ヒロインの苦難

@touka579

第1話終わりと始まり

 私には好きな人がいる。いつから彼の事が好きだったのかは分からない。ただ、きっと生まれる前から彼の事が好きだったんだと思う。一目見た時から私は「ああ、私にはこの人しかいない」と直感したのだから間違いない。


 彼に出会えた事。

 それが私の三番目の幸せ。

 二番目の幸せは彼と一緒に居られる事。

 でもやっぱり一番は彼が幸せな事。

 だから彼が居ない世界なんて考えられない。

 だってこんなにも彼の事を愛しているのだから。

 いじめられっ子だった私を助けてくれた彼。

 転んだ私に手を差し伸べてくれた彼。

 いつも楽しそうに笑っている彼。


 ああ、私はこんなにも彼の事が好きなのに、どうして。


「どうして私じゃ駄目なの? ねえ、どうして? ねえ?」

「お、落ち着こうよ、早苗」

「私は落ち着いてるわ。正気じゃないのは貴方よ」

「お、俺は彼女の事を愛している。き、君の事は幼馴染だし、長い付き合いだから嫌いじゃないけど……」

「そう」


 彼も私の事を嫌いじゃないと言ってくれている。

 なら、好きって事よね?


「私も貴方の事が好きよ。愛してるわ」

「いや、だから」

「私達が付き合っていた時の事を覚えてる?」

「は?」


 あまりに唐突すぎたかしら?

 彼は口を開けて目を丸くする。

 ふふふ、とぼけちゃって。

 それとも、本当に――


「――覚えてないの?」

「っ!?」

「あれだけ私の事を好きって。愛してるって言ってくれたのに。もう覚えてないの? 二週目だから? もう攻略した相手だからどうでもいいの? ねえ? ねえ?」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、早苗! 君は一体、何を言ってるんだ? 二週目? 攻略? 何の事かさっぱり分からないよ」


 分からない。

 彼はどうしてそんな嘘を吐くのかしら?

 あ、そうか。

 そういう事ね。


「そう……。初期化すればやり直せると思ったのね」


 私は確信をもってそう呟いていた。


「初期化?」


 でも残念。

 私は彼の事を覚えてるし、忘れるはずがない。

 だって一度、結ばれた仲ですもの。

 身も心も一つに。

 ずっとずっと添い遂げる事を誓い合った仲ですもの。

 ふふふ、私が彼の事を忘れるはずがない。

 忘れるものですか。

 忘れてあげるものですか。

 だから、忘れた振りをして他の女と結ばれるなんて絶対に許さない。

 ええ、絶対に許さないんだから。

 

「愛しい人が道(ルート)を間違えたら正すのが妻の務めよね」

「さ、早苗?」

「安心して、もう貴方が選ぶ必要はないのよ。だって、これからもずっとここで私と一緒に暮らして行くんだから」

「な、何を言って」

「ふふふ、幸せになりましょう? これからもずっと……ずっと……」

「い、嫌だ……僕は――っ!」


 ――プツン。


 その瞬間、私の意志とは無関係な闇が視界いっぱいに広がって行くのが見えた。

 ああ、またか。

 またこの終わり方なのね。


【Bad end】


 神様、どうして私のルートにはハッピーエンドがないの?






 九月三日(水)


 キーンコーンカーンコーンと鐘の音が鳴り響く。夏休みは一昨日で終了し、今日から本格的な二学期が始まろうとしていた。


 気が付けば私は教室の窓側の席に腰を下ろしていた。黒板の上に設置された丸い壁掛け時計の時刻は八時三十分を指している。ちょうど朝のホームルームが始まる時間帯ね。何度繰り返しても始まりは変わらない。


「あー、お前ら、静かにしろー。転校生を連れて来てやったぞー」


 教室の前の扉がガラッと開かれ、そこから二人の人物が現れる。

 一人はこのクラスの担任――黒須京子(くろすきょうこ)先生。いつも気だるげな雰囲気の教師ね。


 そしてその隣には私達と同じ学園の制服に身を包んだ男の子が立っていた。彼は黒板の前に立ち、チョークで名前を書いて行く。


 白いチョークで書かれたその名前は『和久井良治(わくいりょうじ)』と記されている。私の席は前から二番目と割と黒板に近い。なので彼と目が合うのは必然だった。この時から、私はきっと彼に惚れていたんだわ。だって、心が温かい気持ちで満たされていくんだもの。


「良ちゃん?」

「早苗? 早苗なのか?」


 彼――良ちゃんは私の顔を見て驚いた表情を見せる。私も似たような表情を造り、良ちゃんを見つめ始めた。だけど、数秒も見たないうちに先生が両手を叩いて鳴らし、良ちゃんに「とっとと自己紹介をすませろー」と急かす。


「あ、すみません。思いがけない再会だったもので、つい」


 良ちゃんは苦笑し、先生に軽く頭を下げた。

 そして、ようやく正面を向いて自己紹介を始める。


「今日からお世話になる『和久井良治』です。自分で言うのもアレですけど、平凡を地で行く男なので、よろしくお願いします」


 軽い会釈程度のお辞儀をして元の体勢へと戻る。

 その瞬間、拍手の音がドッと鳴った。

 その拍手も五秒ほどで収まり、先生が口を開く。


「あー。じゃあ、和久井の席は廊下側の一番後ろなー。じゃあ、朝のホームルームはこれにて終了。お前ら、すぐに一時間目が始まるから用意しとけよー」


 そう言って先生は気だるげなまま教室を後にした。

 クラスメイト達は良ちゃんが席に着くのを見計らい、怒涛の勢いで押し寄せて行く。

 転校生という立場なら誰も避けては通れない洗礼を受けようとしていた。


「ねえ、どこから来たの?」

「どこの部活に入る予定なんだ?」

「身長どれくらい?」

「石村さんとはどんな関係ですか?」

「わっ、わっ、ちょっ」


 次々と押し寄せる質問の嵐に良ちゃんは手で彼らを制する。

 どうやら一つ一つ順番に答えていくつもりらしい。

 なんて律儀なのかしら。


「――と、まあ、早苗とは小学校の時の幼馴染ってとこかな?」


 一つ一つの質問を丁寧に答えていき、最後に私との関係を話していた。

 そう、彼は私の幼馴染で、いじめられっ子だった私を助けてくれた恩人でもあるわ。結局、私は碌にお礼も言えないまま、親の転勤という形で引っ越す事になったんだけど。


「久し振り、早苗。元気にしてたか?」

「ええ、おかげさまで」


 私は笑顔でそう答えた。

 事実、今の私があるのは彼のおかげ……ということになっているのだから。

 たとえ、この思い出が設定だったとしても、この気持ちが本物なら、それは紛れもない事実ということになるわよね。


「それで良ちゃんはどうしてこんな田舎にきたの?」

「ああ、両親が仕事で海外に行く事になってね。僕は日本に残りたいから、おじいちゃんの家で暮らす事になったんだよ」

「そうなんだ」


 私はもう聞かなくても分かるような質問で会話を繋いでいく。

 本当は今すぐにでも私のルートに突入して貰いたいところだけど、十月の学園祭が成功するまで個別ルートには入れないから我慢する事にした。


「そうだ。放課後になったら、私が色んな所に案内してあげる」

「お、いいなそれ。頼むよ、じゃあ」

「ええ、任せて!」

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