第5話 人の世界
「救援に行きたい。誰かついてきてくれ。」
私は叫んだ。すると三人ほどが名乗りを上げた。
「ミルラはかなり疲弊している。だからここで休め。」
こんな状態では連れて行けないと、私は予防線を張る。
「ですがヴァイス様。もしものときに私がお傍にいなければ……。」
「しかし、それはお前がやられてしまっては元も子も無いだろう?
そして、今の私にはミルラを守りながら戦闘を行うなんて器用なことをするような技量もない。
だから、もしもの事を考えるのであれば尚更ここで休むのだ。」
正直出来るだけミルラを危険に晒したくない。ただそれだけのための懇願。
しかしミルラは頑なに首を縦には振らない。
「私は死なないよう出来るだけこの目を使って立ち回りますので、どうか。」
「そのヨロヨロの体でか?」
ミルラは明らかに疲れが抜けていない。
「下手をすれば命すら溶かしかねないのだぞ。
少なくとも人の身には余る力だ。無理をさせてしまった私にも責任はあるが、今回は頼むから休んでいくれ。」
「ですが……。」
「誰でもいい、ミルラがここで休養するよう監視をしてくれ。」
私は周りに呼びかける。しかし案の定応えるものは誰もいない。ここでは私よりもミルラの味方の方が多いのだ。
だからこそ、身を案じる者が少ないということに私は更に危機感を覚える。
誰でも良いのだ。誰でも。
「ならば、私が。」
「お爺様……。」
一人の男が反応を見せる。
それは先程の老人、つまりミルラの祖父だ。彼は何故か布で口元を覆い隠している為表情を読み取るのが難しい。しかし、ミルラの身を案じているのは確かのようだ。彼はミルラを抱き上げると、私から見て右の方向へと歩いていった。
「案内を頼む。」
「分かりました。着いてきてください。」
私は宮司と共にシュラスの方へと向かった。
貴族の土地を抜け、黒い建物が立ち並ぶ場所まで辿り着くと物凄い轟音や怒号がそこには鳴り響いていた。
見れば大勢の人々が争いあっている。既にシュラス対貴族だけの構図ではなくなっているようだった。
やめろと私が叫んだところで何も変わらないであろう。見たところこの街ではあまり普及していないのか、銃器の使用は見られない。
過去に首都で争いがあった時には、銃器火器のせいで鎮火に少々手こずったものだ。
私は転がった木の棒の一つを拾い上げる。
「龍神様。恐縮ではございますが、そのような木の棒では真剣には歯もたちませぬ。
斬られてしまいます。」
「大丈夫だ。分かっている。」
私は袖口の石を持ち、思い切り握り込んだ。
ふわっと暖かい空気が私の体にまとわりついたように感じる。そしてそれが身体中に吸い込まれるような気がした。懐かしい。そう感じる。
見えはしないし、表面上は変わったように感じないが確かに分かる。龍鱗だ。
私は木の棒を投げ上げるとそれを殴った。
バリィという音と共に木材の中央は砕け散った。
拳に感覚は伝わるが、痛みは一切ない。
「龍神様……?」
「切り込む。」
戦況は圧倒的に貴族が有利。切り付けられ負傷した人々や、既に生気を感じられない赤い塊となった者の衣服はほとんどが私の見覚えのあるものだった。
私は直近で切りかかっている鎧姿の者に殴りかかった。
ガキィィと金属同士がぶつかったような音が響く。
割れるまでは至らなかったが、ダメージは届いたようで鎧の男はその場に倒れた。
私はそれを踏みつけると、その奥の鎧に殴りかかる。
しかし、既に気づかれていたようで顔を狙った拳は空を切る。
そして男は無言で刀を返す。
私はそれを咄嗟に左腕で受ける。
キイィィンと甲高い音が響く。しかし、私の腕には傷一つもついておらず寧ろ斬りかかった刀の刀身が弾け飛んでいた。
「え、え、なんだお前は!?」
私の右拳は驚く様な声を上げたその男の顔を捉えた。
「龍神様……お怪我は?」
「ない。そちらはもう片付いたか?」
見れば宮司三人の前には既に数人が横たわっていた。
「はい。」
「よし、であるならシュラスの家まで案内を頼む。」
入り組んだ地形では一々相手をしていてもキリがない。私は争いの元締めがいると思われるシュラスの家付近をまずは片付けたいと考えた。
宮司達は一度顔を見合わせ悩んだようだったが、走り出した。
少し走ると、崩れた建物が目立ち始めた。轟音の正体か、煙が立ち込め小規模な爆発のようなものも起こっているように見える。
そしてその奥に一際大きな瓦礫の山が見える。
入口で無残にぐちゃぐちゃになった金属からは水が吹き出し、内側に貼られた木材は至る所が燃えて既に原型を留めていない。
間違いなくシュラスの家だった。
私は家の方へと突っ込む……が、既に中には誰も居らず代わりに家の前の広場では様々な装飾に身を飾った人々が集まっている。
どうやら囲った一人をリンチしているようだった。
私はそこに突っ込む。そして背中から一人を殴り倒した。中央で血だらけで倒れている小柄な青年。顔を見なくても予想がついた。
「誰か一人は、保護を!」
宮司の方へと私は叫んだ。
「何だお前は。」
数人が斬りかかって来る。私は顔を保護するように腕を回す。耳元で甲高い音が何度か響いた。
痛みはない。
しかし、強い衝撃が腕と腹部に響く。
切られはしないだろうが、頭や首をやられてしまったら完全に無事とは行かないかもしれないと感じた。
しかし、周囲で乾いたような音が響く。
「刀が……折れた……?
こいつ、何なんだ!?」
私は喋り出した男の一人の腹部を殴打した。
男は嗚咽と共に倒れる。
しかし、私の拳に伝わる感覚は先程よりどこか繊細に感じられた。
痛みではない……が、鱗が禿げかけていると思えた。幸いなことに周囲の男達が持つ刀に刀身は無く、皆戦意を喪失しているようだ。
「私にはそのような稚拙な武器では傷一つつけることは出来ない。
今であれば逃げても追いはしない。」
ブラフだった。まともにやり合っても増援を呼ばれても私に勝ち目は無いだろう。
龍鱗がなくては私は人並み以下。ここにいる一人にすらやられてしまう。
だがしかし、ブラフは上手く効いたようで周囲の男達は皆その場から逃げていった。
「これが龍神様の力……ですか。」
「私の力……と言い切ってしまって良いものなのかすら私自身分かってないがな。
それよりシュラスは?」
「至る所に怪我を負っておりますが、致命傷では無いようです。
かなりいたぶられたようです。」
シュラスは傷だらけだった。しかし幸いなことにその傷は腹部に出血の多い箇所があるものの、命には影響のない程のものであった。
「すまないシュラスよ。」
「どうしてアンタが謝るんだ……?
それより……アンタ、すげぇな。俺の剣術より、アンタの体術の方が……俺が教わりたいくらいだ……。」
シュラスは苦しそうに喋る。
「申し訳ないが、こればかりは教えようとして教えられるようなものでは無い。
落ち着いたら話す。それよりも、今はここを離れよう。」
追っ手が来られてはひとたまりもない。私もかなりの疲労感があり、担ぐほどの余裕がないためシュラスを宮司に任せた。
私達はその場を離れ商業区付近にある教会に入る。ここには元々宮司の一人が居たようで、彼の計らいで奥の部屋を借りる運びとなった。
大きな部屋に特に物はなく、床に直接シュラスを寝そべらせた。商業区は喧騒に包まれるのが常だが、この教会には声の一つも届かない。静かな部屋の中には私達の発する音だけが響いていた。
「応急手当の用意しかありませんが、これでなんとか。」
教会の従者の一人が小さな木箱を運んでくる。
「ありがたい。」
宮司の一人が木箱を受け取るとおもむろにその中身を取り出し、手際よく応急措置を進めていった。
「巫女様と所の人達だよな。すまないな。
ありがとうな。」
患部を触れられる度に小さく嗚咽を漏らしていたがシュラスの措置はなんとか済んだようだった。しかしシュラスの表情は依然として曇っている。
どうかしたのか? 問いかけようかと考えたとき、シュラスは俯き口を開いた。
「姉さんが。
姉さんが人質に取られたんだ。アイツらぐらいなら俺一人でもなんとかなるはずだったのに……アイツらのせいで姉さんは動けないってのに、人質として利用までしやがって……。」
シュラスの目下が濡れた。それが涙というものだと気づいたときドンという衝突音がシュラスの近くで発せられた。それが彼の拳によるものだと気づいた時には床が赤く湿っており、どうしようもなくやるせなくなる。
「無理をするな。人質とな。
もし拒絶の意思がなければ、話してくれ。」
私はゆっくりと、そして静かな声で言った。
シュラスは小さく肩を震わせている。悔しさ、怒り、憤り。その何れかその全てか。少なくともそうした負の感情に震えていることが想像出来た。
ふぅ。小さく息を吐く音が聞こえた。
「姉さんはアイツらに騙されたんだ。
俺たちは元々貧乏で、家もなく親もなくただその日を暮らすために鉱山で金脈を狙い続けていた。
当てれば一発で貴族にすらなれるかもしれないんだ、貧乏が伸し上がるために考えてする事としては当然だろ?
だけれども、俺たちは幼少期から何年も探し続けても得られる物は精々一日や二日少しの贅沢が出来るかも知れないって程度のものだった。
それでもクロズミの住人達は俺たちに優しくしてくれたし、その日暮らしで住む場所も定まってないけど楽しく暮らせていた。
でもある日、貴族の一人が家をやるからと姉さんを連れてったんだ。
一日、一週間、一ヶ月。姉さんは帰ってこなかった。俺は一人で帰りを待って、貰えた家に家具でも買えるようにとひたすらに鉱山に篭った。
そしてどれだけ経ったかすら分からなくなって、鉱山から出たある時白く美しい服に包まれた。でもそれが不似合いに見えるように黒が混ざった肌、生気の感じられないように転がった人が居たんだ。
姉さんだった。黒いものは全部痣で、聞けば売り飛ばされひたすらに乱暴をされ得たものは売れるようにと着飾らされたその白い服と少しの銀貨だけだった。
家なんて建つもんか。勿論家を貰ったわけでもない。騙されたんだ。
姉さんはずっとぼーっと何処かをみるだけの、まるで人形のような生気の感じられなくなっていた。俺たちは鉱山の付近でただ転がり何も出来ずただ涙が出ないようにだけしていた。
その後、商業区のある人が俺達を気の毒に思ったのか仕事を与えてくれて少ない銀貨と装飾がついた白い服だけで家まで建ててくれたんだ。
いつか仕返しもしたかった。でも技術も無く、能力も無く何も出来ない俺にはただ姉さんが元に戻れるようにするだけで精一杯だった。
俺は努力した。いつか復讐するために。そしてこの前、やっと少し。ほんの少しだけ届いたってのに、今度はこの家とやっと笑顔が作れるようになってきた姉さんを奪ってったんだ。
アンタは……アンタは只者じゃないんだろう?
見たぞ、刀持ち六人に囲まれてまともな傷すらも受けてなかった。アンタならアイツらに鉄槌を下すことも出来るんじゃないのか?
頼む。頼むよ……。」
シュラスは頭を下げる。昔はよく見た光景……見慣れているはずだと言うのに、どこか心に来るものがある。
私は袖口の石に触れる。先程はあんなにも暖かく体を包んでくれたというのに、今は冷たい。微かな温かさは感じ無くはないものの、微々たるものでほぼ加護は受け入れられないことが予想される。
「そうか。辛かったのだな。私はお前に借りがある。出来ればその願いも果たしてやりたいものではあるが今の私には精々連れ戻すことで精一杯……いや、敵の数しだいではそれも厳しいかもしれない。
私の力なんてお前の想像してるものなんかでは無い。申し訳ないが。」
沈黙。広い部屋から音が消える。
互いにどう掛けるべきか、言葉を選びきれてないようだった。
「連れ戻すだけなら……復讐までとはいきませんが、連れ戻すことだけなら。」
ミルラの声だった。慌てて振り返ると、教会の入口にはミルラが立っていた。
疑問、怒り、不安。入り交じる感情に、自信がどう感じているのかもよく理解出来ない。
「なぜここにいる?」
「申し訳ございません。分かってはいたのですが、見えてしまったのです。
私なら分かります。今のヴァイス様より私が観る方が負担は少ないことも、連れ戻し逃げるためのルートも。」
「私は来るなと言ったはずだ。そして、疲れが抜けるまで観るなという言葉が無くとも分かるだろう?
それともそれ程までにお前は無能を晒すとでも言うのか?」
「いいえ。勿論分かっております。
しかし……ここで突っ込んで仕舞えば、ヴァイス様は大怪我を負うことになります……。
そして、今のヴァイス様は見ることすらも出来ないのでは無いですか?
気付いておられるのかも分かりませんが、ヴァイス様の先程の力は想像よりも消費が激しいものなのでは無いかと……。」
分かっていた。もう鱗を作ることも見ることもまともには出来ないということ。
しかし、目の前で行われた懇願を無下にすることが出来ないということも。
ミルラはそれを知ってここまで来てくれたのだろう。それでも、ふつふつと怒りが湧き上がってくるようだった。しかし、一方で彼女の主張が正しいということも分かっていたため、出たのは大きな溜息だった。
「仕方ない……か。
もういいさ。ならその見えた通り私に指示をくれ。」
その言葉を聞くやいなやミルラは幸せそうに返事をした。私はシュラスを宮司に任せ、ミルラの指示を聞き教会を出た。
そしてミルラは教会を出る直前、シュラスに何かを話しているようだった。
「そこを真っ直ぐ行って、丁度その緑の所です。」
ミルラが指したのは中間富裕層が住むといわれている緑色の建物。その中でも少し大きく、周囲の装飾が、凝っている家だった。
「その家の丁度外の右側の扉、ここに来るとは想定されてないようですのでどうやら空いているようですので、私のタイミングで入って右手に見える二つ目の部屋に入って下さい。
そして、入口付近に居る一人を思いっきり押し倒して下さい。
入口の一人さえなんとかする事が出来れば、あとはレーネ様を抱えて今のルートで出て来てもらえればそれで大丈夫です。」
答えのわかってるテスト。私は頷き息を整える。
そして、ミルラの合図で一気に飛び出した。扉は半開きだったため、ゆっくり開き一気に中へと入る。ドアが左右に立ち並ぶ。
私は右から二つ目のドアを引き、目の前に見えた人影の胸元を掌底を打ち込んだ。
突然の打撃に驚いたのか、ウグッと言う声と共に部屋の奥へと転がった。一人の男が転がった衝撃で、他に控えていた数人が弾けとんだ。
「何だ!?」
そんな言葉が聞こえたが、私は入口横で倒れている少女を担ぎ一気に出口へと向かう。
「こっちです!」
入口のドアを適当に足で蹴り、一応の時間稼ぎをする。そして、ミルラの指示で走る。担いでる小柄な少女は決して重くは無いが、息をするのが段々ときつくなってくる、足が重くなってくる。
少し走った所で商業区付近でミルラが止まる。
「あの先まで行けば、シュラスの叔父さんが馬車を用意してくれています。向かってください。」
ミルラはそう言ってそこで立ち止まっている。私はその手を掴み、その先へと向かう。
「ヴァイスとやらか!
乗り込め!」
そこには初日に見た筋肉隆々の男が、私とレーネそして続けてミルラを馬車に放り投げると馬車を走らせた。
「クロズミの皆が、もうここから出てってくれって。
もう、巻き込まれるのはゴメンだからお前なんかこの街には要らないんだって。」
シュラスはボソリと呟いた。ミルラが俯く。
何となくを、察したがそれは言わずに置く。
「そうか。」
「シュラスよ、お前は悪くなんか無い……しかしなこの街はやはりお主達には生きづらいのだろう。
お主はこれまで努力をしてきた。それは儂が知っている……ほとぼりが冷めて、戻りたくなったら戻ってくるがいいさ。」
「ああ……。ありがとう。」
馬車は山間を抜けひたすらに北上する。私は疲れを癒すため、眠りにつく事にした。
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