(4)副業

「やあ、随分久しぶりだな」


 私は彼等に向かって声をかけた。

 すると私の方に気付いた小柄な士官が弾かれたように頭を上げた。


「ジャ、ジャーヴィス副長っ!?」


 素頓狂な声で叫んだのは、あのクラウス士官候補生だ。彼はこのファラグレール号へ異動になった。仲良しの『シルフィード航海長』と一緒に。

 

「今は『アマランス号』の艦長だがな。クラウス」

「し、失礼いたしましたー!」


 クラウスは緊張しているのか動きががちがちだ。

 私に向かって敬礼をしかけたその手から、ぽろりと白い何かが見えたかと思うと、それは海面へと落ちた。


 不意に水面が急に泡立ち白くなる。

 見れば沢山の魚が集まっている。


「え、えへへへへ……。魚に残り物のパンくずをやってたんです。いい食べっぷりでしょ?」


 相変わらず十八才という割には子供っぽい奴だ。


「それで、ジャーヴィス艦長は何のご用ですか? うちのレイル艦長は今、船にいないんですけど」

「あ、ああ……その……」


 私は口を開いて一瞬考え込んだ。

 ロワールハイネス号が行方不明だと言えば、クラウスも心配するだろう。

 私は直接的な尋ね方を避けた。


「クラウス。ちょっとお前に聞きたい事があるんだが……」

「なんですか?」


 微塵も迷いのない、青く大きな瞳が私を見つめる。

 私は前髪をかき上げながら、慎重に言葉を選んだ。


「最近ジェミナ・クラスで、グラヴェール船長のロワールハイネス号をみかけなかったか?」


 ロワールハイネス号ときいて、クラウスの青い目はきらきらと輝いた。


「見ましたよ。に」


 ――えっ?

 即答だったので、私は一瞬自分が聞き間違えたのかと思った。


「み、見たのか? ロワールハイネス号を? 本当にか?」

「やだなぁ、ジャーヴィス艦長。いつものふ、いや、艦長じゃないみたいですよ。そんな大きな声を上げて」


 私は思わずゴホンとせき払いをした。

 つい興奮してしまった。確かに私らしくない行為だ。まったく。


「いや――艦長……ではなく。グラヴェール船長が航海から帰ってきたら、その……そうだ、会う約束をしているのだ。でも、商港にはまだ船が見えないようでな……」


 クラウスを心配させないように肝心な所をぼかしながら言うと、彼は小首を傾げてぽつりとつぶやいた。


「えっ? まだ港に入ってないんですか? おっかしいなー。僕達は三日前に入港したんですけど、東の沖合いでロワールハイネス号を見たんですよ」


「それは本当か?」


「ジャーヴィス艦長。僕が見間違えるわけないじゃないですかっ! 確かに僕は航海術は未熟だし、ろくに船を操れないし……本当にダメな船乗りだけど。あのレイディの乗っている船をなんて事だけは、絶対にないですっ!!」


 クラウスの青白い顔が今はピンク色になっている。

 怒りのせいか、レイディへの恋心のせいかは知らないが。


「そんなに僕の言う事が信じられないなら、シルフィード航海長に聞いてみて下さいよ! マスターと一緒に僕はロワールハイネス号を見たんですからっ!!」

「わ、わかった。わかったから、落ち着け、クラウス」


 あのおとなしいクラウスが滅茶苦茶興奮している。

 いや、ブチ切れたというか。


「お前が嘘をついているとは思ってない。じゃあシルフィードに聞く事にする。悪いがあいつを呼んできてくれないか?」


 クラウスはぜいぜいと喘ぎながら、ふうと大きく息をついた。


「いません。マスターはジェミナ・クラスへ上陸してるんです。僕らはくじ引きで負けたから、居残って船の番なんです……うっ……」

 

 そういうことか。可哀想に。

 でもそれは仕方ない事だ。


「そ、そうか。そいつは悪かったな。じゃあ、街の方へ行ってみることにする。シルフィードのことだ。なじみの酒場で見つかるだろう。ではな、クラウス」


 港に着いて上陸もできず船番とは。

 クラウスの気持ちを察しながら、私はファラグレール号へ背中を向けた。

 その時だった。


「ジャーヴィス艦長。マスターに会いたかったら『広場』へ行ってみて下さい」


 振り返るとクラウスが手を振っていた。

 私は大きくうなずいて、片手を上げた。


 あの馬鹿シルフィード

 広場なんかで何をやってるんだか。



  ◇



 クラウスに言われた通り私は『広場』に向かうため、商港から街の中心部へと足を運んだ。ジェミナ・クラスの建物は白亜の壁に赤茶色の陶器の屋根が葺かれている。

 黒と白のモノトーンで落ち着いたアスラトルの街とは対照的に、その雰囲気は庶民的でどこか開放的でもある。


 しかしそれらは建物の屋根がくっつきあうほど所狭しと建てられており、地元の人間でないと一旦路地に入り込めば、どこに出るのかさっぱりわからなくなるほど入り組んでいる。そんな路地裏を通り抜けると、360度ぐるりと見渡せる開けた『広場』へと出た。


 朝は新鮮な野菜や海産物を売る市場が立ち、夜は飲食店などの屋台や貴金属を扱う露店商などが軒を連ねる場所である。


 辺りはすっかり宵闇に覆われてしまった。私は、暗い街灯の明かりの下で営業しているそれらの呼び込みの声を聞きながら、肉をあぶった香ばしいにおいに鼻をくすぐられつつ、あの図体のでかいシルフィードを探して回った。



 どれくらい広場の中を歩き回っただろう。

 私は立ち止まり、前方の街灯の下で呼び込みをしている男を見つめた。


 赤や黄色が目立つ大きな花柄のバンダナを頭に巻き付け、白い前掛けを腰にしめて、白い半袖のシャツの下からのぞく太い二の腕を見せながら、両手を調子良く打っている。


 男は木箱を積み上げたそれを机代わりにして、その上に鮮やかな赤色をした瓶を、ずらっと50個ほど並べていた。


「アスラトル産の珍味、オウル貝の塩辛1瓶980リュールだ! おっ、そこのお兄さん。2瓶だったら1960リュールにするぜっ!」


 私はげんなりと唇にひきつった笑みを浮かべた。

 できれば避けて通りたかったが、男と目が合ってしまったのだ。


「1個980リュールの塩辛を2個買えば、確かに1960リュールだ。でもまとめ買いをすれば、客は普通、それなりの値引きを期待するものだぞ」

「えっ?」


 私はむっとしながら屋台の前へと近付いた。

 街灯の黄色い光が私の顔を露にすると、屋台の男は「げっ」と小さく呻き、塩辛の入った瓶を両手で持ったまま、その緑色をしたタレ目を精一杯見開いた。


「ジャーヴィス……艦長?」

「こんなところで何やってんだ? シルフィード?」

「何やってんだっていわれても、見ればお分かりになるでしょうが」


 シルフィードはふんと息をついて、うんざりとした面持ちで塩辛の入った瓶を見つめている。


「航海士の給料だけじゃあもの足りねぇんで、こうして休みの日は店を出しているんですよ。あああ、でも、今日はさっぱり売れねぇ。何でですかね? ジャーヴィス艦長ぉ~~」


 そんなこと私に聞くな。

 そう思いながらも、私はずらりと並んでいる塩辛の瓶を眺めた。

 気になっていたのだ。毒々しいまでの赤色と、水分と思われる上澄みが瓶の上部にたまっていることが。


「この塩辛――仕入れてからどれくらいの日数が経っている?」


「えーっ? ええとですね。半年ぶりにファラグレール号の食品倉庫を掃除して、出てきた50個をもらいましたから……」


「何ー? 半年前だとーーー!」


 私は信じられない思いで叫んだ。


「シルフィード、お前って奴は! これはの塩辛か。しかも海軍の備蓄食料を、もらったーー?」


 シルフィードは相変わらずしれっとした表情で私を見ている。


「そりゃ、確かにモノは古いがまだ腐っちゃあいない。主計長がもう廃棄するっていうから、俺はもらったまでで。だってー、まだ食えるのにもったいないですぜー」


 なんて奴だ。

 まだ「食える」といっておきながら、誰の目からみても古いとわかる商品を、自分の小金を得るために、正規の値段で売りつけている。


 私は目眩を覚えながら、けれど、何故シルフィードに会いに来たか、その目的をかろうじて思い出した。


「シルフィード。塩辛の話は後だ。もっと大事な用がお前にある。だから私はここにきたんだ」


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