暗殺者、十歳になる

 ――五年の月日が流れた。


 五年間、俺の生活に特に変化はなかった。世界も、魔王とやらが来ることなく平和そのもの。


 その間俺は力を蓄え続けた。そして今日も、鍛練として森の中を駆けていた。


「ふ……ッ!」


 迫り来る白色の糸を横に飛び退くことで回避する。


 現在俺はスプラッシュスパイダーと呼ばれる蜘蛛型の魔物の相手をしている。魔物というだけあって、かなりの巨体だ。大体高さ三メートル、横五メートルほどのサイズだ。


 こいつの危険度はD。昼間に現れる魔物の中では最も強い。こいつは硬い外骨格と真っ白の糸が特徴だ。特に糸の方はどこまでも伸びる伸縮性と、一度付いたら中々剥がれない強力な粘着力を有している。


 糸は斬って断つことは難しく、剥がすなら多少の火傷を覚悟で燃やすしかない。なので、糸による攻撃は可能な限り避けたいところだ。


「…………ッ!」


 スプラッシュスパイダーが懲りずに糸を放ってきた。炎系統の魔法で焼くこともできるが、周囲は森。万が一燃え移って森全体が燃えてしまうのは流石にマズい。


 となると、俺が取れる選択肢は回避のみ。しかし回避だけしていても戦闘は終わらない。そろそろ攻めに回るとしよう。


 スプラッシュスパイダーの糸の放出には、一つだけ弱点がある。奴は一度糸を出すと、約五秒のインターバルが必要になる。


 スプラッシュスパイダーの捕食方法は獲物をを自身の糸で捕らえ、身動きが取れなくなったところを捕食するというやり方だ。


 そのため、直接的な戦闘はあまり得意ではない。懐にさえ入れば簡単に殺せる。


 早速行動に移すとしよう。俺はスプラッシュスパイダーの元へ駆ける。


 対してスプラッシュスパイダーは、俺を迎撃しようと糸を放ってきた。


 だが糸そのものの軌道は単純。そんなものじゃ俺は止められない。


 もう何度目か分からない回避行動。しかしこれで五秒の時間ができた。


 俺は更に速度を上げ、スプラッシュスパイダーの腹下に滑るようにして潜り込む。同時に『創造』と『錬成』を行使して、刀身の分厚いナイフを作成。


 この五年間の鍛練のおかげで、一本作るのにかかる時間は激減した。今の俺なら三秒もあれば、十本くらいは余裕で作れる。


 スプラッシュスパイダーの外骨格は結構硬い。その気になれば力技でも砕けるが、それは面倒だ。外骨格の隙間を狙うとしよう。


 隙間を見つけ、ナイフを突き刺す。外骨格と違い中身は柔らかく、容易にナイフが食い込んだ。


 しかしこの程度で止まるほど、魔物というのは甘くない。更にここからナイフに『錬成』を行使する。


 次の瞬間、スプラッシュスパイダーの身体の至るところから、ナイフの刀身だったものが飛び出した。


 『錬成』によってナイフをスプラッシュスパイダーの体内全域に広げたのだ。


 内側から重要器官をズタボロにしてやったので、恐らく即死だろう。青色の血を傷口から溢しながらも、ピクリとも動かない。


 スプラッシュスパイダーはそれなりの価値があるので、ビルクスの商会に売りに行くとするか。


 ただ、目の前の素材はデカすぎる。とてもではないが一人では運べない。しかし俺には一つだけ持ち運ぶための手段がある。


「『封印シール』」


 俺が言葉を発すると同時に、左手首にハメられていた腕輪が光る。そして目の前のスプラッシュスパイダーの死体が消えた。


 今の一連の現象は、左腕の次元の腕輪と呼ばれる腕輪が原因だ。この腕輪は生物を除くあらゆるものを別次元に収納することができる。


 この腕輪はビルクスが俺のために仕入れてくれたものだ。能力が能力だけに多少値は張ったが、これはそれに見合うだけの価値がある。


 おかげで、この森で魔物を狩っていていつも問題視していた素材の持ち運びに関する問題が解決した。


「今日はこのくらいでいいか……」


 今の時刻は大体昼過ぎ。この森に来てまだ一時間程度だが、この後街に行って魔物の素材を売りたいし、もうこの辺りで引き上げよう。


 俺は森を後にするのだった。






 初めてビルクスと会ってから、かれこれ七年近く経っただろうか。奇妙な偶然でできた縁だが、今の俺にとってはかけがえのない縁だ。


 何せ、元いた世界に比べれば物資の輸送手段が乏しい世界にも関わらず、ビルクスは俺が求めたもの――主に書物などを何でも取り寄せてくれたのだから。


 多少時間がかかったり値が張ったりはしたが、それでも十分だった。おかげで俺はこの世界に関するありとあらゆる知識を得ることができた。


 ビルクスには感謝してもし切れない。そんなことを思いながら商会の建物に足を踏み入れると、


「毎度ご贔屓にしていただきありがとうございます、ベルン様」


 なぜか会頭であるはずのビルクスが俺を待ち構えていた。


「いやあ、何となくベルン様が来ると思って待っていたのですが、予想通りでしたね。私の勘も中々のものです」


 俺の心を読んだわけではないだろうが、ビルクスがそんなことを言った。


 たかが勘というだけで俺を待っていたと考えると少し気色悪いが、まあいい。いちいち呼び出す手間が省けたと思うことにしよう。


「『解放ディスチャージ』」


 一瞬腕輪が輝くと同時に、眼前にスプラッシュスパイダーの死体が出現した。


「こいつの鑑定と買い取りを頼む。ああ、こいつの糸だけは使うから返してくれ」


「畏まりました。おいミリィ、こいつの鑑定を頼む!」


 ビルクスが大声で奥の部屋に向かって呼びかける。すると、足音を立てて一人の少女がこちらにやってきた。ビルクスの娘のミリィだ。


「もう、そんなに大声を上げなくても聞こえるよ、お父さ――あ、ベルン様! こんにちは!」


 父であるビルクスに苦言を溢そうとしていたミリィだが、俺の存在に気付くとペコリと頭を下げて挨拶してきた。


「ああ、邪魔してるぞ」


「それでベルン様、本日はどういったご用件で?」


「そいつの鑑定を頼む」


 足元に転がるスプラッシュスパイダーを指差す。


「はい、畏まりました! 奥に運ぶための荷車を持ってくるので、ちょっと待っててください!」


 そう言い残して、ミリィは奥の方に引っ込んでしまった。


「……申し訳ございません、ベルン様。相変わらずウチの娘が騒がしくて……少しでいいからベルン様のような落ち着きを持ってほしいのですが……」


「気にするな。もう慣れた」


「そうですか。それならいいのですが……」


 ビルクスが嘆息する。こいつもそれなりに苦労しているようだ。


「ベルン様、立ち話も何ですから、ミリィの鑑定が終わるまで私の部屋でお茶でもいかがですか? 実は少し内密にお話ししたいこともありますので」


「……分かった」


 内密な話となると、恐らくかなり重要な話だろう。


 少しの逡巡の後、俺は頷くのだった。






「それにしても、ベルン様はそのお年でとてつもない実力をお持ちですね。もうこの辺りの魔物じゃ物足りないんじゃありませんか?」


 案内されたビルクスの私室。出された茶を飲みながら、ビルクスと取り留めのない会話をしていた。


「まあな……」


 ビルクスの言う通り、最近は物足りなさを感じていた。元々魔物とは余裕をもって対峙してきたが、最近では種類ごとの弱点を把握してしまったので、以前と比べて遥かに容易に倒せるようになってしまった。


 多分この辺りの魔物は全種完璧に把握してしまっただろう。


 王都まで行けば凶悪な魔物もいるらしいが、馬車を使って十日ほどの距離だ。流石に遠すぎる。


 いずれは王都に行く予定だが、今はこのことを考えてもどうしようもない。俺は思考を切り替えることにする。


「それよりも、内密な話ってのは何だ? わざわざ、こんなところまで来させたんだ。それなりの内容なんだろ?」


「……ええ、その通りです」


 ビルクスは、商人として客に向けてはいけない類いの薄気味悪い笑みを作る。


「ベルン様は、最近近くの村が壊滅したのをご存知ですか?」


「ああ、知っている。確か魔物に襲われたんだったか?」


 数日前に夕食の席で父がボヤいていたな。肝心の魔物は目撃者だったであろう村人に、一人も生き残りがいなかったため正体不明とのことだ。


「実はこの村を壊滅させた魔物を遠目ですが見てたって奴がいましてね。そいつに話を聞いたところ、どうも魔物の正体はブラッティベアというらしいんですが、ベルン様はご存知ですか?」


「ああ……」


 ブラッティベア。熊に近い姿形をしているが、その体毛は血のように赤く好戦的な性格をしているらしい。


 しかも危険度Aとされており、討伐は困難を極めるとのこと。もし戦えるのなら腕試しをしてみたいものだが、現在の位置が分からなければどうしようもない。


「それでですね、そのブラッティベアをこの辺で目撃したって情報が昨日辺りからチラホラ聞こえてまして……ベルン様、興味はありませんか?」


「詳しく聞かせてくれ」


 ――それからミリィが鑑定を終えたことを報告に来るまで、俺はビルクスと話し込むのだった。

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