第十九話:闇と光

 巨大化した黒い毛むくじゃらの腕を振り上げ襲いかかってくる熊のアンデッドを、祝福を宿した剣で切り捨てる。


 死者の軍勢はさながら雪崩のようだった。恐らく、もともとこの森に生息していた魔獣の、哀れな成れの果てなのだろう。


 その一体一体の能力は過剰に強化されていた。

 爪を振り下ろすために腕の肉が削げ、大きく開いた顎からだらだらと血の混じった涎が飛び散る。肉体を崩壊させながら襲いかかってくる姿は、まさしく地獄から蘇った悪魔のようだ。


 センリは知っていた。

 全ては忌まわしき死霊魔術ネクロマンシーの力だ。


 だが、その程度で――終焉騎士団は止められない。


 センリ達の操る光のエネルギー、祝福の力は闇を遠ざける。

 剣に宿せば闇を切り裂く力となり、鎧に宿せば死を遠ざける防壁となる。活性化させれば身体能力が上がる。故に、終焉騎士団は人の身で、人外の力を振るう闇の眷属に対抗できるのだ。


死霊魔術師ネクロマンサーはいたか!?」


「いねえッ! くそッ、遠距離からの操作で、ここまでアンデッドを操れるのか!」


 仲間たちが息を切らせ、絶え間なく襲いかかってくる死肉獣フレッシュ・ワイルドを殺し続ける。

 光と闇。正と負。相性の優位はこちらにある。だから、死霊魔術師はその差を数で埋める。


 死霊魔術師によって、その魂の崩壊を代償に強化されたアンデッド達はよりその奈落を深くしている。

 アンデッドの浄化に慣れた終焉騎士団でも、手こずる程に。


「センリ、一旦引くか? こいつら、時間さえあれば自壊するぞ」


「引かない」


「ふっ。そういうと、思ったよッ! それでこそ、一級騎士候補だッ!」


 即答するセンリに、ルフリーが汗を流しながら深い笑みを浮かべる。

 まだ余裕はあるが、消耗は激しい。仲間たちの祝福がみるみる削られていくのがわかる。


 終焉騎士団の持つ祝福は膨大だが、決して無限ではない。消耗すれば回復には時間がかかるし、枯渇すれば闇の眷属から身を護る術はなくなる。センリはほとんど疲労もないが、ルフリー達の有する祝福はセンリの十分の一程度しかない。


 今襲いかかってきているアンデッド達は下っ端だ。センリは、呼吸をするように狼の群れを浄化しながら考える。

 二級死霊魔術師は限りなく闇の王に近い存在だ。ただの死肉獣フレッシュ・ワイルドの軍団で終わるとは思えない。


 ルフリーたちの力を温存する必要がある。少なくとも、彼らを生きて帰す事もセンリの任務に含まれているのだ。


「一気に片を付ける」


「!? ま、まて、センリ。まだこいつらは――」


「師匠なら、そうする」


 躊躇いはなかった。

 二級騎士になった時に賜った武器――貴重な聖なる銀で作られた剣を両手に握り、センリは祈った。

 剣を地面に突き刺す。全身に漲っていた祝福を剣の先に集め、一気に爆発させる。


 破壊のエネルギーに変換されていない、純粋な正の力が光の風となって周囲に拡散される。


「『解放の光ソウル・リリース』」


 破壊はなかった。その豪腕を振り下ろさんとしていた熊のアンデッドが、仲間が死ぬのも構わずに絶え間なく飛びかかってきていた狼のアンデッドの群れの身体が、音もなく崩れ、塵と化す。

 間断なく襲いかかってきていた死者達が悲鳴を上げる間すらなく、まるで幻であったかのように消え去っていく。

 その様子を、センリはなんとも言えない物悲しい気分で見送った。


解放の光ソウル・リリース』は最も基本的な浄化の魔法だ。広範囲に拡散した正のエネルギーでアンデッド達の奈落を埋め、安息を与える、終焉騎士の終焉騎士たる力だ。

 防御もほぼ不可能で、低位のアンデッドを大量に相手にするのならばこれ以上に強力な術はない。


 静寂が戻る。淀んでいた空気が浄化される。ネビラが、振り回していたメイスを肩に担ぎ、愉快そうに口笛を吹いた。


「あんな数のアンデッドを一度に浄化するとは……さすが、二級騎士様だ」


「消耗する方がまずいと判断した」


 大地から剣を抜く。手の平を数度握り、身体の調子を確かめる。センリは眉一つ動かさず頷いた。


 『解放の光ソウル・リリース』は強力だが、光の力を一度に大量に放出するため、武器に祝福を込めて戦うのと比べ、消耗が激しい。だから、終焉騎士は限りある祝福の消耗を抑えるために、最初に武器を操る術を習う。


 だが、センリの有する祝福の量は一級騎士のお墨付きだ。


 一度に大量の力を放出したので軽い倦怠感はあるが、すぐにそれも消える。

 まだまだ戦える。まだ力は一割も減っていない。

 紫の目は、ずっと森の先を見据えている。闇に侵された魂はまだ存在する。救済しなくてはならない。


「大丈夫。問題ない。ホロスにとって、私達の襲撃は予想外のはず。態勢を立て直す前に終わらせる」


 センリの言葉に、仲間たちは真剣な表情で頷いた。




§



 屋敷はすぐに見つかった。


 鍵の掛かった門を、力づくでこじ開け、中に入る。

 柵の内側。広い庭には、濃い死の残り香があった。だが、アンデッドの気配を感じるのは屋敷の中だけだ。


 恐らく、この庭に先程襲ってきた死肉獣フレッシュ・ワイルドが放し飼いにされていたのだろう。死んだ狼達が庭を走り回る様子を一瞬だけ思い浮かべ、センリは形のいい眉を顰める。


 強力な魔術師はその身に秘めた膨大な力により、強い気配を持つ。

 屋敷から溢れ出る仄暗い魔力。その強さは、これまでセンリが戦ってきた相手の中でも間違いなく五指に入る。


 いる。間違いなく、ホロス・カーメンはあの屋敷にいる。

 センリ達が、宿敵である終焉騎士団が来るのを知りつつも、傲岸不遜に待ち構えている。


「けっ。俺たちが来るって知りながら、逃走を選ばねえとは。臆病な死霊魔術師のくせに、今に自分が屍になるってのに、いやに自信満々だな」


 ネビラがいつものように、野性味溢れる深い笑みを浮かべる。だが、その顔色はいつもよりやや白んでいた。

 その邪悪に、呑まれかけているのだ。


「怖い?」


 思わず出てしまった言葉に、ネビラは一瞬目を丸くして、すぐに歯を食いしばった。

 頭だけ聖銀で祝福されているメイスを振り、荒々しい声で叫ぶ。


「ッ……誰に、物を言ってやがる。俺は終焉騎士だぞ? おまけに、センリ、てめえよりはずっと長くやってる。この程度の相手、何度もやりあったことがある。てめえは、てめえの心配をしろ。ホロスの奥の手を下すのは、てめえの仕事だッ!」


「……わかった。まかせて」


「ったく。性格は知っちゃいるが、センリには、先輩に対する敬意がたりねえぜ」


 この分だと、戦闘には支障はないだろう。ネビラの言う通り、センリが連れてきた仲間は皆、『滅却』のエペの下で戦闘経験をつんだ猛者ばかりだ。たとえ死霊魔術師の力に脅威は感じても、萎縮することはない。

 

 屋敷の外に他にアンデッドの気配はない。アレで最後だったのだろう。

 ホロスはこの屋敷で全てを決めるつもりだ。


 屋敷の扉は、まるで挑発でもするかのように大きく開かれていた。


 精神を集中し、全身を流れる祝福を活性化・変換し、身体能力を向上させる。

 ルフリー達もこれまでの疲労を感じさせない佇まいで、同じように力を活性化させている。


 死霊魔術師が死を集めることにより強化されるのと同じように、光に属する者には光の加護がある。恐れる事はない。


 そして、センリ達、終焉騎士団は屋敷に潜入した。




§ § §





 長い道程だった。苦難の道だった。だが、ようやく先が見えた。

 二級と分類される死霊魔術師となってから二十年。

 死霊魔術師の悲願――死者の王。その誕生を以て、ホロス・カーメンは晴れてこの世界で最強の存在の一つ、一級に区分される死霊魔術師ネクロマンサーとなる。


 終焉騎士団が今、この最もいいタイミングで襲撃をかけてきたのは決して偶然ではない。

 彼らは、無意識の内に感じている。闇の王の誕生を。故に、なんとしてでもそれを阻もうとしている。


 エンドという逸材が入ったのは本当に幸運だった。

 あの成長速度は、器の大きさは、ホロスの長きに渡る死霊魔術師としての人生の中でも最高峰だ。


 装備を取りに行ったエンドはまだ戻っていなかった。何を手間取っているのか……。

 だが、その生みの親であるロードにはエンドが近くにいることがわかる。やや頭が良すぎる点だけが不安だが、命令はしてあるのだ。すべきことを終えれば戻ってくるだろう。


 ホロスの集中すべきは終焉騎士団の撃退だ。


 もしも、今あのエンドを失えば、次にアレほどのアンデッドを手に入れられるのは何十年後になるのか、わからない。


 だが、心配はない。一度。一度だけ、奴らを撃退すればいい。

 本来ならば大事を取って次の位階変異を待つつもりだが、あのエンドの才覚ならば、知性ならば、屍鬼グールでも儀式は成功するだろう。


 手の平を浅く切り裂き、自らの血を使い魔法陣を描く。

 人間のホロスには負担だが、外に出していたアンデッドがこの短時間に全滅している。

 一級騎士はいないはずだが、想定よりも、敵は強い。


 これまでの、ホロス・カーメンが歩み手に入れてきた全てを使う。


 これが――最後の試練という事か。


 怯えながらホロスの指示に従っていた奴隷を睨む。準備は整った。もう奴隷の手は必要ない。


「ルウ、貴様にも働いてもらうぞ……」


「ッ……!?」


 ホロスの視線を受けて、ルウが青褪め一步、下がる。

 やせ細った手足に身体。その両目は深く窪み、髪も整えられていない。服装もぼろぼろで、『骨人スケルトン』一体にも満たない、本当に小さな存在。

 何より、その目には既に生きる気力というものがなかった。奴隷らしい奴隷と呼べる。


 ホロスは、初めて奴隷に笑みを浮かべてみせる。


「脆弱な存在でも……使い所はある。奴らの力の源泉は生命そのもの――祈りと、誇り、だ。それを汚せば力は減じる」


「な、何を――」


 ルウがか細い泣き声にも似た声をあげる。

 ホロスは眉をぴくりと動かすが、気を取り直し、命令を述べた。


「質問を許した覚えはないが……まぁ、いい。これが――最後だ。ルウ。ルウ・ドーレスよ。骸骨騎士スケルトン・ナイトと共に――終焉騎士団を、迎え撃て」

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