第2曲目 最終小節:『あなたのうた』

天音あまねさん、久しぶり」


 チェリーボーイズが片付けをしている間、舞台袖ぶたいそででストレッチをしている市川に、ショートカットでパンツスーツの綺麗な女性が声をかけてくる。


 その人を視界にとらえた瞬間、市川の顔がパァっと明るくなった。


有賀ありがさん!」


 ……あ、この人が有賀マネージャーなのか! てっきり男性なのかと……。


「来てくださったんですね!」


「うん、勿論もちろん。amaneの復活は、わたしの悲願ひがんだもの。本当は歌が歌えるようになったその瞬間が観たかったのに……、いまだに悔しい……!」


「あははー……。そんな、私もあの日にそんなことが出来るとも思ってなかったので……」


 歯ぎしりする有賀さんを、困りまゆをした市川がなだめる。


 どうやら見た目に反して、結構感情がストレートに出やすいタイプらしい。




「それで、この2人が、今一緒にやってる人たち?」


「はい!」


 有賀さんと目があって、2人して、軽く会釈えしゃくする。


「ドラムを叩いている、小沼おぬまです」


「ベースの、波須はすです」


 大人との会話はやり方がどうもわからないな……。


「そっか……、じゃ、あなたが、波須さんの娘さんなんだ」


 沙子を見て、有賀さんがそう言った。


「パ……父を知ってるんですか」


 今、パパって言いかけただろ……。


「うん、天音さんが復活したことは、波須さんのお父さんから聞いたの」


「え、沙子さんのお父さんから……!?」


 市川が目を見開く。


「うん、波須さんのお父さん、音楽ライターだから、以前から付き合いがあるの。この間仕事で会った時に、『うちの娘がamaneのベースを弾いているらしいんだ』って教わって。あ、amaneの活動休止について書いたのも、波須さんだよ」


「そうだったんですね……」


 呆然ぼうぜんとしている市川の代わりに、


「知ってたのか?」


 おれが聞くと、沙子はそっと首を横に振る。


「パパが音楽ライターなのはもちろん知ってたけど、市川さんのマネージャーとつながってるなんて知らなかった。パパもなんも言ってなかったし……」


「そうなんだ……」


 沙子のお父さんは音楽オタクだとは思っていたけど、そうか、それをお仕事にされている方だったんですね……。なんというか、色々なところがつながっているもんだなあ……。


「まあ、とにかく! 今日、また天音さんが歌ってるの見られるのを、楽しみにしてるから」


 有賀さんがパンと手を叩く。


「今日の演奏次第では、再デビューのオファーをさせてもらえるかもしれないし。ね?」


「……はい!」


 市川は、笑顔でうなずく。


 ……まじか、まじか、まじか!


『再デビュー』の言葉に、おれの興奮は一気に最高潮になる。


「じゃ、頑張って!」


 ひらひらと手を振って去っていく有賀さんとちょうど入れ替わりで、トイレに行っていた吾妻あずまが戻ってくる。


「どうしたの? あの綺麗な人は誰?」


「amaneの元マネージャーさんだって! 吾妻、とんでもないぞ! 今日の演奏がよければamaneが復活する!」


「まじ!?」


「まじ!!」


 吾妻が歓喜に目を見開いて、おれの手を取って飛び跳ねる。おれも笑顔になるのを止められない。


「ちょっと、ふたりとも、声が大きいよ……!」


 困ったように、でも嬉しそうに、市川がおれたちをなだめる。


「小沼、さこはす、ちゃんと、天音を支えてあげてね」


 それでも興奮冷めやらぬ吾妻が、おれと沙子の手をそれぞれの手で掴んで、エネルギーを注入するようにぎゅっと握りながら振った。


「任せて。うちが、もう一度amaneをデビューさせてみせる」


「おお、さこはすにしては気合い入ってるね?」


「当たり前じゃん」


 沙子は広角0.数ミリだけニヤッと笑って、


「応援するって、決めたんだもん」


 と告げた。


「……そっか」


 吾妻がそっと、うなずく。




 そんな話をしていたら、


「たくとくんたち、えりなたち片付け終わったよぉー?」


 おれたちの出番の時間になった。


「それじゃ、円陣えんじんだね!」


 そう言って市川は、右手を差し出す。


 市川さん、円陣、好きだね……?


「今回は、そうだなあ……。私は、大切な気持ちを、ちゃんと伝えるために」


「あたしは、amaneを『一番』のバンドにするために」


「うちは、大切な人たち・・の背中を押すために」


 右手を出した三人に見られて、おれは、そっとつぶやく。


「おれは、」


 ふう、と息をついて、そっと右手を重ねた。


「憧れの、その先へ行くために」


 おれがそういうと、


「……そうこなくっちゃ」


 市川が不敵に笑う。


「よし、じゃあ、やりますか!」


 市川の号令で、


「「「おー!」」」


 おれたちは、心を合わせた。




 ステージに上がり、楽器を接続すると、


「みなさんこんにちは、amaneです!」


 市川がおれたちのライブの開始を宣言した。


「わーい!」「amaneもYUIやってー!」「ロックオンで最後にやった曲やってー!」


 会場のみんなが思い思いに反応を返してくれる。


 良い反応もあれば、退屈そうにしている人もいる。声をあげることはしないけれど、きっと内心で嬉しく思っている人もいるだろうし、逆もしかりだ。


 その教室の一番後ろには。


 腕を組んで、『そうじゃねえだろうが……』とふてくされている、ちょうど一年前の自分がいるような気がした。




 思えば遠くに来たもんだ、と誰が最初に言ったかもよく分からない常套句じょうとうくが頭の中に浮かぶ。


 一番後ろと舞台の上、物理的な距離は、たかが10メートルくらいのものだろうけど。


 だけどさ。


 お前・・は、この景色がどれだけ得難えがたくて、そして、それが故にどれだけ離れがたいものか、想像すらも出来てないんだもんな。


 お前が今、何を考えてるか、分かるよ。


 学園祭で誰かとやる音楽なんて、軟弱なんじゃくで、軽薄けいはくで、格好ばっかで、ダサいと、そう決めつけていただろう?


 音楽だけじゃない。


 あいつらは、『自分』も持たずに、友達ごっこをして、恋愛ごっこをして、バンドごっこをして、青春ごっこをして。


 それが『ごっこ』だということにすら気づかない馬鹿ばかりだって、そう思っていただろう?


 そんなの、まやかしだって、フィクションだって、そう思っていただろう?


 多分、それは、あながち外れてもないのかもしれない。


 でも。


 ごっこだって、まやかしだって、フィクションだって、多分、別にそんなの本当は、どうでもいいんだよ。


 だって、そこに生まれた感情だけは、何をどう疑ったってくつがえせないほどの、まぎれもない『本物』なんだから。


 だから、おれはこれからそれを、全力でかなでるんだ。




「……それでは」


 MCをしていた市川が、ふっと息を吸う。


 いよいよ、演奏の始まりだ。


「私たち4人・・の始まりの曲、きっかけの曲を聞いてください。『平日』という曲です」


「4人……?」「間違えたんじゃない?」


 少しだけざわめきが起きるが、演奏が始まり、その音はかき消されていく。


「1、2、3、4……」


 いや、違う。


 そんな疑問さえ簡単に取り払うくらいの音楽が、おれたちの手で、始まったんだ。


* * *

『平日』


目覚まし時計に追いかけられて家を出た

革靴は足にひっかけたまんま

チャイムと同時に教室に飛び込んだ

寝癖ねぐせをみんなに笑われた


憂鬱ゆううつなはずの起床きしょう窮屈きゅうくつなはずの電車、面倒なはずの学校が、

なんでだろう


机の下を走る秘密のメッセージに

「えっ?」て声が出て叱られて

4限でされた私の代わりに

お腹が答えてまた笑われた


退屈なはずの授業、困難なはずの勉強、面倒なはずの学校が、

なんでだろう


下校道、電車を何回も見送って

ホームで日が暮れるのを見て

帰りの電車、今日一日を思い出したら

変だな、なんかちくっと痛い


厄介なはずの下校、窮屈なはずの電車、面倒なはずの学校が、

なんでだろう

* * *


『……高校時代も、青春も、いつまでもここにいてはくれないんだから』


 吾妻がそう言った横顔が思い出された。


 今日の器楽部の公演で、吾妻が『わたしのうた』でも『キョウソウ』でもなく、この曲を選んだ理由。


『そして、そんなイベントの隙間に挟まれた忘れてしまいそうな、だけど愛しい『平日』が、抱えきれないほどあります』


 それはきっと、『THANK YOU ALL』のあとに『平日』をつなげて。


『すべての特別な日、そして、すべてのありふれた日々に感謝を込めて』


 そんな、ユリポエムだったのだろう。


 不意に、最前列近くに立つ吾妻と目が合う。


 すると、ニヤッと笑って、おれのことをゆびさした。


 おれが『ん?』とまゆをひそめて首を軽く突き出すと、吾妻は言うのだった。


 吾妻みたいに、表情を読むスキルはおれにはないけれど。


「ここからは、」


 その唇は、そう動いているみたいに読めたのだ。


* * *

ねえ、なんでだろう?

楽しいとか嬉しいが大きいほど 切ないも大きくなっていく

割り勘のアイス、机の落書き、「おはよ」の挨拶

あと何回くらい なんて数えかけてやめた


ねえ、なんでだろう?

こんな日々が普通であるうちに その答えは分かるかな

夕暮れのベンチ、帰りのコンビニ、「またね」の挨拶

あと何秒くらい その横顔を見られるのかな

* * *




「小沼のことだよ」




* * *

知らないふりして また笑ってみせた たった一つだけの 当たり前の平凡な日常

* * *


 最後の音が鳴り、最初の喝采かっさいが会場を満たす。


 その中で、吾妻は優しい、姉みたいな顔で笑っていた。


 いや、もしかしたら。


 笑ってみせていたのかもしれない、けど。


「ありがとうございます!」


 その吾妻の表情をつかむ暇もなく、MCが始まる。


 いまだにそちらをほうけて見ているおれに、吾妻は笑顔を崩してしかめっ面を作って、「集中しろ!」と市川の方をゆびさす。





「次の曲は、……ずっと前に、作った曲です。誰かを応援するような歌詞なんだけど、多分本当は、誰に向けてとかじゃなくて、こんな曲を誰かが私に歌ってくれたらって、そんな風に思って作った曲だったんだろうなって思います」


『私、小沼くんと出会うあの日まで、『ぼっち』だったんだよ』


 ひとりぼっちだった頃の市川が、自分のために、作った曲。


「でも、ついさっき、ほんの数分前、これを私は私の……多分、友達に、贈ることに決めました」


 多分、友達……? 


 首をかしげながら市川の視線の先を追ってみると、そこには、先ほど舞台の上で告白をした悪魔さんが、気の抜けた、ただの女の子の顔をして、口をぽかんと開けて立っていた。



「その人が私のことをどう思っているかは分からないんだけど、私は、その人にこの曲を贈りたいと思います! この曲を好きだと言ってくれた、可愛いあなたに。聞いてください、『ボート』です」



 市川が一瞬後ろを向いて、おれはうなずき、カウントを出す。



* * *

『ボート』


例えば、水面を涼しい顔してすべっていく水鳥も

その足はもがいているように

いつも優しい笑顔のあなたの水面下にも

「本当のこと」がきっとあるんだろう


例えば、ボートを漕ぎ出す最初のその瞬間に

パドルが一番重く感じるように

何度座り込んでも

立ちあがるあなたは

本当はどれほど力を込めてるんだろう


カップルで乗ったら別れるって有名なボート

帰り道のたび、ギュッと手を組んで願う

「強がりなあなたがそれでも いつかはちゃんと報われますように」


本当に言いたいことほど言えなくて

歯を食いしばっては 下唇を噛んで

口にしたら形になってしまう感情が怖いのなら

私は知らないふりをしておくね

あなたのその無理して笑った顔がすごくかっこいいことを


カップルで乗ったら別れるって有名なボート

帰り道のたび、ギュッと手を組んで願う

「強がりなあなたがそれでも どこかで素顔でいられますように」

* * *


 いつか、階段の踊り場でうずくまって泣いていた英里奈さんのことを思い出す。


『えりなはね、何があっても、恋よりも愛を選ぶって決めてるんだ』


 愛を考えて、恋を感じて、思い焦がれて、計算して、作戦を練って、それでもやっぱり簡単にはうまくいかなくて。


 するべきでない計算をしたり、愛のために、恋敵こいがたきまもってしまったり。


 英里奈さんは、それでも、歩みを止めない。


 前に進むだけではないかもしれない。


 むしろ、遠回りばかりしてるかもしれない。


『だから、たくとくん、協力してねぇ?』


 他人まで巻き込んで、一生懸命に、戦いを挑み続ける。


『多分、気づいてるでしょ?』


 おれはそんな英里奈さんを心底かっこいいと思う。


『だけど、好きな人の幸せを願えないなんて、それは『恋』かも知れないけど『愛』じゃないじゃんかぁ? 絶対』


 英里奈さんに恋なんか絶対してないんだけど、英里奈さんの幸せを願ってやまない。


 その感情のことを、もしかしたら。


 ……友情と呼ぶのかもしれないな、と思う。


『たくとくんは、どこまでも、たくとくんだなぁ……』


* * *

本当に苦しい時ほど踏ん張って

誰もいないところで ため息をついて

口にしたら形になってしまう感情が怖いのなら

私は知らないふりをしておくね

あなたが心から笑ってる顔を見ると嬉しくなっちゃうことを

* * *


 だから、英里奈さん。


 おれたちに言えることは、多分、これくらいだけど。


* * *

「頑張れ」も「大丈夫」も無責任で 言えることは少ないけど

少なくとも1人 ここに味方がいることだけ 忘れないでくれたらいいな

* * *


 市川が歌い終えると、嬉しそうに笑った英里奈さんの頬に涙がつたう。


「……届いた」


 マイクに声が入らないようにそうつぶやき、ほっと胸をなでおろす市川。




「それじゃ、次の曲、いこっか……! 次は、前回のロックオンのアンコールで演奏した曲です」


 市川がそう言うと、


「あれ好きー!」「やったー!」


 客席から喜びの声があがる。


「えっと、この曲については……そんなに話すことはないから、やっちゃおっか?」

 

 そう言っておれと沙子の方を振り返る。


 すると、沙子が、小さく手を挙げた。


「ちょっといい」


「ん? 沙子さん、話すの?」


「うん」


 コク、とうなずいた。


「ほえー……! あ、どうぞどうぞ」


 市川が驚きからか、なんだか変な話し方をして、沙子に手を差し出した。


 コーラス用のマイクに沙子が声を吹き込む。


「えっと、ちょっと、ここで一つ、伝えておきたいことがあって」


 沙子は、本当は口数が少ないわけではないのだが、無口だと思われているところがある。


 会場も、「沙子様がお話してるよ」「ほんとだ」とざわざわしていた。


「あの、うちは、以前、嫉妬しっととか焦りとかで頭がおかしくなっちゃってたことがあって。それで、髪の毛もこんな色になっちゃったんだけど……」


 観客がははは、と笑う。


 沙子は何が面白かったのかちょっとよく分からなかったみたいで、0.数ミリ顔をしかめて首をかしげてから、続けた。


「それで、散々当たり散らして、迷惑かけて、人を傷つけて、もう、うちには出来ることも、していいと許されたことも、何一つなくなったと思った。でも、この曲を聞いて、もしかしたら、」


 沙子は、自分の右手の指をグーパーして、まじまじと見つめながら言う。


「……こんなこと言ったら都合が良いかもしれないけど。悪い感情で生み出されたものでも、それでも、一生懸命やり直すことが出来たら、それも、『よかったこと』に出来るのかもしれないって、思った」


 そう言うと、ふふ、と少しだけだけど声を出して笑う。


『ねえ、拓人。うち、やっと……、奪うんじゃなくて、あげることが出来たよ』


「何も持ってないうちだけど、それでも少しだけ、出来たことがあるから。それはもしかしたら、うちじゃない誰かにも出来たことだけど、それをうちが出来たことを誇りに思ってる」


 沙子は、市川に向き直った。


「あのね、市川さん」


「は、はい……!」


 市川が緊張したように、だけど、しゃんと背筋を伸ばして、沙子と向かい合う。


「ちゃんと、伝えてなかったと思って」


「なに、かな?」




「この曲は、うちが、世界で一番好きな曲だよ」




 市川が息を呑む。




「だから、あなたが、いてくれてよかった。そこにいたのが……あなたで、良かった」


「沙子さん……!」


 市川が瞳をうるませる。



 会場が、「なんの話?」と首をかしげる中。




 微笑みながら目尻を軽くぬぐって、マイクに向き直った。



「あー、いきなり泣かされるんだもんなあ……」


 市川は呼吸を整えるように、深呼吸をして。


「えへへ、みなさん、ごめんなさい。うちのベーシストは、ちょっと向こう見ずなところがあって……」



 そして、しっかりとした声になる。



「でも、誰よりも優しくて、誰よりも強くて、最高にカッコいい、女の子なんです。そんな、私の大切な人たちと一緒に演奏します。『わたしのうた』」



* * *

『わたしのうた』


ねえ、自分にしか出来ないことなんて たった一つだってあるのかな?

教室のすみっこ おりこうなだけの私

ねえ、かけがえのない存在なんてものは たった一つだってあるのかな?

遠い街に住む運命の人を 私は一生知らないままかもしれない


私は何にも持ってないから自信がなくて

私には自信がないから勇気がなくて

「そばにいて」ってそんなことすら言えないまま

* * *


『拓人、うちはね、本当に、何にも持ってない。ゆりすけみたいにベースがうまく弾けないし、英里奈みたいに中身も外身も可愛くないし、市川さんみたいに、拓人が何百回も聞くような歌詞も曲も書けない、だけど』


 演奏しながら、沙子の言葉が脳裏で同時に再生される。


『拓人のそばにずっといたい。誰よりも先に、誰よりも強く、そう思ってる』


* * *

痛みとか傷を避けて歩いてたら いつの間にか大切なものから遠ざかってた

それはきっと大切なものの近くにいるのが 多分一番いたいからなんだろう

* * *


『多分、これから先も結構大変というか。辛いことも、痛いことも、苦しいことも、たくさんあると思うんだけど、』


 これまで、沙子にもらったもの。


『それでも、うちは拓人に出逢えてよかったって、そう思う』 


 その一つ一つに、視界がうるんでいくのを感じた。


* * *

苦しいことばかりで 痛いことばかりで

今日を投げ出したくなるけど

もしかしたら、もしかしたら

60億人の人混みの たった一粒 何者にもなれない私に

「いてくれてよかった」と言ってくれる人に

いつか 出会えるかも知れない

* * *


 間奏が始まる。


 沙子の方を見て、市川がえへへっと嬉しそう笑う。


 それに応えるように。


 沙子は、自信にあふれた全開のドヤ顔で笑ってみせた。


* * *

ねえ、自分にしか出来ないことなんて たった一つだってあるのかな?

私が答える そんなことどうだっていいよ


もし私がここにいたことで

息を吸ったことで、笑ったことで、泣いたことで、歌ったことで、

生まれたものがあるのなら


それがどんなに小さなものだっていい

私は誇りみたいに、勲章みたいに

バカみたいな笑顔でかかげて生きていよう


これが、わたしのうた

* * *


 むちゃくちゃにシンバルを叩く。バスドラを踏む。


 やっぱり、この曲に、おれは弱いらしい。


 何度合わせてもぼやけてしまう視界の中、


 ジャン!


 と、シンバルの音を一つ、丁寧に、一番近くいる人にしっかりと届くように叩いた。


「ありがとうございます!」


「「「わあああああああああ!!」」」


 いつの間にか人気曲になった『わたしのうた』の演奏に、会場が湧く。


 よかった……と、気を抜きかけるが、まだ、ライブは終わらない。



 汗をぬぐって、市川がMCを続ける。


「えーっと、時が経つのは早いもので……次が、最後の曲です!」


「「「ええええええええええ!!!」」」


 定番の、最後の曲でがっかりする流れのやつだ。みんなノリいいな……。




「前回のロックオンから、たった数ヶ月のことだったけど、色々なことがありました」


 市川は、そう切り出した。


「『amane』は、曲が書けなくなったり、詞が書けなくなったり……ケンカしたり、仲直りしたり、背中を押したり、背中を叩かれたり……」


 本当に色々なことがあったと思う。


 それこそ、列挙していったら持ち時間なんか、全部余裕で使ってしまうような。


 時計を見てみると、持ち時間はあと、5分強。


 ちょうど、残り一曲分・・・だ。


「でも、それを全部、全部乗り越えて、やっと出来上がった曲が、あります」


 市川は不敵に、無敵に、ラスボスの笑顔で、言い放つ。


「そのすべてを込めて、歌います。『キョウソウ』です」


* * *

『キョウソウ』


靴紐がほどけて 踏んで 転んで

うずくまって動けなくなってしまった

それは多分 擦りむいたからじゃなくて 

擦りむく痛みを知ったから


再開におびえて ねて いじけて

ふてているうちに遠くまで行ってしまった

憧れには 手も足も届かなくて 

気づけば私は最下位だ


リタイアしかけたその時

どこかから力強い音が聴こえた

リズムを刻み ビートを叩くその音の正体は

自分の心臓の鼓動だった


自信なんかないけど 定義すら分からないけど

一番強くなるって 今、決めた

待ったりなんかしないで

すぐにそこまで行くから


息が上がりそうなその時

どこかから力強い音が聴こえた

花火みたいな ドラムみたいなその音の正体は

あなたにもらった言葉だった

* * *


『「憧れに手を伸ばす」んだったら、これくらい本気でいかないと、だよ。拓人?』


 あの花火大会の日の、沙子のうるんだ声がよみがえる。


* * *

自信なんかないけど 届くかは分からないけど

一番強くなるって もう決めた

待ったりなんかしないで

すぐにその先へ行くから

* * *


 ここから、曲はクライマックスだ。


 最後の歌詞なら、もう、吾妻から受け取っている。


 それは、吾妻の器楽部の公演のあの言葉。


『あたしのバンドメンバー・・・・・・・全員・・に一つだけ、覚えておいて欲しい言葉を言わせてください』


 それは、きっと、これまでのすべてを肯定する魔法の言葉で。


* * *

さよなら、拗ねていた私

さよなら、いじけてた私

さよなら、怖がってた私

さよなら、負けていた私

* * *


 どんな間違えた過去も全部含めて、それがあるから、おれたちは、その先へいけるのだろう。


 市川が微笑んで、吾妻を見る。


 吾妻が拳をぎゅっと握って、こちらに向けてくる。


 それは、まるで、グータッチのようで。


* * *

あなたたちがいてくれてよかった

私は、今日までの全部と一緒にこの曲を奏でるよ

* * *


 吾妻にもらった言葉を胸に、おれは、一息にシンバルを叩きまくった。


 ベースがうねり、ギターが掻き鳴らされ。


 4人・・の目線が交差した、その瞬間。



 ダン!!



 と最後の一音を鳴らす。


 おれは立ち上がる。



「ありがとうございました! amaneでした!」


「「「わあああああああああああああ!!」」」


 拍手が鳴り響き、鳴り止まない。




「ふうー……」


 さて、ここから、どうなるか……。


 沙子が、ペットボトルの水を飲んだ。


 市川が汗をぬぐいながら、息を整える。




 その様子を見ながら、おれは、先週のセットリストを決める時の会話を思い出していた。


* * *


「ねえ、やっぱり5曲やりたくない? 『ボート』も含めてさ」


「でも、持ち時間25分なんでしょ。5曲全部単純に足しても、25分超えちゃうじゃん。4曲とMCが限界でしょ」


「やっぱりそうかなあ……」


 市川と沙子がむー……と頭を悩ませている時に、おれは、言ったのだ。


「時間を短くしないで5曲出来る方法があるだろ」


「「ん……」?」


 自信満々に、笑いながら。


「『キョウソウ』を本編の・・・最後に持って来ればいいんだよ」


* * *



 頼む、どうか、頼む……!



 祈りが通じたのか、やがてその喝采かっさいは形を変える。


「「「アンコール! アンコール!」」」




 ……良かった、作戦勝ちだ。


 市川がえへへっと笑い、沙子がほっとしたように胸をなでおろす。


 おれも、ふふっと、笑った。




 ……いや、本当によかったあああああああああああああ! 怖かったああああああああ!



 危ない危ない、これ、アンコール来なかったらくそダサかったじゃないですか! ありがとうみんな! ありがとう『キョウソウ』!

 




「アンコール、ありがとうございます!」


 市川がニッと笑う。


「あと一曲だけ、歌わせてください」


「「「いえーい!!!」」」


 会場が最高潮に盛り上がっている。




「この曲の歌詞が、ずっと歌えなかったんです。……実は、今の今まで、一回も、バンドでは、歌えていません」


 そう、語りかけ始めた。


「私には、勇気がなかったんです。一人の時には、……声を出せなくて、その時には、仲間がいてくれたおかげで、勇気を持てました。でも、仲間が出来たら、今度はそれを失うのが怖くて、勇気をまた失ってしまいました」


 市川は困り眉で言う。


「そんな、難しいループにはまったら、どうしたらいいのか……」


 会場が神妙な顔をしてその話を聞いている。


「その答えは今も全然出ていません。これからすることが正しいのかも、分かりません。それでも、」




 市川は、amaneの顔になった。




「私は、自分の気持ちには嘘はつかない」





 そして、一度、深呼吸をする。


「……よし」


 そして、そっとこちらに振り返った。


「……私、歌うからね」


 そう、肉声で言われて、おれは、しっかりとうなずきを返す。



「それでは、聴いてください、『あなたのうた』」


* * * 

『あなたのうた』


校庭に石灰せっかいで引いたみたいな飛行機雲をたどって

二つだけの足音を鳴らす帰り道

何考えてるんだろう? いつもどこか上の空で

上手うまくないあいづちばかり


これがなんて気持ちかは分からないけど

ずっと踏切につかなければいいのに、なんて思う


7回角を曲がって信号を渡ってからまっすぐ200メートル

道のりのおしまいを告げる警告灯

何考えてるんだろう? あなた越しの西の空は

いつもよりも寂しそうにしてる


これがなんて気持ちかは分からないけど

ずっと踏切が開かなければいいのに、なんて思う


小器用で不器用なあなたの横顔を照らす夕陽が

自転の速さですみれ色に溶けていく

電車の通り過ぎる大きな音に忍ばせた言葉は

「私は、ただ、あなたがいてくれればよかった」

* * *


 切々せつせつと、だけど、足音を鳴らして進んでいくように。


 全部踏みしめて、全部噛みしめて、つむがれていく市川の大事な言葉を、一つ一つとらえて、一つ一つ音にして打ち込む。


 沙子は優しく微笑みながら、その道筋を、背中を押すように柔らかなベースラインを奏でていた。


* * *

嬉しいも、楽しいも、あなたに出会ってから

苦しいも、切ないも、あなたにもらったから

それでね

わがままな私は思うんだ

寂しいも、幸せも、あなたから欲しいと


これがなんて気持ちかは分かってるけど

声に出したら、歌にしたら、壊れてしまいそうで


私に言えるのはこれまで

* * *


 再度市川は大きく息を吸って、歌い上げる。


* * *

ねえ、聴いてる?

* * *


 ここで、おれと沙子が音を止める。


 すると、市川が、一瞬だけ振り返り。


 おれの目をじっと見据みすえてから、最後の1フレーズを歌った。






* * *

これは、あなたのうただよ

* * *








 静かに、静かに、曲が終わり。



 唖然あぜんとするおれと、優しく呆れた顔をする沙子を置いて、


 市川はまた前を向く。


「……ありがとうございました!」


 読解力にとぼしいおれでもわかる。


 これは、ラブソングだ。


 それも、誤魔化しようもないほど、まっすぐな、恋の歌。


「「「「わあああああああああああああ!!!!」」」」


 少し遅れて、爆発しそうな歓声があがる。





 大トリのおれたちの演奏が終わると早々に観客ははけていく。


 片付けを終えたおれたちがステージを降りると、舞台袖で吾妻が待っていてくれた。


「天音、さこはす、小沼、お疲れ!!」


「わーおつかれー!」


「おつかれ」


「お、おつかれ……。あのさ、市川、あれって……」


「天音さん!!」


 おれが言いかけたその時。



 感極かんきわまった様子の有賀さんが声をかけてくる。 


有賀ありがさん……!」


 そして、有賀さんは、市川をぎゅっと抱きしめた。


「よく、頑張ったね……!」


「はい……!」


 ハグを終えると、市川の肩に手を置いて、満面の笑みで話を続ける。


「これなら、文句なしで、再デビュー出来る!」


「「おお……!!」」


 おれはさっきまでの疑問もいったん吹き飛び、よろこびで胸が張り裂けそうになる。隣では、吾妻も満面の笑みを見せていた。


「特に、アンコールの一個前の曲が良かった。『キョウソウ』だっけ? 再始動にあんなにぴったりな曲もないでしょ?」


 熱っぽく有賀さんは話しつづける。


「あの『キョウソウ』をシングル曲にして、まずは一曲だけ配信限定で発売しましょう! それからそれから……」


 勢いが止まらない有賀さんに、


「あの、有賀さん」


 市川が小さく、挙手した。


「ん? なになに?」


 有賀さんは目を輝かせたまま市川を見る。


「あの……、『キョウソウ』を作ったのは、私じゃないんです」


「……え?」


 ただ、その告白にその輝きは、しゅん、と失われてしまう。


「どういうこと、かしら……?」


 首をかしげる有賀さんに、市川はすぅっと息を吸って、一息に告げる。



「あの曲は、小沼くんが作曲をして、そこにいる由莉が作詞をした作品なんです」



「そう、なの……?」


 有賀さんがこちらを見て驚いた顔をする。


 おれと吾妻は、つい、少し目をそらしてしまった。


 その無言を肯定ととったのか、


「ふーん……、なるほど。でも、それだと、なあ……」


 有賀さんは困ったように頭を抱えて。


 そして、顔をあげた。




「……ごめんなさい。それなら、このままは、デビュー出来ない」





「え……!?」


 吾妻が顔をゆがめる。




「この二人が作った曲じゃだめなんですか」


 沙子が横から質問すると、有賀さんは心底申し訳なさそうに告げる。


「うん、それじゃ、だめなの。amaneは『天才シンガーソングライター』だから。自分の言葉で自分の曲で、自分の思いを歌えるシンガーとしてこれからも売り出していく必要がある」


「そしたら、アンコールの曲を! あれなら、天音が全部作った曲だから……!」


 吾妻が食い下がるも、それにもそっと首を横に振った。


「あの曲は、誰に歌ったのかはわたしには分からないけど、個人的すぎて、規模が小さすぎて、復活の曲としては相応ふさわしくない。いい曲かもしれないけど」


「そういうもの、ですか……?」


 吾妻が眉をひそめた。


「……残酷ざんこくだけど、曲も歌詞も作れない、歌が上手くて可愛い女の子なら、他にもいるのよ」


「だけど、amane様の歌はうまいだけじゃなくて、胸に突き刺さるものがあります!」


「そんなの!」


 吾妻が言うのを有賀さんは少し大きな声でさえぎる。


「そんなの、わたしが一番分かってるわよ……!」


 下唇を噛んで続ける。


「……でも、ダメなの。売り出し方を、わたしの一存いちぞんで、変えるわけにはいかない。……だから、」



 そして。



 おれと吾妻の方を見て、



「二人に、お願いがあります」



 ゆっくり、深々と頭を下げた。



「お願い……?」




 戸惑うおれたちに、静かに、だけど、しっかりと、有賀さんは告げた。





「この曲を、amaneが作った曲として、発表させてください」




 

 そのあまりに真摯しんしな姿勢に、おれは混乱する。


 おれは、『大人』というのはもっと横暴で、乱暴で、強欲ごうよくだと思っていたから。




「……ゴーストライターって、ことですか?」




 おれがそっと訊くと、



「そういうことに、なるわ」



 依然いぜんとして頭を下げたまま、有賀さんは続けた。



「もし、二人からこの曲をもらえない場合には、amaneの再デビューは、見送ることになる」



 吾妻が疑問を挟んだ。



「逆に、この曲をamaneの曲ってことにしたら、amane様は確実に再デビューできるんですか?」



「うん。確実に、再デビューさせてみせる。約束します」



「そう、なんですか……」



 深々と下げられた頭を見て、おれはほほをかく。


 まったく、この有賀さんという誠実な大人は、物事ものごとを重くとらえ過ぎているらしい。


 もともと、おれの曲は、『amane』のものとして作っているし、吾妻だって同じだろう。


 だから、なにも変わりはしないのだ。


 おれの曲をおれのものとして発表しないことなんて、なんでもない。




 本当に、すごいことだと思う。


 考えれば考えるほど、なんて完璧な結末だろう。


 おれの曲をamaneが歌って、それがamaneの曲として、日本中に響き渡るなんて。


 最高すぎる。


 夢にも思わなかった、夢のような成果だ。




 あの日。


 おれが市川と交わした一番最初の契約は、2つ。


『おれが作った曲だとは、その先も言わないでほしい』


『いつか、amaneの曲を、amaneの声で聞かせてほしい』


 この方法なら、そのどちらもかなえることが出来て、おれにとっても、市川にとっても、すべての願いが叶う。


 おれは、もともと、そのためなら、なんだって差し出せるんだ。


 もともと、おれは、自分が曲を作っていることなんか、誰にも言っていないし、言いたくもなかったのだから。



 ああ、本当にこんなことがあるんだな。




 頬をかきながら、おれは、心の中で、つぶやくのだ。






 宅録ぼっちのおれがあの天才美少女のゴーストライターになるなんて。











































































「……そんなの、嫌です」



































 気づいたら、そう、声が漏れていた。


「小沼……!?」


 ……おい、おれは、何を言っている?


「そんなの、嫌です」


 今のでキレイに締めておけよ。


「拓人……!」


 これに笑ってうなずけば、また、amaneは、またデビュー出来る。


 そしたら、おれはまたamaneの演奏聴くことが出来るんだ。




 どんな曲が生まれるんだろう?


 プロのミュージシャンたちに囲まれて、最高の録音環境でレコーディングされた、おれの大好きな音楽が、また聴ける。もっとたくさんの曲が聴けるんだ。



 ライブもやるかもしれない。客席から手放しで観るamaneの演奏はどんなだろうか?




 ワクワクする、ドキドキする。


 楽しみだし、嬉しい。









 だけど。










 だけど、もう、嘘はつけない。








 世の中に。





 そして、自分の心に。 





「この曲は、おれが作った曲なんです」



「小沼くん……!」



 市川がぎゅっと唇を引き結ぶ。



「おれが、小沼拓人が作った曲に、吾妻由莉が歌詞をあてて、そこに波須沙子がベースを弾いて、市川天音が歌って、それで、初めてこの曲になるんです」



 もう、止まらなくなる。





「他の誰にも渡すわけにはいかない、おれたちの、おれたちだけの音楽なんです」




 スゥ……っと息を吸う。



「だから、その提案には乗れません」



 おれがそう伝えると、有賀さんは頭をあげて、おれの目をじっと見る。





「それで、amaneがまたデビュー出来なくても?」




「……はい」


 もう、迷わない。


 しっかりと、きっぱりと、頷きを返した。




 


「かっこいいよ、小沼くん」


 すると、市川が微笑んで、


「有賀さん、私、ようやく、一人じゃなくなったんです」


 そう切り出した。




「天音さん……」




「有賀さんにはまだ伝えられてなかったんですけど、」



 おれなんかよりも何倍も毅然きぜんとした態度で、不敵に笑う。



「シンガーソングライターamaneなんて人は、もうこの世に存在しないんです」


「天音……!」


 吾妻が、息を呑んだ。




「amaneっていうのは、私たちの、私たちにしか出来ない、このバンドの名前なんです」




 その言葉に、有賀さんが目を見開く。




「シンガーソングライターamaneは、もう、二度とデビューしません。バンドamaneとしてしか、デビューは考えられません」




 そこまで聞くと、



「芯の強さは、変わんないなあ……」



 有賀さんはあきれたように笑った。




「……わかったわ。それじゃあ、一つ、テストをさせて」



 マネージャーは、新しい提案をする。



「テスト……ですか?」



「そう、あなたたちがバンドとしてデビュー出来るかを測る、テスト」



 突然何を言いだすんだろう……?



 戸惑うおれを、有賀さんはじっと見つめてくる。



「小沼君に、質問」


「は、はい!」






「あなたにとって、市川天音は、なに?」




「はい……?」



 突然の質問に、つい、眉をひそめる。



「答え次第では、あなたたちをバンドamaneとしてデビューさせられるかもしれないし、答え次第では、デビューさせられないかもしれない。もちろん、シンガーソングライターamaneとしても」





 有賀さんは、おれの目を見据えたまま、そう、ルールを簡潔に説明してくれた。



 なるほど、これが、テストか。





 この答え次第では、amaneが、バンドとしてデビューすることが出来るらしい。




 さて、何を答えれば良いのだろうか?


 ……いや、ちがうな。


 もう、間違えない。


 おれが、何を答えたいか、それだけだ。




 おれは、分かりきった、やっと固まった答えを、返す。




「amaneは……おれの、憧れです。」






「小沼くん……!」



 おれは語り続ける。




「憧れで、おれにとっての道しるべです。目標です」




 それは、おれがあの日・・・に出した答え。




「おれは、amaneの人生を変えるような音楽を作りたいんです」





 そこまで伝えると。




「はあ……」


 有賀さんは、ため息をついた。





「残念、テストには失格」






 おれの答えにがっかりしたように、話を続ける。





「憧れっていうのは、要するに恋愛感情のことでしょう? バンド内に恋愛なんかご法度はっと痴情ちじょうがもつれたら解散することになるし、高校生バンドだったらいいかもしれないけど、プロにさせるわけにはいかない。リスクが高すぎる」




 有賀さんは、残念そうに、カバンを持った。



「amaneのデビューはわたしの悲願だったんだけど、でも、仕方ない、か……」


 背中を向ける有賀さんを、






「……まだ、話は終わってません」






 おれは、呼び止めた。





「拓人……?」



「amaneは憧れです。だけど、市川天音は、違うんです」



「はあ……?」



「市川天音は、おれの『憧れ』じゃありません。ただのクラスメイトで、ただのバンドメンバーです」





 有賀さんはきつく、眉間みけんにしわを寄せる。





「……そんな子供だましみたいなことが通用すると思った? amaneでダメだったけど、『市川天音自身には憧れてないです』って言ったら、バンドとしてデビュー出来るとでも?」



 にらんでくる有賀さんに、



「いえ、違います」



 おれは、負けじと言葉を返す。



「……なにが違うっていうの?」






 おれは、ふと3人を見る。


「ごめん、沙子、吾妻……」


「小沼……?」


「……ごめん、市川」


「小沼くん……?」


 市川の瞳が揺れた。



 おれは彼女たちを傷つけるかもしれない。期待を損ねるかもしれない。



 落胆させて、失望させて、絶望させて、もう、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。



 3人が描いた最高な未来を、つぶすことになるのかもしれない。




 それでもおれは、本当のことを言わなきゃいけないんだ。






結果・・は、変わらないんです」


「はい?」




 大きく息を吐く。



『私は、自分の気持ちには嘘はつかない』



 だって、もう、嘘はつけないんだ。


 世界にも、自分にも。




 ずっと、自信がなかった。


『自分なんて』って何回思っただろうか。


 自分が求められることなんて、自分が与えられるものなんて、一つもないってずっと、ずっと思っていた。




 手に入れようと思えば、手に入らないということに絶望する。


 なのに、やっとの思いで手に入れたものは、いつだってうしなうばかりだ。




 だから、気づくのが怖かった。


 傷つくのが怖かった。




 でも、届かなくても、意味がなくても。


 それでも。


 もう、逃げない。


 もう、誰かのせいにしない。


 自分の『本当』と向き合うんだ。




「それでも、おれは、」





 そして、スゥーッと、息を吸う。


 頭が真っ白になりそうになる。


 熱い。喉が痛むくらいに乾いている。


 指が震える。目が潤む。




 これで、全てが終わってしまうかもしれない。



 少なくとも、全てが変わってしまうのだろう。


 それでも、言うしかない。


 そして、新しい世界へ行くんだ。


 今日までの全部をつれていくんだ。


 この一言で。





























「おれは、市川天音に、たった一人の特別な女の子として、恋をしています」

























======================================



 また、夕暮れ色の空気で満たされた教室。


 学園祭の片付けも終わり、教室にはおれと、もう一人しか残っていなかった。


 市川天音いちかわあまね


 容姿端麗ようしたんれい、成績優秀。


 黒髪セミロングのストレートヘアーが彼女のイメージに似合っている。


 人当たりは良いが、人に媚びるような態度を見せることは無く、凛としたその姿に、男子のみならず女子にまで好かれている。


 おまけに歌が上手く、ギターが弾ける。


 そして、自分で作った曲を、自分で書いた歌詞を、自分で歌える。


 完璧を絵に描いたような美少女だ。


 そして……。


「デビュー、出来なかったね」


「そうなあ……」


 おれは頬をかく。


* * *

「おれは、市川天音に、たった一人の特別な女の子として、恋をしています」




 おれが決死の覚悟で告げた言葉に。




「……あははははははっ!」





 有賀さんは、なんか知らんけど、爆笑していた。



「有賀さん……?」



「あー、ごめんごめん!」


 

 有賀さんは手を顔の前で合わせると、



「じゃあ、テストの結果発表ね」


 と、そう言った。





 それから、たーっぷりと有賀さんは某クイズ番組のようにためを作って、





「……もちろん、不合格!」





 と、言葉に似つかわしくない無邪気な笑顔で言った。


「だけどね、小沼君」


 そして、優しい真顔になって言う。


「あなた自身には、きっと人の心を動かす才能がある。だから、どうしても、あなたたち4人・・でデビューしたいのなら、正規のルートでのし上がってきなさい」


「正規のルート……?」


「オーディションとか、ライブハウスでのスカウトとか。とにかく、わたしのコネを使わずに、ここまできなさい」


 有賀さんは、ふふっと笑って、言う。


「その日を、楽しみに待ってるから」


「有賀さん……!」


 市川と最後に軽くハグを交わして、有賀さんは帰っていった。



「なんか、すごい人だったな……」


「……うん、そうだね」


 市川が上気させた頬で、うなずく。


 ぼーっとその後ろ姿を眺めていると、後ろから少し強めに背中を叩かれた。


 振り返ると、吾妻が嬉しそうに微笑んでいる。そして、おれの胸にグータッチをしてきた。


「小沼は、ちゃんと『本当』を見つけたんだね」


「……おう」


「拓人、」


 声のする方を見やると。


「今の拓人は、」


 満面の笑みで、沙子は言う。




「おっきい花火みたい、だった!」




* * *




「ねえ、小沼くん」


「ん?」


 机の角に腰掛けた市川が、しっとりと、おれに呼びかける。


「もう一回、ちゃんと、有賀さんに向かってじゃなくて、私に言ってくれないかな?」


「……何をでしょうか」


「わからないはずないでしょ?」


 いや、分からないはずはないけれど。


 恥ずかしすぎるし照れすぎる。




 だけど、もう。


 おれは、引き返さないことにしたから。




「……おれは、市川天音が、好きなんだ」


 そう、伝えると。


「……私も、小沼拓人のことが、好きだよ」


 と、そう、市川が言った。




「お、おう……」


 やっぱり、あの曲は、おれに向けての……。




 そんな思考をさえぎって、市川はもじもじと話を続ける。



「えっと、小沼くん……。気づいてるかもしれないけど、私、実は結構、嫉妬しっと深いんだよね」


「へ?」




 突然の話に、おれは、頓狂とんきょうな声をあげる。




「ずーっと、モヤモヤしてたんだ、なんで私じゃないんだろうって」



「何が……?」






「これが、だよ」






 何を言っているんだろう、と市川を見た瞬間。






「ん……」





 その顔が近づき、そっと、一瞬だけ。



 柔らかい感触が、おれの唇にあてられる。




「いち、かわ……」





 すぐに離れたその顔はおれをうるんだ上目遣いで見上げた。






「私、初めて、だから! 小沼くんは、初めてじゃ、ないみたいだけど……?」



 その拗ねたような表情に鼓動が高鳴りすぎて、




「初めてではないけど、」




 ついつい、おれは思ったことを口走る。




「おれが最後に……それを、するのは、市川と、だと、思います……」





「……市川と?」




 意地悪な笑顔で、彼女・・はおれをのぞきこむ。




「……天音と、です」




 すると、小さな声で、はにかんで、つぶやく。




「そんな、プロポーズみたいなこと……」




 そこにあるのは、夕陽と同じ色に頬を染めた二人の姿。




 そしておれは、こんな状況になってまでも。


 こんな状況に合うのは、どんな曲だろうか、とついつい、頭の中でメロディを探している自分に気づく。


 あきれて笑った、その瞬間。




「『ねえ、たった一つだけ、生まれてきた理由があるとしたら』」




 彼女の方もまた、新しい歌を、自分の声で、歌い始めたのだった。





「『それは、こんな瞬間のことを言うのかもしれないね』」



 極上のメロディと極上の歌詞をおれだけのために聞かせてくれた後に。


 彼女は、amaneではなく、天音の顔で笑った。





「ね、拓人くん?」

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