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「なぁ、花火、見たい?」
僕が希濤の病室の丸椅子で座って、希濤に話を切り出した。
この日は、嫌と言うぐらい快晴だった。
希濤は少し考えて、答える。
「でも、夜だよ、私外に出れないんだもん」
「僕がここに来るよ」
希濤は驚いたように、僕のことを見る。窓から吹かれる夏風邪が白く透けたカーテンを揺らす。
「……うん、ありがとね」
彼女の顔は、ほんのりと赤くなっていた。
「どうしたんだよ」
「なんか、珍しいなーって思った。音谷くんから私のことを誘うの」
「まぁ、ちょっとな」
病室の白く染まる空間。そこにいるだけで精神が病みそうだった。でも、今は違った。希濤が浄化してくれるように僕は、心が白く、純白に近付き始めた。
希濤は音楽を流し始めた、エド・シーランのShe。
「音谷くんってさ、今、どうして生きているの?」
「どう言う意味だよ」
意味が分からなかった。
「なんで生きているのか?」
「地味にダメージを食らったんだけど」
「じゃあ、生きてる理由」
僕は少し考える。でも、考えれば考えるほど、僕の心はその無限の問題の沼の中にはまっていくようで、気持ち悪かった。答えが見つからなかった。
「分からない」
「生きるって、なんだろうね」
「知らないよ」
僕はその問題を、答える気にはなれなかった。彼女の寿命を見ると、尚更だった。無限の螺旋階段みたいに、延々と登り続ける。そんな感じだった。
僕は病室から足を抜け出して、白く長く続くリノリウムの廊下を、一人で歩いた。胸がズキズキと痛んだ、けれどそれ以上に、彼女のために、死ぬな、希濤の事を、死ぬな、と思った。
家から抜け出して、希濤を探しにいく途中。僕は考えた、なんで生きているか。希濤のその質問が、僕の頭の中で延々とリピートされて、ずっと考えていた。本当に、ずっと。でも、残ったのは湿った絶望感だけで、考えるとどこか崩れて死にたくなりそうで、憂鬱なものだった。
自転車を漕いで、駅まで向かう、希濤の病院はまだ、開いている。
駅で希濤の病院まで向かう。春には桜が咲き乱れたこの道も、今は夜の色彩に彩られて、その深い緑をあぶり出す。美しく、切ない。かつては桜のピンクも、生まれ変わりの過程を過ごす、その色が、緑に見えた。
病院の受付を済ませて、エレベーターキーをもらう。
(僕)今、病院にいるよ
(希濤)うん
エレベーターの中には、僕一人しかいなかった。
リノリウムの廊下には、僕以外にももう一人看護士さんがいた。コツコツと足音が響く。
希濤の病室の前に立つ、緊張する。二回ノックして「いいですよー」と希濤の籠った声が届く。僕はドアを開けて、足を踏み入れる。部屋の中にはエド・シーランのDiveが流れていた。ラブソングだった、僕が一時期ハマっていた。
「昼ぶりだね」彼女はそう、僕に言う。
「そうだな」僕は丸椅子を彼女のそばまで引いて、座る。
「花火まであとどれぐらい?」
「三十分」
「じゃあなんか遊ぼっか」
彼女は引き出しの中を漁る「ごめん何にもないや」ヘラヘラと笑う。
「暇だね」
「ごめん」
「全然音谷くんのせいじゃないよ。来てくれるなんて、嬉しいもん」
金みは僕のことを励ます、その都度手で拳を作って、その仕草に僕はちょっとだけ安心を受け止めた。
「なんでさ、音谷くんは毎日そんな、憂鬱そうなの」
その空気は、急に、僕等の間に襲って来た。
なんでだろう? 僕はそう思った。いつから僕はこんな、毎日の日常で、些細の、小さな希望すら見つけたくないのか。毎日青く染まった憂鬱なトーンで構成されたフィルターを通して、現実を見つめてる。
でも、一つだけ、言えることがある。
「僕は、自分が期待して、傷つくのが怖いんだよ」
「ふーん」思ったよりも希濤のリアクションが低くて、僕はしょんぼりした。
「じゃあさ、音谷くんは私に、期待してる? してない?」
この質問は、僕には「私に生きて欲しい? 死んで欲しい?」と聞こえた。もちろん希濤が僕にそう言うこと言いたくないのは知っている。でも、そう聞こえてしまう。
「生きていて欲しい」
それだけでよかった。ただ、それだけで。
「音谷くんって、優しいね」
彼女の綻ぶ笑顔が、例えるなら、夏の向日葵みたいな笑顔だった。
「私、今、すっごく嬉しい」
僕は彼女が笑っている姿を見て、ちょっと満足した。
しばらく会話は続いて、お互いの名前の由来について始まった。
「私の名前はね、なんか、お父さんとお母さんが海を歩いている時、その波がすっごく綺麗だったから。希望を運ぶ波、と書いて、希濤」
「そのナミって三水に寿じゃん、希濤がさっき言っていたナミは、波動の波だろ」
「このナミ(濤)の方がカッコいいから、こっちにしたんだって」
わからなくもない、と僕は素直に納得した。
「音谷くんは、どんな理由なの?」
「この名前だと、被らないから、だって」
希濤が少し嫌そうな顔して「えー何それ」と言った、僕が「まぁ名前がないよりマシじゃん」と言ったら「そだね」と返された。
気づいたら、時計はもうすぐ花火が上がる時間に近づいてきた。
「電気消して眺めようよ!」
希濤がいつもより大分テンション高めで、ベッドから降りて、部屋の電気を消した。部屋の中は真っ暗で、外の明かりだけが淡く差し込んできた。部屋の音楽はまだ、流れていた。エド・シーランのPhotograph。
希濤の寿命が、夜の暗さにあぶり出されるように、くっきりと見えた。
やがてもうすぐ、花火が上がる。
そう思った瞬間、光と爆音が、僕、希濤の視界と鼓膜に届いた。
空高く、くっきりと咲き誇る夏の桜が、僕らの夜に炸裂する。
赤。青。黄色。緑。紫。オレンジ。黄金色。
「綺麗だね」
彼女がポツリと呟く。
「これも最後って思うと、全てが愛おしく感じるよ」
その声には、悲しみはなくて、純粋な希望だった。
最初のこのコーナーは、何十分か続いて、そこから、花火の主催側が何かをスピーカーで伝える。僕たちには聞こえない、正確には、何を言っているか、よくわからない。
そこからだった、あの、例の花火コーナー。
次々と、文字が打ち上げられる。
《ずっと前から好きでした》
《今まで俺のわがままに付き合ってくれて、ありがとな》
《いつまでもずっと、側にいます》
例えるなら百人中百人が愛の告白みたいで、ほぼ全てが、愛しているよ、とか、ずっと一緒にいようねばっかりだった。
「見ていると、鳥肌が立ったよ」
希濤が肘を摩りながら、僕に言った。
「音谷くん」
妙に真面目なトーンだった。
「リア充みんな爆発すればいいのにね」
マジで冗談じゃないな、と思った。
「僕もそう思うよ」
花火は、そのコーナーが終わると、またバンバン打ち始めた。けれど僕も希濤も、もうそんな気になれなくて、暗くなった部屋で、酔っ払った長年の友の再会のように、リア獣殲滅作戦(仮)を語り始めた。
僕の心拍数は、どんどん上がる。
花火は、どんどん、打ち上がる。
希濤は語り終えて、一段落を終えた。
それでも、花火は、上がり続ける。延々と。
「希濤」
僕は、真っ暗で、薄く見える部屋で、希濤だけを見つめた。
「なぁに?」
彼女の顔は、花火が一つ上がる度に、その光に顔が照らされる。
綺麗だな、と思った。
僕は深呼吸した。
言うんだ。
「僕、希濤が好きなんだ」
その瞬間、明るい青の花火が、上がった。
希濤は、その瞬間、驚いてた。
彼女は僕から目を逸らした。
しくじった、と思った。でも僕は、それでも、彼女から目を逸らさなかった。彼女は僕を見ない。僕は彼女の横顔をみる、花火一つ上がる度に見えるその横顔に、僕は一瞬も、刹那も離さなかった。
離したくない、と思った。
花火がいくつか炸裂して、彼女は顔を僕に向ける。
目に焼き付ける覚悟で、僕は彼女のことを見た。
彼女は手で顔を隠す。
「恥ずかしいよぉ」
そして、手と手の間から、僕を見る。
希濤が手を離して、僕と目が合う。そして、その柔らかく、透き通るような声で、僕に言った。
「私も、音谷くんが好き」
僕は、死んでもいいと思うぐらい、嬉しかった。
彼女の寿命は、残り二十日。
僕と彼女の恋は、始まるには遅すぎて、終わるには早すぎた。
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