第3.5曲目:平日その3

第15.1小節目:熱

 おれが市川いちかわに許可を取って英里奈えりなさんとマックに行った日の翌日の放課後。


『明日、一緒に帰ろ?』


 昨日きのうの夜に市川からかかってきた電話にて『聞き分けが良かったご褒美ほうび』という名目めいもくでそんな約束をしたおれたちは二人、吉祥寺きちじょうじ方面に向かう電車に揺られていた。


 左隣に座っている整った横顔をちらりと見てから、おれは腕を組み思考する。


『一緒に帰る』というのを額面がくめん通り受け取れば『下校道を共にする』ということだろうから、もうすでにいわゆる『ご褒美ほうび』とやらは済んでいると考えられる。


 もちろん、おこがましくも『ほら、おれはここまでしてやったぞ』などと思っているわけではない。


 彼女がどこまで求めているのかを冷静に分析して過不足かふそくなくこなしたいと思っているのだ。だってほら、気持ちの釣り合いみたいなのってなんか大事っぽいし……。


 昨日の埋め合わせということであれば、もし市川の予定さえ空いていれば、その……なんていうか、マックでシェイクを飲む用事的な何かをするべきという気がするというか、望むところというか、もしよければご一緒させてもらえればと思いつつ、それをスマートに切り出すことも出来ないまま吉祥寺に向かってたった2駅の電車の旅は始まっていた。


 このまま降りる直前まで言い出せなかった場合、なんとなく「あ、じゃあ……」「うん……じゃあね」的なことになりかねない。この間はそのタイミングで市川に誘わせてしまったし……。


 うん、市川に予定があるならあるで、市川は行きたくないなら行きたくないで、そこをはっきりさせておくべきなのだ。その確認作業をするだけだ。変じゃない。


 ……なんでこれしきのことが簡単に出来ないんだと自分で自分のダサさを呪うばかりだ。


 などと言っていても仕方ない。向上心を持とう。勇気を出すんだ小沼おぬま拓人たくと


 深呼吸をして、覚悟を決める。……よし。


「あー……えっと、市川?」


「…………」


「おお……」


 ……ここまで散々前振りしてやっと出した勇気も覚悟もむなしく、市川からは無言が返ってきてしまった。


 どうやら聞こえてはいるらしく(そりゃ隣から声かけられれば聞こえるだろうけど)、市川は右耳をぴくりと動かしたものの、こちらを向くこともなく、自分の左手の親指で残り4本の指先をトントンと叩いてその堅さを確かめているみたいだった。


 うん、そうだよね、ギタリストは指の皮が固くなるもんね……。あと無言なのはわざと無視してるんだよね……。


 いや、分かってるんだ。呼びかける導入として、これではいけないらしいということは。昨日のライン通話でもそれで怒って一旦電話を切られたくらいだし……。


「あ……あ……」


 だけどまだ電車の中。周りに武蔵野むさしの国際こくさいの生徒はいないということを確認しているものの……。


「あ……」


 その先に続く2文字を言うのにどうしても躊躇ちゅうちょしてしまう。


「あ……」


「もう、私はカオナシさんとお話してるのかな……?」


 4度目の「あ……」のあと、隣に座る男子の醜態しゅうたいに耐えきれなかったらしい市川があきれたように言う。


「すまん……千尋ちひろにするところだった」


「……千尋ちゃんのことは下の名前で呼ぶんだね?」


「それは、リアルには存在しない人だから……」


「そんなこと言うなら、私、小沼くんのために自分のこと、リアルから存在を消しちゃうよ?」


「やめてよ怖いよ……」


 さらっとヤンデレ発言をかまされて戦慄せんりつしていると、市川が仕切り直しとばかりにぽん、と手と打つ。


「はい。それじゃあ、私がリアルに残れるように頑張ってみよう? 大丈夫だよ、言っちゃえば一息だし、慣れちゃえばきっともっとさらっと言えるようになるよ」


「なんだよそれ、薬かなんかかよ……」


「ほらほら、どんどん言いづらくなっちゃうよ?」


 にやにや笑いながらおれの顔を覗き込む。


「楽しんでるだろ……」




「……私、ご褒美、楽しみにしてたんだよ?」




 存外に期待するような、それでいて少し寂しそうな、効果覿面こうかてきめんすぎる甘え方をされて、いよいよ逃げ場がなくなる。


 もう一度、深呼吸をする。


 ……よし。


 さすがにその顔を見ながら言うことは出来ないので、視線を自分の足元に逃して、なるべく低い声でそっとつぶやいた。





「……天音あまね





「っ……!」


 すると、横からは返答がない。


「……おい?」


 こちら勇気出したんですけど? と、沈黙に耐えかねて顔を上げると、市川は何かとんでもないものにち抜かれたように目を丸くして、唇を噛んでいた。


「……どうした?」


 2秒くらいもう一度沈黙した後、



「……ご、ごめん。ちょっと……嬉しくて、なんか、息が止まっちゃった……!」



 わたわたと右手でブレザーの胸ポケットあたりをおさえて、ふう、ふう、と呼吸を整える。


「いや、自分で言わせておいて……」


「お、小沼君がらすからだよ、もう……!」


「す、すまん……」


 おれが悪いのかは判然はんぜんとしなかったが、一理いちりあったのでとりあえず素直に誤っておくことにする。


「ううん、こっちこそごめんね……!」


 市川は少しかがんだ姿勢のまま右手で髪の毛を耳にかけながら、


「そ、それで、どうしたの?」


 と問いかけてくる。


「ああ……その……。今日、もしよければこのあとって、用事というか、空いていればというか……なんかやりたいこととかあるか?」


 いや、本当にスマートさのかけらもねえな……。


「ああ、そうだ! 言い忘れてたね? 小沼くん困ると思ってやりたいこと考えてきたんだ」


「え、そうなの? ありがとう……。すまん、おれが考えてこなくて……」


「どうして? 全然いいよ。私へのご褒美だもん」


 えへへ、と微笑む天使様。窓の外から差し込む陽光がその笑顔を柔らかく照らす。


「それで、やりたいことって?」


「うん、漫画喫茶っていうのに行ってみたいんだけど、どうかな?」


 予想外の提案に首をかしげる。


「まんきつ……? 別に良いけど、なんでまた」


「うん。なんかね、この間の部長会で後輩の女の子に聞いたんだけど、『もう一度、恋した。』って漫画がすっごく面白いんだって。それを読んでみたいんだ」


「あー……ゆずが読んでたな」


 ちょうど昨日おれを足置きにして読んでいたのがそれだった気がする。


 と思っていると、市川がこちらをじとっと見ていた。


「ゆずさんって……妹さん……だよね?」


「妹さんだよ、なんだその目は……」


「うん、なら良かった。小沼くんのことだから、新たなライバルだったらどうしようかと思った」


「おれのことなんだと思ってんだよ……」


 呆れ目で聞くと。





「魅力的な男の子だと思ってるよ。……だから言ってるんじゃん」




 市川は、拗ねたように唇をとがらせる。


「お、おお……」


 照れくさくて、つい頬をかいてしまう。


「と、とにかく、どうかな? 漫画喫茶」


「もちろん、いいけど……」


『まもなく、吉祥寺、吉祥寺……』


 秋に入ったのになんだか熱を感じるのは、背中側の窓から差し込む日の光のせいか、車内の方々ほうぼうから注がれる生暖かい視線のせいか、それとも隣の女子の頬が赤いせいか……。


「……小沼くん、なんか身体からだあついよ?」

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