第3話

9月の始まり、夏の終わり。

今年の夏は暑くて長い気がした。

最近になってようやく、夜に秋らしさを感じられるようにはなったものの、昼間はまだ夏の気配が消えていない。

私はこの期間を、夏の帰り支度と呼ぶことした。まだ夏はここにいるけれど、荷物をまとめて実家に帰る準備をしている。夏の実家が果たして何処なのかは分からないけれど、きっとまあ南国の方だろう。

私は、この夏の帰り支度が好きだ。昼間は教室の窓から見える緑が鮮やかで、夏が永遠に居座り続ける気がするくらいだが、夜になって鈴虫が鳴くと、ああ今年も夏は帰っていくのだと実感する。私は夏があんまり好きではないし、むしろ秋の方が好きだけど、やはりいざ夏が終わるとなると少し寂しいものだ。

長らく家に居座り続けていた居候が、遂に仕事を見つけて家を出て行くような。最初は鬱陶しい存在だったけど、長く共にいると自然と愛着は湧く。この季節は、そんな気持ちを抱きながら、静かに夏が帰って行くのを感じている。



夏が帰ってしまった。

私は愛犬の夜の散歩係なので、家の戸を開けて外の空気に触れたとき、そのしんなりとした空気に驚く。下手すると、空調の効いた部屋の中より涼やかな時もある。

涼しいのは好い。

お風呂上がり、髪を乾かす前に二階に本とミュージックプレイヤーを持って上がり、窓際のベッドに腰掛けて、窓を少し開ける。

途端にほんのりと秋の予感を漂わせた風が濡れた髪を撫でていく。ミュージックプレイヤーにイヤホンのプラグを差し込み、音楽を聴こうとしたとき、鈴虫の音色が耳に滑り込んでくる。私はハッとして、耳を澄ませる。

囁かながら、たしかに聴こえてくる。秋の始まりの音だ、と私は嬉しくなる。

しばらくはその音色を愉しみながら、本を耽溺し、音色を一通り愉しめたところでイヤーピースを耳に差し込む。クラシック。最近のお気に入りは、ラヴェルの『鏡 海原の小舟』とマ・メール・ロワ第五曲『妖精の園』だ。どちらもある映画の挿入曲だ。分かる人は分かってしまうかも。そう、あの映画。私はあの映画が大好きだ。マイナーだけど。

あの映画の中の主人公も、北イタリアの豊かな自然の中、美しいクラシックを聴きながら本を読んでいた。美しかった。

だから私も、この二つの(他にもあるけど)クラシック曲を聴くと、その映画の主人公になったような不思議な、しあわせな気分になる。心酔する、とはこの事かもしれない。


私の書いた限りなく影響された文章で、なんとなく分かってしまうかもしれないけれど今私が一番好きな、お気に入りの作家さんは江國香織さんだ。江國さんのエッセイが大好きだ。言葉選びが秀逸なのだろうか、ページをめくるだけで胸がときめくのだ。私にはない、繊細で美しい感性を持っている方なのだと思う。エッセイを読むと、その感性を少し分けてもらっている気がして贅沢な気分になる。



秋がやってきた。

秋をいっぱいに感じられるのは、夜だとわたしは思う。お風呂から上がると、お気に入りの曲を聴いて髪の毛を乾かす。

お風呂上がりのスキンケアなどを全て終わらせると、少し喉が渇いた。お財布から150円を出す。150円あれば大体の飲み物が買えるというのが私の持論だ。そのまま玄関へ行って下駄を突っかけて扉を開ける。

この瞬間が好きだ。

冷たく透き通った空気が、お風呂上がりの火照った身体に染み渡っていく。身体中いっぱい、秋の匂いに染まる。

深呼吸してから、自動販売機を目指して、時折腕を広げたり、スキップしたりしながら歩いていく。昼間は出来ない事も、夜中なら誰にも見られることはないから好きなだけできる。暗闇の中に浮かぶネオンの灯りが心強い。虫が寄ってくるのも分からなくもない。

しばらく吟味してから、ポッカレモン100円を選ぶ。ほら、やっぱり150円あればなんだって買える。

出てきたポッカレモンの翠色の瓶は、ひんやり濡れていて、熱い手に心地よい。

私は瓶が好きだ。

蓋を開けて歩きながら飲む。お行儀か悪いけど、夜なら関係ない。

秋の匂いに、檸檬の薫りが混ざる。

私は鼻を膨らませる。

ああ、いいねぇ。

こんな時、私は秋の幸せを感じる。

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