第1曲目 第41小節目:マーチングバンド
市川が吉祥寺で降りてからの電車。
おれは窓の外を眺めながら、何度も何度も、昨日合奏した『平日』の録音を聞き返していた。
* * *
『平日』
目覚まし時計に追いかけられて家を出た
革靴は足にひっかけたまんま
チャイムと同時に教室に飛び込んだ
寝癖をみんなに笑われた
憂鬱なはずの起床、窮屈なはずの電車、面倒なはずの学校が、
なんでだろう
机の下を走る秘密のメッセージに
「えっ?」て声が出て叱られて
4限で指された私の代わりに
お腹が答えてまた笑われた
退屈なはずの授業、困難なはずの勉強、面倒なはずの学校が、
なんでだろう
下校道、電車を何回も見送って
ホームで日が暮れるのを見て
帰りの電車、今日一日を思い出したら
変だな、なんかちくっと痛い
厄介なはずの下校、窮屈なはずの電車、面倒なはずの学校が、
なんでだろう
ねえ、なんでだろう?
* * *
やっぱり、何かが足りない。
何が足りないんだろう。
『小沼くんは、何を音楽にしたいの?』
市川の言葉を手がかりに、何度も何度も繰り返していると、少しずつ見えてくる。
まず気が付いたのは、初めて読んだ時とは、全然違う歌詞に聞こえていること。
つい一週間前に吾妻から送られてこの歌詞を読んだ時には、正直、この歌詞が良いのかどうかもよく分からなかった。
ただただ、自分の書いた曲に誰かが歌詞を書いてくれた、という感動が上回っていたのだ。
だけど、今聞いていて思う。
おれはきっと、この歌詞の良さの半分も理解できていなかったのだろう。
この歌詞をおれは、『日常は良い』を吾妻が解釈し直して、ユリポエム風に書き直してくれたものだと、そう思っていた。
多分それは、状況の認識としてはそんなに間違ってないのだと思う。
だけど、表現能力とか、
それは、「実感」だ。
吾妻がおれのノートに書いてあった『日常は良い』を読んでまず言っていた「意図」というやつも同じかもしれない。
とにかく、曲に込めた「思い」が、おれの曲と歌詞には、圧倒的に欠落していたのだ。
それもそうだ。
この曲を書いた時のおれは、『日常は良い』なんて、
毎日は本当に平坦で、学校に行っても特に誰とも話すこともない。
誰かとつながることはきっといつか離れることで、誰かに期待することはきっといつか裏切られることで。
とにかく、怖かったのだ。
『J-POPは翼を生やすもの』と同じ次元の理解で『J-POPはありふれた日常に感謝をするもの』だと思っていた。
そういうものが人気が出るとか、そういうものが求められてるとか、そんな次元にも達していない。
ただただ『そういうものだ』と思っているおれの言葉は、実感のこもった吾妻の言葉と比べるべくもない。
そして。
そのことになんでおれは気づいたんだろうか?
『もう、勝手にどっか行くなっつーの』
沙子といつもみたいに話すことが出来て、
『えりなと付き合って、って言ったら、困る?』
英里奈さんのしょうもない謎の作戦に付き合って、
『仲良いよ。だって小沼、いいやつだし』
吾妻と秘密を相談しあって、
『コヌマもおはよう。お前ら本当に仲良しなんだな』
『私、小沼くんとの帰り道、結構楽しんでるんだろうな』
市川と音楽を通じてつながって一緒に帰るような。
そんな日常が、楽しいんだ。
『日常は良い』と、ギャグみたいに書きなぐったしょうもない言葉が、今さら温度を持って、手触りを持って、実感を持って、おれの手元にやってきたんだ。
足りないのは、吾妻の歌詞じゃない。
吾妻の歌詞は、おれの伝えたいことを上回って、感情を明文化してくれている。
足りないのは、沙子のベースじゃない。
沙子のスムーズで正確なベースラインはしっかり曲を支えている。
足りないのは、市川の歌じゃない。
市川の歌が、amaneを超えないのは、もっと根本的な理由がある。
そうか、そうだったのか。
違和感、不足しているものの正体に思い当たる。
それは、おれが作った、曲だ。
吾妻の歌詞に、市川の歌に、おれの曲が持つ「実感」が全然追い付いていない。
市川は、この曲を良い曲だとそう言ってくれた。
沙子は、この曲が最高だとそう言ってくれた。
だけど、足りない。全然足りない。
『まもなく、
車内アナウンスがおれの家の最寄駅への到着を告げる。
『ちゃんと、こういうことから、言葉にするようにしよっと』
市川が一昨日に放った言葉がフラッシュバックする。
次は、おれの番だ。
開いた電車のドアをすり抜けるようにして、おれは運動神経の悪い足を必死に動かして、家路を急いだ。
家に到着したおれは「ただいま」も言わずに自室に駆け込む。
パソコンを立ち上げて、宅録用のソフトを起動した。
オーディオインターフェイス(楽器をパソコンにつなぐための機械)を通してギターをパソコンに繋ぐ。モニター用ヘッドフォン(音がなるべくフラットに聞こえるヘッドフォン)を耳にかける。
どうする? 吾妻の歌詞にまるっきり違う曲を乗せるか?
いや、違う。
『メロディに耳を傾けて、自分の伝えたいことをそこに乗せる時、それがどんな言葉になるかを考えなきゃいけないの』
吾妻はそう言っていた。
吾妻のこの歌詞は、この曲のために作られたものだ。
後半をアレンジし直して、もっと厚みを持たせるか?
いや、違う。
おれたちは今回、3ピースバンドだ。ライブで聞かせられないことなんかするべきじゃない。
「大サビを、足すか……」
『平日』は、Aメロ→サビ→Aメロ→サビ→Aメロ→サビというシンプルに反復する構成の楽曲だ。
この最後に、大サビを足すことは、出来るはず。
ギターを鳴らす。コードが決まる。
ドラムはどうだ、ここのリズムはそれまでと同じでいいのか?
部屋に置いてある電子ドラムで叩いて録音していく。
ドラムが終わったらベースだ。ベースラインが少しずつ固まって行く。沙子が得意とする指引きのフレーズを少し応用させる。
メロディを、キーボードで打ち込んでいく。市川の音域、一番感情の乗りやすい音程を意識して、それでも機械的にならないように、一つずつ、丁寧に音を
元々の音源に新しい大サビを差し込み終えた時には、空が白み始めていた。
家に着いたのは夜8時ごろだったはずが、8時間程度かけてやっと出来たらしい。
音源データの書き出しをして、『プロジェクトamane様』にアップロードしたURLを送る。
その瞬間、急激に空腹を感じる。
ヘッドフォンを外して、部屋の入り口を見ると、そこにはお盆に乗ったカレーと小さな紙切れ。
『ひきこもりたっくんのばか。 ゆず』
その紙切れを見ておれは苦笑する。
「おれは、ぼっちだけど、ひきこもりではねえよ」
そうつぶやいてから、言い直す。
「もう、ぼっちでもない」
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