第68.6小節目:Hot Chocolate

 学園祭をむかえる前の、とある昼休みのこと。


 ペットボトルのお茶を買いに売店に行くと、売店の前のラウンジとかいう単純に机と椅子が置いてあるだけのスペースに、よく知っているダンス部の女子が2人座っていた。


 学園祭の演技の打ち合わせだろうか、と思いながら横を通り過ぎようとすると、


「あっ、たくとくぅん!」


 と、ピンクベージュの髪の小悪魔さんが無邪気むじゃきにこちらに手を振ってくる。


拓人たくと


 つられて、金髪の幼馴染おさななじみさんもこちらを向いた。


「おお」


 と、曖昧あいまい挨拶あいさつを返すと、英里奈えりなさんがニタニタと笑って手招きしてくる。『なに、なんかいやだ……』と思うものの、呼ばれたのを無視するわけにもいかないので、のそのそとそちらに近付く。


「たくとくん、売店行くのぉー?」


「はい、そうですけど……」


「やったぁー! じゃぁ、お菓子買ってきてぇ!」


 満面の笑みの英里奈さん。


「いや、なんで拓人たくとに買ってこさせんの」


 横から常識人のさこっしゅがツッコんでくれるが、もはや抵抗するのも面倒になったおれは、


「いやまあすぐそこだから買ってくるのは別にいいけど……おごらないからな?」


 と言いながら手を差し出した。


「ちぇー、マックではおごってくれるのになぁー」


 英里奈さんは口をとがらせながら、手元の財布から100円玉をおれの手のひらに置く。その際、左手でおれの甲を下から包むようにふわっと触るあざといタッチもセットである。うん、この罪悪感のないスキンシップ、悪くない……。


「チッ……」


 ……舌打ちが聞こえた気がするが気のせいでしょう。


「コホン……それで、何買ってくればいい?」


「それじゃぁ、チョコレートを買ってきてくださぁい! さこっしゅも食べるよねぇ?」


 ニコニコ笑顔で言う英里奈さんに、


「いや、沙子はチョコそんなに好きじゃないだろ」


 とツッコミを入れる。


「ほえ? そぉなのぉー?」


 沙子の方を見て、首をこてりとかしげる英里奈さん。


「え、知らない」


 沙子も何それ、みたいな顔をしている。


「なんだよ知らないって……沙子が前言ってたんじゃん……」


「は、いつ。……あ」


 少しだけ考えると、はたと思い当たったらしい。


「言った……かも。そんなの、拓人覚えてるの」


「ていうか、なんで沙子は自分の好み忘れてんだよ……」


 呆れ目で見ると、目をそらされてしまった。


「ふぅーん……? ていうか、なんでさこっしゅニヤけてるのぉー?」


「別にニヤけてない」


 ダウトだ。0.数ミリではあるが、ニヤけている。


「たくとくんが何かを覚えてたのが嬉しかったのぉー?」


「うっさい」


「あー、そんじゃ、チョコ買ってくるわ……」


 なんだかそこにいづらくなったおれは、売店へと歩みを進めながら、沙子がチョコレートがそんなに好きじゃないと言っていたあの日のことを思い出していた。



* * *


 中学3年生の時のことだった。


 都内私立の高校受験が2月10日に終わり、3日後に合格発表があり、無事に武蔵野むさしの国際こくさい高校への入学が決まった、そのさらに翌日。


 都内私立受験組は合否が出て一喜一憂いっきいちゆうしていて、しかも県立組はまだまだ受験なので合格だ不合格だと騒ぐことも出来ず、なんだか探り合いみたいな気まずさがあるんだろうな、と気を重くしながら登校すると、どうやら予想したそれとは違うタイプのそわそわ感が教室を包んでいた。


 なんだどうした、と首をかしげながら教室に入っていく。


 席に着くと、


拓人たくと、おはよう」


 隣の席では、セーラー服に身を包んだ黒髪クール系女子の沙子|(15歳)は目の下に大きなクマを作って眠たそうにしている。


「おお、おはよう……どうした? 目が半分しか開いてないけど……」


「……拓人のせい」


「え、なんで?」


「なんでも」


 沙子ちゃん、不機嫌である。なんだよ、昨日一緒に合格発表見たときは沙子にしてはかなり嬉しそうにしてたじゃんか……。


「ホームルーム始めまーす」


 ちょうど担任が入ってきて、話は中断する。


 なんだよ……と思いながら黒板の日付をなんとなく見やると、そこにはチョークの白い文字で2月14日と記されていた。


「ああ……!」


 そっか、今日、バレンタインか!


 それでこの空気感か! ……いやいや、県立組は受験に集中しろよ。


 ……じゃあ、沙子は昨日の夜中にチョコを作ってくれたのか?


 毎年毎年律儀りちぎにありがたいなあ……と、まだもらってもいないくせに顔をほころばせる。


 いつもらえるのかなあ、ドキドキするなあ、なんて、いつの間にかすっかり教室のそわそわの空気と一体化していた。





 いつかな、どうかな、なんて思っているうちに、昼休みのチャイムが鳴る。


青葉あおばー、ちょっといー?」


「ん?」


 同じクラスの水沢みずさわひなたと西山にしやま青葉あおばが連れだって教室の外に出る。


 それをきっかけに、クラスの女子の数人がポツポツと立ち上がり、意中いちゅうの男子のもとに向かい、こしょこしょ声で話しかけたり、目当ての相手が同じクラスにいない人は小包こづつみを持って教室の外に出たりしていた。


 逆に、気になっている女子が立ち上がったものの自分のところに来なかったりして、机に突っぷす男子の姿も散見さんけんされる。


 なんか、俯瞰ふかんして見ていると、昨日の合格発表と同等かそれ以上の妙な緊張感があるな……。


 ふと気になってちらりと左の席の沙子を見ると。


「やば……」


 と、あんぐりを口をあけていた。


「どうした……?」


 声をかけると、びくりと肩を跳ねさせて、


「な、なんでもない」


 と誤魔化ごまかすように髪を触る。


 昼休みはするりと過ぎていって、あっという間に終業のホームルームが始まる。


 担任教師が、


「……それじゃ、男子のカバンの抜き打ちの荷物検査をします」


 と言った瞬間、ガタガタと教室のあちこちが焦ったような音を立てる。「終わった……」というつぶやきも聞こえた。


 ……なるほど! これを見越して沙子は渡して来なかったのか! さすが受験に合格するだけはある!


「……なんて、冗談です。やるなら男子のカバンだけだと意味ありませんし」


 その言葉に教室の空気がふっと弛緩しかんする。


 そんな、いきなのかポイントを稼ぎたいだけなのかよく分からない担任が、


「それでは、ホームルームを終わります」


 と、告げたその瞬間。


「じゃ」


 沙子はそれだけを言って、足早あしばやに教室から出ていった。




 ……あれ?






 もらえなかった……。


 すっかりしょぼくれて、とぼとぼと家に帰る。下校道の脇で色々なカップルが2人で仲良さそうにしているのを見かけるのがまた哀愁あいしゅうを誘う。


 この感情は『リア充爆発しろ』なんてそんな他人を攻撃するような種類のものではない。ただただ、もらえないチョコをもらえると思い込んで期待していたおれが恥ずかしくて仕方がないのだ。


「ただいま……」


 玄関を開けるも、部活のあるゆずはまだ帰ってきていない。帰ってきたらチョコくれるのかなあ……。


 ふう、とベッドの上にあお向けになる。


 すると、ふと、もう受験生ではなくなったのだということを実感する。


 昨日までは、武蔵野国際に落ちる可能性もあったので、県立受験のための勉強をしていたのだが、今日はもう勉強する必要がないのか、と思うと、何をしたらいいのかよく分からなかった。


 手の届くところにあったリモコンを押して、コンポに入りっぱなしに鳴っているCD

を再生した。


『ねえ、自分にしか出来ないことなんて たった一つだってあるのかな?』


 ねえ、自分にチョコをくれる人なんて、たった一人ひとりでもいるのかな?


 くだらないことを考えながら、ふは、と自嘲じちょうする。いや、別にそこまで大したことではないんだけど……。


 そうか、もう受験が終わったんだから、amaneみたいに曲でも作るか。彼女が作ることをやめた音楽を、おれがやってはいけない理由はない。


 そう思い立ち、ギターを手に取る。ギターから直接ヘッドフォンにつないで、爆音で鳴らしながら最初のコードを模索もさくしていた。




 どれくらいの時間が経ったのかもよく分からなくなってきたころ、トントン、と誰かに肩を叩かれる。


「ひゃいっ!?」


 誰もいないと思っていたものだから過度にびっくりしてしまい、声が裏返った自分が恥ずかしい。


 振り返ると、目の前に、猫目の黒髪少女がいた。


「沙子……?」


 ヘッドフォンを外すと、


「拓人、何やってんの」


 と質問された(多分)。


「いや、ギター弾いてただけ、だけど……。何、どうやって入ってきたの?」


「ゆずが入れてくれた」


「あ、ゆず帰ってるんだ……」


 気づかなかった、おかえりを言ってあげられなくてごめんな、我が妹よ……。


「えっと……そんで、どうした……?」


 改めて沙子に向き直り訊いてみると、


「ん」


 と目の前に小包こづつみが差し出される。


「へ? 何……?」


「チョコ」


「チョコ!? まじで!?」


「うっさい……」


 もらえないものだと思っていたチョコを突然提示されて、つい大声が出てしまい、沙子が迷惑そうに耳をふさぐ。


「うおー、もらえないかと思ってたよ、まじでありがとう!」


「いや、うん、そんな喜ばれるとも思ってなかったけど……毎年あげてるじゃん……」


 戸惑ったような表情をしている沙子。


「いやいや、今年はないのかと思ったから! やっぱり昨日は夜中に作ってくれたのか、ありがとう!」


 おれは包みをほどきながら、話しかける。


「あ、いや、昨日の夜は、作ってないっつーか……さっき急いで作ったっつーか……」


 言いづらそうに発された言葉に、おれは手を止めて沙子を見る。


「へ? じゃあなんで目の下にクマあんの? 寝てないんだろ?」


 そうたずねると、長袖ながそでの先、手元を口にあてて若干うつむき気味に、ごにょごにょと話し始めた。


「昨日は、その……合格発表だったから……」


「はい?」


「合格発表で、その、同じ・・高校に合格したから、高校、どんな風になるかな、どんなことあるかな、とか思ったら全然眠れなかったっつーか……」


「なんだそれ、遠足の前かよ」


 ん?


「……それでなんでおれのせいなの?」


 朝のホームルームの前に『……拓人のせい』と言った沙子の横顔が浮かんだ。


「……うっさい、バカ拓人」


 また顔をそらして憮然ぶぜんとしている。


「……まあいいか、ホワイトデーのお返しは何がいいとかあるか? チョコ?」


 そうおれが訊くと、少し考えた風な顔をしてから、


「ううん、チョコは……そんなに好きじゃないから、屋台の焼きそば……」


「はあ、焼きそば? 春にお祭りないだろ」


「じゃ……焼きそばパン」


「……まあ、それならコンビニとかで買えるからいいけど」


* * *


 昼休みの売店は大盛況だいせいきょうだ。そんなことを思い出し終わっても、まだ列の真ん中にいる。ああ、こんな時に思うよ。翼が生えたら列の一番前まで飛べるのにって。


 そういえば、結局あのあと仲違なかたがいして、お返しは出来ないまんまだったな……。


 そうか、と思い立ち、後ろ髪を引かれながらも列から外れて商品を一つ手に取り、再度列に並んだ。





「たくとくん、おそぉーい」


 人をパシッておいて不満を言ってくる暴君英里奈さん。まあ並び直してたからね……。


「はいはい、これ頼まれたチョコレート」


「ありがとぉー! さっすがたくとくん!」


 暴君からのこの嬉しそうな笑顔にやられてしまうのが男のサガですね……。なんでだろう、暴君をしてきたこと自体がどう考えてもひどいのに。これが不良が捨て犬拾ってたらいいやつに見える理論か……。


 ふう。


 息をついて、そして、もう一つ、机の上に置く。


「ほい」


 沙子の前に、焼きそばパンを。


「……沙子、これ」


「は、何これ、くれるの」


「まあ」


 照れくさくて、なるべく淡白たんぱくに答えると、


「あれぇー、さこっしゅにはおごるんだぁー! ずるぅーい!」


 英里奈さんが非難ひなんしてくる。


「いや、おごりとかじゃなくて……お返しっていうか」


「ふぅーん……てゆぅか、なんで焼きそばパン……?」


 首を傾げている英里奈さんを放置して、ハッとした顔でしばらくそれを見ていた沙子。


 そして、少し経ってから。




「……遅いっての、バカ拓人たくと




 そう、嬉しそうに、はっきりと・・・・・微笑ほほえんだ。

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