第3曲目:オーディションライブ

第3曲目 第1小節目:Sunshine Of Your Love

 ここは、どこだろうか。


『おーい……』


 目の前には真っ白な空間。

 

 ただ白いというよりは、輝度きどの高い光が無限に反射し無限に拡散し、何も見えなくなったような、そんな光の世界。


『ねえ、ちょっと……』


 どこだろうか、なんて自問じもんしながらも、きっとここはどこでもないのだと、心のどこかでは気づいていた。


 そう。


 ここは緯度いど経度けいど概念がいねんもなく、縦横の概念もなく、時間の概念もなく、自己と空間の境界線もない、ただ、魂だけが揺蕩たゆたう世界。


『た……、拓人たくとくん?』


 何かに呼応こおうするように、また、その空間は輝きを増していく。


『あれー、えーっと……』


 魂の温度は上昇し、やがて、さらに新しい世界への扉を開こうとする。


 ああ、きっとそうだ。


 これこそが、”天国”というやつなのではないだろうか……。





「ねえ、小沼おぬまくん!」





「はっ!」


 強めに肩を揺らされて、我に返る。


 目の前では黒髪の美少女が心配そうにおれの顔を覗き込んでいた。


「大丈夫……?」


「す、すまん、いつの間にかなぜか頭がどこかへトリップを……ココはドコ、イマはイツ、ワタシはダレ?」


「なに言ってるの……? ここは2年6組の教室で、今は学園祭の片付けが終わった直後だよ?」


「……え、まだそこ・・なの?」


「えっと、私は浦島うらしま太郎たろうとお話してるのかな……?」


 彼女はあきれ顔でこちらを見てくる。


 おれの体内時計ではもう数ヶ月経ってるような感覚だったんだが、なんでおれはそんなにトリップしてたんだっけ……?


 おれが首をひねっていると、目の前の女子は、「『ココはドコ』はいいでしょ、『イマはイツ』も答えたよね。あとは『ワタシはダレ』か……」と指を折りながら小さく確認していた。


 そしておれの方に向きなおり、


「えっと、あなたは、おぬ……」


 そこまで言いかけてから、コホン、と咳払せきばらいをして。


拓人くん・・・・、だよ?」


 ……あ、これが原因だった。ありがとう世界、さようなら世界。


「ちょっと!?」


 再び昇天しかけるおれの肩を細腕がガッと掴み、引き戻した。


 やばいやばい。


 あの市川いちかわ天音あまねに下の名前を「くん」付けで呼ばれたことで、その、なんというか、関係性が変わったということを強烈に実感し、その結果、体感時間で数ヶ月間も昇天していたのであった。壁にかけられた時計を見てみると、実際に過ぎた時間は長くて2分かそこららしい。


「ああ、すまん、市川いちかわ……」


「……市川?」


 ジト目に片眉かたまゆをあげて、彼女が見上げてくる。


「……すまん、あ、天音あまね?」


 おれが言い直すと、


「……うん!」


 と彼女は天使のような笑顔で笑ってくれた。


 すると、そこに。




「えぇーっと……おふたりさぁーん?」




「「は、はいっ!?」」


 いつもは甘いはずの声がため息混じりに教室に響く。


「体育館で後夜祭こうやさい始まるんだけどぉ、観に行かないのぉー?」


 教室の入り口の扉に寄りかかって、英里奈えりなさんがやれやれと息をついている。


「え、英里奈ちゃん、なんで……?」


「なんでって、えりなも6組なんですけどぉ……。一応えりなは学級委員長だからぁ、教室からみんな出てったか確認しなきゃいけないんだよぉー」


「え!? じゃあ、い、いつから、そこに……?」


 市川がたいそうドギマギしている。


「いやぁ、体育館行ったら先生に言われて戻って来たから、今だけどぉ、」


 英里奈さんはニタァーッと笑って、


「えりながいたらイケないことしてたのぉー?」


 と訊いてくる。


「そ、そんなことないよ! 後夜祭、行こう! うん、ちょうど行こうと思ってた! ね、小沼くん!」


「そ、そうなあ!」


「そんなに元気な『そうなあ』もあるんだねぇー……。じゃぁ、ここ、鍵かかっちゃうから、荷物持って出てねぇー?」


 英里奈さんはやれやれ、と首を振ってから、何かを思いついたみたいに笑う。


「……それとも、二人が中にいるまま、鍵かけてあげよっかぁ?」


「「いえ、大丈夫です!」」




 3人で連れ立って体育館に向かう。


 鼻歌を歌いながら前を進む英里奈さんの後ろで、


「なあ市川、後夜祭ってなに?」


 おれは市川に小声で質問する。


「あっ、また市川って……! んんー、まあいっか、また今度話そう……」


 天使さんはあきらめたように軽くため息をついて、


「えっとね、後夜祭っていうのは、学園祭が終わったあとに、在校生だけが体育館に集まってやるライブイベントだよ。すごくちゃんとした音響と照明で、ダンスとかバンド演奏とかやるんだ」


「え? おれ去年そんなの観てないんだけど……」


「まあ、一応は自由参加だからね。全校生徒の9割くらいは集まるけど」


「ほーん……」


 おれは残りの1割というわけか。うーん、まあ、そうですよね。その自覚はあります。でも存在を知りすらしなかったっていうのはどうなんでしょうね。


「というか、バンド演奏もあるのか。おれたちは出なくていいのか?」


「後夜祭は基本的には3年生が出るんだよ。受験生もいるから部活は引退してるけど、後夜祭では久しぶりに演奏することが多いみたい」


「そうなのかあ……」


 そうか、これまでまったくと言っていいほどおれの世界に関わりの無かった先輩という存在がついに登場するのか……。




 体育館につくと、


「あ、天音、小沼! こっちこっち!」

「二人とも、何してたの」

「まあまあ波須はす先輩っ! もう始まりますよっ!」


 吾妻あずま沙子さこ平良たいらちゃんが迎えてくれる。


 器楽部の公演の時に置いてあったイスは全部撤去されていた。後夜祭は全員立ち見なのか。オールスタンディングというやつだな。(横文字にしただけ)


「ごめんごめん!」


 市川がぴょこぴょこと3人に混ざるのに少し遅れておれもかたわらに立つ。


 なんだか変な気恥ずかしさがあるな、と、ひとりほほをかいたその時。


 ちょうど舞台以外の電灯が消えて、


「「「わああああああ!!!」」」


 プロのライブが始まる前みたいに歓声が体育館を包んだ。おーすごい……!


 フロアが暗がりになり、幕のかかったままの舞台を見上げていると、おれの右腕が少し強めにグーで叩かれる。


 そちらを見ると、姉みたいに笑う吾妻の姿。


「それで、首尾しゅびはいかがですか?」


 大きな瞳をこんな暗がりでも輝かせて、やけに形式ばった言葉を使っていてくる。


「……おかげさまで」


「ふふ、そっか」


 おれの答えに吾妻は下唇を噛みながら、笑う。


「んじゃ、ま……お幸せにね」


「……ありがとう」


 照れくさくてまたもや頬をかいていると、左斜め前、市川がこちらを見て、口を『ああーっ』と開いてから、軽く頬を膨らませる。


「小沼、あんたナイスだわ……。今のamane様の極上ごくじょうね顔、瞳のシャッターを切って、脳のハードディスクにバッチリ保存した……。あとで心のフォトショいじって明度めいど上げとこ……」


「なにそれこわい……」


 信者さんとそんな話をしているうちに、舞台の幕がひらく。


 はじめはロック部OBの3年生の演奏だった。


 おれはよく知らないが、2年半もやっていれば、校内での知名度も高いのだろう。会場が盛り上がる。その盛り上がり方は、なんとなくチェリーボーイズのライブに近いようなものを感じた。


 少し前までバカにして、避けていたノリだったし、おれは知らないバンドなのであまり入り込めもしないが、周りの盛り上がる気持ち自体は今ではわかるような気がする。


 あとは、音響と照明がすごくしっかりしている。さっき市川が『プロが来てやってくれる』って言ってたけど、やっぱりプロはすごい。来年、もしチャンスがあるならあの舞台に立ってみたいな、と素直に思う。


 腕組みして、ふむふむとうなずきながら聴いていると、2曲ずつくらい演奏やダンスが続き、最後のバンドになった。


 MCの3年生が大きな声で叫ぶ。




「お待ちかね! トリをつとめるのは、『Butterバター』の3人です!」




 すると、会場は今日一番の盛り上がりを見せる。


舞花まいか部長たちのバンドだ……!」


 吾妻がそっと歓声をあげた。


「舞花部長?」


 おれが訊くと、コクコクと興奮気味にうなずく。


神野じんの舞花まいか先輩、器楽部のあたしの前の部長。ほら、あのドラムの人」


 指差す方を見やると、3人の女性が歓声にむかえられながら舞台袖から出て来た。ドラムに向かっているのは、明るい茶髪でポニーテールでつり目気味な女性。八重歯やえばが不敵な笑顔の端からうかがえる。


「わー、江里口えりぐち先輩としゃく先輩もいる……!」


 次は市川が小さく歓声をあげた。


 なんてこった。三人も知らない人が突然出て来た。ついていけない……!


 こう言う時は、校内wikipediaちゃん、解説お願い! と思って後輩を見ると、


「どなたですかあのカッコいい先輩たちは……!」


 とか言ってる。


 なんだよ、平良ちゃんが説明してくれる流れじゃないのかよ……と思ったのもつかの間。


 パァン……! と神野さんがスネアドラムを一発叩いた瞬間、鳥肌がぞわわっと立つ。


 なんだ……?


 その直後、長髪黒髪ストレートのギターの人がフレーズを弾き始め、そこにメロディカルなベースが入ってくる。


 おれは、その音に、思考が停止し、完全に耳も心も持ってかれてしまう。


「……!」


 会場中をとりこにするその音楽。


 ジャンルは、ブルースだった。


 一般的には高校生が好んで聴くようなジャンルでもなく、『渋い』とか『退屈』とか形容される部類の音楽である。


 でも、それでも。


 会場内のボルテージは最高潮になっていた。


「やばすぎる……」


 語彙ごいも吹っ飛び、そんな誰でも言えそうな感想だけがおれの口からこぼれた。


 舞台上では3人の音が呼応こおうし、お互いにしのぎを削り、その度に一段ずつ上の次元の音楽へと昇華されていく。


 間違いなく、この音楽は、今、この場で形成されている。


 そんな演奏を見ながら、おれの身体には。




 いつか感じたことのある衝撃が走っていた。





 3人とも神がかっているが、特にドラムがすごい。


 あまりにも的確で、あまりにも人間的な、そのドラムに、身も心も持ってかれていくようだった。




 それからは、一瞬だった。


 1曲目が終わり、2曲目が終わり、いつの間にかアンコールも終わり。


 会場が明るくなっているにも関わらず、おれはずっとほうけながら舞台を見上げていた。


「ちょっと、小沼くん?」


 市川の声がして、我に返る。


「あ、ああ、演奏、終わったな……」


「うん、演奏は終わったけど……。すごかったね?」


「いや、すごかったとかじゃないだろ……。なんだよ、あれ。まるであれは……」


 おれはほうけたまま伝える。


「あれが『本物の音楽』じゃねえか……」




「ねえ、小沼くん」


 熱っぽい声音こわねで、それでも静かに市川がつぶやく。





「……小沼くん、今、私が見たことない顔してるよ?」




「……え?」


 考えてもなかったことを言われ、間抜まぬけな声が出てしまった。


 それでやっと舞台から目を離して目の前の女子に視線を移すと、ため息混じりで小首をかしげている。


「まったくもう……」


 


 そしてそのあと、市川は、ニッと口角こうかくをあげて、




「彼女になったばかりなのに、うかうかさせてくれないなあ。私の好きになった人は」




 と、強気つよきな笑顔を浮かべるのだった。

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