高尾まで向かう電車を捜して
白石 幸知
プロローグ 理由
今思えば、どうしてあのときの俺は何も疑いもせずにのこのことあの誘いに乗ったのだろうか。だって冷静になれば、こんなオタクに誰が下駄箱に「放課後、教室で待っていてください」なんて可愛らしい文字で書かれた手紙を置くのか。そんなことを本気でやる奴は、少なからずいないだろう。あるとすれば、冗談、悪戯、からかい。そのくらいだ。
今の俺はそういうことを想像できるくらい現実に冷めた目を持つようになっているけど、中学一年の俺はそうではなかった。
あのときの俺は、まだ、リアルに希望を持っていた。
*
「じゃあなー永山、明日までに貸したラノベ返せよっ」
中一のとある夏の日。帰りのホームルームが終わると、掃除当番が当たっていない俺はオタク友達の永山にそれだけ言いすぐに教室を出た。
夏の暑さが流れ込む校舎を進み、下駄箱に着く。自分の所の扉を開けると、上履きを置くところにピンク色の便箋が置かれていた。
「ん? 何だこれ」
置かれている便箋を裏返してみると、そこには「
俺宛ての手紙……。
周りに誰もいないことを確認してから、俺は中身を読んでみる。
放課後、教室で待っていてください
……これって、もしかして、あれか? ラブレターって奴か?
「……っ」
思わず声が漏れる。
……俺にも春がキター! 来たよ来たよ。漫画とかでよく見る奴。本当に現実でも起きるんだなこんなこと! そうとなったら教室で待たないとな! 帰ったら昨日の深夜アニメの録画を見るつもりでいたけど、そうとなったら後回しだ。
教室を出るときは至って普通のテンションだった俺は、この瞬間は天にも昇るような気持ちでいた。
ついさっき通った廊下を戻り、まだ掃除をしている自分の教室前につくと、俺はその場に立って教室が空くのを待った。
「あれ? 慧? 帰ったんじゃないの?」
「ああ、永山。ちょっと用を思い出してな」
「ふーん。俺はもう帰るね。じゃあな」
「じゃあな」
同じく教室前にいた永山と本日二度目の「じゃあな」を言う。
最初は下校する人達の声がうるさかったけど、次第にどのクラスも掃除が終わっていき、教室前に残る生徒は少なくなっていった。俺のクラスも掃除が終わったらしく、今日の掃除当番のクラスメイトが続々と教室を後にしていく。
「あれ? 中河原、珍しいね。当番でもないのに残っているって」
教室を出たクラスメイト、
「ああ、ちょっと、な」
「そっか、それじゃあ、また明日ねー」
「ああ、また明日」
そして、布田も教室から離れていった。それから数分経つと、周りに俺以外の生徒はいなくなった。
おしおし。あとは俺が教室で待っていればそのうち……。
「早く来ないかなー」
俺は自分の席に座り、手紙の差出人の子が来るのを今か今かと待ち続けた。
「おっかしいなー誰も来ないぞ?」
俺が教室に入ってから三十分。誰も教室には来なかった。
「いや、きっとあれだ、恥ずかしがってなかなか来ないだけだよな」
俺はそうポジティブに捉え、手紙の子が来るのを待った。
陽が少し傾き始めた。未だに誰も来ない。
「……どうかしたのかなあ」
少しずつ不安になっていた。もしかしたら、という思いも芽生え始めてきた。
「いや、きっと来るはず」
教室には、グラウンドで練習している野球部の掛け声だけが響いていた。
そして、一般生徒が完全下校する時間になった。
「……どうして、誰も来なかったんだろう」
俺は少し残念な気持ちになりつつも、席を立って教室を後にした。
「まあ、いいか。それより帰ったら昨日のアニメ見ないと」
俺は、そうして家へと帰った。
*
それだけなら、ただの不思議な出来事で済んだかもしれない。そういえば、あのときの手紙って何だったんだろうと、思えたかもしれない。
でも、そうじゃなかった。そうじゃなかったから、今の俺は、こう言える。
現実の女なんて、皆嘘つきだと。
*
手紙のことがあった次の日。俺はいつも通り寝不足の目をこすりながら学校へと向かった。
ああ、結局夜読み始めたラノベが面白すぎてなかなか寝られなかったよ。ま、いつも通りのことなんだけど。
校門を抜け、下駄箱の前にたどり着く。中を確認してみるけど、上履き以外何も入っていなかった。
「……やっぱり、昨日の手紙は何かの間違いだったのかなあ……」
そして教室に向かうと、とある会話が俺の耳に入ってきた。
「やっぱり賭けは私の勝ちだね」
「いやーだって本当に待つなんて思わないでしょー」
「ほんとほんと。中河原の手紙見つけたときの顔見た? 傑作だったよ」
……ん?
俺は反射的に教室のドアの前に立ち止まる。
「その後凄く嬉しそうに教室に向かってさーほんと、オタクって単純なんだね」
「でも、私も待たない方に賭けていたけどさ、面白かったなー中河原のテンションの変わりよう」
……騙され、ていたのか?
俺はドアについている小窓越しに、今の会話をしている女子二人組を目線に捉える。
……一言でいえば、悪意が漏れている笑いを浮かべていた。
「今度は何するー? きっと単純な中河原のことだから何やっても引っかかるよ」
「そうだねー何しよっかー」
できるなら、昨日の浮かれていた俺を思いっきりぶん殴りたかった。
ドアの前で立ち尽くす俺は、しばらくそのまま呆然とし続けた。あとからやって来たクラスメイトに「どうしたの?」と言われようやく我に返り教室に入った。そのときに浮かべたあの二人組の表情は今も忘れない。
その後、俺はそいつらを中心に笑いの種にされ続け、異性と縁のない中学校生活を送る羽目になった。いや、最早俺の方から避けていたまであった。
だって、嘘つきなんだから。
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