フォルテナの壺は満ちない
せち
第1話 とおりゃんせの洞窟
「うらら~」
うっそうとした雑木林の中、力の抜けた問いかけが響く。夏の昼間だというのに空を木々に覆われたせいで不気味な状況、しかし声の主はそんなことはまったく気にならないようで、のんびりとした口調で続けた。
「野良猫、本当にこの中に入ったのか?」
上半身を狭い洞窟の中に突っ込んだ少女の問いかけに、その姿を後ろから見守っていた青いワンピースの少女が一つ頷いた。同時に彼女の胸元のペンダントがこつんとはねる。ゆるいパーマのかかった長い髪もふわりと揺れた。
「うららってば」
「あ、うん」
そして、遅れて問いかけた少女には自分の姿が見えないと気が付いたらしい。慌ててもう一度頷きながら、今度はきちんと言葉で返答をよこす。
「なんでまたこんなところに………」
「波蝶が来た音で猫さんがびっくりしちゃってさ~」
「あー、そうですか………」
つまり私のせいじゃないか、困ったなあ。と。独り言のように呟いた少女が、ひとまず洞窟に突っ込んでいた上半身を抜いて小さく息をついた。顔についた土を手の甲で雑に拭いながら、髪にもついていた土くれを振るい落とす。セーラー服のまま地面に寝そべったせいで服まで泥まみれになってしまっていたが、そこはあまり気にならないようで無頓着にぱたぱたと手ではたくのみだった。
「波蝶、泥だらけだよ。ごめんね?」
「いいよ、うららのワンピースの方が大事だし………いやそれよりも、猫が全然見えなかったんだけどどうしよう」
地面にあぐらをかいた制服の少女が渋い表情を浮かべる。その表情を見て、ワンピースを着た少女もうーん、と天を仰いだ。
ここでもう一度状況を確認。二人は今、小さな山の中腹にぽっかりと開いた、小さな洞窟の前にいたのだ。なぜそんな場所にいるのかと問われれば事情は簡単で。
「猫さん~………出ておいで~………」
「おーい、そんなところにいても危ないぞ~」
二人そろって真っ暗な洞窟の中に呼びかけてみるが、当然のように猫が人の言葉を理解することはなく。つまり何か別の猫救出方法を考えなければならないということだった。
「ごめんね波蝶、迷惑かけちゃって」
「うん………うららはそんな奴だから今さらなんも言わないけど」
渋い顔のまま少女は再度、腹ばいで洞窟の中に上半身をつっこむ。考え方によってはうららと呼ばれた少女のワンピースより、明日も学校に着ていく、しかも一着しかない波蝶の夏用セーラー服の方が汚れたらまずいはずなのだけれど、少女はそんなことおかまいなしとばかりに容赦なく土の上を匍匐前進。洞窟の中に入ろうともがく。
「ダメだな~、見えないな~」
「波蝶、やっぱり無理かなあ」
自分の名前を心配そうに呼ぶワンピースの少女を振り返り、波蝶と呼ばれた少女は泥だらけの顔で得意げににやりと笑った。どれだけ不敵に笑ったところで顔が泥だらけだから締まらなかったが、本人としては不安げな少女を安心させるために見せた完璧な笑顔だったのだろう。
「大丈夫だってうらら!待ってろ、今見つけてくるから!」
それだけ言って、波蝶は先も見えない洞窟の奥に腹ばいのまま進んでいった。
いわく、友達には二つのパターンがあるという。似たもの同士の友達と、どうして友達になったのか分からないタイプの親友。この二人に関しては、間違いなく後者だといえる。
どちらかと言えば短絡的、考えるより先に体が動く、はっきりとした物の言い方をするタイプの波蝶と、穏やかな喋り方、人よりも数秒ほど反応の遅い長考タイプのうらら。ちなみに周囲にかける迷惑は、どちらも大して変わらないというのは二人のクラスの担任からの評価。『この二人がつるんでいるとろくなことにならない』というのが、先生以下クラスメート含め周囲からの評価の大半を占めているあたり、二人が周りにどう思われているか分かるというものだろう。
しかしこの二人、周りの評価なんて知ったことかと言うように、二人は友人なのだ。五歳の頃から一緒にいる二人は友人というより既に幼馴染で誰よりもお互いを理解している。気恥ずかしいから確認をしたことはないがきっとお互いにそう思っている。そんな不思議な友人関係なのだ。
「波蝶、大丈夫~?」
「大丈夫!」
洞窟の中を腹ばいで進みながら、洞窟の中にいるせいで妙に反響したうららの声に答える。徐々に声が離れてきたから、それなりに進んでいるんだろうと考えつつも前進するためにまた肘を前に出す。半袖のセーラー服を着ていたために肘が地面と擦れて少し痛いが、ここは我慢だ。
「波蝶~」
「なんだ?そっちで何かあったか?」
とりあえずお互いの声が聞こえるのはありがたい。真っ暗な洞窟の中を進んでいるという不安も友達の声が聞こえれば少しはましになる。うららの声は間延びするから緊張感はそがれるけれど。
「波蝶~、お腹すいた~」
緊張していた波蝶の体から一気に力が抜ける。自分の友人ながら本当に緊張感がない奴だ、と心の中で毒づきながらも前に進むための肘を止めないあたり、波蝶は大変に律儀な性格である。そしてうららの一周回って緊張感を削ぐ状況報告のおかげで、良いのか悪いのか不安もほとんどなくなった。
―――――とはいえ、気を抜くと本当に危ないから気をつけないとな。
うららに文句を言うために緩みかけた口元を意識的にぎゅっと引き締めて、波蝶は再び自分の手も見えないような暗がりの中を進むのだった。
ところで、この洞窟には名前がある。地元の人しか知らない小さな山の中にある小さな洞窟、に見えるけれども、実際のところはそう小さいものでもない。正式に調査されたことがないうえに大人は入れないくらい入口の狭い洞窟だから誰も洞窟がどれくらい続いているのかは知らないし、今更あえて入ろうとする子供もいない。しかし好奇心の塊である子供がここに近づかないのにはそれなりの理由がある。言ってしまえば『とおりゃんせの洞窟』という誰が考えたのかも分からないような名前が子供の不安を煽るのだ。
『とおりゃんせの洞窟』。別名、『神隠しの洞窟』。実際に誰かが洞窟の中に入って消えてしまった、いなくなってしまった、という話は小さいころからこの町に住んでいる波蝶でも聞いたことがないが、嫌な想像をするのには十分な名前だった。「行きはよいよい、帰りは怖い」なんていう童謡の歌詞が、洞窟に入ろうとする子供の勇気をくじくのだ。
「まあそれもいつから呼ばれてるか分からないんだけど、さ」
暗闇の中を手探りで進みながら呟く。いよいよ洞窟の入口で波蝶に呼びかけるうららの声さえ聞き取りにくくなってきた。当然のように波蝶もこの洞窟の噂くらいは知っている、だから気を引き締めつつ上半身を洞窟に突っ込んだ。
………気を引き締めていれば神隠しに遭わないのかと言われれば波蝶も首をひねるところだけれど、気持ちの問題である。
「ん、でもちょっとずつ広くなってる、ような」
そんな波蝶の予感は正しかった。しばらく進むと小柄な波蝶が腹ばいでしか進むことができなかった洞窟の幅が広がり始めたのだ。それに合わせて波蝶の体勢も腹ばいから四つん這いに、四つん這いから中腰に変化する。そしてついには普通に二足歩行で背筋を伸ばして歩くことができるくらい洞窟は広がった。
「あ~、進みやすくなった!」
立ち上がったついでとばかりに身体中の骨をバキバキと鳴らす。やはりあの無理のある体勢は体に負荷を与えてしょうがなかったのだ。
「それにしても猫、どこだ?おーい、猫ーっ!」
当初の目的である猫の存在を思い出して、波蝶はポケットから取り出したケータイの液晶で洞窟を照らす。進んでいる途中の無理がある恰好では光源を出すこともできなかったけれど、空間が広がれば話は別だ。液晶であたりを照らしながらぐるぐると周囲を確認する余裕まである。
「というか、うららに懐いてた猫なんだからうららが捜しに入ればよかったんじゃ」
言いかけて、それはまずいと波蝶はふるふると首を横に振った。
「いや、あいつにやらせるのは危ない。下手したらレスキューまで出る」
おっとりした話し方をうらぎらず、うららは身体能力も大変おっとりしているのだ。これはとても好意的な言い方をしている。そして友人としての贔屓目も入っている。実際のところ、ドッジボールをやらせれば一番最初にボールにあたり、しかも顔面に当たっても「今私、当たっちゃった?」と笑顔で首を傾げる鈍さなのだ。運動神経はいい方である波蝶とは雲泥の差がある。つまりこの役割分担も適材適所というやつだ。入口でお腹がすいたと主張する役割にどんな意味があるのかまで波蝶は知らないけれど、それはそれ。
「っていうかまだ奥がありそうだしな、猫は………おわうっ!!」
独り言の途中で悲鳴を上げた。というのも、足元になんだか生ぬるいものがぶつかったからなのだが、光を向けてみればそれはさっきまで波蝶とうららが必死で探していた猫がいた。液晶の光を向けられて鬱陶しそうに目を細めているが、猫は猫。つまり洞窟に入った目的は達成できたわけだ。
「なんだ………猫ちゃんか………あは、そんなことだろうと思った………」
早鐘を打つ心臓を片手で押さえて聞く相手もいない中、精いっぱいの強がりを見せた波蝶が猫を片手でつまみ上げる。幸いにも光に目がくらんでいたのか、あっさりと抱え上げることができた。
「まったくもう、手間かけさせやがって。お前は動物だから言っても分からないかもしれないけど、あんまりうららを困らせるなよ?お前に逃げられたら、あいつには追いかけるすべなんてないんだ」
「ニャー」
「本当に分かってるのか………いたっ」
顔を近づけてそう呟いた瞬間、猫が手を引っ掻いた。どうやら片手で抱えられた不安定な恰好がお気に召さなかったらしい。
「あ、こら、」
もう一度捕まえようと伸ばした手をかいくぐって、猫は波蝶の逆方向、洞窟の入口を目指して脱兎のごとく走っていった。
「まったくもう、トラブルメーカーめ」
引っかかれた手を抑えてぼやく。せっかく大変な思いをして洞窟の中に入ったというのに、待っていたのがこの仕打ちではさすがの波蝶も落ち込むというものだ。トラブルメーカーという言葉がうららを指していたのか猫を指していたのかは本人にも分からなかったけれど。
「……まぁ、たぶん入口まで行ってくれるだろう」
ここまでは一本道だったし、波蝶と逆方向に進んだということは出口に到達してくれているはずだ。途中で足を止めていたのなら今から入口に戻る波蝶が後ろからつつけばいいし、あの勢いだったら一目散に洞窟を飛び出していそうだという予感があった。
「とりあえず、ミッションコンプリート!」
いつも波蝶の声に相槌を打つ少女は声が届かない場所にいるので、そんな宣言に何の反応も返ってくることはなかったけれどそれもそれだ。奇妙に洞窟の中に反響した声の余韻が消える前に、波蝶も踵を返す。
「じゃ、帰ろ」
本来であればあまり長居をする場所でもないし、そろそろ帰らないとうららが心配する。猫だけ帰ってきて波蝶が帰ってこない状況。もし立場が逆であれば波蝶もレスキューを呼ぶことをそろそろためらわないくらいの時間が経過したはずだ。しかし実際のところの波蝶はぴんぴんしているので、もしレスキュー隊が乗り込んできたら洒落にならない。何よりも恥ずかしい。早く帰るに越したことはないはずだ。
「わっ、」
一歩足を踏み出して、何かが爪先にあたって変な声が出た。転がるような音からおそらく小石を蹴ったのだろうとあたりをつけてなんとなく視線を向ける。
―――――それはなんでことない動作だったのだ。
寄り道をするつもりもなく、違和感を覚えたわけでもなく。脊髄反射で蹴っ飛ばした小石に目を向けた。波蝶からすればたったそれだけのことだったのだ。
「あれ?」
ただ、蹴り飛ばした何かが暗い洞窟の中で光った。そんな気がして目を凝らす。なんの変哲もない、洞窟の中に転がっている石でしかなかったものを視界に入れた瞬間、目が眩むほどの光が波蝶の視界を覆った。
反射的に腕で顔を隠そうとするも、そんなことで防げるような光でもなく。例えるなら至近距離で太陽が光っているような、網膜を焼く痛みが目に、眼球に、刺さる。そして波蝶は役に立たなくなった視界の向こう側で、聞き慣れた誰かが自分の名前を呼ぶ声を聞いた気がしたのだ。
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