第16小節目:君は僕のもの

「私の家も、吉祥寺きちじょうじにあるよ?」


「……え?」


 学校のスタジオに、数秒の沈黙が横切る。


 市川いちかわは相変わらず熱っぽい目をして小首をかしげている。


「えっと……でも普通に、ご両親いるよな?」


「どうして、親がいるかどうか聞くの?」


「………………え?」


 ……なんだこれは。


 いや、聞くだろ、親がいるかどうか。


 だって今の提案ってあれだろ? 『うちで仮眠取ってもいいよ』ってことでしょ? 親御さんがいるのに行って「おじゃまします! おれ、寝ますね!」って言うの? おかしくない?


「親御さんがいるところに寝床だけ借りに行くの、変じゃない……?」


「それって、沙子さこさんの家でも聞いてた?」


「あ、いや、それは……」


 ……うーん、もしかしたら聞いてないかもしれない。


 でも、それは微妙に話が違くないか? だって、さこはすパパもさこはすママもおれのこと知ってるじゃん。いや、おれが違うと思ってるだけで本当は違くないのか? 同級生の女子の家ってことを含めたら一緒か?


 おれが思考の沼にはまりそうになったその時、


「お疲れー、いやー久しぶりに運ぶとベースって重いね」


 吾妻あずまがベースを背負ってスタジオに入ってきた。


「……って、あれ、なに、この空気?」


 さすが空気読みマスター。一瞬でいびつなやりとりの残滓ざんしを受け取ったらしい。


「ううん、なんでもないよ? 由莉ゆりはどうしたの?」


「ああ、うん……。なんでもなくないのは分かったけど、触れないでおくわ……」


「由莉はどうしたの?」


 吾妻の余計な一言などなかったかのように、市川が同じ貼り付けた笑顔で首をかしげる。怖っ……。


「うわあ……。あー、えっと、今日、部活の後にさこはすにベースを教えることになったんだけど、どうせ時間あるしちょっと弾いておこうかなって」


「今日、早速か……!」


「そ。さこはすが、すぐにでもって。1日でも惜しい気持ちはあたしも分かるし」


 さすが、沙子も吾妻も行動が早い。


『向かう先と目標が決まってるんだから、前進あるのみでしょ。前がどっちかわかっている時に進まないなんていうのは向上心がないだけだよ。1日だって勿体無い。やれること全部やってみて、そのうち一回でもアタリを引けたらそれでいいんだから』


 たしか、有賀ありがさんの会社に訪問する前、吾妻が言ってた言葉を思い出す。


「てか、小沼の方は、どうなったの? ……あ、ごめんなんでもないです」


 空気読み人エア・リーダーは、『ごめんごめん、どうせその話がスタジオをこの妙な空気にしてるんだよね? そもそも個人レッスンってことになったら、マンツーマンで手取り足取りって感じだもんね……。舞花部長はあれでも一応女子だし。いや、一応っていうか実は超美少女だし。そして天音は超絶ヤキモチ焼きだし。上手くなりたいだけなのに大変だね、小沼。……いや、あれ? その顔はその先でケンカした顔だな? 大丈夫?』とばかりに口をつぐんだ。いや、めちゃくちゃ饒舌じょうぜつな無言だな。


 おれが手を合わせて『すまん……』とジェスチャーを見せると、『いいってことよ』と帰ってくる。


「由莉たちは、今日、部活終わった後、吉祥寺のスタジオでやるの? ご飯はどうするの?」


 そして、吾妻の気遣いもむなしく、市川は微妙にさっきまでの話題に話を戻そうとする。なんでそんなにご飯の心配してんの?


「ご飯……? あ、今日は吉祥寺じゃなくて、さこはすでやることになったんだよ」


「沙子の家?」


「そうそう、お泊まり。……って言っても結構シビアなことになると思うけど」


 たしかに、特訓をしようというのだし、沙子が吾妻に頼んでいるという覚悟も含めると、それがパジャマパーティ女子会☆とはいかないだろうことは予想できる。


「でも、沙子の家ってベースアンプ2つあったっけ?」


「ううん、でも、小さなやつが1つあるってさ。本当は2つあるといいんだけど、さすがにあたしも家から持ってくるのは、ちょっとね。まあ、夜に始めるからどうせそんなに長い時間音を鳴らせないだろうし」


「あの家、簡易な防音設備あるよ」


「え、そうなの?」


 首をかしげる吾妻に、うなずきを返す。


「まあ、楽器演奏用っていうんじゃないけど。沙子のお父さんオーディオオタクだから、家で大きな音で音楽聴けるように、壁とかが防音性能が強いって聞いたことがある」


「へー……。じゃあ、アンプはやっぱりある方がいいなあ」


「おれの家の持ってくか? ベースアンプじゃなくてギターアンプだけど、まあ無いよりはいいだろ」


「まじ? それ、助かる。ていうか、小沼ってさこはすと本当にご近所なんだね、幼馴染じゃん……! 謎の高揚感があるわ……!」


「何を今さら……」


 おれと吾妻が盛り上がっていると、


「……へー」


 そばから、トーンの低い声が聞こえてくる。


「「ひっ……!?」」


 ぎくりとして二人でそちらをみると、市川が頬を膨らませていた。


「……今日は私以外、全員が一夏町ひとなつちょうにいるんだね?」


 そして、二人して肩をびくりと跳ねさせる。


「れ、練習のためだよ!?」


「ていうかおれは別に沙子の家行かないし!」


「そうだよ、小沼は小沼で家で練習するだろうし! ね、小沼?」


「も、もちろん! ドラムはさわれないけど基礎練習をみっちりやるから!」


「ほら、バンドのためだから!」


 慌てて畳みかけるおれと吾妻の言葉を少し目を丸くしながら聞いてから、市川は頬を赤くする。


「わ、分かってるよ……! 二人してそんな、『聞き分けの悪い子供がわがまま言い始めた』みたいななだかたしないでよ……!」


「「お、おう……」」


 ……あまりに言い得て妙な自己分析(?)におれと吾妻は異口同音にうなずく。


「ちょっと羨ましくなっただけだもん……」


 すん、と鼻を鳴らしてそっぽを向く市川。


「amane様、ぐうかわですわ……!」


「……おい、信者。戻ってるから。ていうかなんか新しいキャラ付加されてるから」

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