第6話 惑わずに幸福へ向かう。
ランニングシューズ購入の唯一の判断基準を「ヒールとクッション性が高い」に絞った私は、ランニングシューズコーナーに向かう前に、『サイズが合えばお買い得! 残り1足アウトレットコーナー』に直行。運良く同じサイズのランニングシューズを発見し、そのまま購入。ヒールとクッション性の高さはわからないが3800円であった。ジャストプライスであった。
何がジャストプライスかというと、この商品にこれ以上の値段は出せないという自分の中の物価基準というものがあって、靴下は3足セットで880円、勤務中のランチは560円、バナナは110円、ボディソープは178円など。これらの自己物価基準から換算すると、ランニングシューズは3800円である。
なぜならばこの価値観は、結婚以来全く増進がみられない小遣い3万円/月という基準から発生しているのであって、3800円の出費は決して安いわけではない。月300万の小遣いをもらう者が、38万円のシューズを買うことと同じ価値があると思っている。
よしこれにしよう。不意に出会った、自分の価値観に合った値段、そして残り1足という選択の余地のなさに心が軽くなる。現代社会は、物があふれ、可能性があふれ、そして選択肢があふれているから、選択したものにいつまでも自信が持てず、失われたものや選ばなかったものを意識し、選択しなかった方が幸せだったんじゃないかと心が荒み、病んでいく。
そして心が病むと、人は物を捨て、可能性を捨て、選択肢を狭めていく。将来を放棄し、仕事を辞め、外出を控え、コミュニケーションを断ち、「ただの自分」という最小単位に収斂していく。心の安寧を求めて選択肢がない世界に身を沈めていく。
ということは、選択せずに決めたシューズ、いや、「ただ走る」というスポーツの最小単位ともいえるランニングこそ、心の安寧を得ることができるのではないか。気が付けば40歳。孔子曰く、「四十にして惑はず」あらゆることを判断する際に迷いがなくなる「不惑」の年齢である。
俺はもう何事にも惑わされない。いつでも胸を張り、デザインもフォルムもヒールもクッションも考慮せず、値段だけで購入を決めたこのシューズと共に走る。と、レジに行く前に売り場に記載してあるシューズの説明文を読む。
『ヒールクラッチングシステムとハトメと連動したアッパー部のTPUパーツによってホールド性が優れているので安定した走りが可能となり、アウトソールに高耐磨耗ラバーを使用しているので耐久性が高く長く使い続けられるのがポイントです』
惑う。意味がわからない。ランニングを始める資格を査定するための試験を受けているようだ。やばい。不惑が崩壊する。即座に説明文から目をそらし、その説明文の隣、「セットで買うと更にお得!」と、ワゴンの中に山積みの靴下。「ランニングソックス」と書いてある。ランニングソックス! そんなものがあるのか。靴下は靴下でいいじゃないか。説明文を読む。
『縦横のダブルアーチとクロステーピングによるサポート構造。厚めのヒールタブはシューズ内側でのソックスずれを防止。更にダブルレイヤード構造、グリップと吸汗速乾素材が備わったハイパフォーマンスウェア』
ああ惑う。たかが靴下の紹介文でよくぞここまで難解にできたなと畏怖の念すら抱いてしまう。とにかく世の中は選択肢を増やし、我々を惑わそうとしている。油断ならない。選択肢のないシンプルな世界ほど幸福に近づくというのに、あえて複雑怪奇、支離滅裂に仕上げて幸福から遠ざけようとしている。そういえば我が国の幸福度は先進国で最下位らしい。なるほど豊かになるほど幸福度が下がるわけである。
なんだよ靴下もあんのかよ。靴下を購入の是非に惑わされる自分を憎む。スマホの購入金額だけ準備して保護フィルムの値段を想定していなかったような。保護フィルムがなくても使えるよな、でもキレイに使いたいよな。普通の靴下でも走れるよな、でも快適に走りたいよな。惑う。一度はシンプルになった世の中が再び複雑になっていく。心の幸福度が下がっていく。
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