2-14 気分転換


 ◇◇◇



 赤鮫団の船と海賊達をリーザに引き渡し、ロワールハイネス号はジェミナ・クラスに帰港した。


 海賊の衣装から商船の船員姿に着替えた水兵達は、メインマスト中央部前に集合して、シャインとジャーヴィスが上がって来るのを待っていた。


 どの顔も、今朝方の捕物の件で、興奮が冷めきってないのか上気している。そんな中でただひとり、どんよりと暗い面持ちの人物がいた。


「はぁ……ジャーヴィス副長すごかったなぁ……。全然海賊に怯まなくてさ、僕なんか、ほ……本物の海賊を見るのこれが初めてで……みんなの後ろにくっついているのが、やっとだった……」


 これでも士官候補生。けれどロワール号の中で船乗りとしては一番の未熟者。

 クラウスは大きく、大きく、ため息をついた。

 ふと思う。ここにいるのは、とんでもなく場違いではないのかと。


「気にするな。誰だって初めは、そんなもんさ」


 大きな潮焼けした腕が横からにゅっと出てきたかと思うと、それはぐしゃぐしゃと親し気にクラウスの頭をかき回した。


「シルフィード航海長……でも」


 見上げたクラウスの、大きな青い瞳はうるんでいた。

 今にも大粒の涙が頬を伝いそうに、目の端にしずくが溜まっている。


「僕……怖くて。本当に怖くて。航海長マスター、ストームもあんな感じかな。ストームの時も、さっきみたいにすぐ捕まえられるかな」


「それはわかんねえな。でもクラウス。お前の事は、ちゃんと俺が見ていてやるよ。だから、ストームの船に乗り込む時は、俺のそばに居な。そうすりゃあ、大ー丈ー夫ーだからよ」


 シルフィードの真っ白い歯が、キラン! と光った。

 彼はクラウスを安心させるように、その大きな手でバンバン肩を叩く。


ほっそりした体を吹っ飛ばさないように加減しているようだが、実はちょっと痛い。でも敢えてクラウスは、それを止めて欲しいと言わなかった。ものすごくシルフィードが頼もしく見えて、痛みよりも、自分を勇気付けてくれる彼の優しさがうれしかったのである。


「おっ、艦長と副長が来たぜ」

「はっ、はい」


 クラウスは目を袖でごしごしとこすった。

 シルフィードと共に、メインマストの前に整列する。

 後部甲板の開口部ハッチから、商船の高級船員の格好をしたシャインが、後ろにジャーヴィスを伴って歩いて来た。少し緊張しているのかその表情が硬い。



 ◇◇◇



「みんな、今日はご苦労さまでした」


 普段通りの物静かな口調で、シャインがねぎらいの言葉をかけると、水兵達は一応に軽く頭を下げた。


「当初の目的は果たせず、予想外の捕物があったけれど、みんなのおかげで海賊を捕まえる事ができました。その働きに礼をいいます」


「艦長……そんな気遣い今さら無用ですぜ。それが俺達の仕事じゃないですか……なぁ、みんな」


航海長マスターの言う通りで」

「異議なし」


 水兵達はめいめいシルフィードの言葉にうなずいた。その言葉にシャインは頬が上気するのを感じた。照れ隠しのため思わず俯く。


「ありがとう。それであの海賊を捕まえた事で、微少ながら拿捕賞金が出るんだけれど、ストームを捕らえるまでは受け取りに行けないんだ」

「ええーーっ!」


 盛り上がったその場が一気に消沈した。拿捕賞金は臨時収入ボーナスである。

 だだでさえ安い給金が上がるチャンスはめったにない。

 水兵達の目が恨めし気にシャインへ注がれた。


「おいおい、艦長をにらんだって賞金は手に入らないぞ」


 その態度を良しと思わなかったジャーヴィスが、たまりかねて一喝した。


「まあまあ、ジャーヴィス副長。みんなの気持ちもわかるんだ。だからここはひとつ俺が今晩はおごるので、希望する者はみんなジェミナ・クラスへ上陸して息抜きをして欲しい」


 シルフィードをはじめ、エリックなど水兵達は一瞬あっけにとられてシャインの顔を見つめた。文字通り口をぽかんと開けて、自失している者もいる。


「それじゃ……駄目かな」


 シャインは目を細めて、少し困ったように眉根を寄せた。

 左右に分けた月影色の前髪が揺れて顔に陰が落ちる。


「とんでもない! みんな、喜んでごちそうになりますっ!!」


 お調子者だが結構ちゃっかりしている、シルフィードが間髪いれずに叫んだ。

 他の者も口を揃えて、是非そうしたいと、大きくうなずいている。


 水兵達は現金なもので、先程までは葬式に出ているみたいに落ち込んでいたのに、もうそのことは忘れ、ジェミナ・クラスのどの酒場に出かけるか相談を始めている。


「みんな、ちょっと聞いてくれ」


 ジャーヴィスが手を叩いて彼らを黙らせた。


「艦長の好意に甘えるのはいいが、我々はまだストーム拿捕作戦中であることを忘れないようにしてくれ。酔った勢いで、周りの人間に作戦を絶対に、口外するんじゃないぞ。自信が無い者は上陸するな。わかったか?」


「はいっ!!」


 水兵達は一際大きな声で返事をすると、最高位の敬礼をシャインにした。

 みんなのうれしそうな様子にようやく顔をほころばせたシャインは、微笑して軽く敬礼を返した。


「今晩は楽しんで下さい。ですが、副長の言う通り、言動には注意を怠らないように。船への帰艦は明朝10時までにお願いします。では、解散」



 ◇◇◇




「本当によろしいのですか?」


 ジェミナ・クラスに上陸するため、雑用艇を下ろしている水兵達を横目で見ながらジャーヴィスがシャインに話しかけた。


「気晴らしは必要だよ。それに、思わぬ情報も入るかもしれないし」

「はぁ……そうですね……」


 ジャーヴィスの懸念はシャインも理解している。情報収集のためとはいえ、リスクの高さはいなめなかった。酒が入れば当然口も軽くなる。


 ストーム拿捕作戦はもう発動しているし、今日実際に海賊ジャヴィールは、商船に姿を見られているのだ。


 ジャーヴィスはしかめっ面で何か思いを巡らせているようだった。

 シャインは軽く嘆息すると真面目な顔でジャーヴィスに話しかけた。


「あんまり思いつめると白髪が増えるよ。君も上陸して、今夜は気分転換してくればいい」

「白髪って……私はまだそんなもの一本も生えていませんが」


 くすくす。

 シャインはこみあげてきた笑いを必死になってこらえた。その細身を前によじって、笑い声を立てないように。


「何がおかしいのかわかりませんが、艦長、あなたは事態を軽く見過ぎです。いいえ、緊張感がなさすぎです。こんな時に水兵達を陸に上げて、海軍本部に我々がやっていることを知られたらどうするんです。あなたはもちろん、みんな、即刻クビになりますよ」


 あまりにも真剣なジャーヴィスのまなざしに、シャインは笑うのをやめて、小さくため息を付いた。


「ごめん。気分転換をしたいのは、の方なんだ」


 はっとジャーヴィスは息を飲んだ。右手が口元を押さえる。先程までシャインを睨んでいた鋭い瞳が明らかに動揺して宙を泳ぐ。


「そ、そうですよね。あなたはストームを捕らえるため、この数日働きづめでした。それに比べて私は――」


「違う違う」


 シャインは片手を振り否定した。


「ロワールなんだ」

「えっ?」


 意味が分からない。

 ジャーヴィスは口を半開きにしたままシャインを凝視している。


「ずっと俺が船を空けていたからが悪いんだ」


 シャインはジャーヴィスを呼び寄せ小声で囁いた。


「相手をしないと、彼女、怒って勝手に船を動かすかもしれない」

「……」


 ジャーヴィスがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。


「そ、そうですよね。レイディ・ロワールもあなたを独り占めにしたいでしょうね。わかりました。邪魔者は退散することにいたします」


「あ、ジャーヴィス副長、待ってくれ」


 急に踵を返したジャーヴィスをシャインは慌てて呼び止めた。


「すまない。副長の役目って言いたくないんだけど、できれば、誰かが羽目を外さないように気を付けて欲しい。それからこれを持って行ってくれ」


 いたずらっぽい微笑を浮かべて、シャインはポケットから皮の小袋を取り出すと、強引にジャーヴィスに手渡した。その重みにジャーヴィスの顔がすまなさそうに曇る。


「8万リュールはあると思う。今月は出費がかさんじゃって、これだけしか持ち合わせが無くて……」

「いいえ十分です。ありがとうございます」


 ジャーヴィスは深々と頭を下げた。

 シャインは気にするな、と言わんばかりに微笑した。


「副長、雑用艇ボートの準備ができました」


 クラウスが二人のいるメインマスト中央部前に来て報告した。


「わかった、すぐ行く。では艦長行って参ります」


 シャインは頷いた。


「良い夜を」

「あなたも」


 ジャーヴィスは舷門げんもんに向かうと舷梯げんていを伝って水兵達の待つ雑用艇へと乗り込んだ。

 ひとり甲板に残されたシャインは、前髪をかき上げ頭を振った。

 船尾方向を一瞥して、出掛った溜息を飲み込み、肩をすくめる。


「……そんなに怖い顔しなくても。俺はどこにも行かないよ? ロワール」


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