第3話 竜の巫女
目が開く。無機質に黒く光る天井が見える。
体は脳と切り離されたように重く感じた。
憂鬱。
この身体で初めて味わう起床の感覚だからという訳でも、ただ寝起きだから等という訳ではないだろう。得体の知れない不安感がどこか私の心を蝕んでいるようだった。
これだけ不安であるというのに、未来視を使う気にはなれない。
この身体でもし限界を迎えてしまったら。
勿論それが不安の第一の理由ではあるが、もう一つがこの左目があることで何かが変わっているかとしれないと考えてしまってるからなのだろう。
もし、時間を飛べる力が戻らなかったら……と。
もし、これから出会う人物が私の仇敵であったらと。
これまでに未来視を使ってきたのはほぼ全て、俯瞰者としての役割を遂行するため、その一点のみであった。
しかし、当事者になってみるとどうしても不安感が頭をよぎる。
自分の精神的な弱さを初めて知った。
「朝、早いんだな。」
シュラスはそう言って一つ大きな欠伸をした。
「あぁ」
フゥと小さく息を吐く。
背中が冷たく感じた。
「また悪い夢でも見たのか?」
「いや、大丈夫だ。」
「そうか?それならいいが、外で軽く水でも浴びてきたらどうだ?
少しは頭もスッキリするぞ。」
「水浴びか。悪くないな。」
私は彼の案内するままに水を浴びた。
元より私は水を浴びることが好きな方だった。
何度かサブ湖と呼ばれてる湖も使わせてもらったことがある。
冷たい水は元の体に比べて染みるように感じる。それはそうだろう、こんなにも薄い皮一枚なのだからと言い聞かせたがやはり慣れない私には冷たすぎた。
体を震わせ、水滴を払う。そして用意された布で体を拭く。暖かな布の感覚と体温が戻るような感覚はなかなかに悪くないと思えた。
そして、先程渡された服を着る。
紺色の大きなものだった。
確か、ローブとでもいうものなのだろう。装飾品は特になく上下の分かれ目もなく、被るようにして着た。
「少しデカいか?
悪いな、服があんまりないのと俺のじゃちょっと小さいと思ったから父上のもんなんだが、我慢してくれ」
「いや、感謝する。」
あまり縛られる感覚も無くゆったりとしたその衣を私は気に入った。
「よし、じゃ行くか。」
シュラスは何かを持つと歩き始めた。
向かう方向は湖とは逆、住宅地が広がる方へと歩く。
黒色の家だらけの地帯を抜けると、次は緑色の石で造られた家だらけの景色が広がっていた。
ここは黒色の場所と比べ、一軒一軒の大きさが大分大きい。
そこを少し進むと、すぐに緑色の家は見えなくなる。そして白い石と金色が目立つ家が見え始めた。
ここは更に一軒一軒が大きく、壁材に使われてる金色の素材は金であると見られた。
「ここは富裕層の所帯か。」
「そうだね。
ここら辺に住んでるやつらは皆、あの鉱山の近くに土地を持ってるらしい。
今通ってきた緑色の家々の辺りに住んでるヤツらは大体首都の辺りから越してきた金持ちさ。
そんであの黒色の建物は俺らみたいな鉱山で働いてるヤツらが住んでる。
でも家も持てないヤツらも多い中、そこそこ大きい家を持ててるだけ俺は幸せだと思ってるけどな。」
シュラスは少し俯いてそう言う。
「そうか。」
何といえば良いのかは分からなかった。
黒は鉱山のすぐ近く。そこから離れるように、緑、白と広がっていた光景を思い出す。
シュラスは決して貧乏ではないようには見えていたが、どこか富裕層に対しての怒りを感じた。
「すまない。巫女様はここを抜ければすぐだから。」
シュラスは周りを出来るだけ見ないようにして歩いてるように見えた。
白と金の家々は、一つ一つが小さな城のようで道はかなり入り組み無駄とも思える高低の差がある為視界が悪い。
きっと愚かな人々が、自身の家の景色を良くしようと争った結果なのだろう。
白い土地を歩き、抜けた辺りで見えたのはかなり大きな木造の建物だった。
横に大きく造られたその建物はざっとみても周りの小さな城五個を並べたほどの面積とがある。
平屋のようだが、壁は木々の色がそのまま。屋根は赤色に塗られた木か何かが使われているようだ。
そして周りには木々が植えられている。
しかしそれは豪華な装飾ばかりがされてい建物だらけの場所にあるのは異質と思えるほど質素な造りに見える。
そして不思議なことにまだ早朝だと言うのにそこにはかなりの人々が集まっていた。
「ざっと2時間くらいか。
あそこに巫女様は居る。
あの大きな木が見えるだろ?」
シュラスは、その建物の少し後方にある大きな木を指差す。
「あぁ、それがどうした?」
「あれは巫女様の先祖が植えた木らしいんだが、あの木には竜の血が染み込んでるらしいんだ。
それで、あの木の力に引き寄せられるようにここの地
に巫女様は越してこられたそうなんだ。
取り敢えず、建物の近くで座ってようか。」
シュラスはそういって私の手を引いた。
昨日も感じたが、シュラスは私より一回り以上も小さいのに驚く程に力が強かった。
私は引かれるままに建物の近くまで連れていかれた。
ふぅ、と息を吐きシュラスは建物の近くにある石に腰掛けた。私もゆっくりと石に腰掛け周りを見渡した。
近くの木々はどれも先日の湖の畔にあるようなものとは質が違うように感じる。
表現は難しいが、一本一本の緑が濃いようなどこか不思議な力強さを感じた。
「不思議な木々だな。」
私は呟く。
「あれらは全て神木から枝を切り取って植えられたものらしいんだ。
多分樹齢は10年もいっていないけど、あの大きさはやっぱり神木なんだろうな。」
木々は皆5メートルは優に超えていた空から見ていた頃は気づかなかっただろうが、実際見ると完全にものが違う。
「シュラスさん……で宜しいですか?」
唐突に声が聞こえた。
声の方を見ると、白い小袖に緋袴を着た女性が一人立っていた。
「はい、俺だけど……。まだ並んでないけど何か用?」
「はい、巫女様が貴方達が来るだろうから迎えに行く様にと申してましたので迎えに上がりました。
さぁ、こちらに。」
女性はエルラと名乗ると、建物の方へと歩き出す。
「私も……か?」
「はい、巫女様がお呼びです。」
シュラスは驚いたようにしながらもゆっくりと歩き出した。それにつられるように私も歩き出す。
建物の中は外装からのイメージ通り木材で出来ているようだった。
しかし、その木材からはどこか仄かな暖かさを感じる。
玄関のような広間から、少し正面へと歩くとまた木で出来た橋が架かっていた。
下には小川が流れている。
橋を渡り、その先へと歩くとまた広間があった。
広間には、火のついた松明が幾つもあり、竜の像や木の枝が置かれている。
そして紫の袴を履いた男達が立っていた。
「連れて参った。」
「御意。」
エルラがそう言うと、道の前に立っていた男達が道を開ける。
外から見ると横に長い建物に見えていたが、中はかなり縦に長いようだ。開かれた道を奥まで歩くと、そこにはまた紫の袴を履いた男が二人立っていた。
二人はエルラを見ると無言で道を開ける。そして中へ入ると、そこは先程の広間よりも少し小さい広間があった。
そして、その先には小袖、緋袴そして青色の装束を身にまとった女性と、白の袴を履いた初老の男性が佇んでいた。
「お待ちしておりました。」
女性は頭を下げそう言う。
私とシュラスは共に顔を合わせる。
疑問が多すぎて、どうしたら良いかわからず二人で入口で固まる。
「シュラス様はこちらに。」
先程の入口の紫袴の男の一人がシュラスを呼ぶ。
そしてシュラスが廊下へと歩き出すと、入口には板が一枚置かれ閉じられた。
「白のお方、お待ちしておりました。
どうぞお座り下さい。」
白袴の男はいつの間にか私のすぐ真横にまで近づいていた。私は言われるがままに巫女の前に置かれた座布団に座った。
「待っていた……とは?」
「私は七代目竜の巫女のグレアセフ・ミルラと申します。ミルラとお呼びくだされば幸いです。
こちらは祖父のグレアセフ・アルフ。
私達は代々竜を祀るものとして生きてきました。」
まさか。嫌な予感はしていたが、それはどうやら的中していたようだ。
「まずはお詫びを。
白の龍神殿、我々の先祖が自身の利のために貴方様の竜眼を奪ってしまったこと、誠に申し訳ない。
白の龍神様はこの地のために、多大なる支援をしてくれていたお方。
その話は伝承となりて子孫の我々、そしてこの地に暮らす多くの民にまで伝わっております。
当の本人は現在この地にはもうおりませんが、私の孫であるミルラの眼には未来視が宿っております。
もしも、我々の命でそのお怒り鎮めてくださるのであれば我々は誠意を持ってこの命捧げさせて頂くつもりです。」
男はそう言って頭を下げる。
不思議だった。不思議と私はそれほどまでに怒りを感じなかった。
「頭を上げよ、竜の眼を継ぎし者よ。
つまり、私がここに来ることを視て待っていたということか?」
「はい。白き竜のお方が来る。
私の目にははっきりとそれが映りましたので、使いの者を出させていただきました。」
「そうか。まさか、人間の目にも宿るとはな。」
「はい。
私の先祖が龍神様の目を食べて以降、私達の先祖の長子の目には未来視が宿るようになりました。
龍神様を我々の先祖が襲って以降、龍神様がこの地に姿を出して下さらなくなりましたので、私達はこの力を以て出来るだけこの地を守って参りました。
しかし、私の代で唐突にその目の力に変異があったのです。
それまでは近い未来が線のように沢山見えていたのですが、丁度数年前くらいから空から見える景色と今日のこの貴方様が訪れるまでの未来が見えるようになったのです。」
「ほう。」
「私は気づきました。
これは、龍神様の見ている景色なのだと。
そして、ここに龍神様が現れた時この眼を返そうと考えておりました。」
ミルラの左目は右目の黒っぽい色とは違い、碧眼になっていた。そう、きっと私の目のように。
「返す。そう言われても、私は見ての通りただの人間になってしまっているのだ。
それに、どうしたら戻すのかも分からない。
仮に私が竜の姿であったなら、食べてしまえばいいだけの話だったのかもしれないがな。」
「元の姿……ですか?龍神様はどうして今は人間の姿でいるのでしょうか?」
「神ととあるゲームをしていてな。つい先程まで私は竜の姿をしていたのだが、どうやら遊び好きの我らが神は竜同士の争いなど見たくないようでな。それぞれの大地の竜の四匹を人間に変えた上に、その体で争えと言うのだ。
この大地の竜は貴様も分かっての通りのこの私の訳だが今はこの様な情けない姿でな。元々乗り気では無かったのだが竜の勝者にはこの世界の唯一神がその知識とその座を与えるとまで言ったのだから、私以外の三匹が乗り気だったが為に断りきれずこのザマである.......。
今の翼も剥ぎ取られ時間を飛ぶことも出来ないこの私には正直勝てる見込みなど無いのだがな。
ただし、神は竜の力が込められた石を四つ程それぞれの大地に投げ込んだと言っていた。もし全てを拾い集めれば竜の姿には戻れるかもしれないが。」
ただの人間に話すにはあまりにも突拍子も無くあまりに現実離れしているであろう話。それもそれを話している人間は私の力を奪った者の子孫であると言うのに、それでも何故か私は話さずにはいられなかった。
きっと勝てないと分かっているという味わったことの無い不安感が私の心を乱しているのだろう。いやそうでなければ自身の行動の意味が分からず自身に怒りすら湧くであろうから。
「そう……なのですか。龍神様を創造された神様がいらっしゃったのですね.......。でしたら、そのお手伝いをさせては頂けませんか?
争い.......。私にはとても話が大きすぎて理解が出来ませんが、龍神様が勝てないかもしれないと感じてしまう原因は私達一族にあります。どれだけ役に立てるかは分かりませんし、私がいた所で龍神様が勝てるようになるとは思いませんがどうか.......。
そして、もし元に戻れましたら私を食べてその目の力取り戻して下さい。そして、またこの地に……。」
ミルラは言う。その姿は悲しそうにも安堵したようにも見える。それでも彼女に偽りの色も邪な雰囲気も一切感じない。きっと本気であるということが分かる。しかし、仮に竜の姿に戻り食べたりしたところで戻る保証もない。そう考えればまた冷静になる。
「あぁ……。貴様一人がいた所で私の何かが変わるとは思わない.......しかし、同行を許可しよう。」
だがミルラのその姿に私は自身でも驚いては居たが許可してしまっていた。
「ありがとうございます.......。ありがとうございます.......。少しでも龍神様のお役に立てるように頑張らせて頂きます.......。」
彼女は何かに救われたかのように喜び、安堵しているのが見えた。
「あの……龍神様を私はなんとお呼びすれば良いでしょうか?」
「私の名はヴァイスだ。」
「ヴァイス……様ですね。
私は今日にでもお力になりたいと考えておりました。
今日これだけの人々がここに集まって下さってるのは、私が当分ここを開けるからということなのです。」
「そうか。しかし、私にはまだ定まった目標がない。
ミルラであれば、既に私の目的は分かっているのであろう?」
この未来視は遠いもの、無機質なもの。
なんでも見ることが出来るが、人その者の未来を見ることは難しい。
通常の定規は1ミリ以下は測ることが出来ないように、個々のような世界にあまり変化をもたらないものを見るにはそのものを見なければならないのだ。
「はい。ようやく見ることが出来ました。
龍神様としてでは無く、ヴァイス様の未来として。
ですがあまりにも分岐が多すぎて、私の未来視では全然追いきれません。」
「そうか。」
ミルラには龍神としての私は見えていてもこの私はほとんど見えてないようだった。
「そうですね。
ヴァイス様に対して余りにも恐れ多いのですが、まるで産まれたての赤子を見ているような短く太い束のような未来しか見ることができませぬ。」
「なるほどな。
私は人の未来を見たことはないのだが、赤子は皆そうであるのか?」
「はい。歳をとるにつれて、束が解れ見通すことの出来る未来は細く長くなっていきます。」
「この肉体の年齢に依存しているわけではないということであるか。
見た目であれば、齢二十程とは青のやつが言っていたのだがな。」
そう、この肉体は二十歳ほど。
しかし、この目は私をきっと昨日産まれたものとして判定しているのだろう。
「ですが、ヴァイス様。
私でも未来を見ることが出来ますので、その身体でも未来を見ても大丈夫なのではないでしょうか?
見たところではありますが、ヴァイス様の未来に未来視を使ってる様子はありませんので、お試しになられるのも良いのではないかと……。」
相当な抵抗はある。しかし、この先の事を考えるならばいつかは使わなければならない。
「まだたった数日なのだがな。仕方がないというものだろう。」
私はゆっくりと意識を集中させる。
すぅーっと青白い光の線が頭に浮かぶ。
無数の光の先の一つ一つには映像が描写される。見ただけでまるで体験したかのように感じる不思議な感覚。
たった二日程度。
それだけのはずの空白ではあったが、凄まじい感覚のズレを感じる。
私はその線の一つへと無意識に手を伸ばしていた。
フッと、耳元を強い風が通ったような音がする。
「ここは……一体どうしたのでしょうか……。」
ミルラの声で、体験してる気がしてる訳ではなく実際に体験してるのだと知る。
「お前にも見えているのか?」
「え、は、はい。」
「お前も触れたのか?あの線に。」
「いいえ。
私も未来の線を見ていただけのはずなのですが、気づいたらここに居て……どういうことなのでしょうか。」
ミルラは線に触れていない。だがこれは確実に時間を飛んでいる。
「同時に未来視をすれば時間を飛べる……ということなのか。」
「時間を飛ぶ?
もしかして、ここは先程見た線の場所に居るということでしょうか?」
「そういうことだ。
元々両目があった時には出来ていたのだが、久々たこの感覚は。」
強い風が吹いている。ここは先日来たサブ湖だろう。嵐の後と聞いていた前回の時土砂色の水面とは違い、綺麗な青色が風に靡いていた。
「まるで本当に違う場所に来ているみたいですね。」
「実際にここに来ているのだ。
これは夢でも幻でもなく、そこにある現実だ。」
可視化出来るかのように好奇心一面の顔に、驚きの色が混じっていくのが見えた。
神の使いとして育ってきた彼女もまだ幼いものなのだと思えると何故か笑えた。
「ミルラよ、強く意識して目を閉じてみろ。」
一瞬キョトンとした後、ミルラは小さく返事をした。そして、私も意識して目を閉じた。
体に感じていた風の感覚が消えた。
嬉しいと同時に不安感が生まれる。これが心配するという感情なのだろうか。
上手く表現ができないが、初めてたった一人の人間に対して抱いた感情だ。
「ミルラ、天の上の上。
あそこに見えるであろう雲の上をイメージすることは出来るか?」
私はそう言って、約百年前のあの時をイメージする。
しかし、待てども返事はなく私に見えるものも無い。
「ヴァイス様……申し訳ございません。
上手くイメージすることが出来ないからだと思うのですが、何も見えないのです。」
小さく息を吐く。怒り等ではないが、冷静にならないと思ったためである。
「そうか。」
その後いくつかのケースを試したことで、彼女の出生以前と双方が見たことの無い場所に飛ぶことは出来ないということが分かった。
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