第2曲目 第29小節目:『ボート』

「なぁーんか、たくとくん、眠そうじゃなーい? 大丈夫ぅー?」


「えーっと、いや、別にそんなことないですけど……?」


 朝食会場にて、英里奈さんにつっこまれてついつい目が泳ぐ。


 いや、ていうか眠れなかった理由の一端は英里奈さんにあるんだからね……?


「ていうかさ、市川さん、朝、どっか行ってたでしょ」


「えーっと、いやー、なんのことかなー……?」


 いや、この天使様は嘘が下手すぎる。


「あれぇ? 天音ちゃん、朝帰りぃ?」


 ニヨニヨと英里奈さんが聞いている。


「朝帰り!? そ、そんなことは何も……ね?」


 ちょっと市川さん、このタイミングでおれをチラチラ見ないで? 『ね?』じゃないでしょ?


 すると、沙子が市川のほっぺを引っ張りはじめた。


「ひょっと、はこはん、いはいいはい……!(ちょっと、沙子さん、痛い痛い……!)」


 それを見て楽しそうだと思ったのか、ニターっと笑った英里奈さんがおれの両ほほを引っ張る。


「たくとくん、『学級文庫』って言ってみてぇー?」


「いや、ひょくじつう!(いや、食事中!)」


 ていうか両ほほをつねるからあなた正面に立ってて近いです!


「ロック部みんな集まりましたかー?」


「「「はーい」」」


「器楽部みんな集まりましたか?」


「「「はい!!」」」


  器楽部が練習に使っていたホールに合宿参加者が全員集まっていた。両部長が満足げにうなずく。


「時間が経つのも早いもので、楽しい合宿も、とうとう終わりが近づいて来てしまいました。この発表会でおしまいです!」


「「「ええー!!」」」


 それ、ライブの「次が最後の曲です」のやつですね……。結構みんなノリ良いね?


「器楽部は、この発表会が学園祭本番だと思って死ぬ気でのぞんでください!」


「「「はい!!」」」


 よくこの対照的な部活がそれでも毎年一緒に合宿なんか来てるなあ、ほんと。


 ということで、まずは、ロック部の演奏が始まった。


 まず最初に、チェリーボーイズの面々が舞台に立つ。


「みんなおはよう! 最初からブチ上げるから盛り上がってな!」


「「「いえぇええええええい!!」」」


 器楽部も一緒くたになって歓声を上げる。


 なに、こいつら人気あんの?


 脇を見ると、何やら悲しそうに顔を伏せている女の子もいた。あの子、昨日間はざまに振られた子かしら……。


「一曲だけだけど聞いてくれ!」


 その一曲って、もしかして……?(一応)


「スピッツで、『チェリー』」


 ですよね!


 ドラムからイントロが始まる。


 英里奈さんはやっぱりマネージャーを貫いているらしく、キーボードで参加とかも結局しないらしい。


 なぜならおれの隣で演奏を聞いているから。


「ねぇねぇ、たくとくん、みてぇー」


 英里奈さんがおれの袖口をくいくいっと引っ張って話しかけてくる。


「いや、みてるけど……」


 むしろ英里奈さんのせいで気が散ってるんだけど……。


「健次が、えりながフロントから借りて来たギター持ってる・・・・よぉー」


「そうなあ……」


 うんうん、おれもあれ一緒に借りに行ったから知ってるよ。


 あとはざま、全然弾いてないね。持ってるだけだね。


「かっこいいねぇ……」


「そうなあ……そうか?」


 いやまあ、英里奈さんがいいならいいけど、なんていうか、持ってるだけならおれも出来るよ?


「うん、かっこいい……」


 英里奈さんって、意外と尽くすタイプ……?


 今回はさすがに公開告白もなく、まばらな拍手とともに演奏が終わる。


 はざまはまじで最後までギター弾かなかったな……。


 そのあと何バンドかロック部の演奏があり、おれたちの出番が来た。


「えーっと、それでは、ロック部の最後、amaneです!」


 市川がボーカルマイクを通して話す。


 おれは舞台のドラムにそっと腰掛け、沙子はベースの音を整える。


「今日もオリジナル曲をやりたいと思います! この曲は、小沼くんがやりたいと言って、やることになりました! ね、小沼くん?」


 市川がおれの方を振り返ってニコッと笑う。


 え、なんでいきなりおれに振ってくんの!?


「あ、あ、あ、ああ……」


 人前で話すことなんか出来ないおれはカオナシと化してしまった。口からきんそう。


「オヌマ先輩って誰?」「あのドラムの人でしょ、ロックオンで叫んでた人……」「ああーエモいよねー」「っていうか吾妻部長とも仲良いっぽいよ。喋ってるとこ見た」「へーエモいねー」「なんかぁー、この合宿でぇー、えりな以外にモテモテになっちゃってるらしぃよぉー?」「へーエモいねー……って、なんか知らない先輩が話に入って来た!」「え、でも知らない先輩さんめっちゃ可愛くない? お人形さんみたいじゃない!?」「やばい」「やばい」「むっふっふぅー」


 カオナシ化しているおれとは対照的にざわつくホール内。


「あはは……、見ての通り、小沼くんは口下手くちべただけど、」


 市川がマイクに向かって、微笑むように吐息といきをもらした。


「その分、彼の作る『音』は、すごく胸に響くものがあります」


 市川の言葉に、みんなが「ほぉ……」と感心のため息をついた。


 恥ずかしいからやめてぇ……。


「ということで、そんな小沼くんの思いが届きますように。『ボート』という曲です、聞いてください」


 ふう、と息を吐いてから。


 おれは、すぅーっと息を吸う。


 その瞬間、市川と、沙子の肩も同時に、同じ速度で上がっていくのが見えた。


 おれは心の中でふっと笑う。


 文字通り、息がぴったりじゃんか。


「1、2、3、4……」


 カウントを出した。


 誰かと一緒に歩く時みたいなテンポ。


 優しくて、だけどしなやかな曲が始まる。


* * *


『ボート』


例えば、水面を涼しい顔してすべっていく水鳥も


その足はもがいているように


いつも優しい笑顔のあなたの水面下にも


「本当のこと」がきっとあるんだろう


例えば、ボートを漕ぎ出す最初のその瞬間に


パドルが一番重く感じるように


何度座り込んでも立ちあがるあなたは


本当はどれほど力を込めてるんだろう


カップルで乗ったら別れるって有名なボート


帰り道のたび、ギュッと手を組んで願う


「強がりなあなたがそれでも いつかはちゃんと報われますように」


本当に言いたいことほど言えなくて


歯を食いしばっては 下唇を噛んで


口にしたら形になってしまう感情が怖いのなら


私は知らないふりをしておくね


あなたのその無理して笑った顔がすごくかっこいいことを


* * *


 間奏が流れる。


 原曲ではエレキギターが弾いていたメロディを、沙子のベースがなめらかにつむいでいった。


『見た目とか性格とかで、有利とか不利とかはあるとは思うんだけどねぇ、だけど、それを理由に諦めたり出来ないから、好きってことなんだと思うんだよぉ』


 英里奈さんの笑顔の裏に、どれだけの覚悟があるんだろう。


『当たり前かもだけど、楽しいことばかりじゃないんだよお、部長なんて』


 吾妻の強さの裏に、どれだけの我慢があったんだろう。


 その一つ一つが実を結ぶよう、その結び目を作るように、一打一打いちだいちだ丁寧ていねいに打ち込んでいった。


 間奏が終わり、市川がまた、優しく歌い出す。


* * *


カップルで乗ったら別れるって有名なボート


帰り道のたび、ギュッと手を組んで願う


「強がりなあなたがそれでも どこかで素顔でいられますように」


本当に苦しい時ほど踏ん張って


誰もいないところで ため息をついて


口にしたら形になってしまう感情が怖いのなら


私は知らないふりをしておくね


あなたが心から笑ってる顔を見ると嬉しくなっちゃうことを


* * *


 英里奈さんが、ほけーっと目を見開く。


 吾妻の頬に、つーっとしずくが流れた。


* * *


「頑張れ」も「大丈夫」も無責任で 言えることは少ないけど


少なくとも1人 ここに味方がいることだけ 忘れないでくれたらいいな


* * *


 アウトロが流れる。


 感情の波に寄り添うような市川のアコギに、沙子の弾くベースが『前はあっちだよ』と指し示す。


 おれは、誰かの背中を押すように、優しく、だけどしっかり、ドラムを打つ。


 音楽の作り出した柔らかい空間の中、3人の音が同時に、しっかりと重なり、演奏が終わった。


 ホールが「わぁ……!」という歓声と拍手に包まれた。


 市川が優しく微笑み、沙子も0.数ミリ口角をあげる。


「えーっと、それじゃ、次は、器楽部の演奏、だね?」


 市川からバトンを渡された器楽部の演奏で。


 おれは、吾妻をまだまだ過小評価していたことを思い知るのだった。


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