1-33 それぞれの思惑

 アスラトルを発って四日目の夕方。

 ロワールハイネス号はジェミナ・クラス港の湾内に停泊していた。


 アスラトルに次ぐ二番目に大きな港で、軍港と商港が隣接しているため、常時停泊している船は数百隻にもなる。


 ロワールハイネス号が停泊している突堤には、黒塗りの二頭立て馬車が止まっていた。


「お迎えの馬車が参りました」


 舷門げんもん(乗船用の扉)を開き、シャインは港へ降りるディアナのために手を貸した。


「今回は本当にお世話になりました。シャイン様……」


 ディアナは白い帽子のつばを風で飛ばされないよう右手で軽く押さえながら、ぐるりとロワール号の甲板を見回した。ディアナを見送るため舷側には水兵達が一列に整列している。


「皆様もありがとうございました」


 ディアナは水兵達にも向かってそっと頭を下げた。


「ディアナ様、参りましょう」


 侍女のアナリアがディアナに声をかけた。

 ディアナはまだ何かシャインに言いたげに口を開きかけ、しかしアナリアにうながされて舷門へと歩を進めた。


「シャイン様」


 タラップを降りようとしたディアナが振り返った。

 シャインと同じように後ろで一本の三つ編みに編まれた銀髪がふわりと揺れた。


「あの……もしもアスラトルに戻られたら、またお会いしましょう」


 シャインは瞳を細め小さく頷いた。


「はい。できれば『船霊祭せんれいさい』で」


 ディアナが薄紫色の瞳を喜色に輝かせながら微笑んだ。


「ありがとうございます。では、私はこれで」


 シャインは頭を下げてタラップを降りるディアナを見送った。

 港に降りたディアナの前に、黒服に身を包んだ淡い金髪の男が近づいた。

 一言ディアナと会話をし、彼女を馬車に乗せた所で、男がロワールハイネス号の方を見た。


 いや。

 シャインは男が自分を凝視していることに気付いた。


 穏やかな表情をしている青年だが、身のこなしや歩き方に隙は全く感じられない。要人警護の訓練を受けただろう。


 青年はシャインに意味ありげに笑ってみせた。

 そしてディアナと共に馬車へと乗り込んだ。




 ◇◇◇




「きれいな人だったわね。月の光みたいな髪」


 解散を命じ、人気が絶えた甲板でロワールの声が背後から響いた。

 シャインは舷側に背中を預け、どこかおもしろそうに自分を見つめるロワールの方へ向き直った。


「そうだね。彼女はあの髪のせいでエルシーア人っぽくみえないけど、とても綺麗なひとだと思う」

「シャインの事、ずっと目で追ってた」


 ロワールが心なしか口元をとがらせ上目づかいでシャインを見上げている。

 なんだか表情も普段の彼女らしくなく、暗い。

 何故ロワールがそんな表情を自分に向けるのかがわからない。


「そ、それがどうかしたのかい?」


 ロワールが声を潜めてつぶやいた。


「シャインの恋人?」

「ど、どうしたらそういう単語が出てくるんだ?」

「えっ。違うの?」


 意外そうに水色の瞳を見開き、ロワールがわざとらしく叫ぶ。

 シャインは咳払いした。


「当然だよ! 彼女は以前世話になったことがある恩人で、しかもアリスティド公爵家のご令嬢だ。おいそれとお会いできる方じゃないんだから」


「おかしいなぁ。だって彼女、あなたがこの船の艦長だと知ってて、この船に乗りたいって話してたわよ?」

「話していた? まさか君と?」


 ロワールがからからと笑った。


「ううん。私は話を部屋で聞いていただけ。彼女のお付きの女のひとに言っていたのをね」


 お付きのひと。

 ああ、彼女付きの侍女アナリアのことか。


「ロワール。人の話を隠れて聞くのはやめてくれ。客を乗せることは滅多にないけど、君が部屋に隠れていたらあらぬ誤解を受けてしまう」


「あら。私の姿は私が見せたいと思わない限り見えないわ。それにね、私だって隠れて聞いてたんじゃないもん! 私はこの船自身なのよ? どういう意味か分かる? あなたたちがこの船に乗っている限り、どんな会話も意識したら聞こえてくるのよ。それは私にはどうすることもできないわ」


 ロワールが茜色の髪を揺らしながら叫んだ。

 ロワールの本気の怒りをシャインは感じた。

 シャインは彼女の前に膝をついた。


「シャイン?」

「ごめん。君を悪者扱いして。でもそれは君という存在がどんなものかわからないから、これから少しずつお互いを理解し合う必要があると思うんだ」


 気配がした。跪いたシャインの頬にロワールの小さな両手が添えられている。

 シャインの顔をロワールが覗き込んでいる。


 まるで澄み切った泉のような深淵を湛えた彼女の瞳を見つめていると、どんな困難にも立ち向かえるような勇気が湧いてくる。


「わかったわ。許してあげる。もう怒ってないから」

「ありがとう」


 ロワールに促されるままシャインはゆっくりと立ち上がった。

 同時にロワールがシャインの腰に腕を回して抱きついてきた。


「じゃ、今度は私に付き合ってちょうだい。あなたのこと、私もたくさん、知りたいんだから!」


 シャインは周囲を見回した。甲板には見張りのエリックしか見えない。

 こんな所を誰かに見られるのも困る。


「と、とりあえず艦長室へ戻ろうか。そこでお茶でも飲みながら話でもしよう」

「わかったわ。じゃすぐ行きましょ。さっさと行くわよ~」


 どちらかといえばロワールに引きずられるように、シャインは自室へと向かった。




  ◇◇◇




【同時刻 ジェミナ・クラス沖の海上にて】




「はあー。久々の遠泳は疲れたわよ~」

「そうね」


 ぜいぜい喘ぎながら、ラティは海水がしたたる髪を首を振ることで水気を飛ばした。その隣では、すっかりほどけてしまった夜会巻きの髪を、巻きなおすティーナがいる。甲板を歩く靴音が聞こえ、二人は顔を上げた。


「ご苦労だったな。ラティ、ティーナ」


 声の主へラティが申し訳なさそうに肩を落とした。


「すみません。一度は船内を制圧したんですけど、あの船、『船の精霊レイディ』がいたんです。それで……」

「わかっている」


 声の主は何か面白いものを見つけたように機嫌がいい。

 黒い帽子の影で、眼鏡のガラスがきらりと光を反射した。


「結果には満足している。しかし私としては……ロワールハイネス号をあの海域でしまいたかったな」


 男は薄紫色の瞳を細めた。

 その横顔はどこか憂いを帯びていた。何かを思い出すように。


 だがその表情はラティとティーナの方へ顔を向けた途端消失した。

 男は薄い唇に感情の全くこもらない笑みを浮かべた。


「ラティ、ティーナ。しばらくお前らは休養だ。面が割れているからアスラトルには当分近づくな。お前達の船長にもそう伝えておく。迎えの船が間もなく来る。それまで部屋で休め」

「わかりました」

「ああ。そうさせてもらう」


 ラティとティーナが立ち去ったのと入れ違いに、濃紺のエルシーア海軍の軍服を纏った少年がやってきた。


「ツヴァイス司令。ジェミナ・クラス港よりの定時連絡です。ロワールハイネス号が先程入港したそうです」

「……そうか。分かった」

「それでは、失礼いたします」

「……」



 ――これも運命か。

   私は阻止しようとしたんだよ。

   あなたのために。


 黒い帽子の男――ジェミナ・クラス軍港司令官ツヴァイスは、暮れゆくウインガード号の甲板でいつまでも一人佇んでいた。

 


                              





【第1話 レイディ・ロワール(完)】


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