第1曲目 第42小節目:Sunny Morning

 翌朝。


 出がけにスマホを確認したが、『既読3』と吹き出しの脇に付いていたものの、誰からも返事はなかった。


 空振からぶったか……。結構ヘコむもんだな。


 くあぁ……と大きくあくびをしながら(実質2時間しか寝てないわー)、地元の駅の改札を抜ける。


 するとベースを抱えた金髪女子が壁によりかかって、スマホをピコピコとやっていた。


 気配でおれに気付いたらしい沙子は、そっと顔をあげて、不機嫌気味にこちらを見たあと、


「……おはよ」


 と、ややぶっきらぼうだが、そう言ってくれた。


 ホームに向かいながら、おれは謝ることにする。


「えーっと、一昨日はごめん……」


「別に、誰も悪くないんじゃない」


 ツンとしている。


 このモードに入ると沙子はもう何言ってもだめだ。自然解凍を待つしかない。


 それでも待ってくれていたみたいだから、沙子も仲直りするつもりでいてくれているのだろう。


 無言で並んで歩きながらホームに降り立つと、電車がやってきた。


 相変わらず満員でやってきた電車に2人で顔をしかめる。



「なんで、練習当日に音源送ってくるの」


 満員電車の中、沙子が不機嫌そうに口を開いた。


 左手ではベースを抱えて、右手はおれの胸のあたりに手を置いて。


「おお、ごめん……」


 その右手はそれ以上近づかないで的な、拒否のやつなんでしょうか……?


「昨日は出来上がってテンション上がっててな……」


「昨日ってか、今日だから」


「すまん……」


 沙子は相変わらずむすっとしている。


「拓人はあのまま送ってすぐ寝たかも知んないけど、うちはずっと聞いてた」


「へ?」


「あんな何回も聞きたくなるもん送られたら寝らんないっての」


「おお……?」


 ん、これはツンデレというやつでは? もしかしてめちゃくちゃ褒められてるのでは……?


「だって、今日練習じゃん、それまでに覚えなきゃって思うじゃん、ばか」


 胸に置いていた右手を少しだけ振り上げてペシっと叩かれる。


 あれ、そういう意味……? ほんとにごめんねさこっしゅ……。


「なんで、大サビ足したの」


 沙子のいつもの語尾上がらない系疑問文である。


「いや、えっと……」


「もしかして、また……」


 見上げてくる視線がキッと鋭くなる。


 一瞬目が合い、目と鼻の先に沙子の目と鼻があった。


「えっとだな、みんなのおかげっていうか……」


 瞬間、おれも顔を上の方に向けて天井を見る。ちょっと、非常に暑いんですが、弱冷房車に乗っちゃったんでしょうか……?


「ばか」


 目が泳いでいるおれの肩をもう一度沙子は叩くと、耳を真っ赤にしてうつむいた。


 


 それ以来無口になってしまった沙子と電車に揺られて、乗り換えを経て、新小金井の駅まで着いた。


 新小金井から高校までの通学路は、武蔵野国際の生徒がまばらに歩いている。


 学校までに唯一ある信号で信号待ちをしていると、


「ん」


 と沙子がこちらに左手を差し出してくる。


「ん?」


「指」


「指?」


 おれのお返事は、沙子が言ったことにハテナを付けて返すだけの非常に簡単なお仕事です。


 ズビシッとこちらに向けられた指を見てみると、少し皮がむけているみたいだった。


「ベース沢山練習したから、硬くなった」


「お、おお」


 ギターもベースも、固い弦を何回も押さえていると指先の皮膚が硬くなってくるのだ。同じところに何回も刺激を与えると、そうなると言うことらしい。


 おれがへえ、と見ていると、沙子が自分の右手の指先で左手の指先をツンツンとつついてみせる。


「ん」


「ん?」


 おれが訊き返すと、沙子がもう一度自分の指先をツンツンしている。


 え、なに? つついてみろ、っていってる?


 うながされて、おれはおそるおそる沙子の左指先をツンツンとつつく。


「おう……結構硬くなってるな」


「でしょ」


 沙子の0.数ミリ笑顔が発動する。


 その笑顔になんだかドキッとしてしまうと同時に、自分が今やっていることに気づいた。


 え、おれ、何、女子の指なんか触ってんの!? 学校への登校道で!


 誰かに見られてないよな!? と周りをぐるぐる見渡すと。


 おれらの5メートルくらい後ろに、ビクッとして、気まずそうに笑う天然天使が立っていた。


「えへへ……えっと、なんか、ごめんね?」



 市川はそう言いながら諦めたみたいに沙子の隣に並ぶ。


「なんで、声かけなかったの」


 沙子が質問している(多分)。


「いや、なんか、朝くらいは、お邪魔しちゃ悪いかなと思って…」


 市川がぽりぽりと頬をかきながら言った。


「お邪魔? 朝くらいは?」


 おれが訊いた時に、信号が青になる。


 おれの質問などなかったかのように歩き出しながら、


「別にいいよ、一緒に行こ」


 と沙子がつぶやいた。


「……うん!」


 嬉しそうにしている市川さんまじ天使。うんうん、なごむなごむ。


 ところで、おれの質問にはもう答えてもらえないんでしょうね?


「ていうか小沼くん!」


「ん?」


「大サビ!」


「あ、ああ、朝早くに送っちゃってごめんなさい」


 市川も怒らせたか。


 おれが謝罪の意味を込めてお辞儀をすると、


「え、なんで謝るの?」


 と市川は戸惑いを見せた。


「すごく嬉しかったよ! もう今朝だけで30回くらい聞いちゃった! 覚えた!」


「お、おお……」


 え、そうなの? LINEの返事くれないから不安になっちゃったよ……。


「あれが、小沼くんの答えなんだね」


 にこーっとこちらを見て笑う。


 なんだか恥ずかしくておれはふっと目を伏せた。


「今日の練習は、とりあえずはラララ〜って歌うけどね」


「そうなあ……」


 それなんだよ……、テンション上がって曲を勝手に足してみたはいいものの、吾妻がこれに歌詞をちゃんとつけてくれるのか……。


「由莉、どんな歌詞つけてくれるかなあ」


「そうなあ……」


 まあ、市川から頼んでもらえば大丈夫か……。


 鼻歌で新しい大サビを歌う上機嫌な市川さん。


 こういうのめっちゃ嬉しいものですね……。小沼ちょっと感動。



「市川さん、指見せて」


 不意に沙子が市川に話しかける。


「え、指?」


 そう言って市川が両手を広げて沙子の方に差し出す。


「ふむ……」


 沙子が左手の指をツンツンする。


「えっと、なにかな……?」


 市川がちょっとくすぐったそうにしながら沙子越しにおれに訊いてくる。


 おれはなんかその二人がたわむれてるのが微笑ましいのでほっときます。あと、さっき質問無視されたし。


「うちの方が硬い気がする」


 と沙子が言う。


「あ、うん、そうかも……?」


 市川が戸惑っているので、おれは補足してやることにする。


「この顔、沙子的にはドヤ顔だから」


 だってほら、口角だけじゃなくて、眉毛も0.数ミリ上がってるでしょ?


「え? あ、そうなの?」


「そんなのしてない」


 沙子が、眉をひそめて否定する。


「してただろ」


「してない」


「いや、それくらい分かるっての」


 おれがしらーっとした目でツッコミをいれると、


「……じゃあ、別に、してるってことでもいいけど」


 なぜか、沙子的ニヤケ顔が発動する。はあ……?


「えっとね」


 市川がこほんと軽く咳払いをして言う。


「今、ドヤ顔してることは、私にも分かるかな」


 市川は苦笑しながらも、ちょっとだけ嬉しそうだった。




 そんな感じでしばらく歩いてると、後ろから、パシィン! と肩を叩かれる。


「いたっ!」


 振り返ると、マスクをして、ベースを背負った茶髪女子が立っていた。


「えっと……?」


「小沼、よくもやってくれたわね」


 茶髪女子は聞き覚えのある声でそう言った。


「こんなもん送られたら、眠れないじゃん。結果すっぴんで来ちゃったし……まじ不覚だわ……」


 ……なるほど、この人、吾妻か。


 化粧で変わるもんだなあ、と思いつつ、別に恥ずかしがるようなすっぴんでもないのでは……? とも思いながら見ていると。


「じろじろ見ないで。ていうか見ないで」


 そう言って顔をそらされてしまう。


 ついに見ることすら拒否された……。


「明け方に送ってごめんな」


「ほんとだよ! いや、もう降りてきて降りてきて大変なんだから……」


「そ、そうか……」


 怒られてるのか褒められてるのかよく分からずぼけーっとしていると、


「由莉も嬉しかったんだねー」


 と市川がニコニコしている。


「お、おう……」


 なんにせよ、吾妻が歌詞を書いてくれそうで何よりだ。


「次の練習、いつ? それまでに歌詞書ききる」


 吾妻がカリカリしながらそう訊いてくる。


 うわー、答えづらいな……なんて思っていると、


「今日の1時」


 沙子が無表情で答えた。


「今日!?」


 と吾妻が素っ頓狂な声をあげる。


 沙子がうなずく。『うちも当日に新しいところ覚えなきゃいけなくて大変だった』とでも言いたそうだ。


「うちも当日に新しいところ覚えなきゃいけなくて大変だった」


 ビンゴ!!


 心の中で未来予知を成功させたおれは2人からにらまれた。


「まあまあ、お2人とも……」


 市川がとりなしてくれる。


「まあ、わかったわ、今日の1時までに、ね」


 しぶしぶと言った感じで吾妻が了承してくれる。


「ありがとう」


 おれがそういうと、


「別に、やりたくてやってることだから」


 と、吾妻がそう返してくる。


 なんだろう、この感情は。


 おれが作ったものを起点に、色々な人がそれをもっと大きくしようとしてくれる。


 晴れた土曜日の登校道。


 おれはこれまでになく高揚した気持ちで学校に向かうのだった。

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