【幕間2】 船霊祭 -一方的な片思い-

「まずは……ご自分のあるがままの姿を、受け入れることからなさってはどうでしょうか。それによって、貴女は本来あるべきご自身の考え方で、振る舞えるようになれますよ。そうすれば、貴女を外見だけではなく、内面の美しさに気付く方がきっと現れます。……ご両親がそうであるように」

「……」


 ディアナはシャインの左肩に頭を寄せて、しばらくの間うつむいていた。

 シャインは彼女の手を握りしめたまま、今自分が言った言葉に身がつまされるのを意識した。


 人は誰でも他者から認めてもらいたいという気持ちを持っているし、自分をよく見せたいという願望ももっている。


 だから自分を偽る。飾る。見栄をはる。けれどそれらで固めた偽りの自分を取り払い、素顔のままのそれで振る舞うのは、かなり勇気のいる行為だ。

 シャイン自身、それを自分が実践できているのかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。


「ごめんなさい……シャイン様。私、一瞬どうすればいいのか、わからなくなってしまって……」


 シャインの肩に額を寄せたディアナが、そっと身じろぎをした。頭を起こし顔を上げる。彼女はシャインの穏やかな眼差しが、自分を見ていることに気付いた途端、思わずそのふっくらした唇を震わせた。


「あなたのおっしゃったこと、すぐにはできないかもしれませんが、自分でよく考えてみることにします。本当に……取り乱してごめんなさい……」


 ディアナがつかんでいたシャインの左腕から、手を離す素振りをしたので、シャインもまた自分のそれを離した。


「俺の事はお気に為さらず。さ、外は夜気で少し冷えてきたようです。落ち着かれたようですし、そろそろ本館の方へ戻りませんか」


 シャインは白い大理石の長椅子から立ち上がり、ディアナの方へ右手を差し出した。


「あの」


 ディアナが、長椅子に腰を下ろしたまま、今まで以上に気弱な表情をその白い顔に浮かべながら、シャインを見上げている。


「いかがなされました?」


 ディアナは意を決したように長椅子から立ち上がると、自分に向かって差し伸べられたシャインの手を、両手で包むようにして握りしめた。


「シャイン様。私――あなたにまだ謝罪していませんでした。例の『婚約話』は、私の父とあなたのお父上のお酒の席で、交された話題の一つだったのでしょう。立ち聞きした私は……まだ幼かったものですから……」


 シャインはゆっくりとうなずいた。恐らくディアナの言う通りだろう。

 正式な約束であれば、ディアナが成人した十八才の時に、なんらかの知らせが家に届いているはずだが、実際それはなかった。


「――貴女には、貴女に相応しい方がいずれ現れると思います」


 目を伏せ、そう言ってから軽く頭を垂れると、シャインは手を握りしめるディアナのそれに、ぎゅっと力が込めれるのを感じた。

 同時に押し殺したディアナの声も。


「私は……私には、今この手を差し出して下さったあなたしか、私のことを理解して下さる方はいないと思っています」

「ディアナ様」


 彼女の気持ちに気付いていなかったわけではない。

 言葉は穏やかな口調であるが、長い白銀の睫に縁取られた彼女の瞳には、内に秘めた想いが感じられるほどの、熱っぽい光が宿っているのが確かに見えた。


 ディアナはシャインに好意を寄せている。今までの彼女の態度から、そして瞳にきらめく光から、それを察する事ができないほど、シャインは鈍感ではない。


 むしろその逆なのだ。

 相手が自分の事をどう捉えているのか。どう思っているのか。何を求めているのか。


 相手の一挙一動を見つめ、それに合わせて自分と相手の距離を計っていく。その距離が近いか遠いかで、本音と建前を使い分け、他人と衝突するのを避けるために、なるべく当たり障りのない態度で接する。


 そんな風に物心ついた時から生きてきたので、シャインはディアナの気持ちを察するが故に、自然と彼女と距離を置いて話していたのだ。


「私には領主の娘という肩書きしかありませんし、自分の外見にこだわるが故に、本当の自分を見失う愚かな人間です。けれど――」


 ディアナは自分の両手で包んだシャインのそれを、己の胸元へ引き寄せた。今まで見せたことのない真摯なまなざしで、シャインの顔を見据えながら。


「七年前。お父上に連れられて、我が屋敷にいらしたあなたと初めてお会いした時から、ずっとあなたの存在がこの胸の中にありました。気になっておりました。去年こちらで再会した時、すっかりあなたは立派になられていて……それ以来、私の心はあなたのことしか、考えられなくなってしまったのです」


 シャインはゆっくりと頭を振って、目を伏せた。

 否定の仕種にはっとディアナが小さく息を飲む。

 シャインの手を掴むそれから力が抜けた。シャインは右手を自らの元へ引き戻し、目を伏せたまま、淡く光る金髪の頭を再びディアナへ垂れた。


「お心はとても嬉しく思います。しかし……俺では駄目なのです。俺は、貴女のお心に応えるだけの、価値を持ちあわせていない人間なのです」


「身分の事をおっしゃっているのなら、それはたいしたことではありません。アリスティドの家は後継者がいますし、父も私の気持ちを一番に優先したいと、仰って下さいましたの。むしろあなたは、父と交流のあるグラヴェール中将のご子息。父はきっと反対しないと――」


「そうではありません。違うのです」

「違うって……身分でなければ、やっぱりシャイン様も私の容姿を――」

「俺では、決して貴女を幸せにすることができないのです!」


 シャインは顔を上げ、眉間を寄せて今にも泣き出しそうなディアナのそれを、胸が苦しくなる感覚を覚えながら見つめた。


「ディアナ様。俺は船に乗っています。軍人ですが船乗りです。あなたは船乗りの奥方になるということが、どういうことか理解されていますか?」

「それは――」


 シャインに自分の気持ちを否定され、一瞬我を失いそうになっていたディアナの瞳に、理性が少しずつ戻ってきた。シャインは彼女の肩に手を置いて、ゆっくりと話し始めた。


「今はアスラトルとジェミナ・クラスを往復しているだけなので、二週間ぐらいで港に帰ってきます。けれど、外洋艦隊への連絡文書を積んだりすると、軽く一、二ケ月はエルシーアへ戻りません。もっと遠い所なら一年かかるやもしれません。あなたはその間、たった一人で過ごすのです。いつ海の藻屑になるか、そんな危うい状況に陥るかも知れない、夫の身を案じながら。共に過ごせる日は年に数えるほどしかないでしょう。こんな生活で、あなたが幸せでいられるのか、俺には到底思えません……」

「……」


 ディアナは唇を噛みしめ、黙ったままシャインの言葉を聞いているようだった。シャインはそんな彼女の顔を見つめながら、小さく息をついた。

 傷つけたくない。が、中途半端な態度はそれこそディアナの為にならない。


「確かに……仰る通り、私はそこまで考えていませんでした。でも……」


 ディアナは再び手を伸ばすと、冷たい光を放つ金鎖で飾られた、シャインの白い礼装の胸に身を寄せた。


「ディアナ様」


「それがあなたに受け入れてもらえるための条件なら、私はそれで構いません。私は船乗りの妻として、あなたの帰りを待ちながら、あなたの代わりに家庭を守ります。現にそうなさっている海軍士官の夫人方も、ここには沢山おられます。ですから――どうか」


 ――ディアナなら、それができるだろう。

 彼女は聡明で何よりも自分の役割を意識し、それに従おうとする。


 機知に富んだ会話も楽しいし(時には驚くような問題発言もするが)、実際そんな彼女に好感も持っている。公爵家の娘でなく平民のそれであったら、もっと気軽にお互いの家を訪ねあって交流してもいいくらいだ。


 だがシャインは再び小さく息をついた。

 そして胸に身を寄せるディアナの肩に手は置かず、その場に立ったまま口を開く。


「俺は……貴女にそういう生き方をさせたくないのです。貴女だけに、そんな苦しい思いをして欲しくないのです」

「シャイン様」


 ディアナがおずおずと顔を上げる。


「私は大丈夫です。あなたと共にいられる時間は少なくても、私を愛して下さるお心さえあれば、それ以外何も望みません」


 そのすがるような瞳を受け止めながら、シャインは口元を軽く結び、静かに深くうなずいた。


「俺だったら、愛する人を一人残したまま、何ケ月も家を留守にすることなんてできません。いずれ生まれる子供達の顔も見られないし、彼等にも寂しい思いをさせることになります。それだけは……嫌なのです」


 シャインはふと、胸の内に去来した自分の気持ちのせいで、言葉を詰まらせた。

 物心ついた時から、いつも一人で過ごすことが多かった。


 母親はすでにこの世にいないし、父親のアドビスも屋敷に帰ってきたかと思うと部屋に閉じこもり、顔を合わせるのは食事の時か、本当に用件がある時しかなかった。


 子供の頃は、行くあてもなくアスラトルの街を歩き回り、通りでみかける親子連れを羨ましいと思いながら、その姿が通りの端へ消えるまで、いつまでも見ていたこともあった。


 だから嫌なのだ。

 この船乗りの家庭というものが。


 言葉を詰まらせたシャインを訝しむように、ディアナがじっとこちらを見上げている。その憂いた視線に気付き、シャインは唇に気弱な笑みを浮かべ、肩をすくめてみせた。


「俺自身の家庭がそうでしたから、一人残されることの寂しさは嫌というほど知っています。ですからディアナ様。どうか、俺の気持ちをお察し下さい。それに……」


 シャインはそっとディアナの両肩に手を乗せて、優しく彼女を体から放した。ディアナの柔らかな肩が、手袋越しにでも小さく震えているのがわかる。

 それは夜気で体が冷えてしまったこともあるだろうが、彼女自身の感情の高ぶりのせいであろう。


 シャインはマントを止めている肩紐を解き放ち、それを彼女の露な肩を包み込むように羽織らせた。マントがずりおちないよう、ディアナの両手にその端を握らせる。そうしてから、シャインは再び口を開いた。


「俺は先月、念願だった自分の船を持つことができました。建造にも参加したので、小さいですがとても思い入れのある船です。今は彼女――ロワールハイネス号と共に、このエルシーアの海を、そこから果てしなく続く他のいろいろな海へ航海することが、俺の今一番やりたいことなのです」


 ディアナは黙ったままだったが、その表情は穏やかなものへと変わっていた。シャインのマントの端を押さえながら、彼女はくすりと、小首を傾けて微笑した。


「つまり……あなたの心はご自分の船と、まだ見ぬ未知の海への憧れで一杯なのですね」


 ディアナは、本当に聡明で思いやりのある素敵な女性だ。

 シャインは目にかかる前髪を右手で払いのけてから、申し訳ない気持ちを抱きつつ、静かに――だが、力強くうなずいた。


「はい。今は四六時中、そのことしか考えられないのです」


 ディアナがつと右手を上げて、シャインの乱れた前髪を直す。そして小さくため息をついた。あきらめきった表情を浮かべながら。


「そんなにうれしそうな顔をして。まるであなたは、ご自分の船と海に恋しておられるようですわ」


 シャインは苦笑して目を伏せた。

 そういわれれば、違うと否定できない。

 海へ出ることを禁じられたり、ロワールハイネス号を失ったりすれば、きっと自分は自分でいられなくなるのがわかっているから。


「ええ、仰る通りですよ、ディアナ様。俺は海と彼女に恋しています。これは絶対に成就しない、俺の一方的な片思いなんです……」


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