4-79 誇り高き者

 ジャーヴィスは咄嗟に口を開いていた。


「どういうことですか、閣下!」


 アドビスはふんと鼻を鳴らし両腕を組んだ。


「お前達には関係のない……つまらない戦いがこれから始まる。シャインは私に過去から逃げるのかと言っていたが、私なりにその清算をするつもりだ。だから……」


 アドビスは部屋の隅から再び歩き出し、正面の扉の前へと移動した。


「だから、お前達をこれ以上巻き込みたくない」

「ですが!」


 アドビスの内情を知れば知るほど、ジャーヴィスは『何故』と思わずにはいられなかった。


 自分を信頼してくれるアドビスの気持ちは非常にうれしいし、その期待に応えたいと言う気持ちもなくはない。


 だが、他人であるジャーヴィスに心境を吐露できるのなら、何故それをシャインに言わないのだろうか。意識を失う前に、シャインはアドビスとの決別とも言える言葉を、恐らく、ついに口にしたのだ。


 シャインが求めているものを、アドビスはきっとわかっている。

 わかっていて、敢えてそれを与えない。


 そんなアドビスの行為は――親が子供の存在を否定する行為は、子供にとって非情で残酷すぎる。


 それを自覚しながらアドビスはシャインと距離を置く。その行為に罪悪感を覚えながら、アドビスはシャインへひたすら冷たい態度で接する。


 一体、『何故?』

 沸き上がる疑問にジャーヴィスは叫んでいた。


「何故ですか、中将閣下。そんなにご子息の事を思っているのに、何故その心を敢えて封じてしまわれるのです? ご子息はエルシーアの海のように広い心の持ち主です。閣下が今おっしゃったことをご子息にもしてくださったら、きっとお二方のわだかまりも、水のように溶けていくはずです」


 アドビスは右手を上げてサロンの扉の把手に手をかけた。ジャーヴィスに背を向けたまま、何かを思案するように黙した後、やはり振り返る事なく言葉を吐き出す。


「エアリエル号は三十分後にこの海域から移動する。それまでに支度を整え、必ずやアスラトルに戻るのだ。いいな、命じたぞ。ジャーヴィス中尉」

「中将閣下! 待って下さい」


 ジャーヴィスは鋭く叫びながら一歩前に足を踏み出していた。

 下手をすれば、シャインとアドビスはこれが今生の別れになるかもしれない。

 すでに二親を亡くしているせいか、ジャーヴィスはこのままアドビスが、シャインに真意を告げる事なく行ってしまうことに、大きな危惧と抵抗を感じたのだ。


 だがアドビスはジャーヴィスの言葉を無視して、外に出るため扉の把手を握る指に力を込める。


「グラヴェール中将閣下。ご報告があります」


 アドビスが扉を開く瞬間、外で年若い男の声が聞こえた。あまりにも唐突だったので、アドビスが息を止めてぎこちなく把手を握りなおす。

 ジャーヴィスもその場でつい立ち止まった。


「何だ。今、開ける」


 アドビスは瞬時に動揺の表情を元に戻すと、落ち着き払った声で返事をし、扉を外に向かって押し開けた。


「……!!」


 ジャーヴィスは目を疑った。アドビスが不意に扉の把手から右手を放し、横向きに大きく体をよじるのが見えたのだ。


 アドビスが避けた拍子に、どさっと重たい何かが倒れるような音がして、ジャーヴィスはそれが扉の外で歩哨に立っていた、海兵隊員の青年であることに気付いた。


 だがそれを知ったのはもう少し後になってからだ。

 闇の中から一筋の光が瞬いた。空間を切り裂くように鋭利なそれと物音が耳をかすめたかと思うと、アドビスの警告する声が聞こえた。


「ジャーヴィス中尉、下がっていろ!」

「ふん! 他人より、まずは自分の身を心配したらどうだ。アドビス・グラヴェール!」


 ジャーヴィスは右手の壁際に背中を預け、部屋の中へ入ってきた人物をまじまじと見つめた。


 一目でわかった。

 ヴィズルだ。


 海を泳いできたのか、濡れた長い銀髪が一層艶やかに輝き、褐色の精悍な顔にいく筋もまとわりついている。正面に立つアドビスを睨みつける意志の強そうな双眸は、暗いながらも憑かれたように熱っぽい光を宿し、左手に握りしめられた青い微光を放つ三日月の短剣からは、ぽたぽたと水滴が滴り落ちて、足元の床を濡らしている。


 ヴィズルは一瞬ジャーヴィスを見た後、ふと気付いたように視線を下に落とした。


「けっ……だからお前は、そんなことを言ったのか」


 独り言を漏らしたヴィズルの視線の先には、アドビスの後ろで未だ倒れているシャインの姿があった。ヴィズルは眉間を寄せ、風を切って左手の短剣を顔の前で構え直した。


「相変わらず胸くそが悪くなることをやってるんだな! てめぇの息子だろうが。シャインに何をしやがった?」


 アドビスは噛み付くように言い放つヴィズルの剣幕すらも飲み込むように、太々しい笑みを唇に浮かべていた。だがさりげなく右手を軍服のポケットに滑り込ませ、ジャーヴィスを庇うようにその前に立った。


「久しいな、ヴィズル。お前もロワールハイネス号に乗っていたのか。私がどれだけお前に会いたかったか……わかるか?」

「うるさい! それは、俺の方だ!!」


 ヴィズルはぶんっと大きく風を切りながら、左手の短剣を振りかざした。


「俺がこの時をどれほど待ったか貴様にわかるか!? 貴様はスカーヴィズを裏切った挙げ句、このブルーエイジの呪われし刃でその命を奪ったばかりか、彼女の魂までも苦痛で責めたんだ」


 ヴィズルはそこまで一気にまくしたてると、じりとアドビスとの距離を詰めた。


「だから貴様もこの刃の餌食にしてやる。彼女と同じように、魂までも貪り喰らわれる苦痛を味わわせてやる。そして命が尽きる一歩手前で、俺が貴様の首を刎ねて! 首から滴り落ちる血潮を一滴残らず飲み干して! 体は切り刻んで海に捨てて魚どものエサにしてくれる!」


 ヴィズルの攻撃は豹のようにしなやかで素早く、アドビスに向かって繰り出された。アドビスはそれを右手に持っていた単発銃で受け止め、体を左側へよじった。ヴィズルが壁際に立つジャーヴィスに背を向けた瞬間、ジャーヴィスは扉にかけ寄り、声を張り上げた。


「海兵隊! 海賊が侵入したぞ! 早く来い!」


 そして足元で昏倒している歩哨の青年の手から、長銃を拾い上げた。


「けっ! 邪魔くせぇ事しやがって!!」


 ヴィズルはアドビスを突き放すように短剣に力を込めてその距離を離すと、振り向きざまに、ちょうど銃を拾い上げたジャーヴィスに回し蹴りを放った。


「……っ!」


 ヴィズルの長靴がジャーヴィスの手から銃を蹴り飛ばす。

 次の瞬間、アドビスの銃が火を吹くのをジャ-ヴィスはよろめきながら見た。

 バリンッ!

 ジャーヴィスの後方にある右舷側の窓ガラスが砕ける音がした。ヴィズルは回し蹴りを放った体勢から、咄嗟に床に体を伏せてアドビスの銃弾を避けたのだ。そして、驚嘆するほどの瞬発力で上半身を持ち上げると、まだ薄い煙が上がっている、単発銃を握るアドビスに向かって、その喉元に向かって短剣を斬り付けていた。


「中将閣下!」


 サロンの扉の向かって左側の壁にアドビスは立っていた。僅かに膝を曲げて、首を右側に倒している。その首の左側から僅かしか離れていない所に、ヴィズルの短剣が壁に突き立っていた。


 ヴィズルは短剣を握りしめ、壁に食い込んだそれを上下に揺すった。けれど短剣はすぐには外れない。


 だがほんの僅かなその動きが、ヴィズルの命取りとなった。

 アドビスが役に立たなくなった右手の銃を捨てて、素早くヴィズルの手首を掴んだのだ。


「くそっ!」


 ヴィズルはアドビスから逃れようと、右足を振り上げてアドビスの脇腹へ蹴りつける。しかし右足を後方へずらした途端、左手首を握りしめるアドビスがヴィズルを自分の方へ引っ張った。


 ヴィズルは体勢を崩してその場に両膝をついた。ばさっと長い銀髪が前のめりに広がる。だが素早い動きでヴィズルは顔を上げ、ぎりと奥歯を噛んだ。


「ヴィズル、そのまま動くな!」


 ジャーヴィスは部屋の後方に飛んだ銃を再び手にして、跪くヴィズルに狙いを定め叫んでいた。


「……くそっ……雑魚が……」


 自分を狙う銃口に気付いたヴィズルは、体中の毛が逆立ち肌が粟立つ程の剣幕で、ジャーヴィスを睨み付けた。ジャーヴィスは額から冷たい汗が流れ落ちるのを感じながら、アドビスの背後の扉から、海兵隊の面々が靴音を響かせながら駆け付けるのを見た。


 ぜいぜいとヴィズルが肩を揺らして荒い息をついている。

 反面、アドビスは息一つ乱さず、落ち着いた面持ちでヴィズルを見下ろしていた。


「ここまで迎えに来なくても、私の方から行くというのに……」


 ヴィズルとの戦いを楽しんでいたが、その余興がはや終了して残念だといわんばかりの口調だ。


「ヴィズル、お前は自分の船で大人しく待つべきだった。シャインと共にな。そうすれば、私の動きを封じられただろう。若さゆえだな、その焦りは」


 アドビスの言葉が屈辱だったのか、ヴィズルは歯をくいしばったまま床の一点を見つめている。


「中将閣下、海賊はどこですか!」


 サロンに海兵隊がかけつけた。アドビスは落ち着き払った表情のまま命じた。


「ここだ。縛り上げろ」


 さすがのヴィズルも大の男五人がかりで押さえ付けられたので、身動きが取れない。瞬く間に両手を後ろに縛り上げられ、体にロープを巻き付けられる。

 ヴィズルが体を揺すって抵抗したので、その両肩を二名の海兵隊員が押さえ付けた。


「……」


 ヴィズルは黙ったまま、ただその暗い色の瞳に深々と怨恨の光を宿して、正面に立ったアドビスを見上げる。


 ジャーヴィスははっとしてその横顔を見つめた。

 言動や行動は粗野な所があるが、元来精悍な顔つきのせいか、その横顔は海賊といえど誇り高く、何者にも恐れない気迫に満ちていた。

 とても罪を犯す人間には見えない。

 ふと、ジャーヴィスはそう思った。


「ヴィズル。お前の相手をしてやりたいのはやまやまだが……」


 アドビスは沈黙を守るヴィズルを見下ろした。


「まだお前に、私の命をやることはできん」

「……」


 ヴィズルの夜光石の瞳と、鷹のようなアドビスの金色の瞳が一瞬交わる。

 アドビスは静かに言葉を続けた。


「会いたい者がいる。――時に、赤熊のティレグはか?」


 物静かな口調とは裏腹に、アドビスの表情は死人のように青ざめ、その頬は再び痩けて、らんらんと光る眼のみが異様な光を放ち始める。


「……ケッ!」


 ヴィズルはそんなアドビスの顔に唾を吐きかけた。

 だがアドビスは一瞬眉をしかめただけだった。頬を濡らし伝い落ちるそれをぬぐうことなく。


「無礼な海賊め!」


 ヴィズルを押さえていた海兵隊の青年が、ヴィズルのこめかみを殴りつけた。

 ぐらりとヴィズルの頭が動いたが、ヴィズルは上目遣いにアドビスを睨み付ける。


「絶対――貴様を殺してやる……」


 今まで沈黙を守っていたヴィズルは、腹の底から押し出したような低い声でつぶやいた。


「まだそんなことを言うか!!」


 一発、二発。海兵隊員は容赦なくヴィズルの下腹部を拳で殴る。だがヴィズルは片時もアドビスから視線を外さなかった。


「――もういい。船倉へ繋いでおけ」


 アドビスは懐からハンカチを取り出し、そっと顔を拭った。

 そしてヴィズルが海兵隊にひきずられるようにして連行されるのを黙ったまま見送り、ふっと胸にこもった息を吐いた。


 ヴィズルに殴られて昏倒していた歩哨の青年も、他の海兵隊員が抱えて部屋から退出する。アドビスは部屋を出る海兵隊の一人に、軍医をここへ呼ぶように頼んでから部屋の扉を閉じた。シャインの折れた右手の処置をさせるためだろう。


「ジャーヴィス中尉。お前がいてくれたおかげで助かった」

「いいえ……」


 ジャーヴィスは複雑な心境で、あまり明瞭ではない返事を返した。

 急にずっしりと、自分に命じられた役目を意識したからだ。


「私はこれからリオーネの所に行って、シャインと共にアスラトルへ帰るよう彼女に話をしてくる。ジャーヴィス、お前はここでシャインの側についていて欲しい」

「……はっ……」


 相変わらず歯切れの悪い声がジャーヴィスの口から漏れたが、アドビスは気にしていないようだった。


 サロンの扉の左側の壁に近付くと、そこに突き立てられたヴィズルの青い短剣へ右手を伸ばし、やおらそれを引き抜いた。みずみずしいまでの光沢を放つ青銀の刃がきらりと光った。


 アドビスは鋭い瞳を金色の睫で伏せたまま、食い入るようにそれを見つめると、静かにサロンの扉を開けて部屋から出て行った。

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