暗殺者、学ぶ
――そして三年と少々の時が流れた。
俺は特に何の問題もなく、順調に成長していた。
三歳になった頃から貴族としての勉強をするようになったが、俺はかつて『死神』と呼ばれたほどの暗殺者。この程度の勉学、苦ではない。
むしろレベルが低すぎるので、最近では自主的に屋敷の書庫の本を読んで勉強している。
俺がここまで懸命に勉強しているのには理由がある。
唐突だが、暗殺者にとって最も必要なものは何だろうか?
かつて同業者に同じ質問をしたことがあるが、全員答えはバラバラだった。
ある者は圧倒的な力。またある者は天才的な頭脳。また別の者は銃の腕。中には人徳と言う者もいたな。
残念ながらこれらの中に正解はない。……いや、ある意味では正解とも言えるかもしれないが。
この質問の答えは全てだ。圧倒的な力も天才的な頭脳も銃の腕も人徳も、それ以外のものも含めて全て必要だ。
暗殺というのは、殺すことがメインの仕事ではない。殺すまでの過程を作りあげることが最も大切だ。殺しなどただの結果でしかない。
そして暗殺者はその結果に至るために全力を尽くすし、依頼者はそこに金を払う。
殺しに至るまでの過程というのは、無数に存在する。しかしそれらの全てを一人の人間が実行できるかというと、答えはNOだ。
暗殺者と言えども所詮は人間。向き不向きがある。だから暗殺者の殺し方というのは、人によってある程度決まっている。
だが暗殺は手数が多ければ多いほど、有利に立ち回れる。だからこそ暗殺者に必要なものは全てなのだ。不要なものなど、何一つない。
とはいえ、全ての分野において天才と呼ばれる者たちのような超一流になることは不可能。俺にはそこまでの才能はない。
ならばどうすればいいか? 答えは簡単だ。超一流が無理なら、努力次第でなれる一流を目指せばいい。
超一流相手に有利な土俵で勝負しても勝ち目ないが、それならばこちらの土俵に引きずり込めばいい。
力がある者には知恵を用いて暗殺。知恵があるものには力を用いて暗殺。両方を備えたものには人徳を用いて暗殺。
こうして多くの依頼をこなし続けた結果、俺は『死神』と呼ばれるまでの暗殺者になることができた。
だから俺はその第一歩として、まずは知識を付けることにした。この世界においても、最高の暗殺者となるために。
そして今日も俺は書庫にある大量の本に目を通している。
最初は魔王に関する本を探したが、見つからなかった。両親に訊ねてみたが、そもそも彼らは魔王という存在を知らず、逆に魔王とは何か聞き返されてしまったほどだ。
あくまで俺の予想だが、この世界にはまだ魔王は存在しないのではないだろうか?
もしそうなら、誰も魔王を知らないのも納得だ。仕方ないので、別な本を読むことにした。
魔王の次に重要な情報はこの国に関してのもの。自分の住んでいる国のことを知っておきたいというのは、当然のことだ。
しかし歴史書を始めとしたこの国に関する本は最近読み終えてしまったので、今は魔法に関する記述のされた本を読んでいる。
今読んでいるのは、『魔法入門書』というタイトルのものだ。
『魔法入門書』によると、この世界における魔法というのは、魔力と呼ばれる体内に存在する力を消費することで使える。
魔法にも格というものがあり、第一階梯から第七階梯に区分されている。
ちなみに魔法師と呼ばれる職もあるが、第四階梯の魔法が使えればなれるものらしい。
「なるほど……」
呟きながら、読み終えた『魔法入門書』をゆっくりと閉じる。
魔法に関しては大体理解できた。次は実際に使ってみようと思う。
『魔法入門書』には簡単な第一階梯の魔法も記載されていたので早速試したいところだが、流石に屋敷で試すのは憚られる。
仕方ない。外に出るか。
だが一つだけ問題がある。それは俺の外出が両親に認められてないことだ。
どうにも二人は心配性らしく、屋敷の庭に出るのすら許可が必要だ。
おかげでこの世界に生まれて四年近く経つが、未だに俺は屋敷より外の世界を見たことがない。
今までは何とか我慢してきたが、それももう限界だ。いい加減外の世界も見てみたい。
そんな強い願望を胸に、『魔法入門書』を抱えて書庫を出た。屋敷を出る途中、数人のメイドや執事とすれ違ったが声をかけられることはなかった。
普段は俺を見れば軽い会釈ぐらいはしてくれるはずだが、今日はそれがない。
別に彼らの目がおかしくなったわけではない。ただ彼らが俺を認識できないようにしただけだ。
俺は幼い頃から暗殺稼業を続け、その過程でいくつかの技を生み出した。
今回使ったのはそのうちの一つ。技名は【
景色に溶け込むといっても、別に迷彩を着たりはしない。ただ相手に、俺も景色の一部だと錯覚させてるだけだ。本当に見えなくなってるわけではない。
この技には一つだけ欠点がある。それは持続時間の短さ。持続時間は精々五分が限界だ。
あくまで錯覚させてるだけなので、長時間観察し続けられると周囲の景色とのズレからあっさりバレてしまう。
わざわざ屋敷を抜けるためだけにこの技を使うのはどうかと思ったが、背に腹は変えられない。
その後も数人とすれ違ったが、誰にも気付かれることなく屋敷を抜け出せた。
さて。次は場所探しだ。魔法をのびのびと使える場所となると、人気のないところがいいだろう。
頭の中に書庫で読んだ周辺の地図を呼び起こす。……この近くだと屋敷から少し歩いたところに、グライシス家の管理する街がある。その先に確か森があったはずだ。そこにしよう。
森には魔物も出るらしい。ついでに練習台になってくれるとありがたいところだ。
頭の中の地図に従って、早速森へ向かうことにした。
魔法と一口に言っても、その種類は多岐に渡る。単純な魔法の種類もだが、発動のさせ方も複数存在する。
その中でも代表的なものは三つ。魔法陣、詠唱、無詠唱だ。
魔法陣は魔法発動のために必要な要素を記号や文字で表現し、行使する方法。
この方法の利点は、一度陣を完成させてしまえばあとは魔力を込めるだけで誰でも魔法が使える点。
ただ、陣の作成はかなり難易度が高いためあまり実用的とは言い難いらしい。
詠唱は魔法陣と違い、魔法の発動に必要な要素を口頭で行うもの。
魔法陣ほど手間がかからず、消費する魔力量も少なく済むのが長所だ。
だが詠唱が失敗すれば魔法は不発に終わってしまう上に、発動まで時間がかかりすぎる。あまり実践向きではない。
最後が無詠唱。無詠唱は魔法陣も詠唱もいらない。魔法を頭の中でイメージし、それに魔力を込めて形にするだけ。
術の発動速度が他二つと比較にならないほど速く、実践において敵にどんな魔法を使うか、直前まで知られることがない。
一見すると他の方法より優れているように感じるが、無詠唱には第三階梯までの魔法しか使えないという欠点がある。
だが俺個人としては、無詠唱は他の二つよりずっと優れてるように感じる。
発動を相手に察知されることがないというのは、かなりの脅威だ。暗殺だけではなく、戦闘にも役立つ。
早速試してみるとしよう。『魔法入門書』を開き、記載されている魔法の中の一つ【ファイガ】の概要を確認する。
【ファイガ】は第一階梯の魔法。拳サイズ程度の炎を生み出すだけ。大した殺傷力もない。
概要が理解できれば、あとは実際に行使するだけ。目を閉じ、意識を全身に集中させる。
すると全身を流れる力を感じることができた。これが恐らく魔力と呼ばれるものだろう。
魔力を右の掌に収束させる。次いで、集めた魔力を拳サイズの魔法へと変換する様をイメージ。
そこまでやって、恐る恐る目を開ける。するとそこには、
「うお……!?」
揺らめきながらも熱を放つ炎が存在した。
前世なら、科学の力でもっと巨大で強い熱を持った炎を生み出すことも簡単だった。今更この程度の炎、驚くほどのものではない。
「これが魔法……」
だが初めて使った魔法ということもあって、ガラにもなく興奮してしまう。
昔は暗殺のための技術を一つ会得する度にこんな気分になったが、『死神』と呼ばれるようになる頃には大抵の技術は覚え切ってしまったので、この新しい技術を手にした喜びというのは本当に久しぶりだ。
新しい技術を手にする喜びというのは、いつどんな世界であっても気持ちのいいもののようだ。
このまま試し撃ちしたいところだが、辺りには樹木しかない。こんなところで試し撃ちをすれば、森一帯に広がってしまう。
流石にそれはごめんなので、集中を解き魔法を解除する。
「よし。次だ次」
そして高揚感の赴くまま、俺は新たな魔法を覚えるべく『魔法入門書』に手を伸ばした。
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