ヴィルは魔法使い
ふくしま犬
コトン村編
第1話 隠された陰謀
森の中は闇に包まれていた。雲の隙間から漏れ出す月の光が木々を照らしだす。
夜行性動物が活動を始めたようだが、森の中は静けさが漂っていた。
そんな中、一人の女性が森の中を懸命に走っていた。三十代だろうか。髪は後ろで縛っている。
その女性がわき目もふらずに木々の間を縫うように走る。
地面はぬかるみ時々足を取られる。
これは夕方からいきなり降り出した雨が原因だ。はじめはパラパラとした優しい雨だったが、突如激しい雨に変わっていった。
しかし当の本人は地面のぬかるみなど気にしている余裕もなさそうだ。
息を切らしながら険しい山道を逃げる。無我夢中で走る。
その女性は上下布でできたこげ茶色のボロ服を着ていた。身なりからみるにそれほど身分は高くないようだ。
その服は所々引き裂いたような跡があり、そこから血が流れだしていた。きっと走る途中で木々で服を切ったのだろう。
しかし本人はそれにすら気付いていない様子だった。
いや、もしかしたら気付いていたのかもしれない。しかしその傷に構う暇などないのだろう。
女性は背中に風呂敷を背負っていた。丸く膨らんでいるのがわかる。
その風呂敷の隙間からは赤ちゃんの顔が垣間見えた。この女性の子供なのだろう。
激しく揺れる女性の背中でその赤ちゃんは気持ちよさそうに寝ていた。
いつからこの女性は走っているのだろうか。それはわからない。
けれど服の汚れ、彼女の呼吸から相当の間走っているのは間違いない。
彼女は一旦足を止め、木に手を当てながら息を整えた。
肩が上下に激しく揺れる。その表情は険しい。
彼女の体からは湯気が湧き出ていた。それが彼女の運動量を物語っていた。
その女性は後ろを振り返る。月の光がわずかに照らすだけで遠くまでは全く見えない。
「もう少しだからいい子にしててね」
女性は背中の赤ちゃんに優しく声をかけると重い足を上げ、再び走り出した。
その女性が走り去った後を数十秒遅れで数人の男たちが血眼になりながら駆け抜けていった。
麻の服を着ており、手には剣を握っている。服装から見るに山賊だ。
どうやらさっきの女性はこの山賊たちから逃げていたようだ。
「絶対に逃がすな!!見つけたら殺せ!!」
山賊の一人が叫ぶと、他の者も後に続いた。
女性はようやく森を抜けた。月光に照らされた草むらが姿を現した。草は腰ほどまでに伸びている。
ここで女性はもう一度赤ちゃんを確認する。
風呂敷が雨を防いだせいか、赤ちゃんは依然元気そうに寝ていた。
その幸せそうな顔を見ると、女性は笑みをこぼした。
そして真剣な表情に戻る。我が子を何としても守ろうとする母親の愛がそこに垣間見えた。
「どこか・・・」
女性は辺りを見渡す。
雨で視界が悪い中、遠くに薄っすらと明かりが見えた気がした。
明かりが見えたということは人がいる証拠だ。
人がいる所まで行けばとりあえずは何とかなる、そこで助けを求めようと彼女は考えた。
「もう少しだからね」
赤ちゃんに声をかけると女性はその草むらに入っていった。
遅れて山賊が森から出てきた。。こちらもかなり疲労しているようだ。
しかし女性を捕まえようとする強い気持ちが彼らの疲れを振り払っていた。
急いで辺りを探すが女性の姿は見えない。
「どこだ、どこに行った!」
その顔には焦りが見えた。ここで見失う訳にはいかない。
もしここで見失えば依頼主に殺されるだろう。
山賊たちのもとに依頼主が現れたのは昨日だ。ほっそりとした四十代の女性が突然山賊たちのアジトに現れたのだ。
依頼内容はとある女性を殺してほしいというものだった。
報酬をはずむということだったので山賊は快くその依頼を受けた。
別になぜその女性を殺さなければならないかその理由は気にならなかった。
なぜならこういった依頼はよくあることだからだ。その理由のほとんどは恋愛関係のもつれだった。
不倫相手を殺してほしいとか、妻を殺してほしいとかだ。
山賊たちは今回もそれと同じだと考えていた。
そして今、山賊たちはその女性を追っていた。期限は明日の正午、太陽が真上に上るまでだ。
それまでに殺さなければ逆に自分らが殺される。
だから雨の中森の中を走っているのだ。しかもこんな夜中に。
山賊たちはこの依頼を受けたのを後悔し始めていた。こんな大変な依頼なら受けなければ良かった、と思った。
しかしあの依頼主の女性の顔を思い浮かべるとそうはいかなかった。
あの女性にはどこか迫力があり、今から依頼を断ると殺されそうな気がした。
仮に逃げ出したとしてもあいつなら地獄の果てまで追ってきて殺されるだろう。
そんなオーラが彼女にはあった。
しばらく女性を探しているが女性の姿は見えない。むしろこの暗闇から見つけ出すほうが無理な話である。
その時山賊の一人が、ぬかるんだ地面にくっきりと足跡がついているのを見つけた。
「こっちだ!」
この時だけは雨が降っていたことに感謝した。
女性が明かりの近くまで来るとそこには村があった。
よかった、これで誰かに助けを呼べる。
そう安心した瞬間どっと疲労が体に現れ出した。手足に鉄球をつながれた気分だ。
あれ、こんなにも体って重かったんだ、そう思った。
しかし、今は疲れのせいに休んでいる場合ではない。
早く助けを呼ばなければ。
「誰か・・・誰か・・・」
か細い声で女性は言った。
しかしその声は無情にも雨音にかき消される。そしてその雨は女性に激しく降り注ぐ。
疲労が頭にも達し意識がもうろうとしてきた。
視界がぼやけてくる。
それでもその女性は助けを求め人を探した。
この雨の中、そうそう外を歩いている人はいなかった。それにもう寝ているだろう時間だった。
諦めかけたその時、視界の中に人が見えた気がした。ぼやけてよくわからない。
「・・・助けて」
藁にもすがる思いで精一杯叫ぶ。持てる力をすべて出して叫ぶ。
しかし、無情にも気づかずに歩き去っていった。
女性は肩を落とした。もうだめだ、そう思った。
そして疲れもピークに達すると眠気が女性を襲った。
女性は眠気に対抗することができずにそのまま目を閉じた。
とその時偶然目の前を通りかかった一人の男が彼女に気づいた。
両肩を掴み体をさする。
「大丈夫ですか。どうしましたか」
体のあちこちに傷跡が見られ、服は泥まみれであった。明らかに何かあったようだ。
彼女はその男の声で目を覚ます。
女性には答える気力もなく無言でその男を見つめた。
首からぶら下げている銀のネックレスが光る。
「今医者を呼んできます。とりあえずここにいてください」
男性は彼女を屋根の下まで運ぶと雨の中へと消えていった。
ようやくこれで助かる、とその女性は笑みをこぼす。
安堵したのも束の間、遠くから「探せー!!この村にあの女は隠れているぞ!!見つけたら殺せ!!」と山賊たちの声が聞こえてきた。
女性は眉間に眉をひそめる。
山賊たちもこの村に来ていたのだ。
ここにいては見つかる。出来るだけ逃げなければ、そう思った女性はその場からずるずると離れた。
どれくらい離れただろうか、とある布屋の前でその女性はついに足を止めた。
店先には布が置いてある台が並んでいた。上に屋根があり雨よけには最適な場所だ。
女性は台に寄り掛かった。これ以上逃げることは不可能であった。
そして背中に背負っていた風呂敷を下し、赤ちゃんを抱きかかえた。
赤ちゃんの温かい体温が手を伝って流れてきた。
これが最期になるだろう赤ちゃんを見る目は母親の眼差しであった。
「ごめんね、ヴィルを巻き込んでしまって。でもあなたには罪はない」
泥だらけの手で赤ちゃんの顔をなぞる。
「あなたの成長を隣で見守りたかったな。でももうそれも無理みたい。ごめんねこんな母親で」
屋根に雨が落ちる音はまるで音楽を奏でているようだった。
「最後にそんな母親からの最初で最後のお願い、精一杯生きて、幸せになるのよ」
ほほをつたう涙も雨と一緒に流されていった。
「女がいたぞ-!!」山賊の一人がついに女性を見つけた。
その声を聞いた女性は、急いで自分がしていた銀色のネックレスをその赤ちゃんの首にかける。
そして赤ちゃんの頬にキスをすると赤ちゃんを台の上の布に包んで隠した。
そして女性は無理にその場から離れようと地面を這いつくばるようにはった。
ヴィルの存在をあいつらにばれるのを恐れた。もし見つかったらヴィルの命もないだろう。
最後に母親としてできること、それはヴィルを守ることだった。
しかし、数十m離れたところでついに山賊に捕まった。この体では逃げ切ることは不可能だった。
医者を呼びに行った男性は女性がいた場所に駆け付けると、そこに女性はいなかった。
「それでどこですか?その女性は」
「あれ、さっきまで確かにここにいたのに」
男性は辺りを見渡す。
「夢でも見てたんじゃないですか?」
こんな夜遅くに呼び出された医者はイライラしていた。
熟睡していた所をこの男性に叩き起こされ、寝巻のままここへ来たのだ。
「いや、ほんとにさっきいたんだけど・・」
その男性は頭をかいたて首を傾げた。
夢だったのかなと女性がいた所を見ると、寄り掛かったと思われる壁には泥と血痕がかすかに付着していた。
山賊たちが女性のもとに集まった。全員で五人だ。
「こいつ、てこずらせやがって。死ねぇぇえ!!」
山賊の一人が大きく剣を振りかぶり、その女性の背中をズバッと斬りつけた。
噴水のように血が噴き出すと血を吐き出して女性はその場に倒れた。
別の男が女性に近づいて首元に手を当てる。脈は無い。
首を横に振った。
「お前ら、誰にも見られてねえだろうな?」
斬りつけた男が訊いた。
他の仲間が辺りを見渡して、はいと頷いた。
「こいつどうしますか?」
「近くに川が流れている。そこに捨てとけ。この雨じゃ遠くまで流されて遺体は発見されないだろう」
山賊二人が女性の腕と足を担ぎ上げると、橋の上から川へと投げ捨てた。
ここは広い部屋。どうやらかなり高い建物のようだ。窓の外を見ると、地面がかなり下にある。
窓ガラスを雨が降りつける。その音だけが部屋の中にこだました。
部屋の中央には丸テーブルがあり、5人の男女がそれを囲うように座っていた。
テーブルの上に設置された五本のろうそくが薄っすらと壁に影をもたらした。
お互いの顔は見えない。
その部屋の扉が開き、一人の男が入ってきた。中年の男だ。白い制服を身にまとい腰には剣をぶら下げている。
そしてその男はテーブルの前で跪いた。
「報告いたします!例の女ですが、無事に山賊たちが殺しました。死体は川に捨てたとのことです」その男の表情は緊張してこわばっていた。
その報告を聞くと、五人はにかすかに笑みを浮かべた。
「よくやった」
「これで一安心だな」
「ですね」
「どこの誰かもわからない山賊に依頼したときはどうなるかと・・・」
「杞憂だったようね」
今日こうして五人が集まったのはこの報告を聞くためであった。そのために雨の中わざわざ集まったのだ。
「あの山賊どもに支払う報酬ですが」
男が訊くと、一人が声を落として言った。
「殺せ」
もちろん口封じである。この殺害は他に漏れてはならない。
秘密裏に行う必要があった。
男は「承知いたしました」と一礼して部屋を出て行った。
部屋を出ると扉の横にはその男の部下が待っていた。
部下の顔を見て男が安堵した表情を見せた。
それを見て部下もほっとした。
「それにしてもどうしてあの方たちはたかが女性一人にここまでやるのでしょうか?」
「あの方たちの考えなんか俺にもさっぱりわからない。変なことは考えるな。俺たちはあの方たちに黙って従っていればいいんだ」
部下が口をへの字に曲げる。
「先輩だって気になってるくせに」
男が歩く速さを早めた。
「ちょっと待ってくださいよ!先輩!」
部下も慌てて先輩の後を追いかける。
「これはあくまで俺の予想だがこの件には首は突っ込まないほうがいい」
「その根拠は?」
「勘だ」
「勘ですかー」
部下が苦笑いを浮かべて頭を搔いた。
「いいから帰るぞ」
二人は長い廊下を歩いて行った。
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