第1曲目 第7小節目:チキン

 放課後。


 ホームルーム終了後に自席でステルス性能を発揮していると、やはり今日もなんなく教室に一人になった。……うん、だんだん分かってきた。


 ちなみに、市川もいない。


 いや、でも今日は約束あるよね? どうすりゃいんだろ、多目的室に向かえばいいのか?


 んんー、と逡巡しゅんじゅんしていると、


「ごめん小沼くん、多目的室の倉庫の鍵もらってきた!」


 と市川がやってきた。


 ああ、amane様……!


 ちゃんと戻ってきてくれたamane様に感謝を捧げつつ、おれは咳払いをして答える。


「うん、ありがとう。じゃあ、先に行っててくれ。ちょっとしたら時間差でおれも行くから」


 すると、


「え、なんで? 一緒に行こうよ」


 市川は、おれの言ったことの意味が分からないといった表情で、キョトンとしている。


 はあ、とおれはため息をついた。


 まったく、おつむの足りないやつめ。


 市川は顔が良くてスタイルが良くて歌が上手くてギターが弾けて良い曲と良い歌詞が書けるだけだな。あと良い匂いがするのと、動きが可愛い。それだけだ。


「あのな、一緒に行ったらおれと市川が知り合いだって、バレるだろ?」


「何か問題でも?」


 市川は首をかしげた。


「そしたら、市川がamaneで、おれが曲作ってんのがバレるだろうが」


 おれがそう説明すると。


「……やっぱり、小沼くんて怖いね」


 市川さんは半目になって、『うわー……』みたいな表情を浮かべていた。


「え、怖い……!?」


自意識過剰じいしきかじょうだよ。私と小沼くんが一緒にいるだけで『あ、市川の正体はamaneだったんだー』『小沼くんって作曲するんだー』って想像する人なんか、一人もいないよ」


「いや、でも、きっかけくらいにはなるかもしれないだろ?」


「うーん、ならないんじゃないかな。そもそも、amaneを知ってる人自体、日本中そんなにいないんだから。うちの学校なら、小沼くんと由莉ゆりだけでしょ。じゃなかったらもう声かけられてるよきっと」


「いや、それは……」


 市川は軽く目を閉じて、軽くため息をつく。


「amaneの知名度なんかそんなもんだよ。さ、行こ行こ! 倉庫に置いてあるミキサーを見に来ました、小沼くんはそこらへんでたまたま会って、暇そうだからミキサーの上に重いものが置いてあった時の力仕事要員として私が連れてきました、ってことでいいじゃん!」


「いや、ミキサーの上に重いもの置いちゃだめだろ」


「……そんなに一人で行かせたいの?」


 しらーっと睨まれる。


「いえ、ご一緒させてください!」


 その表情に、おれは観念して、ご一緒させていただくことにしました。



 



 多目的室に到着する。


 そこでは、女子ダンス部が練習していた。


 女子ダンス部、通称じょダン。男子ダンス部と並び、イケイケのリア充たちがひしめき合う、魔の巣窟そうくつだ。


 やつらは、音楽が流れようものならそれがロック部のスタジオから漏れ出た音であっても狂ったように踊り始め、近くにいるものを威嚇いかくし始める。


 ちなみに、男子ダンス部のやつは全員つばが平たい野球帽をかぶっている。そこについてるキラキラしたシールを剥がした運動部が、周りを取り囲まれて数時間にわたってダンスを見せつけられ頭がおかしくなってしまったという伝説があるくらいだ。


 そしてこの多目的室にはぼっちにとって致命的な、構造的な欠陥けっかんがある。


 なんと。多目的室の倉庫には直接入ることが出来ず、多目的室本体を通らないといけないのだ。


 つまり、だ。


「このリア充共の巣窟を横切るってことか……?」


「そうだね、女ダンのみんなには申し訳ないけど……って、巣窟? リア充?」


 扉の前で足が震える。


「え、小沼くんどうしたの? 大丈夫……?」


「いや、ダメかも分からん。ここからは、市川に任せる」


「だから、任されても、私じゃミキサーのこと分かんないんだってば」


 そう言って、こともなげに市川は扉を開けた。


「「1,2,3,4,5,6,7,8…」」


 リズムをカウントしながら、鏡に向かって踊っている女ダンたち。誰も直接こちらを見ていないにも関わらず、おれは部屋に入ることをためらってしまう。相変わらずの威嚇力いかくりょくだ……!


「失礼しまーす……」


 そう小さな声でつぶやいて多目的室へ入っていく市川。


「ちょ、市川」


 おれもその背中に隠れるようにしてそそくさと入っていった。(マジでダサい)



 なるべく迷惑をかけないよう、はしっこを通って倉庫へと向かう。


 その途中に、女ダンの金髪の女子と一瞬目があった気がしたが、無視して小走りする。


 体験したことないほど長く感じた10秒くらいで倉庫にやっとたどり着き、倉庫の扉をしめ、一息つく。


「ふはあ、死ぬかと思った……」


 おれは無意識に息を止めていたらしく、呼吸が激しくなる。


「もう、小沼くんは自意識過剰だなあ……」


「いや、だってさ……」


 弁明べんめいしようと発しかけたその声の上から、


自分ひとのことなんか、誰もそんなに気にしてくれてないよ」


 しっかりとしたトーンで呟かれた言葉に、一瞬言葉を失った。


「さてと、ミキサーはどこかな?」


 そんなおれをよそに、市川は倉庫を物色し始める。


「こっちかな? 大きいからすぐ見つかると思ったけど、本当に力仕事になっちゃうかも」


「おれは戦力外だぞ」


「うん、まあ、別に期待はしてないけどさ」


 こちらを見向きもしない。期待されてないってさ。それはそれで寂しいものですね。


「あ、これかな?」


 市川が壁際に、『ミキサー』と油性ペンで書かれた大きめの段ボール箱を見つけた。


 その上には何かが詰まった別の段ボールがいくつも積み上がっている。


「ありゃー、上の箱、どかさなきゃだね」


「てか、ミキサーの上にこんなもの置くなよな…」


 市川はしゃがんで上の段ボールを動かそうとしている。

 どれくらいの重さのものなのかを確かめているみたいだ。


 と、その時。


 市川の頭上ずじょうの段ボール箱がぐらぐらとバランスを崩していた。


「市川、あぶない!」


 倒れそうな段ボール箱を支えようと、慌てて駆け寄る。


「へ?」


 それと同時、市川が上を向いた。


「きゃっ!!!!!」


 なんとか間に合ったおれは、段ボールを押さえることに成功する。


 段ボールの中身は空箱みたいに軽く、そういう意味でのダメージはないのだが、絶妙なバランスで押さえたために、微動びどうだにできなくなってしまった。


「大丈夫か? 市川」


 意外と機敏きびんに動けた自分に内心ガッツポーズを決めながら、それでも表面上はクールをよそおって、訊いてみる。


 だが、市川からの返事がない。


「あれ? 市川?」


 と、市川がいるであろう下にそろりと顔を向けると。


 ちょうどおれの股間の前にある市川の顔と目があった。


 壁際に追い詰められた市川。

 おれの右足がちょうど壁ドンのような状態で市川をホールドしている。

 動けない上半身。

 股間に顔が触れないようにギリギリまで顔を背ける市川。


「あ……」


 やばい、でも、動けない。


 どうすりゃいい?


「小沼くん、ちょっと……」


 ちょ、喋んな。

 

 やばい、色々やばい。




 と、その時だった。


「わざわざこんなとこ来てイチャイチャすんのやめてくんない」


 顔だけそちらに向けると、金髪の女ダン部員、波須沙子はすさこがそこに立っていた。


「つーか、まじで、なんなのあんたたち……」


「いや、これは……」


 しどろもどろになるおれの股間のあたりで声がする。


「仕方ない、か……」


 市川が潜水みたいに息を止めて、ぐっと姿勢を小さくする。


 そのまま、おれの股をくぐって、おれの背中側に出た。


 そして、おれが支えていた荷物を一つひょいっと取り上げてくれた。


 おかげで、おれも身動きが取れるようになる。


「ごめんなさい、ちょっと事故っただけで……」


 頬を赤く染めた市川が謝る。いや、そんな表情だと微妙に説得力なくなるだろ。


「市川天音さん、だっけ。あなた結構大胆なんだね」


「いや、だから別に、私たちはなんでもなくて……」


「ふーん、まだ純粋ぶるんだ。たく……小沼、なんかのどこがいいの」


「違うんだよ。小沼くんは私の用事を手伝ってくれてるだけで……」


 胸の前で手を振る市川に、


「うちには、市川さんが小沼の・・・を手伝ってるように見えたけど」


 無表情のまま、微妙にいやらしいことを言い始めた。


「なっ、お前……!」


 つい口を出す。


 とうの市川は何を言われてるのかわからないようで、ぼけーっとしている。


「とにかく、なんでもないから。これを見たかっただけだ」


 そう言っておれがダンボールのフタの隙間から見えているミキサーを指差すと、波須沙子が顔をしかめる。


「あんた、まだそんなこと……」


 もう、ラチがあかない。


 おれはスマホを取り出し、ミキサーに書いてある型番だけを写真におさめた。


「これでいい。邪魔して悪かったな」


 そう言っておれは波須の横を通って倉庫を出て行く。


 小さく、舌打ちをする音が聞こえた。


「ちょっと待って、小沼くん! すみません、失礼します!」


 そう言って市川がダンス部に軽くお辞儀をして、追いかけてくる。

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