宅録ぼっちのおれがあの天才美少女のゴーストライターになるなんて。
石田灯葉
1曲目
第1曲目 第1小節目:宅録ぼっちのおれがあの天才美少女のゴーストライターになるなんて。
「ねえ、小沼くん」
夕暮れの教室。
サラリとした黒髪、くりっとした瞳、小さな唇。
清純派美少女とはこういうやつのことを言うんだろうな、とつい考えてしまう。
高校から同級生になったこの女子に、おれは中学二年生の頃からずっと憧れている。
そんな彼女が目の前、こんなに近くで、おれに言うのだ。
「小沼くんの曲、私に一つだけくれないかな?」
このたった一つの言葉が、おれの高校生活を大きく変えることになるのだと、おれはその時にはもうわかっていたんだと思う。
だって、おれはすでに、彼女の言葉に人生を変えられていたんだから。
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「あ」
階段を降りながらおれは、ヘッドフォンを机の引き出しに入れっぱなしだったことを思い出す。
帰り道に音楽は絶対必要だ。
高校から家まで1時間半。
そんなに長い時間を無音で過ごせるはずがない。アルバムが2枚も聞ける。
降りていた階段をたったっと駆け戻り、教室のドアを開けた。
夕暮れ色の空気で満たされた教室。
窓際の自分の机の上に座ってアコースティックギターを構えてぼーっとしている後ろ姿がそこにあった。
黒髪セミロングのストレートヘアーが彼女のイメージによく似合っている。
人当たりは良いが、人に
おまけに歌が上手く、ギターが弾ける。
完璧を絵に描いたような美少女だ。
おれがドアを開けた音に気付いたのか、市川がこちらを振り返る。
「おー、小沼くん」
「お、おう……」
何、この人は、おれなんかの名前まで覚えてんの……?
「忘れ物?」
「う、うん」
会話は最低限に。
でないと、余計なことを言ってしまいそうだ。
ていうか、すでにどもってるし。
「学校のスタジオが、空いてなくてさあ。教室で練習してたんだ」
市川がえへへ、と照れくさそうに状況を説明してくれる。
「そ、そうなんだ」
おれは自分の机の引き出しからBluetoothのヘッドフォンを出して、耳にかける。
「そそ、それじゃ」
そう言って、なぜか震えてしまう指でスマホの再生ボタンを押して、
その時。
おれのスマホの『スピーカー』から大音量で音楽が流れ始めた。
「うっ……!?」
やばい。
Bluetoothに接続される前に再生ボタンを押してしまったらしい。
その
「ねえ! その曲、誰の曲!?」
「別に、誰の曲ってこともないけど……」
しどろもどろになるおれ。
いつの間にか目の前に立っている市川。ちょっと、近い近い近い近い……!!
市川が無邪気におれのスマホを向かい側から覗き込もうとする。
「誰の曲ってこともない、って何? 誰かの曲なんでしょ?」
極度の緊張に、指がもつれて再生を止められない。
スマホからは音楽が流れ続けていた。
「そ、そんなに、興味持つなよ」
舌までもつれている。
おれは、とっさに、取りつくろうように、言った。
「た、大した曲じゃ、ないだろ」
そう言った瞬間。
「なんで?」
市川にキッと睨まれる。
「大した曲じゃない、って、なんで小沼くんが言うの?」
怒りをはらんだ声。
「どんな曲だって、誰かが一生懸命作った大事な大事な曲なんだから、大した曲じゃない、なんて、作った人以外は言っちゃいけないと思うんだけど?」
市川の怒りがどんどんヒートアップしていく。
「い、いや……」
そうじゃないんだ、と声を出そうとするも、至近距離で整った顔でにらまれて、声がうまく出てこない。
「
そう言いながら、意地になったらしい市川はおれのスマホの上の方を人差し指でおさえて、地面と水平にする。
その画面に出ていた文字を見て、市川の動きが止まった。
「え、これって……?」
目を丸くした市川がおれの方を見上げる。
……もう言い逃れできない、か。
「……そうだよ」
画面に出ている文字は『DEMO / 小沼拓人(おぬまたくと)』
「この曲は、おれが作った曲なんだ」
おれは、一番言いたくないことを一番言いたくない相手に告げることになった。
「……ほんとに?」
「ほんとに……」
完全に、やってしまった。
よりによって、あの市川天音にバレるなんて。
キーンコーンカーンコーン……と、16時のチャイムが教室に鳴り響いた。
ややあって、
「すっごく良い曲じゃん!」
我に返ったらしい市川が、目を
「小沼くん、作曲できるの!?」
いや、だから近いって……!
「出来るってか、やってるだけだけど……」
「すごいね、全然知らなかった!」
「まあ、誰にも言ってなかったから……」
特に、市川に知られたくなかったんだけど.……。
「そうなの? 言えばいいのに! 作曲出来るの、すごいね! 本当に、すごいなあ……」
この人は、何をそんなに嬉しそうに言ってるんだろう。
おれは自分の顔が熱くなっていくのを感じていた。
でも、その原因は『照れ』じゃない。
多分、『怒り』だ。
「……市川だって」
「ん?」
「市川だって、作曲出来るだろ」
「え……?」
市川の瞳が揺れる。
「えっと、ううん、私は、ロック部で弾き語りとかやってるだけで……」
市川がうつむいたにも関わらず、おれは
「他の人の曲ばっかりやってるけど、市川は、作詞も作曲も出来るはずなんだ」
「……どういうこと?」
おれは、
「なあ、市川は、|amane(アマネ)なんだろ?」
市川がハッと顔を上げる。
唇がわなわなと動く。
「それ、知って……?」
もう、だめだ。
こらえきれなくなった言葉がこぼれ出てくる。
「知ってるよ。だって、おれは」
決して言わないつもりだった言葉が。
「amaneに憧れて作曲を始めたんだから」
* * *
『天才中学生シンガーソングライター
そんな宣伝文句だったろうか。
おれがamaneの音楽に一番最初に出会ったのは3年前、中学2年生の夏のことだ。
当時所属していた吹奏楽部の課題曲の入ったCDを買いに新宿のCDショップまで行った時に、たまたまインストアライブなるものをやっていたのがamaneだった。
人気があるアーティストであればCDを買った人だけが見られるライブだったのだろうが、売り出したてのamaneのライブには特に仕切りなども設けられておらず、CDショップに来た人の誰でも見ることができた。
CDを買って、その姿を横目に通り過ぎようとしたおれの耳に。
彼女の声が突き刺さるように響き、届いた。
透明感の中に芯のある歌声で紡がれたその曲の冒頭のフレーズ。
『ねえ、自分にしか出来ないことなんて、たった一つだってあるのかな?』
バッとそちらを見ると、おれの足は、目は、耳は、もう少しもそこから動けなくなってしまっていた。
たった2曲のライブが終わり、
家に帰ってずっとリピート再生した、2曲入りのシングル。
amaneが自分と同い年だと知り、悔しさと嫉妬と
もしかしたら、おれにも作れるかも知れない。作ってみたい。
それから、元々吹奏楽部でやっていたドラムに加えて、コードを覚え、ギターを練習した。
機材さえあれば、自分で叩いたドラムに合わせて自分でベースを弾いて……と、音を重ねて録音出来ると言うことを知った。それを、
だが、その半年後。
いまかいまかと新曲を待ちわびたおれの元に入ってきたのは、amaneの無期限活動休止のニュースだった。
シングル一枚しかリリースしていないamaneの活動休止は一部ネットメディアで1日、いや、数時間だけ現れたあと、人々の記憶から瞬時に流れ去っていった。
* * *
「本当に驚いたんだ。高校に入ったら、あのamaneがいたんだから」
「……そっか」
夕暮れの教室で、おれはそんな恥ずかしいことを本人に打ち明けていた。
どこか遠くで
「あの、さ」
おれは、自分でも正しいことか分からないまま、そっと、言葉を発した。
「一個だけ、市川に……amaneに、ずっと訊きたかったことがあるんだ」
分かってるよ、という感じでうなずいて、市川は困ったように
「なんで私が音楽をやめたか、だよね?」
「……うん」
だよねえ、と小さく呟き、
「あのね、」
市川はふうー、と息をついて、微笑んだまま告白した。
「自分の作った曲を歌おうとするとね、声が出なくなっちゃったの」
は……?
おれは耳を疑う。声が、出ない?
「どう、して……?」
「多分ね、余計なものを、見ちゃったからだと思う」
「余計なもの……?」
おれが眉をひそめると、
「これ」
そう言って、市川は自分のスマホを指差した。
「ネットの世界ってね、怖いんだよ。こっちに生きた人間なんかいないみたいに、みんな好き勝手言うんだ」
「好き勝手って……」
これ以上訊いていいのかも分からず、市川の言葉を復唱することしかできない。
それでも、市川は続ける。
「『こんなやつが天才なわけない』『YUIのパクり』……」
おれは心が冷え込んでいくのを感じていた。
「一番きつかったのはね、『こんな曲、この世界に生まれなければ良かったのに』って」
苦くて辛くて痛くて、それでも飲まないといけないものを飲み込むように、一息で彼女は告げる。
おれは固まった。
そんなコメント、一つも知らなかった。
「変な解釈されて、けなされて、
そして、また、
なんだよ、それじゃ、まるでおれと……。
「でも、おれは、amaneの曲が……」
好きなんだ、と口をつきそうな言葉を、思春期のバカな脳みそが
「……じゃあ、amaneの曲を、もうamaneの声で聞くことは出来ないのか?」
言ってはいけないことだってわかっているはずのに、おれの口からは子供じみたわがままが吐き出されていた。
市川は、困ったように笑ったあと、
「ねえ、小沼くん」
と、やや
「うん……?」
そして、おれの人生を変えてしまう、決定的な一言を、告げたのだ。
「小沼くんの曲、私に一つだけくれないかな?」
「……へ?」
つい、自分でもあきれるほどに間抜けな声が出た。
おれの曲を、市川に?
「どうして……?」
「さっきの曲、すごく良い曲だったから。自分の曲は怖いけど、人の曲を自分の曲だって言ったら、もしかしたら歌えるかもしれないから」
市川が自分の制服のスカートをぎゅっと握り込む。
「本当は、また、歌えるようになりたい......言いたいこと、たくさんあって……でも、怖くて……。だから、リハビリ、みたいなことが、小沼くんの曲で出来たらって……」
うつむく市川が、悲痛な声を漏らした。
おれは腕組みをして思案する。
その無言を否定と取ったのか、
「なんて、そんなズルいの、ダメだよね……。ごめん小沼くん、忘れて?」
市川は、撤回しようとした。
でも、そんな風に、泣きそうな顔で笑うamaneを見たらもう、おれが断れるはずもない。
「……わかった、おれの曲を市川に渡そう」
「え、本当?」
市川が意外そうに、目を丸くする。
おれはもう一度うなずく。
「だけど、2つ条件がある」
「条件?」
「1つは、おれが作った曲だとは、その先も言わないでほしい」
「どうして……?」
「どうしてもだ」
胸が痛む。……まだ痛いのかよ、くそ。
「……うん、わかった。それで、もう一つは?」
首を傾げる市川に向かって、おれはそっと伝える。
「いつか、遠い未来でもいい。いくらでも待つ。世の中に公表しなくてもいい」
「ん?」
「amaneの曲を、amaneの声で聞かせてほしい」
すると、市川の顔が赤くなっていく。
それでも、おれは、続ける。
「amaneは、おれの、憧れなんだ。」
「……あんまり、私の下の名前を連呼しないでもらえるかな?」
「下の、名前……!?」
言われてみればそうだ……!
次に顔を赤くするのは、俺の番だった。
小さな声で、市川が、
「そんなプロポーズみたいなこと……」
とつぶやいているのを、おれの耳は聞き取ってしまう。
とにかく、そんな風にして、おれと市川の秘密の共同制作ユニットが誕生した。
もしかしたら、本当の意味でおれの高校生活が動き始めたのは、この瞬間だったのかもしれない。
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