緒に観光できたのに……。
隊商をどう説得するかが問題だが、今からでもやり直せないだろうか?
真剣に心が揺れている僕に、モニカが慌てたように言った。
「ですが、我々の拠点も捨てたものではありません。人間の街よりも余程ご満足いただけるかと」
「犬の姿での生活も割と満足していたんだ」
「…………エンド様は……変わっておられる」
自由に動く身体を手に入れてもなかなかうまくいかないものだ。
僕は小さくため息をつくと、後ろ髪を引かれる思いで遠のいていく明かりを見送った。
§ § §
上空から見てもその急な流れがはっきりわかる幅の広いブルク川を越え、荒野を超える。
空が徐々に明るくなり、地平線の向こうから太陽が頭の先を出す。
身体がピリピリし始めて来たが、気にはならなかった。
景色は先程とは一変していた。モニカが真っ直ぐ飛んだ先にあったのは、大きな山脈だった。
だが、ただの山ではない。連なる山脈の中腹に、遠目で見てはっきりわかるくらい巨大な拠点が作られていた。
何も考えず増設に増設を重ねられた粗末な家屋に、風に乗って漂ってくる血と肉と鉄の匂いが混じり合った悪臭。
まだ完全に夜が明ける前にも拘らず、火が焚かれ、上空から見下ろしても明らかに人間ではない集団が気味の悪い叫びを上げている。一部は空を跳ぶモニカに気づき、吠えているようだ。
「ご存知かもしれませんが、魔王ライネルは獅子王とも呼ばれています。配下は知恵ある猛き獣が八割を占めます」
僕は目を輝かせた。僕の感性には合わない場所ではあるが、これはこれで御伽噺の世界に紛れ込んだみたいで少しだけわくわくする。
人間だった頃ならば間違いなく顔を顰めていたであろう悪臭も、今の僕には気にならない。
これは吸血鬼としての特性だと言えるだろう。
安全ならば是非見て回りたい。
「あそこがライネル様の城です。ロンブルク攻略のための仮のものですが……」
モニカが指し示したのは、猥雑とした眼下の街とは違った、立派な城だった。
山の一部を切り崩し自然を有効活用して生み出された城はロンブルクとは別の意味で荘厳としている。獅子王が獅子の王という意味だとしたら、ピッタリだと言えよう。
完全に田舎者丸出しで目を輝かせる僕に、モニカが言う。
「しかし、まもなく日が出ます。粗末な所ではございますが、しばし私の家でお待ちください。ライネル様にも吉報を伝えねばなりません」
「ああ、わかった。大人しくしているよ」
配下の八割が獣だというのならば、僕も獣の姿ならば目立たず行動できるのではないだろうか。
機嫌よくそんな事を考える僕を、モニカが不安げな目で見ていた。
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