4-10 嵐の夜の真実

 ツヴァイスがちらりとシャインの顔色をうかがうように、紫の瞳を細めた。


「話を続けて下さい。大丈夫ですから……」


 シャインがティーカップを握る両手の力をゆっくりとゆるめると、ツヴァイスがつと立ち上がり、空になったそれを取り上げ机の上に置いた。シャインが申し訳なさそうに頭を下げると、ツヴァイスは静かに首を振って、再び執務椅子に腰を下ろす。


「そんな日々が一年ほど続いた……今からでいうと二十年前。アドビスに転機が訪れた。長年エルシーア海を荒し回っていた野蛮な海賊共が一掃され、話のわかる月影のスカーヴィズが、エルシ-ア海賊を一つに束ねた。


 アドビスは、これを機にスカーヴィズと別れた。今までだまし討ちにしてきた海賊のお陰で、喉から手が出るほど欲しがっていた少将の地位についたからな。スカーヴィズとの関係が漏れれば大きなスキャンダルになるし、せっかく手に入れた将官の地位も失ってしまう。私は奴が失脚しようがどうしようがまったく構いはしなかった。ただ、リュイーシャの事だけが気掛かりだった。


 アドビスが私に、二度とスカーヴィズの所へ行くつもりがないと打ち明けた時、心の底からほっとした。友人として付き合ってくれるリュイーシャへ、私はアドビスとスカーヴィズの事を、隠し通すことができず告白していたから、すぐにでもその事を知らせてやりたいと思った。


 だが――神はきまぐれなものだ。アドビスがスカーヴィズと最後の別れをした朝。私達はアスラトルへ帰港の途についていた。15時を過ぎた頃、エルシーア海軍の急送連絡文書を運ぶスクーナー船と出くわしたのだが、なんとその船には、リュイーシャが乗っていた。


 海軍の参謀部が、内偵の結果からスカーヴィズのアジトの位置を突き止めて、翌朝一斉に急襲する計画を、しゅうとであるイングリド・グラヴェールから聞いて、わざわざアドビスに伝えに来たのだ。


 シャイン、私は絶句したよ。リュイーシャはアドビスとスカーヴィズの事を知りながら、そして、スカーヴィズの身を案じてアドビスの船までやってきたのだよ。術を行使して、三日かかる距離を常に順風を吹かせることにより、たった半日に短縮してここへ来た。まさに船に翼を生やした速さで飛んできた。あのひとほど、どこまでも他人に優しくできる人を私は知らない……」


「ツヴァイス司令……」



 両腕を組み、思わず瞳を閉じたツヴァイスへ、シャインはそっと声をかけた。

 一瞬目に光るものを見たと思ったが、ツヴァイスは気を取り直したように顔を上げて銀縁の眼鏡に手を触れた。


「良く聞きたまえ。もう少しで彼女の話も終わるから。リュイーシャの知らせを聞いたアドビスは、スカーヴィズにそれを伝えるため、自分の船を下りてスクーナー船へ乗り換えて単身向かった。アドビスの軍艦は4等級の船で、大砲を50門装備しているから、あまり足は速くない。当然リュイーシャは、自分も一緒に行くとアドビスに詰め寄ったが、あの男はそれを断固として聞き入れなかった。この時ばかりは、私もアドビスに賛成だった。


 リュイーシャは気丈に振る舞っていたが、手首を掴んだ私の手を振りほどけないほど疲弊していた。自分の望む方向へ長時間、一定の風を吹かせ続けるなど、無謀にもほどがある。


 私はアドビスから、リュイーシャを連れてアスラトルへ帰るように命じられていた。だが、リュイーシャがそれを聞き入れなかった。まとっている白いシルクのマントと同じくらい、顔の色を失っているのに、私の航海服の袖を強く握りしめて、とても力強い声色でささやいた。


『船の向きを今すぐ変えなさい。オーリン。変えないと、私が風の力でそうします』


 私がリュイーシャに逆らうことができただろうか。彼女にはそれだけの力がある。強力な逆風を呼ばれたら、私は嫌が応でも船が沈まないように、その向きを変えねばならない。アドビスが向かった、スカーヴィズのアジトがある島の方へ。


 根負けした私は、アドビスの後を追ってエルシーア海を南下した。私達が目指すスカーヴィズのアジトがある島を視認したのは、深夜をすぎたころだった。


 艦長室で休息をとっていたリュイーシャが、白いマントをひらめかせて部屋を飛び出して来たのと、甲板で私が驚きに声を上げたのは、殆ど同じタイミングだった。


 濃紺の南の空が朱に染まっていた。アドビスの乗っていたスクーナー船が、島の東側に停泊していて、それが巨大なかがり火のように炎上していたのだ。



『オーリン! 急いで!』

 リュイーシャは反射的に右手を上げ、風を呼ぼうとした。


『だめだ、リュイーシャ! ここは珊瑚礁だらけで、喫水が深い本船はこれ以上近付くと座礁してしまう!!』


『でも……!』


 私はリュイーシャの手を取った。長い金の髪を振り乱しながら、彼女は今度は思いきり私の手を振り解いた。その青緑の瞳を細めて、真っ向から私を見据えて。唇から血が流れ落ちるのではないかというほど、きつくきつくそれを噛みしめて。


『お願い、行かせて下さい。あの方は私を待っているんです』

『リュイーシャ』


 私は彼女の言う意味が分からなかった。この時点ではな。

 とにかく、この船ではこれ以上島に近付く事はできない。

 それをどうやってわからせようかと、考えたその時だった。


 船首で見張りをしていた水兵が何事か叫んだ。それにつられて燃え上がるスクーナー船の反対側(つまり、島の西側)へ視線を転じると、小さなボートを漕いで沖へ向かう黒い影が見えたのだ。


 しかも、そのボートの後ろからは24門ぐらいの大砲を積んだ、中型の海賊船が三隻ほど追いかけるように帆走している。海賊船からオレンジ色をした炎が一瞬ひらめくと、そのボートめがけて白い水柱がいくつも上がった。


 私はただちに船を沖へ向かわせる事にした。望遠鏡でボートを漕ぐ人影を見てみると、背格好からアドビスだとわかった。リュイーシャはいち早く気付いていたのだ。奴が窮地に陥っている事を。

 だがこの位置では遠すぎて、アドビスを援護することができない。


 舵輪を取る航海長に転舵を命じようとした時、私はさらに驚いて口を開けたまま海を凝視した。島影から船影が幾つも見えるのだ。ざっと数えただけでも10隻を超すほどのな。それがみんな海賊だとしたら、流石に私達だけでは手に負えない。アドビスを回収する事は、連中と一戦交えるということだ。

 思わずうなった私の腕を、優しく掴む者がいた。


『オーリン、お願いがあります』


 しっとりとした夜風を思わせるリュイーシャの声に、触れられた私は思わず身震いした。


 先程まで泣きそうだったその顔が、驚くほど落ち着き払っていて、肩に流れ落ちる淡い金髪が神々しくきらめいた。今宵は金の月<ドゥリン>は昇っていなかったが、その光を集めた月の女神が私の前に立っているかと思った。


『私は……術者としての力を備えて生まれた事を、一時呪った事がありました。でもあの方のおかげで、私は自分の力を役立てる術を見つけたのです。そして、今、悟りました。私に与えられたこの力の、本当の意味を』


『リュイーシャ……』


 彼女は今まで見た事がないほど、穏やかで、透き通った微笑を浮かべていた。


『オーリン、あなたは本当に私に良くしてくれた。だから、伝えてほしいの』

『リュイーシャ、一体何を』


 私が伸ばした手をそっと拒絶し、彼女はそよ風に揺れる花びらのような、たおやかな動きで距離を広げた。


『アドビス様と私の小さなシャインへ、一緒にいられなくてごめんなさい、と。――そう伝えて下さい』

『リュイーシャ!』

 

 私の視界は一瞬金の光で溢れ返った。リュイーシャを捕まえようとして、手を伸ばそうとした次の瞬間、私の体は大きく後方へ吹き飛ばされていた。舷側に背中をぶつけて、走った鈍痛に息を詰めた。


 その場に座り込んだまま何とか顔を上げると、リュイーシャは高く差し上げた右手に放射線状の青い光を灯らせ、それを松明のように掲げて海を見つめていた。上空にみるみる重苦しい雲がたちこめ、波が大きくうねりだし、船を左右に揺さぶり出す。リュイーシャは嵐を呼び寄せていたのだ。

 あの男を……アドビスを助けるために。


 それに気付いた私は、術を止めさせようと立ち上がった。が、目に見えない気流が彼女を取り囲むように渦巻いていて、近付く事すらできない。


 風は立っていられないほど激しさを増し、渦巻いた雲は青光りする雷鳴を放って空気を震わせる。大きな力を持った風にあおられた海は、巨大な波となり、それらがぶつかりあって、真っ白に濁っていく。


 飛ばされないように帆の上げ綱に捕まる私とは対照的に、リュイーシャはその風とまるで語り合うように、白いドレスと金の髪を翻して、甲板で舞っているように見えた。


 雷鳴が轟音をたて、マストにそれが落ちるのではないのかと思った瞬間、アドビスのボートを追っていた海賊船が、横からの激しい突風を受けてあっという間に横倒しになると転覆した。


 リュイーシャの差し上げた右手の光がさらに青さを増すと、後続の船が大波に包み込まれるように飲まれた。三隻目は海に出来た大渦の中へ、驚くほどの速さで引き寄せられて、船体を波に砕かれながら沈んでいった。


 アドビスを追っていた船だけではとどまらず、停泊していた海賊船もみな次々と巨大な波に襲われて、押し流されていったのだ。

 実に、恐ろしい光景だった。


 我々の船も激しく波と風にもみくちゃにされて、いつか転覆するのではないかと思った。私はリュイーシャに近寄る事も叶わず、ただ船外へ放り出されないように、上げ綱にしがみつくことしかできなかった。



 どれくらいの時間が過ぎてからだろう。

 泣き叫ぶ風と閃く雷鳴の合間で、甲板に黒い影が歩いて来るのを見たのは。


 器用に上げ綱を掴んで、ゆっくりと後部甲板へ近付いてきたのは、何時の間にか船に戻ったアドビスだった。


 全身ずぶ濡れのアドビスは、濡れぼそった黒いマントをひきずりながら、私には目もくれず、ただ、右舷の船縁で灯火のように輝くリュイーシャの元へ歩いていく。


 彼女を守るように取り巻いている風に、彼の身体も吹き飛ばされるだろうと思った。だがアドビスはその足を止めなかった。いや、風の方が彼を押しとどめる事ができなかったのだ。


 無骨なアドビスの右手が、じりじりと持ち上げられて、ついにリュイーシャの細い肩をつかむと、自分の方へ引き寄せる。と同時に、今まで吹き荒れていた風という風が、その身を引き裂くような叫び声が、一瞬にして消え去った。


 リュイーシャの手にきらめいていた青い光も消え失せて、辺りが静寂と闇に包まれた中。アドビスはほのかに光る彼女を胸に抱いていたが、そのままの姿勢でゆっくりと甲板に膝をついた。

 リュイーシャはもう、自分の足で立つ事ができなかったのだ。


 彼女を甲板に横たえ、何かアドビスが低い声でつぶやいたが、私にはよく聞き取れなかった。

 だがその後、アドビスがリュイーシャの右手を取り、そっと口づけたの見て、彼女の魂はもうその身体に宿っていないことがわかった。


 シャイン、君も知っていると思うが、術者は己に誓約を課している。それが厳しければ厳しいほど、強大な力を行使する事ができる。リュイーシャは己の力を、決して人の命を奪う事に使わないと、海神・青の女王に誓っていたのだ。

それが破られた時は、自らの命を捧げると――。


 これがリュイーシャの死の真相だ。アドビスが彼女に手を下したわけではないが、アドビスのせいで彼女は命を落とした。


 私が……リュイーシャをなんとしてでもアドビスの元へ連れていかなければ、結果はまた違っていたかもしれない。それを思うと私は……今も眠れぬ夜をすごすのだ。アドビスがあんな海賊と付き合っていなければ。そして、私の方が先にリュイーシャと出会っていれば――後悔は尽きないよ、全くね」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る