第8話

A



 日に日に灼熱化していくこの世界をどうにかできないのだろうか。そんなことは誰にも言えず、ていうかいう相手の一つすら僕の周りにはいなくて。僕は黙々と焼けるアスファルトの道路を歩く。

 ただ、そんな考えも、希濤のことを思い浮かべると、全てが、どうでもよくなった。良い意味で。

 僕は今日、早めに家を出た。

「ねぇ、ノート買ってくれない?」

 希濤にそう言われて、僕は早めに家を出て、近くの売店でCampusのA5ノートを一冊買った。何に使うんだろう? 僕はそう思った。自分の分もついでに買った。

 イヤホンを挿して、音楽を流し始める。エド・シーランのDrunk。

 希濤の病院に行くときに乗る電車に入ると、席に座る。その日は意外と、空いていた。中は涼しくて、気持ちよかった。電車が動いて、流れる時間は外の景色と共に、僕の意見も聞かずに過ぎて行く。

 音楽も変わって、相変わらずエド・シーランで、彼が恋人のために作ったHow Would You Feelが耳に響いた。

 僕の住んでいるこの町は、海に近い。電車から見える景色から、海が見えた。煌めく太陽に反射して、白く見える海。

 想像する。希濤と、もしも海に行けたら。


「音谷くん!」

 希濤が水着を着ている、僕はガン見したい欲望を抑える。チリチリと焼ける砂の温度はサンダル越しでも分かる、これで素足だったらどうなんだろう、と思った。

「ちょっと、目、なんで逸らすの」

 いや別に逸らしてる訳では、まぁ、逸らしてるよ。

 彼女はむすっとしたように僕の事を見る。僕は、ちゃんと見よう、そう決めた。

「やっと見てくれた、ねぇ、似合う?」

 彼女の水着は、なんだろう? ビキニの上とワンピースの下が合体したような水着だった。彼女はぐるっと回る、そして上目遣いで僕にそう言った。

 マジで可愛いよ。

「似合うよ」

「本当? やったぁ」

 僕たちは浅いところで、遊んだ。恋人が遊びそうな、僕が今まで「それ、楽しいか?」と思っていた遊びを試して見た。で、思ったことが。多分遊びじゃなくて、好きな人とこうしてられるから、楽しいのだと思う。

 昼は焼きそば、そのあとにかき氷。

 オレンジ色が滲んで来ると、僕たちは着替えた。ここには夜、空いている店もあった。僕たちはそこで夜ご飯を済ませる、外を出るともう、暗かった。

 月光だけが海の中で浮かんでいて、波が銀色に揺らぐ。

 僕たちは砂浜で座り込んで、いろんな話をした。

 それが夢だと気付いた時は、僕は少し、死にたくなった。


 起こされた原因は、音楽の音量だった。どうやら間違えて音量ボタンを押してしまったらしい。音楽はテイラースイフトのRedのサビに突入した。

 電車が駅について、僕は、日常と化した彼女に、逢いに行く。



 病室に入って、彼女にノートを渡す。希濤は嬉しそうに僕のことを見て「えへへ」と声を零した。病室の窓から差す夏の日差しは青と交わらない色なのに、妙にマッチした。

「ありがとね」

 彼女は僕が買ったノートをペラペラとめくる。僕は聞いた。

「何に使うんだよ」

 希濤は迷って、「内緒ね」ちょっと恥ずかしそうに。でも悩んで、結局僕に教えることにしたようだ。人差し指を口元の前に立たせて、僕に小声で教えてくれた。

「音谷くんとの出会いを始めに、日記を書いてみようかなぁって思ってさ」

 なんだよそれ、と思った。

「私が死んだら、音谷くんにあげるよ」

 そんな彼女の寿命は減っていた。

「ねぇ音谷くん」

「ん、何」

「私、音谷くんのことが好き」

 不意打ちすぎる。ドキッとした。うわー。希濤とずっと、見つめ合ってる、二人とも、離さないし、話さない。

「音谷くんは、いつから私のことが好きだったの?」

 考えてみる。思い出をリプレイする。でも、

「よくわかんない」

「変なの」

「そんなものだろ」

 好きに理由も、経緯も必要なのか? 

「なんかこうしてると、フィクションにいる人物みたいだね」

 希濤は彼女自身を指差して、そして僕にその指を向ける。

「まぁ、そうだな」

 僕たちは、恋人が何か知らない。どういう行為をすればいいのか、わからない。希濤が立ち上がって、音楽を流す。テイラースイフトのME!!

「そろそろ音谷くんが知らない歌、流れないかな?」

「好きな歌手が被ってるから、なかなか無いだろ」

「ちぇ」

 希濤が「窓開けてくれない?」と言って来て、僕は丸椅子から立ち上がって、窓を開ける。外の風が一気に押し寄せて来て、気持ち良かった。日差しの温度と風の涼しさが絶妙にマッチしていた。

「私たち、いざ恋人になると、何話すか分かんなくなるタイプかもしれないね」

「うーん、そう言われるとそうかもしれない」

「そのうち慣れるかな」

 希濤が手を上に伸ばして、背筋をピンとする。

「希濤はさ、もうやりたい事とか、無いの?」

 僕がそうやって希濤に聞くと、彼女は僕のことを少し見つめて、そして逸らす。

「あるはあるけどさー、もう間に合わないと思うんだよね。あれだよ、俗に言う、夢」

 死ぬんだ、僕はそう思った。

「何になりたかったんだよ」

「一度でいいから、本? なんかお話を書いてみたかったんだよね、それを世の中に出して、読まれる。それでだれかが救われて、有名になって、生きていくの」

「ああ小説家?」

「うーんそんなもんかな」

 彼女はもうこの話をしたく無いのか、適当に答えたようだった。

 でも、小説家はなんとなく、いい職業だと思った。締め切りとか嫌そうだけど。自分の書いた物語で、誰かを救うなんて、憧れる。すげーな、と素直に思う。僕らが日々使う文章、言葉で、誰かの一生を救う、誰かの現実を打ち砕く。

 純白な彼女のベッドは、彼女の藍色な人生とは違う。

 白い彼女の手は、僕のことをそっと包み込む。

 僕を彼女の胸まで引き寄せる、柔らかい感覚が僕の頬にある。僕はあんまり興味は無かった。大事なのは、心臓の鼓動で、彼女が生きている事だと、僕は思った。

 いつ死ぬのだろう。そんなのわかっているのに、つい泣きたくなってしまう。

 でも堪える。まだ、その時じゃない。

「音谷くん、私、生まれて来て、よかったよ」

「なんだよ今更」

「急に、お礼言いたくなって」

 僕は、急に言いたくなった。

「希濤って意外と胸あるね」

「変態」

 そう言った彼女は僕のことを更に強く抱く。

 セックスとか、そういうのは全然興味ない。結構真面目に。

「もし私が死んだらさ」

 彼女の口から出てくる言葉は、他人より何千倍、何万倍も重くて。僕のことを押しつぶしそうだ。

 僕は、ちゃんと、背けないで、聞く事にした。

 もうすぐ、消えるから。

 後悔しないように。

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