第33小節目:おべんとう

 帰り道、三々五々さんさんごごの解散となり、吉祥寺きちじょうじでおれと市川いちかわは二人で降りる。


 市川は普通に帰宅で、おれは今夜、神野じんのさんとの深夜レッスンだ。


 電車の窓越し、沙子さこに手を振ると、手を振り返してから、おれの持った手提げを指差し、その人差し指を浅くくわえて空気を吹き込むような動作をしてみせる。


「沙子さん、何してるんだろう?」


「さあ……」


 いや、エアーマットに空気を入れて使ってねということなんだろうけど、なんか、あまりはしたないことをするものじゃありませんよと思ってしまうよ。


 電車は出発し、0.数ミリの意地悪な笑みを連れ去っていった。


 吉祥寺駅、公園口から出ながら、市川が口を開く。

 

「それにしても、IRIAさんの話、ただ小沼くんと沙子さんがやりたいかとか、やれるかってことでもなくなったね?」


「そうなあ……」


 市川の言いたいことは、よく分かった。


 広末は青春を掴むために日本に来て、現状に意気消沈している。


 ここでおれたちがこの話を受けなければ、広末が青春を掴み損ねるかもしれない、ということだろう。


 amaneにも悪い影響がないどころか良い影響すらあると言うなら、いよいよ断る理由の方が少なくなってきた。


「あまり、納得してなさそうだね?」


「納得っていうか、なんというか……」


 なんとなく、心のどこかに違和感があるのだった。なんでだろう……?


「……まあ、せっかく猶予をもらったし、考えてみるよ」


「そうだね、私にも相談してね?」


「そりゃ、もちろん。あー……、それじゃ、ここで」


 スタジオオクタの入っているビルの下までついて、おれは立ち止まる。


「ていうか、なんとなく送ってもらっちゃってすまん」


「う、ううん。私が小沼くんとちょっとでも長く一緒にいたかっただけだから……」


「お、おう……!」


 殺し文句を言われて身体中にびりびりと痺れる感覚が走っているおれの反面、天然天使さんは大したことを言ったつもりがないのか、なんだかもじもじしている。


「あ、あのね、小沼くん……?」


「ん?」


「私、ご飯、家で食べなきゃだから、一緒に食べられないんだけど……」


「ああ、うん……?」


 元々そのつもりだけど……?


「でも、小沼くんは自分でご飯食べるってなったら栄養が偏ったもの食べそうでしょ?」


「まあ、栄養が偏るというよりは、立派な定食屋に入るような金はないから、牛丼屋かコンビニになるだろうな……」


「牛丼屋さんで、サラダ、食べる?」


「いや、食べない」


 高校生的に、野菜に金を払うなんて選択肢はありえない。ていうか今この人牛丼屋に『さん』つけたね。


「でしょ……? だから、その……これ」


 おずおずと差し出されたのは、大きめの巾着きんちゃく


「これ、もしかして……」


 話の流れとその形状から察するに、間違いなく、お弁当箱だ。


「だ、大丈夫だから!」


「な、何が……?」


「そ、その! 保冷とか、食材とか、夜までつお弁当を調べたから! あのね、お子さんが塾に行くとかで、夜まで保つお弁当を作るのって結構需要があるらしくてね、それで、今、秋だからだいぶ寒くなってきたし……」


「いや、そこは心配してないというか、何も心配してないけど……」


「私が心配なの!」


 市川がうつむいていた顔をがばっと上げる


「その、小沼くんが体調崩さないかとか、倒れたらどうしようとか、それに、美味しくないって思われたらどうしようとか……!」


「ああ、うん……いや、そんなのは絶対ないです……」


 おれは嬉しいやら可愛いやらでなんといえば良いかわからず、それでもなんとか、絶対に言わないといけないことだけを口にする。


「えっと、……ありがとう」


「ど、どういたしまして……。それじゃ、頑張ってね」


 市川はそっと、おれの右手の指先をきゅっとつまむように掴む。


「いってらっしゃい、小沼くん」


「お、おお……」


 宙ぶらりんになっていたお弁当をおれに受け取らせると、市川ははにかんだ笑みを浮かべて小さく手を振り立ち去っていく。


 その破壊力に2、3秒立ち尽くしていたものの、照れくささを感じながらカバンにしまいつつスタジオへの階段を上がろうとすると、


「うっ……!」


 ……数段、上がったところに所在なさげな茶髪のポニーテール先輩がいた。




「……ち、違うからな!? アタシがコンビニ行こうとしたらお前らがそこでそーいうことしてるのが悪いんだからな!?」


「はい、それは、ほんと、そうです……」


「つ、つーか、お前らって、そーなのか!?」


 暗がりでもわかるほど赤面する神野さん。


「あの、ほんと、すみません……」



 ……きっとおれは、その比ではないだろうけど。

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