先輩とチョコレート。そして、私。

水沢 士道

――



 始まりは何時の頃だっただろう。

 私は、先輩が好きだった。


 はじめての出会いは私が高校一年生で、先輩が高校三年生のころ。

 小学校からの友人たちともクラスが離れ、知らない同級生、知らない先生と相対する日々。

 なんとなく入った部活動も、別に私なんて居なくても良いような雰囲気で。

 何時の間にか級友たちも新しい友達を作り始めていて、気がついた時にはもう一人ぼっちだった。


 社交的じゃないわけじゃない。それなりに上手くやっていたはずだ。

 いじめられたり、からかわれたり、悪意を持って近づいてくる人間は居なかった。

 けれども、好意を持って接してくる人間もまた。居るはずもなく。


 そんなときに私に話しかけてきたのが、先輩だった。

 期待のエース。そんな肩書を最初の頃は引っ提げていたらしい、何時も練習をサボっている部活の先輩。

 陸上部なのに走っている姿なんて見たことがない、ぐうたらでねぼすけで、どうしようもなく怠惰なひと。


 寝ぼけた眼を擦りながら部室の中から出てきて、『よう、なんだか元気ねぇな』なんて、まるで人の心を見透かしているかのような物言いに腹が立って、最初はツンケンと返してしまったのは……多分、仕方ないと思う。

 先輩は本当にデリカシーがなかったから。


 その日から、先輩は暇なときは私のところに来てくだらない話ばかりをするようになった。


『今日の弁当に入ってたおかずがきゅうりオンリーだった』とか、『明日の大会、めんどくさいからサボろうぜ』とか、『俺のクラスの鴨田が鶏小屋に頭から突っ込んで鳥になった』とか、どうでもいい話ばかり。

 私には全く関係なくて、気にする必要もないような。“聞き流しても許される”、そんな話題。


 ときには、好物の話なんかも出たりして。『チョコレートとか、甘いもんが好きなんだよな』って、子供みたいに笑って。

 小さい頃駄菓子屋にあったチョコをみんなで買い漁って、それを溶かしてチョコレートフォンデュをした(勝手にやったので後でものすごく怒られたらしい)とか、バレンタインに貰えるチョコが少なくてチョコレースで負けっぱなしだとか。


 だから、卒業式の日。

 胸に紙の薔薇を付けた先輩へ。


「先輩が走ってる所を見せてくれたら、チョコ――――あげてもいいですよ?」


 そう、言ってしまった。

 頬を掻きながら愛想笑いをするその姿を見て、なんだか妙に可笑しくて。私はけらけらと笑った。

 最後の最後で一矢報いてやったぞと、思っていた。

 先輩が卒業するまでは。


 ――――


 高校二年の春。期待のエースとまで呼ばれていた先輩が何故、私のところによく来ていたのか理由がわかった。

 不慮の事故。両足の怪我。道路に飛び出た見ず知らずの子供を庇って怪我をして、二度と走れない体になってしまったという、何処かで聞いたようなストーリー。

 そうか、だからあの時。理解した。理解してしまった。だから、卒業式で見せたあの顔が、仕草が、パズルのピースのようにはまっていって。


 私がどうしようもなく馬鹿なことに気付いた時には、もう手遅れだった。


 馬鹿だ。私は。

 なんで察することができなかった。


 あれだけ私のところに何度も来ていたのに、エースとまで呼ばれていた先輩を誰も呼びに来ない理由なんてわかったはずだ。

 考えてみれば簡単なことだ。先輩も別に隠しているわけではなくて、ただ私が知ろうとしていなかっただけ。

 全部、全部。先輩という居場所ができたことに対する盲目的な安心感が、どうでもいいことも、私には離してくれているという馬鹿な思い違いが、先輩の傷を抉るような意趣返しを生み出してしまった。


 そう、これは意趣返し。

 返したものがまた返されるのが、運命。


 チョコを作った。先輩が以前好きだと言っていたビターなチョコレート。

 少し苦くて、けれども甘い。『まるで人生みたいだろ?』なんて揶揄していた、カカオ成分少し多めの大人の味シュガーレス

 溶かして、混ぜて。型にはめて形を整えたり、クッキーにコーティングしてみたり。

 今までコンビニの雑誌コーナーでしか見たことのない料理雑誌を読み込んで、専門の本を買って試して、苦すぎる味に舌を出して。

 何度も何度も失敗して時間は少しかかったけど、どうにか綺麗に作れるようになった。


 2月。少しだけ肌寒い恋の季節。

 先輩に渡すための紙袋を抱えて歩く。


 確か、先輩はこの辺りに住んでいたはずだ。

 以前聞いた話を必至に思い出して、鏡の前で練習を重ねて。それからお詫びですって渡せるように、何度もイメージした。


 そうしてふと顔を上げた時。

 見てしまった。見えてしまった。


 先輩が知らない女の子と笑いながら寄り添って歩いているのを。

 手を取り合い、恋人同士みたいに熱い視線を交わしているのを。

 白い息を吐いて、もう冬だなって小さくはにかんだその口元を。


 走った。紙袋を地面に落として。

 ごめんなさいって謝りながら、どんどん荒くなっていく呼吸。

 身体に伝う汗に、何故私はこんなに焦っているのだろうと疑問が浮かぶ。

 けれど、足は自分の意志では止められなくて。


―――― 


 雪の降り始めた公園。ベンチに座って呆けたように空を見る。

 開いた掌の中に落ちるひとひらの雪が、なんだか無性におかしくって。

 

 私は、初めて恋をした。

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先輩とチョコレート。そして、私。 水沢 士道 @sido_mizusawa

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