第2話 異形少女と再会
アキは行商人だ。一五の時に故郷を離れ、それ以来四年間にわたり街を転々としながら商売をしている。
少し伸ばした黒髪を後ろで束ねた、商売人としては悩みどころの少しばかり悪い目付きの、年相応の見た目の駆け出し商人である。
実家がそこそこの大きさの商店であり、いずれは自分だけの店を持つことを目標に各地で勉強と商売を繰り返している。
一人旅である身のため、普段は一時的にキャラバンの世話になったり、乗り合い馬車を利用しながら行商を行っているが今回は少しばかり都合が違った。
商品の需要と供給に合わせてふらふらと街を渡り歩いている最中、とある人物の依頼を受けてこの街──商業都市アークへと足を運んだ次第である。
正直、初めから気が進む要件ではなかったのだが……憧れの商業都市に赴く絶好の機会とあっては、話を断ることができなかった。
もっとも、今の状況を考えるとそんなものは無視して、他の街に向かっていた方が良かったのではないかと思えてきたのだが……。
◆
場所は変わり、ある小洒落た食堂のテーブル席。
皿に盛られた商業都市の名物であるらしい魚の揚げ物を前にしながら、アキは料理には目を向けず難しい顔をして対面の人物を見つめていた。
「どうしたんだい? そのフライはとても美味しいけど、 温かい内にいただいてしまった方がいいよ? 何せこの店自慢の揚げ立てだからね!」
対面の人物──先程の黒コート、改め魔族少女である。その特徴的な蛇目がじっとこちらを見つめていた。
被っていたフードはそのままで、店内でもコートを脱いでいない。その下は何故か男装のようで、簡素なスーツを着込んでいる。
結局、街の中心部付近までたどり着いたところでようやく彼女の拘束から解放された。
助けてもらったようなものだが、これ以上の厄介事は勘弁だと逃げ去ろうとしたのに強引にこの店に連れ込まれた形になる。
いっそ走って逃げようかと考えもしたが、今しがた体感させられた運動能力を考えると成功するとは思えず、泣く泣く彼女の言う通りに付いて来てしまった。
それに、こんな状況ではあるが空腹が限界だった。
無理もない、他の街からまる五日掛けてこの街まで来たのだ。今回は馬車での移動だったのである程度の食料も持ち運べたが、街での食事と比べるとどうしても質素な物になってしまう。その状態で空きっ腹を刺激する匂いを嗅いでは、我慢のしようなどなかったのだ。
今も目の前で湯気を上げる料理の誘惑に負け、魔族少女を警戒しつつもフライを口に運んでしまった。
「……!」
死ぬほどうまかった。
淡白だがしっかりとした味わいの魚の身と、それを包むサクサクとした歯触りの衣が絶妙に合わさりこれだけでも十分にうまい。しかもその上からかけられた柑橘系のソースがこれまた違う味を引き出し舌を楽しませる。
今が空腹でなかったとしても、この味を知っては食欲を押さえることなどできなかっただろう。
そこからは目の前の少女のことも忘れ、がつがつと貪る様に食事を取った。
件の少女はというと、「ここは僕が奢らせてもらうから遠慮なく食べてくれ」 などと言いながら同じ料理を食べている。
何が楽しいのか、アキを眺めて満足そうに微笑みながらの食事だった。
一〇分後──
魚を全て食べ上げて人心地ついたアキは、今さらながら少女に声を掛けた。
「先程は状況が悪く話ができませんでしたが、貴女はどなたですか? 申し訳ありませんが、私は貴女とお会いした覚えがないのですが……」
「え、今さらそんな言葉遣いするの? あれだけ一緒に走り回って、ご飯も食べた後で?」
今から他人の振りをしてスマートに逃げ去る作戦が失敗してしまった。
「……ところでアンタ誰だ? 魔族の知り合いなんて俺にはいないんだが」
「あ、仕切り直した」
放って置いて欲しかった。
取り繕うのも面倒になり、客を相手にしたビジネススマイルと口調をかなぐり捨てて素の態度で話をする。
そんなこちらの様子を見て少女は笑みを深くした。
「まあいいや。改めまして自己紹介、僕の名前はアーク! ずっと君を探していたんだよ」
「アーク……? 聞いた覚えがない。俺はこの街に来たのも初めてだし、アンタみたいな目立つ姿なら忘れ様がないな。人違いじゃないのか?」
少女……アークの姿を見ながらそうこぼす。
白すぎる肌もそうだが、一際目を惹くのは額から伸びた角だ。
人間種の中で角を持つ物は、獣人種を除けば一種族だけだ。そして目の前の少女に、 獣人種の特徴は見当たらない。
即ち残りの一種族──魔族だ。
大戦が終結した現在。人類と共に暮らし始めた者もいるとは聞いていたがその数は少ない。
当然だ。一〇〇年近く前の話とはいえ人類種と魔族は戦争をしていた。しかも魔族は長命種だ。当時の人間はほとんどが死んだが、 魔族は大多数の当事者が生き残っている。
停戦条約が結ばれたとはいえ、好き好んで敵だった者と生活を共にする者は少なかったのだ。
それ故に、それなりの数の街を訪れたことのあるアキも魔族を見たのは初めてのことだった。
というか、アークと名乗ったか、この少女。
この街と同じ名前だ。その土地の恩恵にあやかって街の名前を子どもにつけるというのは地域によっては珍しくない風習ではあるが……なにやらこの少女からは面倒事の匂いがする。
「……うん。やっぱり人違いみたいだから俺はここで」
「ところでこの店はサンドイッチとデザートもおすすめでね」
「まあ食事を取りながら話を聞こうじゃないか」
やはりわけありに思える少女を放って置くことなどできない。ここは話を聞いておくべきだろう。
面倒そうな雰囲気から一変、どっしりと腰を落ち着けたアキを見て少女──アークはしばし目を丸くしていたが、それからけらけらと笑いながらウェイトレスに二人分の注文を追加した。
そのまま紅茶に口をつけ、二又に別れた舌で唇を舐める。
「うん、素直なのはいいことだ。そういうところも変わらないね」
「だから、俺はアンタと会った覚えがないんだが」
「うんうん、そういうきっぱり物を言うところも変わらない」
「話聞いてんのか?」
まったく話が進まない。なのにアークはけらけら笑う。
「あー、何だ。やっぱり人違いだろう。俺の見た目なんかそこら辺にあるような平々凡々なもんだし、誰かと勘違いしてんだよ。悪いがよそを当たってくれ」
と、出会ってからこっち、ずっと笑っていたアークが少しばかり顔を曇らせた。
「む、失敬だな。僕が君を誰かと見間違うことなんてあるわけないだろう!」
「いや、現に今誰かと俺を間違えてるんだが……」
「そんなことあるもんか! 僕が君を……君……名前なんだっけ?」
「覚えてねぇじゃねぇか!」
駄目駄目だった。食事は惜しいがもう行こう……。
「店員さん、マルク魚の蒸し焼き追加でー」
「まあそういうこともあるだろうな。俺の名前はアキ。話を続けてくれ」
「話が早くて助かるけど、ちょっとチョロ過ぎないかい?」
「商人なんで」
「答えになってないけど……ふーん、商人なんだね」
「馬鹿じゃねぇのか俺は!」
「うん、商人だった気がしてきた!」
「アンタも馬鹿だな!!」
食事に釣られて自分の情報を開示するなど商人どころか普通に情報管理できていない人間だった。相手も大概だが。
「とにかく、君を誰かと間違えるなんてありえないよ! この匂いに間違いはない!」
「匂いで判断してたのかよ」
「うん、この匂いで間違いない」
駄目だ、まったく話が進まない。
そうこうしている内に追加の料理が運ばれて来た。鶏肉と野菜のサンドイッチに先程のフライに使われていた魚を蒸した物、デザートには最近流行し始めたバター付きのパンケーキ。
その宝の山の様な品々にアキは目を輝かせ、二人は食事を再開する。
……本当に、話はまったく進まない。
◆
閑話休題。
重ねられた空の皿を前に、二人は食後の紅茶を楽しんでいた。
最初はアークの行動に裏があるのではないかと疑っていたアキも、今ではいくらか警戒度を下げている。
完全に気を許したわけではないが、少なくとも悪意を持って接してくるタイプには見えない。隠すだけの頭がある様にも見えなかった、アホっぽいし。
もちろん、それを悟らせないだけの技術を持っているかもしれないので警戒を解くことはない。
そんなことを考えながらも紅茶を楽しむことはやめないあたり、かなり気が抜けているのだが。
「仕切り直すけど、俺はアンタを知らない。 やっぱり人違いだと思うぜ」
「そんな事ないよ! 君が街の外に見えた時から確認してたんだ、僕の鼻に間違いはない!」
「だからそれが間違い……今何て言った?」
「ん? 僕の鼻に間違いはない!」
「そこじゃなくて」
今アークは街の外と言ったか?
この街は高い外壁に囲まれていて、内側からは外の様子など窺い様がない。
それとも、匂いであれば壁など障害にならないとでも言うのだろうか。
「ううん、最初に気付いたきっかけは匂いだったけど、馬車に乗って来た君のことを見ていたよ」
「見てたって……いったいどこから」
「そりゃ、門の上さ。あそこはこの街で一番高い場所で見晴らしがいいからね」
こいつ、あの馬鹿高い場所に居たのか。それなら外を見ていたということにも頷ける。 人一人を見付けることができるかというのは疑問ではあるが……
……高い場所?
そういえば、最初にこいつはどこかから落ちてきた。
その後の展開が急すぎて今まで疑問を感じていなかったが……まさか。
「アンタ、まさかあの門の上から飛び降りて来た、とか言わねぇよな」
「む、君は僕の話を聞いていたのかい?」
「いや、今の話を聞いてた限りそうとしか思えなかったんだが……違ったか」
「そうに決まっているじゃないか」
「何も違わねぇ」
ドヤ顔で「鍛えているからね」と慎ましい胸を張るアークに呆れ顔を向けながら、内心では戦慄する。
話には聞いていたが、これが人類種最強と謳われる魔族の力か。
一〇〇メートルの高さから飛び降りて無傷など、通常の生物ではありえない身体構造だ。魔術を使っていたのだとしても尋常ではない。
「いやー、普段はあんなことしないんだけどね。君を見つけられて思っていたより興奮してたみたいだ。今度謝りに行かないといけないな」
「一番の被害者である俺にも謝って欲しいんだけど」
「うん、悪かったね。けれどほら、ここの昼食でチャラってことで」
「……仕方ないな」
「やっぱり君はおもしろいな」
けらけらと、やはり彼女は楽しそうに笑う。
「それに君には他の迷惑もかけてしまったからね。そのお詫びとしての意味もある」
他の迷惑? 死ぬほど驚かされたということ意外に何かあっただろうか。
後はチンピラに追いかけられたところを、どちらかというと助けてもらったようなものなのだが。
「ゴロツキ達に追いかけられただろう? あれ、僕を狙ってるんだ」
「ごちそうさまでしたこれで貸し借りはなしってことでそれじゃあさようなら」
「まあまあ、久しぶりの再会なんだからもっと話をしようじゃないか」
流れるような動作で席を立ち店を出ようとしたが、がっしりと腕を掴まれてしまった。二の腕に少々ざらりとした鱗の感触が伝わってくる。
完全に失敗した。こちらを見て走って来たからてっきり自分を狙っているのかと思ったが、なんのことはない。徹頭徹尾、アキは巻き込まれただけだったのだ。
人間の街で追われる魔族の少女、どう考えても厄ネタである。
「俺はアンタを知らないし、これ以上の面倒事はごめんなんだ。わかったらこの手を放してくれ」
「はっはっはっ、それは照れ隠しってやつかい? 本当は僕のことが気になってたまらない癖に」
「放せ! 面倒事はごめんだって──!」
「いいや、君は僕を放っておけないさ」
先程までとは打って変わった凛と透き通った声に、つい動きを止めた。
アークは今まで見せていた子どもの様な華やかな笑みとは違う、優しげで綺麗な──けれど、どこか悲しそうな笑顔でこう言った。
「君は、僕を放っておけないよ──今も昔も、ね」
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