六十四話 マグリス兄弟

 よーし、あとはこの一滴を加えるだけで……。


 ぐつぐつ煮立った鍋の中にぽとん、試験管から一滴の液体を落とす。

 濃い緑色のどろりとした液体は、一瞬にして透明なピンク色の液体へと変った。


 完成だ。これでしばらくはなんとかなることだろう。


 コンコン。研究室のドアがノックされテトとジュスティーヌが入室する。


「ここが兄ちゃんの研究室かぁ。意外に整理整頓されてるんだな」

「おおおっ、これが兄上様の研究室ですか。こじんまりとしていますが、設備も整っていて素晴らしいですね」

「いらっしゃい。コーヒーを出すからそこに座って」


 二人を席に座らせ僕は三角フラスコで水を沸かす。

 あいにくここにはポットもティーカップなんてのもないから、ありあわせの物でしか出すことはできない。まぁ二人とも魔術師だしそこまで気にしないだろう。


 コーヒーをビーカーに入れてそっと出した。


「兄ちゃん、これはどうなのかな……」

「なるほど兄上様が無頓着というのは本当のようですね」


 そう言いつつ二人はコーヒーを飲んでいた。


 ところで僕が無頓着って誰が言ってたのかな。

 その辺りはあとでしっかり聞かせて貰おう。


「そう言えば二人はパナルロイ村に行ってきたんだよね?」

「ああ、かなり久しぶりだったから懐かしかったよ。ヒルダとも会えたし父さんや母さんのお墓にもようやく行くことができたしね」

「ヒルダは何か言ってた?」

「特にこれと言って言葉は交さなかった。お帰りなさいとだけ」


 そっか……ヒルダは賢い女性だから全てを察したんだろうね。

 プリシアはいい家族に恵まれたみたいだ。


「ところで兄ちゃんはずっとこの国で暮らすつもりか?」

「そうだけどダメかな?」

「ダメってことはないけど……もし兄ちゃんがよかったら魔帝国に来ないか」


 ばぁん。ドアが開け放たれプリシアがテトに指さした。


「異議ありなのじゃ!」

「あれ? なんでここに?」

「盗み聞きしてたのじゃ!」


 いやいや堂々と言うことじゃないよね。


 というかまた仕事をほっぽり出してきたんだね。

 ここ最近、主席がサボり気味だって噂になってるのだけれど……。


「余は兄ちゃんと話をしているのだ。お前の意見は聞いていない」

「なんじゃと!? 姉に向かってよくもぬけぬけと!」

「姉と言ってもちょっと先に生まれただけではないか。お前も余も歳は同じだろ」

「その差が大きいのじゃ! お父さんもお母さんも長女であるアタシにお兄ちゃんのことをよろしくと言ってたのじゃ! だからアタシにお兄ちゃんの所有権が発生しているのじゃ!」

「んな馬鹿な話があるか! 兄ちゃんは弟のものだろ!」

「「ぐぎぎぎぎぎっ!」」


 互いに杖を構えてにらみ合う。


 はぁ、こういった喧嘩は昔からよくしてたけどまさかまだ続いていたとは。

 気持ちは嬉しいけどこんなところで兄弟喧嘩は勘弁して貰いたい。


「ほら、二人とも落ち着いて。プリシアにもコーヒーを淹れてあげるから」

「馳走になるのじゃ」

「ひとまず休戦だ」


 妹にコーヒーを出してあげれば嬉しそうに飲んでいた。

 ジュスティーヌは兄弟の争いには興味がないのか、置物のようにぼーっとコーヒーを飲んでいる。常に神経を尖らせているように見えて、実は意外におっとりした人物なのかもしれない。


「ちゃんと言っておくけど、僕は誰の所有物でもないからね」

「「ガーン」」

「なんでショックを受けてるの!? 常識的なことだよね!?」


 するとプリシアが僕の腕に抱きついた。


「いやじゃ! お兄ちゃんはアタシのものなのじゃ!」


 テトが負けじと僕のもう片方の腕に抱きつく。


「違う! 兄ちゃんは余のものだ!」


 二人に両サイドから引っ張られる。

 なんでまたこんなことに。僕としては嬉しいけど、そろそろ兄離れはして欲しいかな。

 いや、百年経過してこれだからもう治すのは無理なのかも。


「残念じゃったな! 男では子供は身ごもれないぞ! つまりアタシの勝利じゃ!」

「ぐぬぬぬぬ! 女体化の薬さえ完成すれば!」

「諦めるのじゃ! そのようなものはこの世には存在しないのじゃ!」

「絶対にできる! 絶対に女体化はできる!」


 額から冷や汗が流れた。


 ちょ、ちょっとまって。テトはまだ僕との結婚を諦めてなかったの?

 しかも女体化の薬を作ってるとか……不味い。すでに完成品があるとか絶対に言えない。

 もしバレたらウチの弟が妹になっちゃう。


「諦めるのじゃ! 往生際が悪いぞ!」

「隣の姉ちゃんは『最後まで諦めないことが肝心よ』って言ってたぞ!」


 またあの人!! あのお姉さん僕がいない間に一体何を吹き込んだのさ!

 アルベルト並みにタチが悪い!


 幸いプリシアはTS薬のことを明かすつもりはないみたいだから、テトが女の子になる心配はないと思う……たぶん。


 二人は胸ぐらを掴んで額をぶつけてにらみ合った。


「ところで兄上様、あそこにある鍋では何をお作りになっていたので?」

「ああ、そうそう。完成したから瓶詰めしないといけないと考えてたんだ」


 僕は鍋から液体を掬い小瓶に入れる。

 それをテーブルに置くとジュスティーヌはまじまじと見た。


「あげるよ」

「いいのですか?」

「うん、君の為に作ったからね」

「なんと! それでこの薬は!?」


「変身薬だよ」


「「「!?」」」


 三人がぴたりと動きを止めた。


「お兄ちゃん、変身薬とはあの変身薬か?」

「嘘だろ兄ちゃん。変身薬を作ったって」

「ん? 本当だけど? これくらいこっちにもあるよね?」


 変身薬――短時間ではあるものの物理的に外見を任意の姿に変えられる薬だ。持続効果としてはせいぜい三時間くらいだが、幻ではなく実体で変われることがこの薬の大きな特徴である。

ただし、任意と言っても性別までは変えられない。


「あるわけないのじゃ! 変身薬は未だ完成を見ない幻の薬! もし完成すれば間違いなく歴史に名が残り、あっという間に億万長者じゃ!」

「そうだぞ兄ちゃん! 変身薬なんてただの伝説の薬だ! どんな物かは皆知っていても、現物は誰も見たことがない架空の薬だ!」

「架空って言われても……現にここにあるし」


 二人の剣幕に苦笑する。


 そっか、またやっちゃったのか。

 どうも未だに人間界の常識を把握し切れてない感じだ。


「私にとはどういうことでしょうか」

「ジュスティーヌは純粋な魔族だしこの国だと周りの目が気になるよね。だから少しの間だけでも溶け込める薬があればと思ったんだ」

「なるほど、これで私も周りの視線を気にしなくてもよくなると。お気遣い感謝いたします。ではさっそく」


 小瓶を開けて飲み干す。

 数秒後、頭部にあった角が消えてしまった。


「お、おお、本当に消えた」

「うんうん。どこから見ても王国の平民にしか見えないよ」

「「…………」」


 はしゃぐジュスティーヌに対し、プリシアもテトも唖然としたまま固まっていた。

 あれだけ否定していただけにすぐには受け入れられないらしい。


「おおおおおおおおっ! 兄ちゃんすげぇ!!」

「億万長者なのじゃ! 億万長者!!」


 喧嘩していたのが嘘のように二人は飛び跳ねながら円を描く。

 なんだかんだ言いながら仲が良いな。やっぱり兄弟だよ。


 その後、僕らはのんびり雑談をした。




 ◇




「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」

「あまり国を長く空けてられないからな」


 シュナイザーに乗ったテトが寂しそうに笑う。

 ビャー子にはシュスティーヌが乗っていて小さく頭を下げていた。


 二人が来て一週間、そろそろ帰らなければいけないということで、屋敷の玄関で見送りに僕らは集まっていた。


「どうぞお弁当です。道中お食べください」

「ありがとう」


 イリスがテトに包みを渡す。

 中には僕とイリスが腕によりを掛けた料理が入っている。

 きっと彼なら喜んでくれるだろう。


 振り返るとプリシアが不満そうな顔で背中を向けている。


「ほら、ちゃんと挨拶をしておきなよ」

「不要なのじゃ。どうせまた早々に来からの」


 ん? そうなの?

 まぁでも、年を取った僕らからすれば数年なんてすぐかもね。

 見た目はあれだけど中身は百を越えた年寄りだし。

 それにテトも今年中にもう一度くらい会いにくるかもしれない。


「余は帰るが、くれぐれも兄ちゃんのことをたのんだぞ。それと変な物には近づけさせるなよ」

「わかっておる。またうっかり魔界に落ちられてはかなわん」

「うっ、心にグサグサ刺さる」


 気持ちを切り替えてテトに別れの挨拶をする。


「三人だけの兄弟なんだからまた会いに来てよ」

「何言ってんだ兄ちゃん」

「ん?」

「兄弟は六人だろ」


 ……。


 …………。


 ………………。


 ろくにん??


 振り返ってプリシアを睨む。

 妹は露骨に顔を逸らして口笛を吹いていた。


「ねぇテト、僕らの他に兄弟がいるの?」

「あれ兄ちゃん知らなかったのか。余の下に双子の妹とさらにその下に弟がいるんだぞ。今はどこでなにをしているか知らないけど、三人とも魔術師だからまだ生きてると思う」

「ええっ!? 三人とも魔術師!?」


 驚愕の真実。まさか他に兄弟がいたなんて。

 しかも揃って魔術師だと来てる。


 それにしても父さんも母さんもああ見えてまだ元気だったんだね。

 父さんなんか腰痛持ちだったから……いや、この話は止めよう。

 きっと色々考えた上で決断したに違いない。


「詳しいことはプリシアから聞いてくれ。それじゃあまた」

「うん、またね」


 シュナイザーとビャー子が走り出しテト達は帰って行った。


 寂しいな。可愛い弟が離れるのは。

 でもまた会えるのだからしばしの我慢だ。


「さて、詳しい話を聞かせて貰おうか」

「ひぇ」


 逃げ出そうとする妹の首襟を掴んだ。





 ティーカップを置いた妹はため息をつくように述べる。


「別に隠してたわけじゃない。ちょっとしたすれちがいじゃ」

「隠そうとした意図が透けて見えるけど?」

「心外じゃ。決して他の兄弟がお兄ちゃんとのラブラブタイムを邪魔するからとか、可愛い妹はアタシだけでいいとか思ってたわけじゃないのじゃ」

「理由はよく分かった」


 プリシアにも困ったものだ。

 他に兄弟がいるならもっと早くに教えて貰いたかったよ。

 てっきりマグリス家は三人しかいないとばかり思い込んでいた。


 でも双子の妹に弟かぁ。


 どんな子達なんだろう。気になるなぁ。

 やっぱりプリシアやテトみたいに可愛いのかな。


「お兄ちゃんのことじゃから、あの三人を可愛がりたいとか考えておるのじゃろう」

「そりゃあね。だって妹と弟だし」

「フッ、残念じゃったの。あの三人はお兄ちゃんにはつゆほども興味を持っておらぬ。それどころか、マグリス家などどうでもいいとばかりにこの国を離れていった奴らじゃぞ」

「国外にいるの?」

「うむ、双子のミミィとリリィは南方のポンペイで暮らしており、末っ子のヴァイスなどは北に向かったきり音沙汰なしじゃ」


 ふむふむ南と北か。

 そう言えばそっちには行ったことがなかったなぁ。

 北に関しては不可侵条約で交流もないし、南も大森林やら山脈やら越えないといけないらしいし交流は薄かったと思う。

 たまにはそっちに出向いてみるのもいいかも。


「でもプリシアも気にはなってるんだよね?」

「そりゃあ多少はの。妹達はしっかりしておるからそれほどでもないが、ヴァイスに関しては少し危ういところがあって、おかしなことをしていないか心配しておる」

「危ういって?」

「あの子は生まれつき魔力と力が強い子なのじゃ。お兄ちゃんを除けば恐らく兄弟で一番強い」


 今のテトを含めても……って言いたいのかな。

 それで消息不明となれば心配にもなるか。

 最悪すでに死んでいる可能性も考えておかないといけない。


「分かった。近いうちに三人を探しに行くよ」

「じゃあアタシも!」

「プリシアはダメだ。君は主席賢者だろ」

「あうぅ」


 妹はしょんぼりとしてしまった。

 可哀想なのですりすり頭を撫でてあげる。


「すぐに戻ってくるから」

「うん、なのじゃ」


 ま、小太郎がいれば移動には時間はかからないだろう。

 アモンとしての仕事もあるしね。


「きっと家族を集めてみせるよ」


 僕は残りの兄弟を見つけるべき決意した。


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