第1曲目 第13小節目:あなたと握手

 翌日の昼休み。


 震える足をなんとか従えて、沙子さこのいるであろう4組へと向かった。


 4組の教室の手前で一度立ち止まる。


「ふう……」


 他のクラスの教室に入るのって、ものすごく緊張することなんだなあ……。これまで他のクラスにお邪魔したことなんかなかったから、全然知らなかった。


 開いたドアの前で呼吸を整えていると、中にいる吾妻あずまと目が合う。


 吾妻は、ちょうど沙子と話をしていたみたいだ。もしかしたら、おれの仲直りのためにそういう風に動いてくれていたのかも知れない。リア充の気遣い力すげえな……。


 気遣いリア充さんはおれとアイコンタクトすると小さくうなずき、沙子に何かを言って一緒にこちらにやってきた。


 教室を出ようとする二人。


 沙子はおれを一瞥いちべつしてからふいっと目をそらす。吾妻はおれには気づかないようなふりをしてくれている。


 二人がおれの横を通り過ぎようとする瞬間、吾妻がおれの足をコツン、と小さく蹴った。


『今しかないよ』って、合図だろう。




「あ、あの!」




 突然大きな声が出た。上ずって、めちゃくちゃダサい。


 ダサいけど、きっと、どうせうまくなんか出来ないんだ。分かってる。だって、ここに立っているだけでもやっとなのだから。


「……なに」


 一瞬通り過ぎた沙子と吾妻が振り返る。


「あ、コヌマくん、だっけ? どうしたの、さこはすに何か用?」


 吾妻がうまいんだかうまくないんだかよく分からない演技でおれを誘導してくれる。


「あ、ああ。さ……波須さん、ちょっと今時間あるか?」


 おれがたずねると、沙子はわずかに顔をしかめる。


「いや、今から売店行くんだけど......」


「あたし買ってくるよ! さこはす、いつもの鮭とツナマヨとでっかいジャスミン茶でしょ?」


「まあ、そうだけど……いや、でも、うちも行くよ」


「いいっていいって! じゃ、いってきま!」


 そう言って吾妻は売店の方へと走り去る。


 出がけにこっちを向いて一瞬片目をつぶっていたように見えた。


 あれがウィンクというやつか……。リア充って本当にすごいな……。おれは一生のうちにウィンクをすることなどあるのだろうか……。


「はあ、行っちゃったんだけど……」


 沙子は吾妻の行く方向を見た後にこちらに向き直り、


「で、なんなの」


 威嚇いかくするような目で睨んでくる。


 でも、その表情自体は不思議と怖く感じなかった。


 それは多分、こういう表情は沙子が不安な時に張る虚勢きょせいなのだと、知っているからだろう。


「ちょっと、話がしたくて。えっと……こっち、いいか?」


 教室の目の前だとあまりにも目立つので、場所を少し移動することにする。


 憮然ぶぜんとしながらも、沙子はついてきてくれた。






 階段の踊り場。


 この時間にこの階段を使う人はほとんどいないため、ここでなら話をしても大丈夫だろう。


「で、なんなの。昨日のこと謝りに来たの」


 沙子は抑揚よくようのない話し方で、おれに質問をしてくる。


 昨日のこと、というのは、多目的室倉庫での一件のことだろう。


「いや、そうじゃなくてだな……」


「じゃあ、なに」


 おれは今日、何を言うべきなんだろう、どんな風に伝えるべきなんだろう。なんてことを、昨日からずっと考えていた。


 考えて、考えて、分かったこと。


 おれには大した語彙ごいがない。おれの書いた歌詞を見た吾妻にもあきれられたばかりだ。


 だから、なるべくシンプルに、伝えたいことを伝えることにした。


 遠回しな比喩ひゆは、吾妻の領分りょうぶんだ。




「沙子と、仲直りしたいんだ」




「……何言ってんの」



 沙子の瞳が0.数ミリ揺れる。




「ずっと、話せてなかっただろ。だから、沙子と、仲直りをしたい」


 おれは、大して情報量の増えていない、それでも一番伝えたいことをハッキリともう一度言い直した。


 すると、おれの言葉を受けて、沙子がうつむく。


 その肩は、プルプルと震えているように見える。




 ……え、泣いてる?




「……じゃん」


「え?」


 聞き取れなくておれが聞き返したその瞬間。


 沙子が、真っ赤な顔をガバッとあげた。


 結果から言うと、泣いてはいなかった。




 ……ただ、めっちゃキレてた。




「あんたが悪いんじゃん! 話せてなかったとかじゃないじゃん! あんたが勝手にうちのことけて、これまでのことなんかなんも無かったみたいに他人のフリして!」



「お、おお......」


 沙子の勢いに、つい気圧けおされ、たじろく。


 普段、やや無口で抑揚よくようのない沙子が、こんなに大きな声を出すところを初めて見たかも知れない。


 10年程度の付き合いで、初めてだ。


「あんな、一回否定されたぐらいで折れて! うちが何回、後悔したと思って……! 感情に任せてちょっと言ったことが取り返しが付かなくなって……! それを何、いきなり拓人たくとから『仲直りしたい』って! なんなの、いきなり!」


「ご、ごめん......」


 久しぶりに沙子に『拓人』とおれの名前を呼ばれたことになんだか胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながらも、反射的に謝る。


 すると、沙子は、震えながら続けた。




「うちだって、うちだって……うちの方が、拓人と仲直りしたかったっての!」


「沙子……!」


 おれは息を呑む。


 沙子がそう思っていてくれていた、という事実が、おれの心臓をぎゅっとつかむ。


「何なの、それもあの女にそそのかされたわけ?」


 そんなおれの感慨も飛び越えて、沙子は決壊したダムのように、強い語気で言葉を続けている。


「……あの女?」




「拓人の大好きな、市川天音!」




「ちょっと、沙子、誤解を生むような言い方……!」


 おれは慌ててなだめる。人がそんなに通らないとはいえ、仮にもここは普通に校内だ。……え、今の誰にも聞かれてないよね?


「なに、憧れのamaneさんと遂に付き合えたりしたわけ? 昨日、校内デートしてたもんね? それで、なんか『幼馴染は大切だから仲直りしたほうがいいよ』とか言われたの?」


「い、いや、そんなんじゃねえよ」

 

 いやまあ、吾妻には似たようなことは言われたんだが……。


「じゃあ、なんでいきなり? なんで今さら?」


 質問の濁流だくりゅうに飲まれそうになりながらも、おれはなんとか持ちこたえ、正面から答える。


「それはな、」


 おれは今日、なるべくシンプルにものを伝えると決めているんだ。




「amaneの曲の歌詞を聴いて、そう思ったんだ」



 すると、


「~~~~~~!!!!!」


 沙子が文字にもならないようなうめき声を上げる。


「またあいつ! やっぱりあいつ! どんだけ好きなの! ばかばかばかばか! クソ拓人!」


「クソ!?」


 いや、なんでそんなにキレてんの!? 


「どうせあれでしょ、『痛みとか傷を避けて歩いてたら』ってとこでも改めて聴いたんでしょ!?」


「沙子、その歌詞、おぼえて……?」


「うっさい! うちだって何回も聴いてるもん! ばか!」


「え、そうなの?」


「うっさい!」


 いや、今は沙子の方が絶対うるさいよ。


 うっさいと言われたのでちょっと黙ってみると、腕を組んで目をつぶって、


「つーか、まじ、なんなの。どうすればいいのこういう時……そもそもさ……」


 沙子がおれに聞こえるか聞こえないかくらいの音量でブツブツと呟きながら何やら悩んでいた。


 ややあって。


「でも……背に腹は代えられないか」


 そう自分に言い聞かせるようにつぶやくと、


「ん」


 と、手を出してきた。


「は? なに?」


「仲直りすんでしょ、だったら、握手……」


 顔を赤くして、ややそっぽを向きながらもそう言ってくる。


「お、おう……」


 いや、なんか照れるな。


 昔はお遊戯会ゆうぎかいとかで何回も手をつないだけど、こんな風に改めてと言うことになると、やはり緊張するものらしい。


 それでも、大切な儀式なのだろう。


 おれもそっと手を出し、握手を交わす。なんだか意外なほどに柔らかい沙子の手の感触が伝わってきた。


「……もう、無視とかすんなよ」


 沙子は、そう言いながらおれをにらんでくる。


「ああ、本当に、ごめん」


 おれがそう伝えると。



 やっと、沙子が、昔みたいに笑ってくれた。



 口角こうかくを1ミリだけ上げた、他の誰にも分からない、不愛想ぶあいそうな笑顔で。





「あ、それでだな、沙子」


「ん、他になんかあんの」


 仲直りに成功したおれは、いそいそと『本題』に入る。




「おれと一緒にバンドやってくれないか? ベースで」




 すると、おれの言葉に沙子が固まる。


「あんた、それって、まさか……」


 え、でも、そこまで空気が読めないはずは……、みたいなことを小声で呟いてから、


「そのバンドの歌を歌うのって……誰なの」


 と質問をしてくる。


 おれが、


「え、市川天音だけど」


 そう伝えた途端。




「~~~~~~~!!!!!!」




 また、言葉にならない奇声を発する沙子。



「は? え?」


 戸惑うおれに、


「ばーかばーかばーかばーか!!」


 と、かなり幼稚な罵倒ばとうを浴びせかけて、沙子は教室の方へと走り去ってしまった。


「はい……?」


 残されたおれは、そこに呆然ぼうぜんと立ち尽くす。


 沙子が走っていった先を目で追うと、いつの間にか売店から戻って来たらしい吾妻が、ひたいに手のひらをあてて、『だめだこりゃ……』みたいな感じで大層たいそうあきれていらっしゃった。




 ……何? おれが悪いの?

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