第1曲目 第15小節目:ダンス部とアイス屋の前で

 沙子が涙を流した1時間後、おれたちは吉祥寺きちじょうじ駅前の楽器屋にいた。


 沙子があのあと教室で鼻をすすりながら、


「ていうか、うち、ベース弾くの久しぶりだから、弦とか張り替えなきゃ……」


 というのに対して、


「あ、そしたらさ! 一緒に、楽器屋さん行こうよ!」


 と市川が手を合わせた、という流れである。




「弦、4000円もする......」


「うわ、牛丼屋で牛丼15回くらい食べれるじゃん......」


「へー、牛丼ってそんなに安いんだ?」


 上から、沙子、おれ、市川の順である。


「沙子さん、ベース本体は持ってるの?」


「パ……父親が使ってたベースが家にある。中学の時もそれ使ってた」


「へえー!」


 嬉しそうに聞く市川に、沙子はちょっと照れ臭そうに説明を始めた。ていうかさっきパパって言いかけなかった?


「うちの親、音楽オタクで、楽器収集家みたいに楽器を買いまくってるんだよ」


「たしか、沙子の使ってたジャズベ、30万くらいするやつじゃなかったっけ?」


「じゃずべ?」


 市川が首を傾げる。


「ジャズベース。ベースの種類だよ。ほら、そこにかかってるやつ。そこらへん全部ジャズベ」


 壁にかかっているジャズベを指差しながら説明する。


「でも、私たちがやるの、ジャズじゃないよ?」


「ジャズ以外でも使うんだよ、ジャズベース。なんでかは知らん」


「最初はジャズ用に作られたんだけど、使う人がどんどんジャズ以外で使うようになったんだって、父親が言ってた気がする」


 沙子が説明をしながら、弦を手に取る。


「はあ、散財さんざいだ……」


「ドンマイ、沙子」


 憂鬱ゆううつそうにレジに向かう沙子を見送り、おれはおれでドラム用のスティックを選ぶ。




 買い物を終えて、おれたちは店を出た。


 そこで、市川がぴょこっと手を挙げた。


「二人とも、今日はありがとう! これからよろしくね、沙子さん! 私、家こっちだから、行くね」


 え、なに、amane様って吉祥寺に住んでんの?


「あ、そだよね、おつかれ」


 結構飲み込み早いんだな沙子。


「じゃねっ!」


 そう言って市川は店を出て左側へと歩いて行った。


「あいつ、吉祥寺住んでんのな」


「え、拓人たくと、知らなかったの」


「え、知ってたの?」


 抑揚よくようのない声でたずねられ、おれは首を傾げる。


「歌詞に出てくるじゃん、『カップルで乗ったら別れるって有名なボート 帰り道のたび、ギュッと手を組んで願う』って。あれ、井の頭公園のことでしょ」


 ほー……?


「……沙子、やっぱ結構聞いてんのな」


「……うっさい、死ね」


 言葉が辛辣しんらつすぎるよ沙子さん。




 そんな話をしながら、店を出て右側、駅の方向に歩いていくとすぐにアイス屋がある。


「あー、アイス食いたい……けど散財したばっかだから無理だ……」


 なんて沙子がつぶやき、おれがまあまあ、といなす。


 ……また、こんな風にこいつの隣を歩く日が来るなんてな。


 妙に感慨かんがい深くなっていると、聞き慣れない声がした。


「あ、さこっしゅ!」

「おー、波須じゃん」


「あ……英里奈えりな、と、健次けんじ


 そこには、アイス屋の前でアイスを食べているピンクベージュ髪のふんわりツインテール女子と平べったい野球帽をかぶった男子がいた。


 チョコアイスを食べているふんわりツインテール女子のことは知っている。黄海英里奈おうみえりな、同じクラスの不真面目系なクラス委員長だ。


 男はよく知らんが、平べったい帽子をかぶってるから多分ダンス部。


「何してんのー?」


 英里奈さんが沙子に話しかけている。


 おそらく、ダンス部が休みだからそれぞれ街に繰り出しているのだろう。


 武蔵野国際高校のやつが繰り出す街は、ほとんどが吉祥寺だし。


 おそらく、どちらもおれには気づいていないだろう。


 おれみたいなやつと二人で歩いてると分かったら沙子も外聞がいぶんが悪かろう。


 スキル《ステルス》発動ッ……!!


 おれは一瞬でオーラを消して通行人Aと化す。


 そのまま他人のフリをして歩き去ろうとした、その時。


 おれの肩にかけていたカバンがぐいっと引っ張られた。


「!?」


 振り返ると、沙子がこちらを睨んでいる。


「もう、勝手にどっか行くなっつーの」


 ぽしょりと呟かれる一言におれは一瞬言葉を失う。


「あれぇ、コヌマくんだぁ。全然気付かなかったぁー! あれれぇー、さこっしゅと接点あるんだー?」


 何故、英里奈さんはおれの名前を知っているんだ?


 いや、しっかりしろ、おれ。


 おれはコヌマじゃなくてオヌマだ。


 すなわち、おれは英里奈さんには呼ばれていない。


 よって、おれはこの問いかけに答える必要はない。


 そう判断したおれが黙っていると、


「いや、シカトぉー!? ぐっさぁー!! 刺さった、刺さったよぉー!」


 英里奈さんが胸をおさえてそんなリアクションを取る。


「あ、え、あ、ごめん……」


 ぐっさぁーって何かと思ったら刺さった時の擬音か。


「何、波須、こいつと友達なん? 何つながり?」


 半笑いで健次と呼ばれた男が沙子に話しかけた。


「ただの幼馴染おさななじみ


 沙子が無表情で答える。


 え、沙子さんまだそんな喋り方なの? 友達なくすよ? おれはもともといないからOKだけど。


「おさななじみぃー!? えー、すーっごくいいねぇー! 憧れるなぁー、おさななじみ! えりなにはおさななじみっていないもん!」


「ふーん、そうなんだ。人種違いそうなのにな」


 健次と呼ばれている人(だから多分名前は健次)が吐き捨てるように言う。


 ほら、やっぱりおれと一緒にいると怒られるよ沙子さん……。


「あ、そうだぁ。コヌマくん、ゆりから5円返してもらったぁー?」


「5円?」


 英里奈さんに訊かれて、おれはつい首をかしげる。


「あれぇ? ゆりがバイト先で5円お釣り渡し忘れたからってLINEくれたんだけどなぁー。でもぉ、えりなはコヌマくんの連絡先分かんなくて」


「あ、ああ」


 吾妻が、嘘の理由でおれのLINEを聞こうとしてたあれか。あらまあ、すごい。それだけ言うと、おれすげえモテるやつみたい。


「ちゃんと受け取れたよ」


「そかそかぁ! そしたら良かったよぉ!」


 バンバンとアイスを持っていない手で肩を叩いてくる。


 ていうか、この人たちはこういう行動がおれみたいな男子にとって凶器になってると気付いてないのか? おれたち陰キャラぼっち男子高校生は、ちょっとしたボディタッチをずっと覚えている自意識のモンスターだぞ。


「英里奈、うるせえよ。波須、これからカラオケ行こうぜ」


 なぜかさっきから不機嫌ふきげんな健次くん(仮)が沙子をカラオケに誘う。


 てか英里奈さんと健次くんは付き合ってるわけじゃないの? デートの邪魔では?


「あ、ごめん、うち今日帰ってやらなきゃいけないことが」


 すると、意外とすげなく沙子が断る。


「んんー、なになにぃー?」


 英里奈さんが食いついたらしく、沙子の顔を覗き込むようにした。


「……楽器の練習」


「楽器? ロック部やるのぉ?」


「うん、女ダン優先にするから」


 沙子が0.数ミリ顔をかたむける。


「うんうん、全然いいよぉー! 健次もやってるもんねぇー!」


 あ、そうなんだ?


「……おう」


 おっと、ここに来て不機嫌ボルテージがもう一段階上がっているらしい。てかこの人ずっと不機嫌だな。


 何、沙子のこと嫌いなの?


「てか、波須、バンド観に来てって言っても興味ないからって全然来てくんないのに、自分は演奏すんだ? 興味あるんじゃん」


 いや違う。ねてんのか。


「んと、興味が戻ってきたっていうか、なんていうか。それもついさっきの話っていうか……」


「はあ、まあ、別にいいけど……」


 よくなさそうだな……。


「で、誰とバンドやんの?」


 健次さんの問いかけに、


「こいつと、市川さん」


「おい……」


 沙子はあっさりと答えやがった。


 いや、たしかに、遅かれ早かれではあったんだが……。


「は……? こいつ、なんか楽器出来んの?」


 ほらー、健次さん怒ってるじゃないですか……。


「拓人は、なんでも出来るよ」


「た、たくと……?」


 あ、すみません僕、拓人と言います……。


「こいつの名前」


「んなのは聞いてりゃ分かる」


 健次さんがすんごく不機嫌になってる。


 すると、英里奈さんがほんの一瞬だけ目を閉じたかと思えば、


「あぁ、コヌマくん! 今度の球技大会のことで話があるんだったぁ! 英里奈はコヌマくんと同じクラスで、クラス委員長だからぁ! ちょっとマック行こー、マック!」


「は? え?」


 突然の説明くさいセリフとともに、英里奈さんがおれの腕を掴んで歩き出す。


「いいから、ちょっと付き合ってよぉ」


 二人に聞こえないよう、耳元でささやかれ、おれは足をもつれさせながらマックへと向かった。


「ちょっと、英里奈」


「波須、ほっとけよ」


 後ろからそんな二人のやりとりが聞こえた。

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