授業5 一緒に

「……きろ。鈴……ろ」


 誰かの声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。


「鈴、起きろ!」

「うえっ、ふぁ、ふぁい!」


 突然大声で名前を呼ばれ、俺は慌てて上体を起こす。

 な、なにごとだ!? 

 バクバクと激しく脈打つ心臓の鼓動を感じながら部屋の中を見回そうとして、すぐ隣にピンク色のエプロンを巻いた青姉が立っているのに気づく。


「お、おはよう?」

「もう昼だ」


 青姉は手に持ったスマホの画面を俺に見せて告げる。

 画面には十二時四十分と表示されていた。

 確かに昼だ。


「ほら、さっさと起きろ。お昼ご飯出来てるぞ」


 ジーパンのポケットにスマホをしまい、青姉は手を差し伸べてくれる。


「ありがとう」


 俺はその手を取ってベッドから立ち上がる。


「まぁ鈴にとっては朝ご飯だろうけどな」


 手を離すと、青姉は軽い嫌味を言いつつシニカルに笑った。


「うぐっ、いきなりそんな嫌味言うのやめてよ」

「ふふっ。はいはい、悪かったよ」


 今度は優しく微笑みを浮かべてポンポンと頭を軽く撫でてくる。また子供扱いされてちゃったよ。


「じゃあ私は先に降りて料理盛り付けるから、鈴もなるべく早く降りてこいよ」

「わかった」


 言い残し長いポニーテールを揺らしながら部屋を出ていく。タイトなジーパンを履き白いブラウスを着た青姉の後ろ姿は大人っぽくて綺麗だった。


「……着替えるか」


 自分と青姉との差に少し落ち込みつつ、俺はスウェットからジャージへと着替える。

 俺の場合、着替える必要あるんだろうか?


 ●●●


「ねぇ青姉」

「なんだ?」

「もしかしてこの後授業する?」


 俺は洗い終わったお皿を青姉に手渡して尋ねる。


「ん? ああ、そのつもりだけど?」


 青姉はお皿を受け取り布巾で拭いていく。


「へー。そっかぁ」


 頷いて最後のお皿を手渡す。

 俺は青姉がお皿を受け取った瞬間――全力で走った。


「あっ、おい鈴! どこ行くんだ!」


 青姉を無視して、俺は濡れた手をジャージのズボンで拭きながらリビングを出て、階段を駆け上がる。


「待て、鈴! お前授業を受けないつもりだろ!」


 追いかけてきた青姉が階段の下から叫ぶ。

 俺は階段の頂上で立ち止まり、青姉の方を向いて返事をした。


「そうだよ! 誰が勉強なんかするか!」


 下に向かって言い放つ。


「こんっのバカ! そんなにお仕置きして欲しいなら今すぐしてやるからそこ動くなよ!」

「動くなって言われて動かないほど俺はバカじゃないよ」


 青姉は額に青筋を浮かべてエプロンを脱ぎながらゆっくりと階段を上ってくる。

 そんな青姉の言葉は無視して、自室へ駆け込み扉の鍵をかけた。


「ふぅ。これで一安心だ」


 閉めた扉にもたれかかり、息を吐く。

 だが安心なことなど一つもなかった。


「うわっ」


 突然もたれていたはずの扉が無くなり、支えを失った俺の体は部屋の外へと倒れていく。


「大丈夫か?」

「えっ、あ、うん。ありがとう」


 倒れている途中で満面の笑みを浮かべる青姉に肩を支えられる。


「って青姉!」


 振り切ったはずなのになんで!?


「そんなに驚いてどうしたんだ?」


 微笑んだまま首を傾げる青姉。

 目が、目が全く笑ってない! こ、このままじゃられる!


「べ、別になんでもないよ?」


 命の危険を感じた俺は、慌てて青姉から離れた。


「なんでもないのならどうして逃げるんだ?」


 青姉は変わらず恐怖の微笑みを浮かべながら、じわじわと距離を詰めてくる。


「あ、青姉こそ、ど、どうして近づいてくるの?」


 俺は詰められた分だけ後退り部屋の中へと戻っていく。

 そのまま扉を閉めたくても扉は青姉の脇に抱えられていて閉めることは叶わない。


「私はただ鈴と話がしたいだけだ」


 青姉は言い、もう一度距離を詰めて部屋の中に入ってくる。

 部屋唯一の出口を塞がれて逃げ場がなくなってしまった。


「わ、わかった。話すから、と、とりあえず扉置いてくれない?」


 いくら木製とはいえ扉なんかで殴られたらか弱い俺は速攻お陀仏だ。それだけは避けねばならない。


「わかった」


 青姉は意外にも素直に俺の言うことを聞いて、扉をもとあった場所へ戻してくれる。

 素直過ぎて不気味だ。

 あっ、でも良く見たら扉を留めてたネジが無くなって焦ってる。全然不気味じゃない。


「それでなにを話すの?」 


 扉を戻そうとあたふたしている微笑ましさで少し恐怖が薄れ、俺は青姉の背中へ声をかける。


「そんなの決まってる」


 扉はどうにか直ったのか、青姉は向き直って告げる。


「どうやってお仕置きして欲しいかをだぁぁぁ!」


 俺に襲いかかりながら!


「うぎゃー!!」


 完全に捕まってしまい、プロレス技を極められる。

 こ、この体勢は、スコーピオンデスロック! サソリ固めだ!


「な、なんで俺が、うぎぃ! お仕置きひぃぃっ! されないとあぁぁ!! いけないんだあぁあぁぁーー!!」

「それは鈴が逃げるからだろ!」


 青姉は俺を部屋の中央へ引き戻して、再び腰を落とす。まるでロープブレイクをさせないよう技を掛け直すプロレスラーのように。


「だ、だってぇ……」

「だってなんだよ? 黙ってたらわかんないだろ!」


 口籠る俺に青姉はさらに深く技を極めながら早く続きを言うように要求する。

 そんなに腰を極められたら話にくいんですけどぉ!?

 お、俺は痛みに耐えながらなんとか言葉を絞り出す。


「だ、だって俺、えぎぃぃ! バカだから、あぎゅぅぅぅ! 勉強出来なくて青姉にぃぃぃっ! 見放されるのが怖いんだよぉぉ!」


 苦痛と悲痛の叫びは部屋の中をむなしく反響し、最後には無音になった。


「……はぁ」


 青姉は深い溜め息を吐く。

 そして――


「このバカやろぉぉぉぉお!」


 大声で怒鳴りながら技を解くと、瞬時に俺の体を仰向けにして、四の字固めへと移行した。

 鼓膜が激しく揺さぶられ、太ももが悲鳴を上げる。


「鈴のバカ! ホントにバカ! 大バカ! 私を今までの先生と一緒にするな!」


 部屋の中に青姉の声が響き渡る。

 青姉はその声をかき消すようにして、続けざまに叫んだ。


「私は鈴の専属先生なんだ! 鈴が鈴らしく生きられるようにする先生なんだ! 勉強が出来ないからって見放したりするもんか! 鈴が嫌だって言うぐらい一緒に悩んで、一緒に考えて、一緒に生きてやる! だから!」


 はぁはぁと息を荒くしながら真剣な眼差しで俺の目を見つめて訴えてくる。

 俺はいつの間にか四の字固めの痛みを忘れて青姉に見惚れてしまう。

 そんな俺を彼女はぎゅっと抱きしめ、耳元で優しく囁いた。


「……だから私を信じろ」

「あ、青姉」


 青姉がこんなに俺のことを考えてくれていたなんて……。


「俺、やっぱり青姉のことが好きだ」


 俺は青姉を抱き返して呟く。


「へっ?」

「あっ」


 俺の言葉に驚く青姉と気持ちが盛り上がって思わず告白してしまった自分に驚く俺。

 俺達は体を離して見つめ合う。


「へっ、あ、えっと、す、好きって?」


 左右に目を泳がせる青姉は戸惑って見える。


「い、今のはその、そ、そう! せ、先生! 先生として好きってことだよ! あ、青姉の授業なら俺受けるよ!」

「あ、ああぁ! そ、そういうことか! て、てっきり女として好きだって言われたのかと思ったぞ」


 ほ、本当はそういう意味で言ったなんて、い、今はまだ言えない!


「あはははは、ご、ごめんごめってうぎゃあぁぁぁ!!」


 俺は笑って誤魔化そうとして自分が四の字固めをされていたことを思い出す。


「あっ」


 青姉も忘れていたのか俺が足を抑えて叫んだことで気付いたようだった。


「じゅ、授業の準備が出来たら呼ぶからちょっと待っててくれ」


 青姉は誤魔化すように慌てて技を解き部屋を出て行こうとする。

 部屋を出ていく青姉の頬をよく見ると、ほんのり赤く染まっていた。

 もしかして、俺ミスった? いや、プロレス技を掛けるのに動いたからだよな?

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