(2)あの人を探して

「うわっ! 一体何だ!?」


 客はいきなり私の肩に両手を回すと、信じられない力で抱きついてきたのだ。


「じゃあ、どうぞ。昔の恋人とお話して下さいねー」


 あくまでも落ち着き払ったリーザの声がすると、部屋中が震え上がるような物凄い音を立てて艦長室の扉が閉まった。


「リーザ、ちょっと待ってくれ! それってどういう意味だ――!!」


 私はしがみついてくる客の腕から体を離そうと一生懸命もがいた。だがたっぷりとした紺色のドレスの袖のせいで、中々彼女の腕をとらえることができない。

 気のせいだろうか。ドレスと同じ紺の帽子に黒いヴェールを被った彼女の方が、心持ち私より背が高いみたいなのだが……?


「お嬢さん、あなたの気持ちはわかったから、ちょっとくれないか!!」


 私は半ば叫ぶようにして言った。

 すると、客はあっさりと私から両手を放してその場に立った。私は乱れた前髪を思わず手でかき上げながら、改めて目の前の彼女を見つめた。


 やはり、私より拳一つ分背が高い。

 なんて大柄な女性だろう。


 そんなことを思っているうちに、女性は顔を覆うヴェールに手をかけてそれを帽子の縁へと引っ掛けた。露になった彼女の素顔に、私はただ呆然とそれを見つめた。


「久しぶりだなぁ~。まさか『艦長』に出世したなんて驚きだぜー」


 あの『黄色い声』はどこへやら。

 私は顔から火を吹きそうになるほど上気するのを感じた。


「その声。き、貴様! ――かっ!?」

「へっ、とりあえず今はその名前を使ってるがな、ジャーヴィス


 女物の帽子の影から浅黒い肌と人懐っこい微笑を浮かべた、奴の夜色の瞳がのぞいた。

 なんてことだ。

 よりにもよって、私の船に白昼堂々と海賊が乗り込んでくるなんて。


「動くなよ、ヴィズル。今すぐ海兵隊を呼んで来るからな。海賊を捕まえるのは私の仕事だ」

「おいおいジャーヴィス。俺は海賊を廃業したんだ。今はだぜ?」


 動揺して大きく首を左右に振るヴィズルを睨みつけながら、私はせせら笑った。


「立派な民間人が、何故女装なんかして、海軍の船に乗り込んでくるんだ!? そうだ、貴様、そんな趣味があったのか? それに、リーザに何で『昔の恋人』なんて言うんだ! 彼女、絶対信じたぞ。誤解してるぞ! 一体どうしてくれるんだ! ヴィズル――っ!!」


 冗談にもほどがある。

 何を考えてるのか知らないが、リーザはああみえても傷つきやすい女性なのだ。

 私はいら立ちを右拳に込めて、ヴィズルへ思わず殴り掛かった。

 パシッ。


「くっ……!」


 奴は相変わらず人の良い笑みを浮かべたまま、微動だにせず、私の手首をあっさりと右手で掴んだ。


「落ち着けよ、ジャーヴィス。何で俺がこんな格好をしてるかって? そりゃ、決まってるだろ。あんたに会うためさ」


 私は渾身の力を込めてヴィズルの手を振り払った。


「だったら普通に来ればいいだろう! 何で、よりにもよって……」


 ヴィズルの目がすっと細くなる。


「軍艦に一般人が普通に乗れないのは、あんたがよく知ってるだろ? だが『艦長』になじみのある女なら、士官共のチェックも甘くなる。下手に追い返したら、後で『艦長』に怒られるからな」


「わ、私は妻帯者だぞ! そんなこと決して――」


「ああそうか。そりゃ悪かったな。でもあんたのことなんて、今はどうだっていいんだよ。俺としては」


「何だと……!」


 その正体が海賊だと知る前から、ヴィズルという人間が嫌いだった。

 改めて嫌悪感に私が唇を震わせていると、やおらヴィズルはその場に座り込み、物凄い勢いで頭を下げたのだ。そして叫んだ。


「助けてくれよ、ジャーヴィス!!」

「……はぁ!? 助けを求めるなんてお前らしくない。一体どういうことだ?」


 ありえない。こんなこと。

 あのヴィズルが今、私の足元で土下座しているなんて――信じられん。

 だが顔を上げた奴の口からは、もっと信じられない言葉が飛び出した。


「実はシャインがなんだ。頼む、一緒に探してくれ!」

「――何ぃ!?」


 一瞬ヴィズルの言う事が理解できなかった。

 グラヴェール艦長もとい、グラヴェール船長は今、商船(一年の期限付き)となったロワールハイネス号で東方連国方面へ航海しているはずなのだ。


 何故ヴィズルがそれを知っているのだろう。

 しかし『行方不明』とは……また……穏やかではない話だ。


「それがでまかせだったとしても、そんなことを言い出すお前の考えがわからない。まさか、あの人が本当に『また』、行方不明になったというのか?」


 思わず『また』の所で、口調を強めてしまった。私は肩をそびやかした。

 脳裏にロワールハイネス号での生活が一瞬にして蘇ってくる。

 日常がつまらないと思う人は、一度彼と船に乗ってみるといい。

 いかにハラハラさせられるか、身をもって体験できるだろう。


「……信じてくれるのか?」


 しおらしげにヴィズルが呟く。

 ああ、こういう態度は気持ちが悪い。私はヴィズルを立ち上がらせた。


「何があった? 信じるかどうかはそれを聞いてから判断する」

「ありがてぇ。さすがは『ジャーヴィス艦長』だ」

「うるさい。私は忙しいんだ。それ以上無駄口叩くと話をきかんぞ?」


 そう脅すとヴィズルは大きくため息をついた。


「わかったぜ……。あのな、ジャーヴィス。俺は海賊を廃業して、今はシャインと組んで、流行ものを運ぶ仕事をしているんだ」

「……そうなのか」


 そこまでは知らなかった。何しろグラヴェール船長は、私がリーザと新婚旅行へ行っている時に航海へ出てしまったから。私は結婚式の時以来、彼に会っていない。


「俺達はまずジェミナ・クラスで荷を積み、東方連国の一つ、レディアスって所までそれを運んでいった。

そして今度はエルシーア向けの積荷を積んだ。だがジェミナ・クラスまで後10日って所で嵐に遭い、俺のグローリア号の舵が壊れちまった。

 俺はやむを得ず仮の舵を取り付けて、それでなんとか昨日ジェミナ・クラスへ帰ってきたが、俺より早く帰っているはずのロワールハイネス号が、どこにも見当たらないんだ」


「ロワールハイネス号も帰りが遅れてるんだろう。お前の船の舵が壊れるくらいの嵐だ。ロワールハイネス号も航路を外れて流されたのかもしれん」


 だがヴィズルは真剣な眼差しでそれを否定した。


「いいやそれはない。昨日なじみの船の船員にきいたんだ。三日前、ロワールハイネス号をジェミナ・クラスの沖合いでって。間違いねぇ!」


「ふむ……」


 私は首をひねった。

 確かに、それなら商港のどこにも見当たらないなんておかしい。


「ロワールハイネス号の入港記録は見たのか?」

「ああみたさ。でも記録には残ってない。けど船を三日前に見たっていう奴がいたから、ロワールハイネス号は俺より絶対に先に帰っているはずなんだ」


 ヴィズルは被っていた女物の帽子を脱ぎ捨てて、途方にくれたように両手を組んだ。いつになくその横顔は沈んでおり、奴は本気であの人の事を心配しているようにも見える。


「お前がグラヴェール船長を心配するのは、彼と組んで仕事をしているせいか? それとも……」


 私は言葉を切り、奴の顔を正面から見据えた。


「お前があの人の行方を気にする。それをちゃんと話せ」


 ただの感情論で動かされる程私は甘くない。

 ヴィズルは知恵の回るやつである。そんな奴の言われるままに振り回されるのはまっぴらごめんだ。


「――それを今、言おうと思ってたんだよ」

「じゃあ、言え」


「……ジャーヴィス。俺は今回の仕事をシャインと組んでる。だからロワールハイネス号に積んでいる積荷と一緒に、依頼主へ納品しないと駄目なんだ。それがどういうことが、わかるか?」


「つまりお前の積荷だけ持っていっても、仕事は完了しないというわけか。当然報酬も――」


 私ははたとヴィズルがここに来た目的を悟った。


「そうなんだよジャーヴィス! シャインの運んできた積荷がないと、俺には1リュールも金が入らねえんだ!! あの馬鹿、一体どこにいっちまったんだろ。もう納期まで2日しかねぇのにっ!!」


 ヴィズルはそれこそ歯がみして、大きく頭を振り乱した。

 銀髪だと目立つので、それは艶のある黒髪に染められている。


「ジャーヴィス頼む! シャインを探すのを手伝ってくれ。納期を遅らせると今後奴だって仕事に支障が出るんだ。頼む」


 私は思わずため息を吐き出してうなった。


「……わかった。あの人の船に限って大丈夫だとは思うが。ただ……何か事件にでも巻き込まれていたら大変だから、少し調べてみる」


 するとヴィズルは心の底から安堵したように胸をなで下ろした。


「ありがてえ。俺一人でこの広いジェミナ・クラスの港をどうやって探すか、途方にくれてたんだよ。これで500万リュールは俺のものだ」

「おい、ヴィズル」


 奴の言い方に私はカチンときた。


「私はお前の金のために引き受けたんじゃないぞ! あの人が――グラヴェール船長のことが心配だから……」


「おっと、そうそう忘れてたぜ」


 ヴィズルはいきなり私の隣に並ぶと、親しげににやついた笑みを浮かべながら言った。


「シャインを捕まえてくれたら、ジャーヴィス、あんたにもちゃんと分け前をやるよ。報酬500万リュールの1割だ!」


「ヴィズルっ!! 私はそんなもの――!!」


 私は怒りで顔が火照ってくるのを感じた。

 それを抑えるために拳を握る。

 だが、私が殴りかかるのではないかと勘違いしたヴィズルは、おどけたように肩をすくませると私から離れ、床に置いていた女物の青い帽子を拾い上げた。

 そして、それをひよいっと頭の上に載せて、そそくさと艦長室の扉へと向かう。


「じゃ、吉報を待ってるぜ。ジャーヴィス艦長」


 ヴィズルはちらりと私の方へ振り返ると、空いた右手を口元へ持っていって、投げキッスを送ってよこした。


「頼りにしてるわよ~んvv」


 パチリ。

 ウインク付き。


「ええい――! 気色悪いっ! さっさと出ていけ――っ!!!」


 私は拳を突き上げて絶叫した。


 まったく。

 あいつは。

 ヴィズルって奴は……本当に虫の好かない奴だ。

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