第5小節目:恋人同士
『……はい、
「……もしもし、」
おれもここで同じ
「……
そう、彼女の名前を呼んだ。
『……はい、天音です』
すると、先ほどと同じセリフが少しだけほぐれて聞こえた。
「あの、今日のことなんだけど……謝りたいと思って」
『何を謝るのかな?』
「その……天音の意思を確認もせずに二人で会う約束をバンドの練習にあてようとしたことを……」
『……ふーん』
当たり前っちゃ当たり前だが、それくらいのことで電話の向こうの声が明るくなったりはしない。やっぱりちょろくなんかないよ、
とはいえ、まず謝るところからだ。
「……ごめん」
『……私だって』
むむむ、と少し曲がった口が頭に浮かぶ。
『私だって、ちょっとでも早く音源が良くなって欲しいし、市川としては
「はい……」
『でも……ちょっと寂しいって思っちゃったんだよ』
「……すまん」
謝ることしか出来ないおれに、市川は続ける。
『……それでね、そんな私に、バンドの練習よりもデートしたかったなってちょっとでも思っちゃう私に小沼くんが
「なんで……?」
『だって、こんな市川天音、かっこよくないもん』
「別に、そんなことで幻滅しないよ。っていうか、むしろおれの方が幻滅されてもおかしくないっていうか……」
おれがそんな風に言葉をつないでいると、
『じゃあ、好きって言って』
「……………………え?」
電話の向こうから
あまりにも突然すぎて思考が止まる。何、いきなり……!?
『……ほら、やっぱりこういう私は嫌なんじゃん』
「え!?」
答えに
『嫌だから心にもないこと言えないんでしょ。小沼くんは正直者だもんねー』
「え、いや、そうじゃなくて……!」
『もういいよ、どうせ私の音楽以外の部分になんか興味ないんだ、小沼くんは』
どうしよう。まさかおれがこんなことを思う日が来るなんて。
いや、もちろん恐れ多いし、自分を何様だと思ってるんだ、とも思う。
それでも、リトル小沼が心の中で大声をあげていた。
……この人、めちゃくちゃめんどくさい!
『何も言わないなら切るよー?』
「ちょっと待って」
『……何かな?』
期待してるんだか拗ねてるんだか怒ってるんだかいじけてるんだか、表情が見えないから分からない。
でも、伝えるべきことはわかる。
「……す、すす……」
『……』
芸人さんがこの間テレビで言ってた、こういうのは溜めれば溜めるほど言いにくくなるって。いや、もう手遅れか? だとしても、他に方法もないし……。
……よし。
「……す、好きですよ、い、市川がどんなだって」
『……そこで市川って言っちゃうところ、たくとくんって本当にたくとくんだよね』
「いや、それ英里奈さんの……」
『そして他の女の子の名前はすかさず呼んじゃうところ、ほんとたくとくんだね……』
「ごめんって……」
君たちあんまり仲良くないのにそういうおれを攻撃する武器だけ共有するのやめてくれないでしょうか……?
『……まあ、いっか。えへへ。小沼くんから電話をくれたのは嬉しかったし』
「おお、それは、まあ……」
言えない。吾妻にけしかけられただけだなんて絶対に言えない。
「……天音。その……明日、プリプロの後、空いてるか?」
埋め合わせっていうとおこがましいけど、せめておれから誘う。
『プリプロの後なんて時間がもし存在するなら、そりゃ、
「それもそうですね……」
『埋め合わせしてくれるの?』
「……プリプロの後なんて時間がもし存在するなら」
『あはは』
少し愉快そうな笑い声が帰ってきて安心する。
『……何か、恋人っぽいことしたいな』
「たとえば……?」
『今のところノープランだけど……、なんか、そういうこと』
そういうこと、とは……?
………………そういうこと、とは!?
『あ、小沼くん、それよりも明日の予約って出来てるの?』
妄想……じゃなくて想像が膨らみそうになっているおれにビジネスライクな話題を振ってくる市川さん。うん、しっかりしてるわ。
「そうだ、スタジオに電話しなきゃ……」
『
「スタジオにだよ……。そもそも
都度都度、毒っぽい甘酸っぱいものを挟んでくるな。
『あはは、それもそうだね。じゃあ、明日時間決まったらLINEください。寝ずに待ってるから』
「スタジオにはすぐ電話するから。わざわざ重い感じ出さなくていいから」
市川の笑い声を確認してからおれは電話を切ってから、すぐにスタジオに電話をかける。
『もしもし、スタジオオクタですー』
「あ、小沼と言います、明日の個人練習の予約で電話したんですけど……」
『おータクトか』
まじで神野さんだし……。
『ぼそぼそした声だなー、さては今日、上手くいかなかったな?』
「はい、そうですね……」
まあ、声は電話が苦手だからってだけなんだけど……。
いや、だとしても。
「本当に、神野さんの言う通りでした。ただの練習じゃ分かんないことがたくさん出てきて……。いきなり本番やってたと思うとゾッとします」
『だろー? それで、明日、個人練習?』
おれは相当な恩を買ったと思っているのだが、自分の手柄をことさら主張するでもなく、『だろー?』の一言で流せる神野さんはかっこいいな、とこっそり思う。
「はい、市川のパート……えっと、ギターとボーカルが録れてないんです」
『そーかそーか。ちょっと待ってな……』
ガサゴソと電話の向こうで紙をめくるような音がする。
『あー……。
「あ、そうなんですか? そっか、直前過ぎましたね……」
困ったな、と唇を曲げていると、
『あれ、でも、今日ってドラムは録れたんだよな?』
「いえ、ドラムとベースは録れてます。なので、残りはギターと歌だけなんですけど……」
そして、相変わらず彼女らしいカラッとした
『じゃあ、スタジオなんか入らなくていいだろ。アマネさんの家かタクトの家でやればいーじゃねーか』
「…………はい?」
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