第二十六話:生への渇望
「!? ……まだ、いたのか……」
ロードの声だ。余りにしぶとすぎて、もしも僕に身体と余裕があったら笑い声を上げていたところだ。
ホロス・カーメンの幻が目の前に立ち、しかめっ面を作る。
「まさか、身体を、取りに、来たのか? 悪いけど、首しか残って、ないッ!」
『たわけが。今更そのような力、ないわ。貴様が食らったのだッ! 今の私は――残滓の残滓に過ぎん』
「残滓の、残滓の、残滓も、あるのか?」
『エンド、貴様は死ぬ。私に身体を明け渡していれば、このようなことは、なかったものを』
だが、それはそれで死んでいるようなものだった。今と変わらない。
本当に力がないのか、ロードは僕に何かをする気配はなかった。助けて貰えたら良かったのに、ただの幻ではどうしようもないだろう。
だが、会話相手にはなる。その姿が幻覚だったとしても、その声が幻聴だったとしても、十分だ。
「何故、僕はまだ、死んでいない? 心臓も、ないのに」
吸血鬼の弱点は心臓だったはずだ。それがない状態で、こうもいつまでも生き延びられるのは不自然だ。
もちろん、とてもありがたいのだが……。
ロードは眉を顰め、できの悪い生徒でも見るような目つきで、答えてくれる。
『吸血鬼が、心臓を木の杭で突かれ死ぬのは、呪いによるものだ。突かれなければ、即死はしない』
「は……ははッ、なに、それ。変な生き物だッ! この世の理に反してるッ!」
首から下を失っても死なないとは、余りにも無茶苦茶だ。そもそも、そんなのがまかり通るなら、心臓を抉り出せば弱点が一つなくなるという事になる。
僕の言葉に、ロードは鼻を鳴らす。
『だが、心臓が
「もともと……力なんてなかった」
得たことなんてない。僕は生まれ変わった後も、圧倒的な弱者だった。
僕が関わった中で、僕よりも弱かったのはルウや非戦闘員のハックくらいだろう。もっとも、病床での僕はルウやハックよりも遥かに弱かったのだが。
ロードは僕の声に答えず、淡々と続ける。
『
「あ、ああ……それは……良かった」
『だが、それは貴様の苦しみが伸びるということだ。力は枯渇している、再生はできない。貴様は陽光に魂を蝕まれ、じわじわと死ぬ。貴様の奈落は深い、恐らく連中が考えているよりはずっと深いが――長く生き延びるのは、不可能だ。夜明けからもって一時間といったところか』
「どうすれば……いい?」
僕は首一つ動かせない。動かせるのは口だけだし、もしかしたらそれすらも動かせなくなる可能性はある。
自分を食らった相手からの問いかけに対して、しかしロードは、嫌な顔一つしなかった。一瞬で答えを出してくれる。
『どうしようもない。力の枯渇した
そうか……これで、終わりなのか。
ロードの幻が消える。すとんとロードの言葉が腑に落ちてくる。
ならば、ここから先は耐久戦だ。痛みに抗う。正気を保つ。死に抗う。生前の病床でやっていたことと同じだ。
違うのは、今の僕にあるのは首だけだという事くらいだ。
そして、僕の最後の戦いが始まった。
§
暗かった空が白み、薄い光が周辺を照らす。
最初に感じたのは日焼けのような痛みだった。頭頂を中心に広がった痛みは僕の顔全体を侵し、炎のような熱と化す。
刑を受けた直後は余裕だと思った。死ぬよりは余程マシだと思っていた。
だが、すぐにそれが勘違いだった事に気づいた。正の力はじわじわと僕の残された身体を焼き、思考を焼いた。首だけでは悶える事もできない。
まるで直射日光を何十時間も連続で浴びたかのようだ。痛みが、少しずつ、少しずつ僕を殺そうとしてくる。死体に戻そうとしてくる。
目を全開に見開き、必死に痛みに耐える。少しずつ、時計の針が動くように湧き上がっていく焦燥感に、終焉騎士団を前にした時にすら感じなかったような強い恐怖が、絶望が僕を襲う。
本能が太陽という天敵の襲来に警鐘を鳴らしている。まだほんの少し日が出ただけなのに、これなのだ。
まだ消滅していないのが不思議なくらいだった。奈落が埋まる。ゼロに戻る。無に帰す。
僕の中で、闇と光が戦っている。
ただ、ひたすらに苦痛に耐える。少しずつ墓を照らす光が強くなってくる。
ふと脳裏に一つの疑問が生じる。
ロードは一時間と言った。だが、一時間などとうの昔に過ぎていた。
ならば、何時間持つ? 何時間耐えられる? 何時間……耐えてしまう?
そして――それに何の意味がある?
どうしてネビラが、終焉騎士団が、これを最もアンデッドが苦しむ死に方としたのか、今ならば理解できる。
僕を放置したのは、油断ではなかった。これは、拷問だ。
襲いかかる痛みと、いつ終わるともしれない太陽による制裁。死の足音すら感じられる。死から遠いアンデッドであればあるほど、この刑は耐えきれまい。敵が目の前にいないからこそ、最後の希望も捨てきれないのだ。
身体の前に、心が死ぬ。
喉がひたすらに乾く。焼かれるような痛みに、涙が流れる。必死に息を吸い、意識を保つ。
死を受け入れたら終わりだ。奇病にかかりながら何年も生きながらえた僕だから知っている。
生前、衰弱し痛みに耐え、生にしがみつく僕を、医者は奇跡と呼んだ。最初にあった哀れみはいつしか、呆れに至った。
医者も家族も魔術師も皆が僕がすぐに死ぬと思った。だが、生き延びた。最終的には死んだが、僕は最後まで生きるのを諦めなかった。
くじけかける心を叱咤し、気合を入れ直す。
だから、今回も諦めない。僕は一度死んだのだ。死んで、奇跡的に記憶を持ったまま蘇った。
この程度の事で、苦痛や絶望程度で、諦めてなるものか。
眼球だけ動かし上を見て、憎き太陽を必死に睨みつける。
僕は死者だ。ホロス・カーメンの見込んだ、死者の王の器なのだ。この程度で、滅びはしない。
絶叫は上げない。声を出せば痛みはごまかせるが、体力を消耗する。それは、生前の僕が編み出した技術だった。
ただ、黙って、思考を焼き、意識に闇の帳を下ろそうとしてくる痛みに抵抗する。
勝機はない。策もない。
求めるのは――二度目の奇跡だ。
どれだけの時間が経っただろうか。
太陽は少しずつ登り、僕を照らす光も少しずつ強くなっていく。それをしっかり瞳に焼き付ける。
眩しい。痛い。恐ろしい。そして――美しい。
無理だ、勝てない。かつて僕の大好きだった朝が、陽の光が、僕をこの世界から追い出そうとしている。
滅ぶ。魂が消えてしまう。痛い。日に照らされた僕の顔は、一体どうなっているのだろうか?
光が強すぎて、もう目が見えない。ただ、地獄の業火に包まれているかのように全てが熱い。
――死にたく、ない。
声にならない絶叫をあげる。
意識が潰え落ちるその瞬間、ふいに僕の首が持ち上げられた。
最初は、魂が天に上ったのかと思った。だが、すぐに違うということがわかった。
死霊魔術師に汚された魂は決して天国には行けないという。
視界に満ちた光が抑えられ、白銀色の髪が真っ先に視界に入ってくる。
呆然としたような、見覚えのある深い紫色の瞳が入ってくる。
唇を開く。出てきたのは切れ切れの言葉だった。
「ッ……セ、ン、リ――」
「――ッ!! ――ッ!! ――ッ!!」
「聞こえな、あ……」
舌が焼けている。目が無事なのは幸運だった。
限界だ。僕は……もう死ぬ。もう僕の持つ負のエネルギーはほとんど埋まっている。僅かな陽光にも耐えきれない。
朦朧とした意識の中、ただ生存への糸を手繰り寄せた。
どうすればいい? どうすれば助かる? どうすれば、センリを、この終焉騎士にあるまじき弱さを持つ少女を、最も動かせる?
力は出ない。できる行動は限りなく少ない。言葉を交わす時間もほとんどない。
そして、僕は刹那の瞬間、厳選した最後の言葉を放った。
「あ………………あ…………り………が……と…………」
僕の首を丁寧に持ち上げていたセンリの手が一瞬、震える。
僕はその反応に成功を確信し、安堵した。
センリは感情に脆く、頭がいい。思い切りがよく凄まじい力を使いこなし、強情で、ネビラ曰く、たかが行きずりのアンデッドである僕の死にショックを受けるような人間だ。
彼らは、ネビラ達は僕を滅ぼすべきだった。怒りに任せて罰など与えず、懺悔の時間など与えず、完膚無きまでに滅ぼすべきだった。
だから、彼らは失うのだ。本当に――大切なモノを。
躊躇うような気配は一瞬だった。浮遊感を感じ、頬に少しひんやりしたさらさらの髪が当たる。
もう目は見えない。前は見えない。だが、唇に当てられた滑らかな柔らかさは、幻ではない。
甘い肌の匂いに、苦痛も絶望も消し飛ぶ。動かなかったはずの舌が伸び、その肌を味わう。
強い快感が衝撃となって僕の意識を駆け抜ける。枯渇していたはずの力がほんの少しだけ戻る。
ブラックアウトしていた視界が戻る。
「いた……だき、ます」
僕は、目の前で震えるセンリの耳にちゃんと挨拶をして、差し出されたその首筋に牙を突き立てた。
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