暗殺者、魔物と遭遇する

「ふう……こんなところか」


 額に付いた汗を拭いながら一人呟く。


 結論から言うと、『魔法入門書』にある魔法は全て成功した。


 簡単な第一階梯だからというのもあったかもしれないが、それでも一日で全て会得できたのは嬉しい。


 だが少し熱中しすぎたかもしれない。あんなに明るかった空が紅色に染まっている。


 確か屋敷を抜け出したのが昼すぎだったはず。かなりの時間をここで過ごしたようだ。


 早く帰らないと両親に外出がバレてしまう。そうなると、今後外出の難易度が上がってしまうかもしれない。


 それは困るので急いで来た道を駆ける。


 魔物と遭遇してみたいという思いもあって森のかなり深いところまで来たが、どうやら失敗だったようだ。


 なかなか森を抜けられない。早くしないと夜になっしまうというのに。


 こんなことになるなら、もっと森の浅いところで練習しておけば、


「ん……?」


 不意にどこからか声が聞こえた。獣のものではない。人間の、それも悲鳴に近いものだ。


 何事かと思い帰り道を外れて声のした方へ駆ける。


 しばらくすると、少し開けた場所に出た。そしてそこには、一人の少女と四匹の生き物がいた。


 らしきが付いたのは、あれが俺の知ってるウサギとは少し異なるものだったから。


 なぜか普通のウサギなら持っていないはずの鋭い螺旋状のツノが額から生えている。


 長さは目測で大体五十センチほど。刺さったらひとたまりもないだろう。


 これだけならまだいい。これがこの世界のウサギなのだろうと納得することもできる。


 しかしこいつら、かなりの殺気を放っている。少なくとも、ただの動物が放っていいレベルではない。猛獣だってここまで鋭利な殺気は放たないだろう。


 しかもこのウサギもどき共の殺気は、四方を囲まれてる少女に向けられている。


 見たところ、少女は俺と大して年の変わらないただの子供。このままだと数秒後にあの子は抵抗することもできず殺されてしまうだろう。


 一応助けようと思えば助けられるが、正直縁もゆかりもない人間を助けるほど俺は善人じゃない。屋敷に帰る方を優先しよう。


 そう思い踵を帰そうとしたところで、


「ま、待って! 置いてかないで!」


 気配を消してなかったせいで少女に見つかってしまった。


「お願い置いてかないで! 助けて!」


 涙で顔をグシャグシャにしながら、少女は助けを乞う。


 しかし俺には彼女を助ける義務も義理もない。俺は意味のないことはしない主義だ。


「自分でどうにかしてくれ」


「無理だよ! だってその子たち、魔物だもん! 私みたいな子供じゃ殺されちゃうよ!」


「……ほう?」


 いい加減この会話を不毛だと感じ始め、この場を離れようとした俺の足が止まる。


 少女はウサギもどきたちの脅威を伝えたのつもりだろうが、逆に俺は好奇心を掻き立てられた。


 俺は足元に転がっていた石ころをウサギもどきたちに向かって投げる。


 直撃こそしなかったものの、驚愕したウサギもどき――魔物たちが一斉にこちらを見る。


 その隙に少女に向かって叫ぶ。


「おいそこのお前! 俺がこいつらの注意を引き付けておくから、その隙に逃げろ!」


「で、でもそしたらあなたが……!」


「俺は問題ない! いいからさっさと行け!」


 さっきまで助けを求めてたくせに、いざ助かる可能性があるとなると人の心配をするとは面倒臭い奴だ。


 助かると分かったのならさっさと逃げればいいものを。


「絶対に助けを呼んでくるから!」


 そう言って、少女は今度こそ立ち去った。魔物たちも追う様子はない。


 これでようやく邪魔者はいなくなった。そもそもあの少女を逃がしたのは、今から始める戦闘の邪魔になりそうだったから。


 あいつの生死に関しては大して興味ない。俺の興味は目の前の魔物のみ。


 『魔法入門書』を近くの木の根元に置いて、魔物たちと睨み合う。


 魔物たちの放つ肌をチリチリと焼くような殺気を全身で感じる。こちらも負けじと殺気を飛ばす。


 すると殺気に触発されたのか、魔物たちの内の一匹が動き出した。


 対して俺は動かない。まずは相手の出方を窺う。


 魔物は俺との距離二メートルほどまで迫ったところで、した。


 跳躍した魔物は額から生えてる凶悪なツノを起点に、俺目掛けて襲いかかる。


 速度は中々のものだ。これが普通の人間なら、為すすべなく身体を貫かれておしまいだっただろう。


 しかし残念なことに俺は暗殺者。暗殺者の動体視力を以てすれば、この程度避けることは造作もない。


 しかもこの魔物の攻撃、速度はあっても軌道が単純だ。真っ直ぐにしか来ない。わざわざ見るまでもなく、予測して回避もできる。


 横に一歩ズレる。それだけで魔物の攻撃は虚しく空を切り、後方の木に激突した。


 ツノが木に深々と突き刺さっていて、引き抜くのには時間がかかりそうだ。


 こいつはしばらく無視していい。そう考えて残りの三匹の方に向き直る。


「さて始めるとするか……」






 ――それから十五分ほどの時が流れた。


「こいつで終わり――っと」


 最初に攻撃を仕掛け、ツノが木から抜けなくなった魔物にトドメを刺す。すでに他の三匹は仕留めていたので、こいつで最後だ。


 久々にまともに身体を動かしたが、子供の身体の割にはよく動いた。悪くない。


 だが一つだけ、今の戦闘で問題を見つけてしまった。それは、


「こいつら、弱すぎないか?」


 魔物の強さだ。お世辞にも強いとは言えない。俺が子供であることも加味すると、弱すぎると言ってもいい。あまりにも弱すぎて、魔法を使う機会もなかった。


 ウサギもどきたちは動きが単調すぎた。バカの一つ覚えみたいにツノでの突撃しかしてこない。


 三匹の突撃を避けながら、どうやって始末しようかと考えた末に、俺は突撃してきたこいつらにカウンターとして、落ちていた木の枝なんかを眼球に捩じ込んでやった。


 眼球は生物共通の弱点。この世界の魔物も所詮は生物。予想通り、眼球はあっさりと木の枝を飲み込んだ。


 しかもこいつら自身の跳躍した勢いもあり、木の枝は眼球どころか頭部にまで届いている。即死だ。


 正直、楽に倒すことができたが拍子抜けだ。せっかく初の魔物だというのに、これでは締まらない。


 もう少し歯応えのある奴はいないかと辺りを見回していると、不意に人の声が聞こえてきた。少女の逃げた方角からだ。


 現れたのは先程の少女と、小太りした三十代ほどの男だ。


「あ……! お父さん、いたよ!」


 どうやら先程の言葉通り、助けを呼んで戻ってきたらしい。わざわざ律儀な奴だ。


 二人は俺の方まで駆け寄ってくると、男の方が俺の両肩に手を置きながら口を開く。


「君、大丈夫か!? どこもケガはしてないか!?」


「だ、大丈夫だ……」


 安心させるためにそう答えたが、男は安心できなかったらしい。俺の全身を馴れ馴れしく触り出した。


 一瞬許可なく触ってきたことにイラついたが耐える。


 しばらくすると、男は俺にケガがないことを理解したのか軽く息を吐きながら手を離した。


「いやあ良かった良かった! 娘から君が身代わりになって襲われたと聞いた時はもうダメこと思ったよ。それにしても、よく無事だったね。魔物はどうしたんだい?」


「全部俺が殺した」


 淡々と事実を述べる。すると次の瞬間、なぜか男は腹を抱えて笑い出した。


「はははははははは! 冗談はいけないよ! たかが子供が四匹もの魔物を相手にするなんてできるわけないじゃないか!」


「そこに魔物の死体が転がってるだろ。確認してみろ」


 口頭での説明は面倒なので、俺は四匹の魔物が転がってる方を指差す。


「ははは。全く、君は冗談が上手――なッ!?」


 俺の指差した方に顔を向け、男が息を呑んだ。


「き、君! これはホーンラビットじゃないか! しかも四匹もいる! 本当に君が倒したのか!?」


「だから何度もそう言ってるだろ……」


 こいつは本当に人の話を聞いてるのか? もしかして、普段から変な薬とかキメてるんじゃないだろうな?


「君、年はいくつだ?」


「四歳だ」


 あくまで肉体年齢の話だが。


「四歳……ウチの娘と同じじゃないか。そんな子供がホーンラビットを倒すなんて……」


 ぶつぶつと何事か呟きだした男。気味が悪いな。


「ねえ君!」


 男を不気味に思っていると、今度は男の隣から先程の少女が話しかけてきた。


「さっきは助けてくれてありがとう!」


「気にするな。助けたのはついでだ」


 メインはあくまで魔物だった。ついでで助けただけの少女に感謝されることではない。


「気にするよ! だって君は私のことを助けてくれたんだもん! あ、自己紹介がまだだったね。私はミリィ、君と同じで四歳なんだ。君の名前は?」


「俺か? 俺の名前は――」


 いや待て。ここで名乗ってしまうと家族に外出がバレてしまう可能性がある。それだけは避けなければ。


「どうしたの? 何か名乗れない事情があるの? もしかして貴族様なの?」


「…………ッ!?」


 割と核心に迫る発言をした少女に、俺ではなく一人考え込んでいた男が反応した。


「もしかして君――いや、あなた様はグライシス家の縁者ではありませんか?」


「……ああ、そうだ」


 恐らくミリィの言葉とこの周辺で一番近いのがグライシス家という点から思い至ったのだろう。


 ここでしらばっくれることもできなくはないが、後日このことを適当に言い触らされて家の人間の耳に入っても困る。


 なら素直に認めた上で口外しないようお願いすればいい。そう考えて素直に首肯した。


「やはりそうですか! ああ、自己紹介が遅れてしまいましたね。私はビルクス=マルダムと言います。先程あなたに助けていただいたミリィの父でございます」


 自己紹介を終えると、ビルクスはその場で深々と頭を垂れた。


「この度は我が娘を守っていただき、誠に感謝しております! よろしければ何かお礼をさせてください!」


「お礼っていうなら今回の件を口外しないでくれ」


「今回の件を口外しない……ですか?」


 ビルクスは俺の発言の意図が分からないのか、首を傾げる。


「実は俺は家族に黙って外出してるんだ。だから今回の件がバレると色々とマズい」


「なるほど。それで今回の件はなかったことにしたいというわけですね? 畏まりました。ならばそのようにします」


「ああ、感謝する」


「ですが、それだけではお礼というには少し不足ですね。何か他にありませんか? 私、これでもマルダム商会の会頭を務めていますので、大抵の要望なら叶えることができますよ?」


 要望……か。俺はただ魔物との戦闘をしたかっただけだが、これは思わぬ幸運だ。


 商会なら色々なものを仕入れてくるだろう。例えばウチにはないような本とか。


 それに、確か討伐した魔物は部位によっては売ることができたはず。今回倒したホーンラビットをこいつに買い取ってもらうこともできるだろう。


 色々と込み入った話をしたいところだが、空はもう少しで日が沈みそうになっていた。俺は無断で外出しているので、家族に屋敷にいないことがバレるのはマズい。


 その辺の事情も説明すると、どうやらマルダム商会は今グライシス家の領地に店を構えているらしい。


 なので俺が後日マルダム商会に足を運ぶので、話の続きはその時にということでその場は解散した。





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