第八話:平穏

 センリとの関係が少し変わったように思える。


 まだ気を緩めるわけにはいかないが、いい方向への変化だ。彼女は僕に冗談を言うようになったし、知識をくれた。訓練もつけてくれた。これが罠だったら、僕は人間不信になる。僕が道を誤らない限り、きっと彼女は僕の味方でいてくれるだろう。


 旅の最中に幾つもの事がわかった。


 吸血衝動がやってくるサイクルに、必要な血の量。終焉騎士との力量差に、吸血鬼の弱点に対して僕は如何なる反応を見せてしまうのか。暴力衝動の大きさと、それを抑える方法。


 それは、僕が生き延びるために必須の知識だ。

 センリは終焉騎士についてや吸血鬼の殺し方については詳しかったが、吸血鬼が如何なる手段を使えば長生きできるのかは知らなかった。僕は一つ一つステップアップするように自分の事を理解していった。


 また、センリ自身の性格についてもわかってきた。堅物に見えるが冗談も言う。笑う事だってある。生真面目なように見えて柔軟で、優しく見えて清濁併せ呑む度量もある。そしてしかし、同時に弱さも持ち合わせている。たまに、誘うような態度を取ってくることだって――。

 複雑な人間だ。だが、その立場や強さ、知識、血の味も含め、彼女はパートナーとして理想的だった。


 ロードを狙っていたのがセンリだったのはこの上ない幸運だった。この幸運は最大限に活かさなくてはならない。彼女という強い味方がいる間に次の行動方針を決めねばならない。


 そして、追手に捕まることなく、僕達は無事、街にたどり着いた。


 エンゲイと同じ、中規模くらいの街だ。ほどほどの高さの外壁に、近くに川を擁し、日暮れが近い時間帯でも門には多くの人が並んでいる。

 馬車や馬を引いている商人は荷物検査を受けているが、それ以外の旅人は見るからに怪しげではない限り、素通りのようだ。エンゲイでも身分証明書などは求められなかった。外壁はどちらかというと魔獣対策なのだろう。

 まぁ、身分証明書もロードが用意したものがあるんだけど……。


 行列に並びながら、センリが小声で言う。


「エンド、足元を見て……」


「……」


 門の外側に、小さな溝が掘られていた。その中に緩く水が流れている。


 明らかに吸血鬼ヴァンパイア対策である。溝が街の周りをすべて囲んでいたとしたら、本物の吸血鬼も蝙蝠に化けて空から入ることなどできなくなる。

 僕でも、気づかずに踏み込んでいたら、いきなり力が抜け転んでいただろう。


 こういうのが怖い。知らなければ間違いなく引っかかっていた。

 この世界では普通の人間には見えないだけで、あちこちにアンデッド対策がなされているようだ。


 だが、この程度の小さな溝ならば、覚悟していれば乗り越えられる……と、思う。


「よくあるの?」


「ある。大都市なら、メンテナンスもちゃんとしている。エンゲイにもあった。…………故障していたのか、水が流れていなかったけど」


 エンゲイはロードのホームの近くだった。ロードが僕の肉体を乗っ取るつもりだとしたら、ロードが吸血鬼対策への対策を打っていたとしてもおかしくはない。


 流れる水の他にも吸血鬼には弱点が幾つもある。気をつけなくては……。


 槍を持った門番が、退屈そうな顔で門を通る旅人達を眺めている。流れる水の上を通って不自然な挙動を見せる者を確認しているのだろう。

 センリが自然な動作で近づき、手を握りしめてくれる。ほんのり冷たい指先を握り返す。


 そして、僕は一息に流れる水の上を乗り越え、セメセラの街への侵入を果たした。 




§




 宵闇の街を歩き、さっさと宿を見つける。中規模の宿だ。カーテンが薄い事を除けば文句はない。

 シングルを二部屋取ると、僕の部屋で作戦会議を行った。


 センリがいつもと同じ冷たい双眸で言う。


「この規模の街だと、追手が来る可能性がある。急いで出た方がいい」


「どこだってあるさ」


「……エンド…………機嫌、悪い?」


「……少しだけね。でも、気にする必要はない。大切な事はわかってる」


 セメセラの街の規模はエンゲイと同じくらいだ。

 人の数も賑わいも同じくらいだが、明確にエンゲイと異なる点が一つあった。


 近くに大きな川があるせいだろうか、セメセラの街の中には幾つも水路が張り巡らせてあった。

 溝くらいならば一歩で越えられるが、僕一人では長い橋を渡る事はできない。無理をすればなんとかなるかもしれないが、それでもフラフラの状態を長い間晒すことになってしまう。


 水の上で、吸血鬼はほぼすべての能力を失うという。特殊能力は当然として全身の力が抜けてしまうし、そして恐らく再生能力も失われているはずだ。僕の場合は吸血鬼の特殊能力は持っていないが、変異前の屍鬼の時に覚えた『尖爪』と『鋭牙』が使えなくなる。一般人でも十分僕を殺せるくらいまで能力が下がってしまう。


 もちろん、センリが一緒ならば橋も渡る事ができるだろうが、そうなるとさすがに僕が足手まといすぎる。


「同情はいらない。逃亡中な事もわかってる。ただの我侭だよ。ただ、僕は少し街を見回って買い食いとかしてみたかったんだ。したことないからさ」


 センリが目を丸くする。そんな顔されなくても、望みがひどく子供っぽいものであることくらい自覚している。


 ルウと一緒にお使いをした時にも、街を見て回る余裕などなかった。生前も、十歳かそこらで歩けなくなってしまったので僕は一人で街を出歩いた事も、その辺の屋台で買い食いをしたこともほとんどない。

 だから少しだけ期待していたのだが、どうやら人間の街は想像以上に僕にとって厳しいらしい。


 ほとんどの吸血鬼は街に潜むことを選ばず、古城や廃墟、地下迷宮などに住み着くという。

 まるで魔物のようだと思っていたが、なるほど人の街がこれほど住みづらいのならば納得である。 


 おまけに、この部屋はいい感じにカーテンが薄い。恐らくカーテンをしっかり閉めても少なからず陽光が入ってきてしまうだろう。

 ということは、せっかくベッドがあるのに、そこでは眠れない。クローゼットがあるので、昼間はその中に入って陽の光を回避するしかないだろう。


 別にクローゼットで眠ったからって身体が痛くなるような事はないが、やはり思うところはある。


 小さくため息を漏らし、優しげな眼差しでセンリが言う。


「買ってきて欲しいものがあったら、買ってきてあげるから」


 買ってきて欲しいもの、か。欲しい物は沢山ある。僕の着替えも必要だし、ちょっと手の込んだものも食べたい。センリの血も飲みたい。

 だが、あまり荷物になるものを買うのは問題だろう。この街もすぐに出るのだ。


「…………魔法の本とか、あったら買ってきて欲しいな。お金は、ホロスの屋敷から拾ってきた貴金属を換金すればいい」


「……何の魔法?」


「なんでもいいよ。でも、逃げるのに使えそうなやつがいいな」


 何があるのかもわからない。魔法の本はさすがに生前も読んだことはなかったし、ロードの屋敷にあったものは難しすぎた。

 僕のざっくりとした要望に、センリがしばらく思案げな表情をし、小さく頷く。


「…………わかった。適当に見繕ってくる。他には?」


「…………僕が言える立場じゃないかもしれないけど、気をつけて。追っ手はきっと、僕だけじゃなくてセンリの事も狙ってる」


 センリは多分に僕の都合が含まれた言葉に一瞬キョトンとした表情をしたが、すぐに微笑みを浮かべて見せた。




§ § §




 完全に倒壊し焼き尽くされた屋敷。その近くに作られた簡素な墓の前に、一人と一匹の影があった。

 一人は長い黒のコートを着込んだ壮年の男だ。大柄で深くフードを被っており、腰には三振の剣を下げている。


 男は濃い血の匂いを纏っていた。その佇まいには、どこか得体のしれない威圧感があった。


「アルバ……どうだ?」


「…………」


 もう一匹は、黒い犬だった。体長は二メートル近く、体高も一メートルはある大きな犬だ。

 黒く艶のある毛皮に屈強に、そして靭やかに発達した四肢には獣特有の美しさがあった。金色の瞳は鋭く、しかしその奥には確かな知性が宿っている。


 アルバと呼ばれた犬はしばらくその墓に大きな鼻を近づけていたが、すぐに顔を上げ、視線を森の奥に向ける。


「森を抜ける事を……選んだか……予想通りだ。滅却を相手に、立ち向かうほど、能無しではあるまい」


「…………」


 男の独り言に、アルバはまるで人の言葉がわかっているかのように主人を見上げた。

 その視線を受け、黒尽くめの男が口元に深い笑みを作る。


「ああ、そうだ。エンゲイには向かわん。だが、補給は必要だ。森を抜け、道を辿るとすれば…………セメセラか。だが、あの街は吸血鬼には生きづらい。…………ああ、問題ない、心配するな、アルバ。主人のいない下位吸血鬼に、まだ甘い子供の終焉騎士など、物の数ではない。せいぜい、報酬の分くらいは……働くとしよう」



 その濁った黒の双眸が森の奥をじっと見つめ、熱にうかされたような声が、誰もいない森に響き渡る。

 そして、一人と一匹は音もなく、闇の中に消えていった。


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