第3曲目 第66小節目:まちがいさがし
ふわふわ女に引っ張られて隣の空き教室に入る。
「いや、うち、帰りたいんだけど」
「ねぇねぇさこっしゅ、えりなのことかばってくれたのぉー?」
……無視しやがった。
「……別にあんたをかばったわけじゃない。あの話が本当なら、普通にあんたが悪いでしょ」
「そぉかなぁ? 覚えてもない人にコクられたえりなのほうが怖いよぉ?」
どうやら本気で言ってるらしい。反省の色など
「いや、だとしても、向こうだって勇気出して言ってるだろうし……。つーか隣の席なんでしょ、覚えてろっつーの」
「だからぁ、それ、さこっしゅに言われたくないんだってぇー」
数日前のセリフが
『えぇ、でも、反対の方の隣の人のこと、えりな知らないよぉ?』
『えりなのことも知らなかったさこっしゅに言われたくはないですぅー』
だとしても。
「……あんたとうちは、違うでしょ」
「何が違うのぉ?」
唇の上に指を置いて聞いてくる。いつものあざとい
「……あんたは、別に、普通にしてたら好かれるじゃん。
「えへへぇ、
ふわふわ女はそのふわふわした頭をくしくしと照れくさそうにいじる。
「
「じゃぁ、
そう指摘されて『そうか、うちはこいつを叱っていたのか』と気づかされる。うちとしたことが、お
うちに、誰かを叱る権利なんかあるはずないのに。何様のつもりだ。
深入りしすぎている自分に
「……とにかく。別にあんたのことをかばったつもりは本当にないから。うちは、
「ふぅーん……」
すると、
「さこっしゅ、優しいんだねぇ?」
純粋に、この女はうちのことを『優しい』と形容するのだ。
鳥肌がたった。
『優しい』と言われたことに、
……これ以上はまずそうだ。
「……優しくなんか、絶対にないから」
声が震えそうになるのを押さえつけながら、うちは教室を出ようとする。
すると、その手をぎゅうっと
「待ってよぉ」
「……離して」
「なんでぇ?」
「いいから離して!」
「へぇ、そんな大きい声出すんだねぇ……」
そんなことを言いながらも、彼女は、手を離してはくれない。
「うちは……あんたみたいな人と馴れ合っていい人間じゃない」
「どぉして?」
「うちは、最低な人間だから……」
「なんで、自分のこと最低だなんて
こんなうちのことを、この女は悲しそうな顔で見上げてくる。
違う、そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
「……うちには、ずっと仲良かった友達がいて。その友達が一生懸命作ったものを、
うちにとっての大事件が思ったよりも短い言葉で要約できたことに、なんとなく
「謝れなかったの?」
うちは、こくりとうなずく。
「そっかぁ……それは、苦しいかもしれないねぇ……」
「だからもう、友達なんかいらない、誰かとの関わりなんかいらない。そんな権利が、うちにはない。これ以上、人を傷つけたりしたくない。だから、誰も、うちになんか寄り付かなくていい」
「それが、金髪にした理由ってことぉ……?」
「そう」
元々は、人を遠ざけるために金髪にしたわけじゃない。
ただ、学校の廊下であの女を見つけた時に、うちは自分が同じ髪型をしていることが気持ち悪くなって、とにかく早く違う髪にしたい、と思って帰り道に染め粉を買ったのだ。
染めた直後、鏡に映った自分は、自分でも
偽物だ、と思った。まがいものだと思った。
いや、むしろ、それ以下の何かだと思った。
生きているのが恥ずかしい、存在の仕方ない何か。
そのちっとも似合っていない金髪は、罪を
そして、翌日に登校した時の周りの反応を見て、理解する。
こんなどうしようもなくて、攻撃的な何かに、誰も話しかけてきやしない。
これなら人を寄せ付けないで済む。
誰とも関わらず、誰も傷つけずに済む。
そう思っていたのに。
「なのになんであんたは、うちに近づいてくるの。構ってくるの。しつこく、いつもいつも……」
その女に取られていない方を手をぎゅっと握り拳にしながら絞り出したうちの言葉に、その女は首をかしげる。
「さぁ、なんとなく、だけど?」
「……はあ?」
あまりの言葉に、語尾が上がる。
「そんなの理由なんかないよぉ? なんとなく、さこっしゅとお話したいなぁってそれだけ」
「なんで、わざわざ、金髪のうちなんか……」
「あははぁ、金髪にすっごくこだわるねぇー? でもねぇ、さこっしゅ」
金髪にこだわってると言われて少し恥ずかしくなってうつむいたうちに、その女はまっすぐに思いもよらないことを伝えてくる。
「さこっしゅの金髪は、『見つけて欲しい』って言ってるように見えたよ」
「なに、言ってんの……?」
思わず顔を上げる。わなわなと、唇が震える。
そんなの、真逆じゃんか。
「えぇ? そんなに変なことは言ってないよぉ? 普通は、目立ちたいから金髪にするんだもん。もし、本当に嫌われたいだけなら、今みたいにむっすぅーってしてたらそれで十分だよぉ」
そう言いながら、『むっすぅー』ともう一度、しかめっ面をおどけて作って見せた。
「でもねぇ、この間も
「こんな風にって……?」
うちがまた質問すると、その女は、照れくさそうに笑う。
「えへへぇー。えりな、今はもう、さこっしゅのこと大好きになっちゃったんだよねぇ」
うちは、息を呑む。
もう、言葉もない。
自分が
「ねぇねぇさこっしゅ? さこっしゅの
大きな感情を持て余して処理できなくなっているうちに、その女は続ける。
「でもねぇ、それでさこっしゅが、あの、悪口
しっかりと、しっとりと、だけど自信満々に
「それって、今のさこっしゅは『優しい』ってことだよ」
「うそ、でしょ……? うち、昔からあんなに色々ひどいことをして、あんたにだって、やなこと色々言って……」
「嘘じゃないよぉ! だって、昔さこっしゅがしたミスなんか、えりなには関係ないもん」
その女は、あざとく頬を膨らませる。
「これまで色々あって、それでここにいてくれる
その手がきゅっとうちの手を優しく握り直した。
「で、でも。『大好き』とかって、誰にでも言うんでしょ……?」
「そぉんなわけないじゃんかぁー!」
なんだかダサすぎることを自分が言った気がするが、それすら上塗りするように、その女は堂々と否定した。
「えりなの大好きにだってリミットがあるよぉ。だって、『大好き』も、『愛してる』も、本当は苦しいことだもん。心を誰かに預けて、コントロール出来なくなるってことだから。……その人じゃないと埋まらないところを、心の中に作っちゃうってことだから」
「何をいきなり……」
ちょっと深いことを言い始めるんだ、こいつは。
「でも、それでも、」
だけどそんな
「えりなは、今のさこっしゅが大好きだって言ってるんだよぉ」
こういう女の『大好き』は、信用出来ない。
こういう女はあらゆるものに『大好き』や『可愛い』や『大切』を振りまいていく。
中身なんかすっからかんで、なんの足しにもなりゃしない。
……だけど。
「そっか……」
この人は、うちの後悔も、失敗も、間違いも、そんな
『金髪でいてくれたから、さこっしゅに気付くことができたのかもしれないよねぇ。だから、よかったなぁ』
遠ざけようとしたのに、
『それって、今のさこっしゅは『優しい』ってことだよ』
うちの
そして、こんなうちの目の前で。
「えりな、
うちと出会えたことを心から喜んでる。
うちのこれまでの人生を、すべて
分かった。
やっぱり、この人は。
「バカ女だ……」
「ばか女ってまた言ったぁ!?」
怒ったようにおどけて笑う。
うちにとっては、その、あざとくも嘘ではない笑顔は、暗い暗い落とし穴の中に差し込んだ、
「ねぇねぇさこっしゅ、こんなに
いたずらな微笑みを浮かべてこちらを見上げてくる。答えなんか、分かり切ってるくせに。
こんな女のこと『大好き』だなんて、とんでもない。
そもそも『大好き』も『愛してる』も、あいつにすら一回も言ったことがない、言えたことがない。
この人は、人生で2人目の
「……そんなわけないじゃん」
「あははぁ、だぁーよねぇー!」
大して残念でもなさそうに、バカ女は笑う。
「あ。さこっしゅはどうやって帰るのぉ? えりな、一緒に帰ろっていってもいーっつも
「……
「ふぅん、じゃぁ、えりなはスクールバスで帰るね、ばいばぁーい!」
彼女はそっと手を離して、一歩踏み出した。
あかりのついていない教室を出て、大きな窓から光の差す廊下に立つ彼女と、動けないまま暗い教室の内側にいる自分。
離れた手。ニコニコと手を振ってから、立ち去ろうとする後ろ姿。
なんでだろう。
行って欲しくない、と、そう思った。
「……
うちが小さく口にすると、その女はバッと振り返って、目を見開く。
「さこっしゅ、今……!」
「そ、その……」
そしてそのあと、首を
「……なぁに?」
その笑顔がまぶしくて、まだ怖くて、うちはうつむく。
教室の引き戸のレールが目に入る。
その灰色のラインは、何かの境界線に見えた。
ここを超えてもいいのだろうか。
誰かと関わってもいいのだろうか。
喜んだり、悲しんだりしてもいいのだろうか。
「さこっしゅ」
その視界にそっと彼女の手が差し伸べられる。
手が震える。
まだ怖い。
……だけど、もしかしたら。
ありったけの勇気を振り絞って、うちはぎゅっとその手を取る。
そして、顔を上げた瞬間。
うちはまた息を大きく
そこには、光に包まれた、むせ返るほどの
教室には白いチョークがよく映える深緑の
廊下の窓の外には鮮やかな
その隙間から見えるのは晴れやかな
視界にちらつくのは自分の頭から伸びる輝く
そして、目の前には。
「どぉしたの、さこっしゅ?」
こくりとうなずいて、うちは、やっと。
さっきまで灰色だったはずの、銀色のラインを踏み越える。
何かの洋楽の歌詞に『
まあいいや。今はそれよりもだいじなことを伝えないといけない。
「……一緒に帰ろう、英里奈」
それだけなんとか口に出すと、彼女は天使のように無邪気に、そのあと、悪魔のように意地悪に笑う。
「もちろん! ……ねぇねぇさこっしゅ、もっかい名前呼んでぇ?」
「……うっさい、英里奈」
* * *
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