4-101 巡り合わせ

 翌日、ミズンマストの応急修理をすませたエアリエル号は、ウインガード号とロワールハイネス号と共に、アスラトルへ帰るため島を後にした。


 リオーネはアドビスに付き添うためエアリエル号に残り、シャインとジャーヴィスはロワールハイネス号へと戻った。ロワールハイネス号には他にエアリエル号から操船の為、12名の水兵と航海士が2名。そして士官候補生のバレルが移ってきた。


 アスラトルに帰る五日間の航海は、海も荒れず順調だった。

 ロワールハイネス号だけなら四日間で帰れるが、大型船のエアリエル号、ウインガード号と足並みを揃えなければならなかったので、ロワールはちょっとそれが不満だったらしい。


 シャインは島を出てから二日目に、それをロワールの口からきいた。

 エアリエル号で一晩休んだのだが、ジャーヴィスが頑として「軍医から数日安静にするよう言われてます。だからアスラトルに帰るまで、あなたは何もしないで下さい」と言い張り、シャインを艦長室へ押し込んだのだ。


 確かに痛めた右手首は処置をしてもらってもまだ疼く。けれど一番苦痛だったのは、長年不仲であった父アドビスとの関係だった。


 そして何物にも代えがたいロワールを失うかもしれないという焦燥と不安。スカーヴィズ殺しの真相をヴィズルにどうやって信じてもらうか。


 これらのせいで、何時の間にか精神的に追い詰められたのだろう。それが肉体をも衰弱させてしまった一因であるのは、医者に言われなくてもわかっている。


 情けないが微熱が二日続いて食欲がなく、寝床から出ることができなかった。

 子供の頃から祖父イングリドの指導の元に、護身術を身につけさせられていたので体力には自信があったのだが、この弱り方は自分でも意外だった。


 よってジャーヴィスが気に掛ける必要もなく、シャインは不本意ながら帰りの航海中、艦長室の寝台で死んだ魚の様に横たわっていた。体調は最悪だったが、それでもシャインの心は穏やかだった。


 ロワールハイネス号に帰ってきたのだ。

 もう一度、ここに帰りたかったのだ。何があっても――。


 そして艦長室に籠るシャインに喜んだのは、他ならぬロワールだった。

 彼女はいつも側にいた。シャインに話しかけるわけでもなく、ただそうしているだけで満足だといわんばかりに。


 思えばロワールハイネス号がヴィズルに奪われてから二カ月が過ぎていた。

 長い間離れ離れになっていた寂しさを埋める様に、ロワールがずっと側にいてくれた。浅い眠りに落ちている間も、シャインはそれだけは確かに感じていた。



 ◇


 島を発って五日目の朝が来た。

 シャインが目を覚ますとロワールがいつものように枕元に立っていた。


「おはよう、シャイン。今日は随分顔色がいいわ」

「ああ……もう大分いいよ。まさかこんなにとは思ってもみなかったけど」


 シャインは寝床で伸びをし呟いた。呪いの様にずっしりと体全体に付きまとっていた倦怠感が、やっと薄れた気がする。

 ここ数日、何か悪いものに体を乗っ取られて自由が利かず、自分のものではないようだった。シャインは痛めた右手を気にしながら左手で体を支えて、寝台から何とか上半身を起こした。



「ロワール?」

「……」


 枕元に佇むロワールがいつになく神妙とした顔でシャインを見下ろしている。

 逆光のせいだろうか。表情に陰があり少し暗くて元気がない。


「どうかしたのかい?」

「……シャイン。あのね」


 ロワールがためらったのちに口を開く。

 シャインを一瞥し、そして瞳を伏せた。


「今更だけど……あなた、もう私と関わらない方がいいわ。アスラトルに着いたら『船鐘シップベル』を外して欲しいの」


 突然のロワールの言葉にシャインは呆然と彼女の顔を見返した。


「それはどういう意味だい?」

「そ、それは……あなたの命に関わることだから」

「えっ」


 ロワールは小さく頷いた。


「ごめんね、シャイン。こうなる前に私、早くあなたに告げるべきだった。でも、私もあなたと一緒にいたかったの。年月がどれほど過ぎたのかわからないくらい、私も……ずっと一人きりだったから。でももう限界」


 ロワールは一旦言葉を切り、シャインの瞳をじっと見つめた。


「シャイン、何であなた、四日間も寝込むほど体調が悪化したかわかる?」


 シャインは黙っていた。

 心当たりがなくはない。

 一番しんどかったのは、ロワールが『船鐘』に閉じ込められていたのを助け出した時だ。体中が冷えて震えが止まらなかった。

 それからその後、彼女と同調して船を動かし、島を脱出した時。

 ヴィズルに彼の持つブルーエイジの短剣で、己の心の中を暴かれた時。


「そうよ。あの『青き悪魔ブルーエイジ』のせい。あなたが私と同調する行為は、ブルーエイジの意識にということ。ブルーエイジは力を与える代わりに、あなたから少しづつ命の源である『魂の力』を奪っていく。代償として」

「……」

 

「でもね、あなたが寝込んでしまった本当の原因は、私を助けた事」


 シャインはロワールの手を取った。

 不意にロワールがどこかへ行ってしまうような気がしたのだ。


「『船鐘シップベル』に君は閉じ込められていた。俺はもう一度君に会いたいと望んだだけだ。だから呼びかけた。それが何故いけない?」


 ロワールはかすかに微笑んだ。


「そうね。あなたは私がここにいることを心底、願ってくれた。私、あの時本当に『魂』としての存在が消える寸前だったの。もう『船鐘』の一部と化する所だった。私が今ここにいるのは、あの時あなたが、自分の『魂の力』を私に分け与えてくれたおかげなの。私という『存在』をあなたの『魂の力』で再構築してくれたから……」


「……再構築?」


「そう。あなたの魂に刻まれた、私の『記憶』とあなたの『想い』で、。でもそのせいで、あなたの『魂の力』は半分失われた――つまりあなたは、自分の生命を私に分け与えたのよ」


「……」


 シャインは徐に握りしめていたロワールの手を自分の方へ引っ張った。

 この温かな手が幻であるとは思わない。

 そしてもう二度と失わないと決めたのだ。


 ロワールを引き寄せ小柄な肩に腕を回して抱き締める。茜色の柔らかな彼女の髪が頬に触れた。生身の体がそこにあるのと同じように、彼女にと感じられた。


「シャインっ、何を――」


 突然の出来事に戸惑ったのか、ロワールが驚きの声をあげる。

 ロワールを抱きしめたままシャインは呟いた。


「つまり君は、文字通り俺の命……いや、になったわけだ」

「そ、それはそうともいえるけど……」


 ロワールの心の動揺を感じる。とても近くで。


「心配しなくても俺は簡単には死なない。魂が半分無くなったとしても、ほら、五日で回復した」

「シャイン!」


 ロワールが意味が違うと言いたげに、小さな拳でシャインの背中を叩いて抗議した。


「ブルーエイジの力を甘くみないで! 彼等の意識を抑えておかないと、すぐにでも暴走して、この船に乗っている人間は全員狂って死んじゃうのよ! あなただって……!」


「――だから君は、『船鐘』の中に留まることを選んだんだね」


 耳元ではっと息を飲むロワールの声が聞こえた。

 シャインはロワールの肩に回した腕の力を緩めた。そのまま、彼女を寝台の縁へ腰かけさせる。シャインもその隣に座った。


 ロワールは俯いていた。そしてシャインの顔を黙ったまま見上げた。

 玻璃の様に透き通った水色の瞳が憂いに濡れていた。

 いつもは高飛車な言葉を紡ぐ形の良い唇が、そして肩が、小刻みに震えている。

 シャインもまた、黙ったまま静かに頷いた。


「君に魂を分けたせいかな? 前よりも君の心を感じることができる。ロワール……君は本当に長い間――いや、あの『エクセントリオンの船鐘』が作られた時から、ずっとブルーエイジの意識を表に出さないように抑えてきたんだね。たったひとりで」


「……シャイン」


 シャインは左手を伸ばし、ロワールの肩を自分の方へ引き寄せた。

 伝わってくる。

 彼女の口に出せなかった様々なが一斉に、うしおのように。


「私が担わなくてはならなかったの。初めてあの『船鐘』を起動させた時、その場にいた人間達が錯乱状態に陥って、お互いがお互いを殺し合ったの。殺された人間の魂は、『船鐘』のブルーエイジが貪り喰ってしまった。それを止める為に私は……自分から『船鐘』の中に入っていった……」


 すすり泣きながらロワールが呟く。

 シャインはその光景を見つめていた。


 ロワールと無意識の内に同調していたのだろう。

 大きくて背筋も凍るような不気味な黒い船影が見えた。


 こんな生気のない船は見たことがない。

 何年前だろう? いつの時代かもわからない。けれどその黒い船の船首には、一際青く光るあの『船鐘』を両手で抱えたロワールが立っている。

 その周囲の甲板には互いに斬りあって死んだ軍人と思しき躯が多数転がっている。


「あの――ブルーエイジを抑えることだけを考えたわ。そして彼等を眠らせた後、私も長い間眠っていた。自分が人間だったことも忘れるくらい――長い間。でも……二十年前に私は再び


 ロワールがゆっくりと頭を動かしてシャインを見上げた。

 白い頬には涙の筋が光っていたが、彼女はもう泣いていなかった。

 心が痛くなるほど真っ直ぐな瞳でシャインを見つめていた。


「シャインのお父さんが……『船鐘』の力を欲したの。愛する人を失った絶望感、悲壮感、無力感、そして海賊への果てしない怨嗟と憎悪……それらの感情が『船鐘』のブルーエイジとしたの」


 シャインは思い出した。

 ツヴァイスが語った、二十年前、月影のスカーヴィズが殺された夜の事を。

 その時にアドビスが青く光る『船鐘』を海賊船にかざしてそれらを操り、船同士を衝突させて沈めたという話を――。


「私はあの時、ブルーエイジを抑えることができなかった。私は呼びかけたわ。『憎むのをやめて』って。でもシャインのお父さんは怒りに心を囚われて、誰の声も届かない状態だったの。でも、私の所へ風が吹いてきた。『金色の風』が――」


「それは、まさか」


 ロワールが力強く頷いた。


「そう。あの風はシャイン――あなたのの魂。『術者』の魂は体が死を迎えても、時に大きな力を持ってこの世に留まることがある。あなたのお母さんは魂として、お父さんの側にまだいたのよ」


 シャインは目を閉じた。

 白い霞が晴れて脳裏にその光景が浮かんでくる。

 それを実際に見ていたロワールの記憶を、自分は目にしているのだろう。


 ブルーエイジの純粋な青い光を受けたアドビスの横顔は、今まで見た彼のどの表情の中でも一番人間味が欠片も感じられなかった。


 鋭い双眼がガラス玉のようで感情を失い、口元は憎悪で歪んでいた。

 そのアドビスを抱き寄せる様に、金色の髪を靡かせた人影が風の如く空から舞い降りた。


 白き腕をアドビスに優しく伸ばし、彼の頬へ両手を添えるとひたとその目をじっと見つめた。歪なアドビスの唇が静かに震え、彼のガラス玉のような眼もその存在に気付いたかのように、穏やかな光が戻ってきた。


「……」


 何と言ったのだろう。

 言葉は分からなかったが、母リュイーシャは小鳥のように短い口づけをアドビスにして、長い金の髪を翻しながら風の姿になった。そしてアドビスが抱える『船鐘』の中へと吸い込まれていった。


「……母さん!」


 シャインは思わず叫んだ。

 無意識の内に左手を上げて口元を押さえた。


 突き刺さるような青い光を発していた『船鐘』のそれが蝋燭の炎のように揺らいでかき消える。辺りは夜の闇に覆われ、呆然と虚空を見上げるアドビスの姿のみが残された。


「まさか、まさか母さんの魂は――」


 シャインの肩を今度はロワールがそっと抱いた。


「うん。私と一緒に『船鐘』の中にいるわ。でも魂としての力は、シャインのお父さんを止める為に使ってしまったから、私のように人の姿をとどめることができなかった……」


 それでも――。

 シャインは自然と目に涙が浮かぶのを感じた。

 母とは赤子の頃に死に別れ、その存在がどういうものなのか全く知らなかったというのに。

 

『諦めないで。想いとはあなたから溢れるもの。あなたの心から生み出されるもの』

『さあ、手を伸ばして。呼びなさい』


 ロワールを取り戻すために励ましてくれた『あの声』。


 頬に熱い涙の雫が伝った。

 シャインは指でそれを払った。

 どんな姿になっても、母は自分を見守ってくれていたのだ。

 それなのに、自分はその存在に気付くことができなかった。


「自分を責めないで、シャイン」

「ロワール」


 顔を上げるとすぐそばでロワールが微笑んでいた。

 何もかも理由がわかったような、晴れやかな笑みを浮かべながら。


「私もやっと気付いたわ。私がどうしてあなたを『知っていた』のか」

「そうだね」


 シャインも感じていた。

 これは『船鐘』に残るリュイーシャの魂が、ロワールと自分を引き合わせたに違いない。


 そして孤独だった自分の世界に、ロワールと言う光が射しこんだのだ。



 

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